勝手にお喋りーSanctuaryー

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ヴェラ・ドレイクの秘密

2006-05-21 | 映画のお喋り
いろいろと考えさせられる映画だった。
どうも長くなるような気がするし、ネタバレ満載と初めに断っておこう。

 『ヴェラ・ドレイク』 2004年・フランス、イギリス、ニュージーランド映画
   監督:マイク・リー
   出演:イメルダ・スタウントン、フィル・デイヴィス
   
ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・主演女優賞を受賞した作品だそうだ。
確かにいかにも賞を取りそうな内容の映画だ。
だが私はこの映画を手放しで絶賛と言うわけには行かなかった。
作り手に突き放されて、わからないことだらけの映画だったからだ。

公式HPによるとマイク・リー監督という人は、役者に自分の登場シーンの台本しか渡さないらしい。
ストーリーがどう進むかすべての役者が理解してないまま、リハーサルに入るらしい。
私が役者だったら、絶対組みたくないタイプの監督だ。

背景を簡単に。(長くなるので箇条書き)
・時代は1950年(第2次世界大戦の終戦から5年後)
・舞台はロンドンの下層階級の人たちが住む地域
・主な登場人物はドレイク一家
・夫スタン(フィル・デイヴィス)帰還兵で、弟の経営する工場で働く
・妻ヴェラ(イメルダ・スタウントン)家政婦をしながら家計を助けている
・息子シド(ダニエル・メイズ)洋品屋に勤めながら夜学に通ってる
・娘エセル(アレックス・ケリー)仕事を真面目にこなすだけでおとなしい
・スタンの弟フランク(エイドリアン・スカーボロ)成功者だが優しい
・その妻ジョイス(ヘザー・クラニー)贅沢志向だが根は悪くない
・近所の青年レジー(エディ・マーサン)孤独で誠実、エセルと婚約する

絵に描いたように、貧しいが幸せな一家と言う設定。

・序盤は巡回家政婦として幾つかの家でてきぱきと働くヴェラの姿
・帰宅後、ヴェラの子供の頃からの友人のリリー(ルース・シーン)が訪れる
・リリーは手帳の1ページを破いてヴェラに渡す。
・ヴェラは翌日メモに書かれた家を訪問し、若い女性に出迎えられる
・お湯を沸かし、袋の中から七つ道具を取り出すヴェラ
・その七つ道具(石鹸水や注入器)で、若い女性の堕胎を手伝う

ヴェラは仲介役のリリーから依頼された女性たちの堕胎を請け負っていたのだ。
金銭の授受は一切なし、あくまでヴェラの好意による人助け。
ただしリリーの方は依頼者から仲介料を取っている。(ヴェラはそのことを知らない)

・一人の女性がヴェラの処置後、状態が悪くなって入院
・当時は1861年に制定された「人身保護法」で堕胎を行うのは重罪
・医師から警察に連絡が入り、事が露見
・女性の証言により、警察がリリーの元へ
・リリーからヴェラの身元が割れる

映画は平行して、ある一人の金持ちの娘の様子を描く。
レイプされて妊娠したその娘は、病院で堕胎手術を受ける。
「母体を危険に曝す恐れがある場合は合法」と言う抜け道を使ったのだ。
だがその費用は100ポンド。
当時家庭に殆ど普及していなかったテレビが30ポンドと言っていたので、100ポンドは200万円くらいだろうか。
とても貧しい環境の女性たちが払える金額ではない。

そしてついにドレイク家に警察がやってくる。
ちょうどエセルがレジーと婚約し、フランクの妻ジョイスが妊娠しためでたいパーティーの最中のことだ。
警察が来たことに驚く一家と、怯えるヴェラ。
ヴェラは尋問に対し素直に罪を認め、裁判が始まる。

ここから先は、家族の絆が描かれていく。
関係者一同のヴェラに対する拒絶反応の大きかった順は
息子シド>夫スタン>娘エセル>フランクの妻ジョイス>弟フランク>婚約者レジー

夫のスタンは最初のショックから冷めると、ヴェラを助け、バラバラになりそうな家族を支えるようと頑張る。
フランクは幼い頃に両親を失い、兄のスタンと義姉のヴェラに育てられ、立派な工場を持つまでになったことを感謝し、ヴェラの味方になることを妻に宣言。
ジョイスもあえてその意見いは反対しない。
レジーも両親を亡くし、終戦後孤独に生きていたところを、ヴェラの優しさに救われているし、その感謝の念を決して忘れない。
レジーの落ち着いた態度が、エセルにとっても観客にとっても救いになっている。

