10:37 from Saezuri
第4節 ユダヤ教の評価の転回ここではユダヤ教の評価と位置づけの変化をとくに取り上げてみたい。(S167)注(1)バビロン捕囚以前を「古代イスラエルの宗教」、捕囚以後を「ユダヤ教」と呼ぶのが通例であるが、ヘーゲルは両者を必ずしも明確に区別していない。(S 182 )
10:42 from Saezuri
「なぜユダヤ教か」という問いに対しては、こう答えることができる。ヘーゲルが青年期から関心を寄せてきた宗教は、キリスト教以外では、ユダヤ教とギリシャ、ローマの宗教だった。(それ以外の宗教はエジプトの宗教以外はそのほとんどがベルリンの中期以降にはじめて具体的な知見が得られた。)168
10:55 from Saezuri
ギリシャ・ローマの宗教対、ユダヤ・キリスト教とが明と暗、自由と隷従という激しいコントラストで描かれてきた。イェーナ期にキリスト教との和解がなしとげられたのちも、ユダヤ教に対する否定的な評価はなにも変わらなかった。・・・ところが24年の講義で、突然にユダヤ教に対する評価が変わる.a
11:03 from Saezuri
そして、最終的には31年には「自由の宗教」として位置づけられるに至る。宗教史に登場するここの宗教の中一番に大きく変化したのが、ユダヤ教の評価であった。・・・早くからヘーゲルの関心の的であったユダヤ教の位置づけに注目することによって、宗教思想のある重大な変化の局面を、初期から b
11:10 from Saezuri
晩年までの発展全体の中で捉えることができる・・・しかも、この転回にはシュライヘルマッヘルの『信仰論』のキイーワード「依存感情」への批判や汎神論攻撃を受けての対応の変化、さらにはドイツにおけるユダヤ人問題や7月革命の影響など重要な要素がかかわっている。(S168)
11:15 from Saezuri
一 1821年草稿に見られるユダヤ精神への反発1821年の講義は宗教史に『論理学』の三分法(存在、本質、概念)をそのまま当てはめ、A直接的宗教(東洋)B崇高(ユダヤ)と美(ギリシャ)の宗教、C合目的の宗教(ローマ)という三段階を基本にしている。(S168)
11:21 from Saezuri
ユダヤ教とギリシャ宗教が同じ「本質」段階の異なるタイプの宗教として配列される。・・・イェーナ期にキリスト教と和解したことで、〈ギリシャ〉は範型としての絶対的な意味を失った。一八〇五/〇六年の「精神哲学」はギリシャ宗教をキリスト教へ至る進化のプロセスの一齣として相対化していた。a
11:31 from Saezuri
ユダヤの神ヤハウェは「絶対的威力」、唯一の「主」と規定される。これに対して、ギリシャの神々は「必然性」「運命」である。ヤハウェは「絶対的な威力」の前では、有限な自然的な事物も個別的な人間も自立性を認められない。それらは「単にかりそめのものに過ぎない」。これに対してギリシャではb
11:41 from Saezuri
「さまざまな形態」の神々が自立的な実在性をえている。個別者と有限な事物にまったく自立性を認めないユダヤの唯一神よりも、個性が自由奔放に展開するギリシャの神々の世界の方にヘーゲルははっきりと行為を寄せている。唯一神という点では、ユダヤ教の方がギリシャ宗教よりも、キリスト教に c
11:48 from Saezuri
近いはずである。けれども二一年の草稿は、「神が一であるEinheit Gottという認識は限りなく重要だes」しながらも、ユダヤの一なる神を「妬む神」(ein eitriger Gott)という否定的な評価に直ちに結びつける。唯一(Einheit)という神の特性よりも、d
11:53 from Saezuri
「自由Freiheitの達成度に基準をおいて、ギリシャ宗教の方を、より優れたものとしている。(S 169)宗教の問題は個人のアイデンティティーの問題と深くかかわることは、一〇〇〇年も前の西行法師の時代とも変わらない。法師も民族宗教である神道と外来宗教である仏教との e
11:56 from Saezuri
間で苦闘したのである。この問題は、こんにちでは神道のキリスト教の選択の問題として存在している。この問題は、民族の宗教、共同体の宗教としての神道と個人の宗教としてのキリスト教として、両立させる立場に立つ。神道は否定されるのではなく、キリスト教においてアウフヘーベンされるのである。f
12:05 from Saezuri
