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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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よのなか科 体罰・・

2013-05-22 13:28:47 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞のくらしナビという面に、

「よのなか科」というのがある。

今、キミに考えてほしいこと というサブタイトルのもの。

藤原和博さんという教育改革活動家とかの人が子供向けに書いているようだ。

今日は体罰についてのもの。

これを読んで、考えたい・・というのがむくむくと出てきた。

体罰とは「身体に直接苦痛を与える罰」と広辞苑。

この人が“体罰というどうにでも解釈できる領域・・・”と云っているように、

それは解釈なのだから、形を見るだけではわからない。

その言動が体罰なのか、愛情なのか、単なる腹立ちなのか、

本人自体が自覚のない場合も多いんじゃないかと思うけど、

どう考えても、愛情を自覚しての行為だったら、

相手の身体に傷がつくようなことにはならない。

瞬間的にカッとなって起こす先生の言動は“指導”にもなってない。

体罰とは痛い目に遭わせることで、そのことをもうしないようにさせる、

ということだろうと思うけど、

罰を与えればその人は良く変わる、という無意識的な確信を持っているということだろう。

自分が自らしたことで痛い目に遭うという経験をして、それがよかった、ということはある。

小さな子供がアイロンに触ってしまったというような痛い目に遭って、

それからはアイロンには絶対触らなくなった、というような事は、

痛い目に遭ったという経験が非常に役立ったということかなとは思う。

それはアイロンは熱いものという知恵を得たということだろう。

それにしても小さな子供が居る場所に熱いアイロンを置くような事は大人が避けるべきことで、

わざわざ痛い目に遭わせることでもない。

自分が自らしたことで、何かに失敗するという経験をして、そこから学ぶということはある。

痛い目に遭うというのは自分がした行為の結果を自分が引き受けるということだ。

痛い目に遭う と 他者から痛い目に遭わせられる のは全然別だ。

自分でアイロンを触ったことで得た「アイロンは熱いもの」という知恵は、

その子供にトラウマを背負わせないけれど、

親が子供に痛い目に遭わせてアイロンが熱いことを知らせようと、

わざと熱いアイロンをくっ付けたら、どうだろう?

そんなことを何度もしたら、子供はどうなるだろう??

「アイロンは熱いもの」という知恵が得られるというよりは、

「親は恐いもの」を学習するんじゃないか。

ちょっと論点がずれてる??

どんなことでも自分がしたことは、(他者がそれをなんとかしなくても)

自分に還って来る。心にも身体にも。

やりたいと思って入ったクラブの練習をさぼったら、力がつかないという結果を引き受ければいいんだし、

練習する気がなくなったら休むかやめればいいことで、

他者がどうのこうの言うことじゃない。

ましてや、指導という名前の暴力を振るうなんてしない方がいい。

本人にまかせればいいことだ。委ねるだけだ。

結局、その人のことをその人にまかせられない心情から体罰が起こるんじゃないだろうか。


小さな子に悪いことをするとお尻をたたく、という体罰も、

子供がそういうことをしないような環境を作れなかった大人の罪といえば、罪だろう。

それは罪と言えるものじゃないけど。

単に私たちがまだ未熟だ、ということに尽きる。

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