息子のシドの怒りは、完璧である母親が犯罪者だったことを知ったショックによる。
しかも望まぬ妊娠をした女性の苦痛が理解できないので、同情心もない。
レジーが観客の代わりなら、シドの態度は当時の社会概念、特に男性社会の通念そのままを表現している。
裁判の進行具合も、概ねシド寄りだ。

だが私はリー監督がテーマにしているらしい「家族の絆」とか、裁判を通した社会の矛盾や不条理などには、余り興味がなかった。
未だにキリスト教国、特にカトリックの国では堕胎は重罪。(抜け道はあるが)
アメリカでも中絶問題が大統領選を左右する一端になってる。
(レイプされた15歳未満の少女の中絶にだって、石を投げつける人がいる)
「家族の絆」も、こんな良い人だらけなら結果は見えてるし。

私が気になってしょうがないのは、ヴェラが何故、いつから、どんな切っ掛けで、堕胎の手伝いをするようになったか。
それからヴェラの、処置を施す女性たちへの絶対的な無関心さなのだ。

彼女は相手の家に行くと、無駄口を一切叩かない。
事務的にすべきことを説明するだけだ。
表情もない。
相手が不安を訴えると、「2日後にお腹が痛くなり、トイレに行くと自然と流れる」と言うだけ。
しかも結果がどうなろうと、彼女は二度とその家には行かないのだ。

ヴェラが善良であることに疑いはない。
金銭も受け取らず、犯罪であることを知りながら、善意だけで「困っている人」を助けるのだから。
一方で彼女が自分のしていることの罪の意識を持っていないことも確かだ。
流れてしまう「もの」に対して、「命」があると認めてしまえば処置をためらうだろう。
あくまで「困った状態」を解決してあげるのだと思っている。

だが真に善良であるのなら、2,3日後に処置が上手くいったか、様子を見に行くくらいのことはしそうな気がする。
処置自体が犯罪なので事務的なのも仕方ないし、それ以上は関わりたくないと思っているのかもしれないが。
そう考えてみても、何だか納得がいかないのだ。

彼女を追及するウェブスター警部(ピーター・ワイト)の取調べに対する答えも曖昧だ。
罪は簡単に認めるのだが、いつから始めたかと言う質問にヴェラは答えない。
「5年?」「もっと以前から」「20年くらい?」「そのくらいかもしれない」
こんな調子なのだ。
犯罪であるとわかっていることに手を染めるとしたら、絶対に切っ掛けがあったはずだ。
その切っ掛けはかなり重要な記憶だし、本当に忘れたりするものだろうか。

どうもそこがポイントのような気がしてならない。
こう考えればすっきりするのだ。
彼女もかつて、同じ方法で誰かから同じ処置を受けた経験者なのではないかと。

ヴェラがスタンと結婚して27年。
もし20年くらい前から始めたとしたら、ヴェラは夫ではない人の子供を宿したのだろうか。
あるいは息子・娘を産んだ後、生活苦からもう一人育てることは不可能と考えたのか。
その時に別の善意の女性から堕胎の処置を受け、簡単に流れてしまったとすれば、この処置に絶対の信頼を持っている。
だから処置を受ける女性にも「怖がることはない」「問題はない」と確信を持って言っていたし、あとで様子を見に行くこともしなかったのではないだろうか。

もちろん最初に警察の姿を見た時にヴェラが感じたのは、単純に恐怖だろう。
逮捕される恐怖、家族から責められる恐怖、そして過去の秘密が露見してしまうかも知れない恐怖。
最後の恐怖は私の想像に過ぎないのだが、あれこれ考えて、そうでないと辻褄が合わないと言う結論に達した。

私はこの処置がどの程度効果が上がるものなのか知らないし、どれほど危険かもわからない。
だが絶対と言うことはなく、何人かに一人の女性は、この処置のせいでより苦痛を味わうことになったような気がする。

ヴェラはそのことを知らない。
実体験から、安全だと信じ込んでいる。
そうでないと、善良なヴェラがその後の様子も見に行こうとしない理由がつかめないのだ。

善良であることは、無知とは無関係だ。
ヴェラは無知ゆえに、多くの女性の命を危険に曝していたのかもしれない。
だから処置後に病院に運ばれた女性が、死にかけたと聞いて誰よりショックを受けている。
善良だが無知である女性が、善意から女性を救おうとし、逆に命の危険に曝していた。
そのことに気付いたからこそ、ヴェラは取調べ中も裁判の時も、ひたすら泣き続けていたのではないか。

家族に迷惑をかけたと言うだけで泣くのなら、人助けと思ってはいても、実際に犯罪とわかっていることには手を染めはしなかったはずだ。
安全だと確信していた処置が、実は危険なものであったと知ったから、彼女は自分の愚かさを悔いて泣いていたのだ。

そう考えないと、この映画に納得が行かなくなってしまう。
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