「主に対する畏れ」Furcht von der Herrnと、そこから帰結する「絶対的不自由Absolute Unfreiheit」これがユダヤ教の根本規定と見なされている。(S170)※下につづく、青年時代のヘーゲルのユダヤ教についての認識は重要であるので引用記録しておく。
12:10 from Saezuri
「神に対する人間の関係は過酷な奉仕である。・・この媒介を介して、意識はおのれの具体的な生活と生存を取り戻す。彼が存在するのは、初めから終わりまで、神の威力の慈悲eine Geute der Machtによる。//こうした奴隷的な意識は(普遍的な)拡がりや理性をもたない。S170
12:24 from Saezuri
ただいつまでも自分のうちにとどまり、己の個別利害にこだわる。つまりは、わがままeigensinnigでかたくなhartnaeckigで強情halsstarrigなのだ。そしてよそ者に対しては排他的で・・自分たちの家族・民族だけを受け入れる。この叙述はまさしく青年期草稿を髣髴させる
12:34 from Saezuri
。基本的発想からキーワードに至るまでほとんど変わっていない。この奴隷的な精神構造はユダヤの祭祀Kultusの中にはっきりと現れているとヘーゲルは見る。ユダヤの民は自分たちだけが「神の民ein Volk Gottesであると自認しているが、これは主への畏怖と奉仕という条件のもとで、
12:42 from Saezuri
絆と契約によって神に受け入れられた民ということを意味する。祭祀は隷属状態のなかで、主の御心にかない気に入ってもらえるようにする努力に過ぎない。供儀Opferは主を認め主に対して主への畏れを表現する行為である。彼らが祭祀・供儀の見返りとして得ようとするものは、「内的な」満ち足りや、
12:58 from Saezuri
「神との和解」ではない。「たんに世俗的な分け前、すなわち土地」の「占有」にすぎない。このように、ユダヤの祭祀の目的が、その見返りに選民としての地位と土地の占有を確保することにあった、としている。ヘーゲルはこうした奴隷的な精神態度を、とりわけ『ヨブ記』からの長い引用を重ねて例証した
13:02 from Saezuri
二 一八二四、二七年における肯定的評価への転回
by myenzyklo on Twitter
第4節 ユダヤ教の評価の転回ここではユダヤ教の評価と位置づけの変化をとくに取り上げてみたい。(S167)注(1)バビロン捕囚以前を「古代イスラエルの宗教」、捕囚以後を「ユダヤ教」と呼ぶのが通例であるが、ヘーゲルは両者を必ずしも明確に区別していない。(S 182 )
10:42 from Saezuri
「なぜユダヤ教か」という問いに対しては、こう答えることができる。ヘーゲルが青年期から関心を寄せてきた宗教は、キリスト教以外では、ユダヤ教とギリシャ、ローマの宗教だった。(それ以外の宗教はエジプトの宗教以外はそのほとんどがベルリンの中期以降にはじめて具体的な知見が得られた。)168
10:55 from Saezuri
ギリシャ・ローマの宗教対、ユダヤ・キリスト教とが明と暗、自由と隷従という激しいコントラストで描かれてきた。イェーナ期にキリスト教との和解がなしとげられたのちも、ユダヤ教に対する否定的な評価はなにも変わらなかった。・・・ところが24年の講義で、突然にユダヤ教に対する評価が変わる.a
11:03 from Saezuri
そして、最終的には31年には「自由の宗教」として位置づけられるに至る。宗教史に登場するここの宗教の中一番に大きく変化したのが、ユダヤ教の評価であった。・・・早くからヘーゲルの関心の的であったユダヤ教の位置づけに注目することによって、宗教思想のある重大な変化の局面を、初期から b
11:10 from Saezuri
晩年までの発展全体の中で捉えることができる・・・しかも、この転回にはシュライヘルマッヘルの『信仰論』のキイーワード「依存感情」への批判や汎神論攻撃を受けての対応の変化、さらにはドイツにおけるユダヤ人問題や7月革命の影響など重要な要素がかかわっている。(S168)
11:15 from Saezuri
一 1821年草稿に見られるユダヤ精神への反発1821年の講義は宗教史に『論理学』の三分法(存在、本質、概念)をそのまま当てはめ、A直接的宗教(東洋)B崇高(ユダヤ)と美(ギリシャ)の宗教、C合目的の宗教(ローマ)という三段階を基本にしている。(S168)
11:21 from Saezuri
