海と空

天は高く、海は深し

6月27日(木)のTW:「都市の勃興」

2013年06月28日 | Myenzklo

イタリア、イスパニア、フランドルの沿海都市では活発な海上交通が営まれ、その関係からそれらの地に商工業が盛んに勃興した。学問もだんだんに復興し始めた。スコラ哲学が盛んになり、ボロニアその他の地に法律学校が設けられ、医学校も建てられた。これらすべてのものの創設の基礎となり、a


その主たる条件になっているものは都市の勃興とその意義の増大である。これらは最近になって史学に特愛のテーマとなっている。この都市の勃興には当時の切実な要求があった。すなわち、多くの都市は教会と同じく、封建制度による圧迫に対する反動として、はじめて合法的に組織された権力として b


立ち現われたのである。権力者たちが他の者らをして権力者たちの下に保護を求めざるをえないように立ち至らしめた事情については先に述べておいた。こうした保護の中心になったものが城郭(都市Burg)であり、教会であり、修道院であった。保護を求める人々はこれらを中心にして集まり、c


彼らもいまや市民(Brüger)となって、城主または修道院に対して庇護民の関係に立つことになった。こうして各所に固い団結が生まれた。イタリア、南フランス、ライン河沿岸のドイツにはローマ時代の昔からすでに多くの都市や城塞(Kastell)が建設されていた。それらははじめの間こそ d


自治権を持っていたが、後になって代官の下に置かれてそれを失った。要するに、都市の住民も地方民と同じく隷民と化した。(ibid s 230 )
c、自由財産の原理――帝国都市、自由都市の発達:
この保護関係の中から、今や自由財産の原理が生まれてきた。a


言い換えれば、この不自由の中から自由が生まれたのである。門閥(Dynasten)または門閥領主(adelige Herren)も本当は自由な所有というものは持たなかった。彼らはその臣下に対してはあらゆる権力を持ってはいたが、しかし彼らまた同じく自身よりも上の者、もう一つ上の b


権力者に対しては臣下であり、それに対して多くの義務を負っていた。>>古代ゲルマン人は自由財産の他は知らなかったが、この自由財産の原理はまったく不自由の原理に転倒してしまっていた。だが、それが今になってようやく自由の精神が微かながらも、次第に目覚めはじめて来たのである。a


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