ムカデとことこ

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人為と自然

2013-07-29 16:36:48 | ひとの幸福
よく「自然と人為の調和」というようなことを云う。

これは山や川や海や人間以外の動物や植物なんかの自然物と、

人間が行なう行為、行動とが調和している状態のことを云ってるのかなと思う。

今、養老先生の「かけがえのないもの」という本を読んでいて、

『自分の事がわからない』という章に『意識と無意識』の項があり、

そこにこういう文章があった。

「・・・そういうふうに、我々自身には、

脳も含めて知っている部分と知らない部分がある。

意識は何をしているのかといえば、

自分の脳が何をしてるのかということを知っている。

その知っている部分を脳、

知らない部分というのを自然、と私は読んだのです。

これは意識と無意識と言い換えたほうがわかりやすいと思います。」


一番上に書いた自然と人為の調和というのもあるけど、

養老先生のこれを読んで、別の「自然と人為の調和」が浮かんだ。

自分の脳が何をしてるかを“知らない部分”が自然であり、無意識で、

自分の脳が何をしてるかを“知っている部分”とは脳であり、意識であると、

養老先生は言っている。

何故、私は「自然と人為の調和」という言葉が浮かんだのか・・・

そうなった自分の意識を観察してみる。

書いてみるね。


腹が立つのは意識的に腹を立てようとして立つわけじゃないし、

ケーキや饅頭を見てぱっと美味しそう!と思って食べたくなるのも、

梅干を見て口の中につばがたまってしまうのも、

無意識的に起こる。いわば、自然とそう“なってしまう”

それを私は「自然」と呼んでみる。「無意識」と呼んでみる。

こういう「自然」と人為を調和するとはどういうことか・・

ケーキの例で考える。

美味しそうなケーキを見たら、食べたくなる・・という自然に対して、

けれど、今は食べないという意志が働いて、

食べたいけど食べないという行為行動を選択することなんかは、

自然と人為の調和・・といえるんじゃないかと思ったんだ。

食べたくなって、よし食べようとその意志を自覚して食べるのも、

やはり自然と人為の調和かなと思う。

何にも考えずただ食べたくなったから時も場合も考えず食べるというのも、

もちろんあるし、それはそれでいいけど、

そういうのは自然と人為の調和と呼ばないな、と私。


腹が立っても、腹が立つのは自分の自然・無意識に

何かのプログラム・見方があるからだと、

自覚納得して、自分の自発的自由意志によって、

相手に攻撃を与えたりしない、という選択肢を選ぶのも、

自然と人為の調和といえる。

意識と無意識の調和と呼んでもいいな。

以上、本日の時点での私の解釈でありました。
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