ユダヤ教とギリシャ宗教が同じ「本質」段階の異なるタイプの宗教として配列される。・・・イェーナ期にキリスト教と和解したことで、〈ギリシャ〉は範型としての絶対的な意味を失った。一八〇五/〇六年の「精神哲学」はギリシャ宗教をキリスト教へ至る進化のプロセスの一齣として相対化していた。a
11:31 from Saezuri
ユダヤの神ヤハウェは「絶対的威力」、唯一の「主」と規定される。これに対して、ギリシャの神々は「必然性」「運命」である。ヤハウェは「絶対的な威力」の前では、有限な自然的な事物も個別的な人間も自立性を認められない。それらは「単にかりそめのものに過ぎない」。これに対してギリシャではb
11:41 from Saezuri
「さまざまな形態」の神々が自立的な実在性をえている。個別者と有限な事物にまったく自立性を認めないユダヤの唯一神よりも、個性が自由奔放に展開するギリシャの神々の世界の方にヘーゲルははっきりと行為を寄せている。唯一神という点では、ユダヤ教の方がギリシャ宗教よりも、キリスト教に c
11:48 from Saezuri
近いはずである。けれども二一年の草稿は、「神が一であるEinheit Gottという認識は限りなく重要だes」しながらも、ユダヤの一なる神を「妬む神」(ein eitriger Gott)という否定的な評価に直ちに結びつける。唯一(Einheit)という神の特性よりも、d
11:53 from Saezuri
「自由Freiheitの達成度に基準をおいて、ギリシャ宗教の方を、より優れたものとしている。(S 169)宗教の問題は個人のアイデンティティーの問題と深くかかわることは、一〇〇〇年も前の西行法師の時代とも変わらない。法師も民族宗教である神道と外来宗教である仏教との e
11:56 from Saezuri
間で苦闘したのである。この問題は、こんにちでは神道のキリスト教の選択の問題として存在している。この問題は、民族の宗教、共同体の宗教としての神道と個人の宗教としてのキリスト教として、両立させる立場に立つ。神道は否定されるのではなく、キリスト教においてアウフヘーベンされるのである。f
12:05 from Saezuri
「主に対する畏れ」Furcht von der Herrnと、そこから帰結する「絶対的不自由Absolute Unfreiheit」これがユダヤ教の根本規定と見なされている。(S170)※下につづく、青年時代のヘーゲルのユダヤ教についての認識は重要であるので引用記録しておく。
12:10 from Saezuri
「神に対する人間の関係は過酷な奉仕である。・・この媒介を介して、意識はおのれの具体的な生活と生存を取り戻す。彼が存在するのは、初めから終わりまで、神の威力の慈悲eine Geute der Machtによる。//こうした奴隷的な意識は(普遍的な)拡がりや理性をもたない。S170
12:24 from Saezuri
ただいつまでも自分のうちにとどまり、己の個別利害にこだわる。つまりは、わがままeigensinnigでかたくなhartnaeckigで強情halsstarrigなのだ。そしてよそ者に対しては排他的で・・自分たちの家族・民族だけを受け入れる。この叙述はまさしく青年期草稿を髣髴させる
12:34 from Saezuri
。基本的発想からキーワードに至るまでほとんど変わっていない。この奴隷的な精神構造はユダヤの祭祀Kultusの中にはっきりと現れているとヘーゲルは見る。ユダヤの民は自分たちだけが「神の民ein Volk Gottesであると自認しているが、これは主への畏怖と奉仕という条件のもとで、
12:42 from Saezuri
絆と契約によって神に受け入れられた民ということを意味する。祭祀は隷属状態のなかで、主の御心にかない気に入ってもらえるようにする努力に過ぎない。供儀Opferは主を認め主に対して主への畏れを表現する行為である。彼らが祭祀・供儀の見返りとして得ようとするものは、「内的な」満ち足りや、
12:58 from Saezuri
「神との和解」ではない。「たんに世俗的な分け前、すなわち土地」の「占有」にすぎない。このように、ユダヤの祭祀の目的が、その見返りに選民としての地位と土地の占有を確保することにあった、としている。ヘーゲルはこうした奴隷的な精神態度を、とりわけ『ヨブ記』からの長い引用を重ねて例証した
13:02 from Saezuri
二 一八二四、二七年における肯定的評価への転回
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