のあ いちい ワールド

ここは、物書き「のあ いちい」の、人間世界とそれ以外の宇宙人について多くふれるブログです。

75歳、芥川賞受賞、おめでとう!

2013-01-16 20:46:55 | 文学賞
☆75歳 黒田夏子さん、アッパレ!

史上最年長75歳で芥川賞受賞!


第148回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日、東京・築地の新喜楽で開かれた。

芥川賞に史上最年長となる黒田夏子さん(75)の「abさんご」(早稲田文学5号)が選ばれた。


1974年に61歳で受賞した森敦さんの記録を大きく更新ですね。


横書きで書かれた作品の芥川賞受賞も初めてだということです。


直木賞は、

朝井リョウ
さん(23)の「何者」(新潮社)と、

安部龍太郎さん(57)の「等伯」(日本経済新聞出版社)に決まった。


朝井リョウさんは、戦後生まれとしては直木賞史上最年少での受賞なんですね。



ノーベル文学賞のこと

2012-11-08 21:16:42 | 文学賞
スウェーデンの公共放送SVTが、


ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの委員の一人は、莫言(モーイエン)氏の作品の翻訳を手がけたヨーラン・マルムクイスト氏だったとのことで、莫言氏と親しい友人だった、ということから、

選考の公正さを疑問視する声が出ているんですね。


アカデミー委員は、賞の有力候補と個人的な関係がある場合は選考議論に関わるべきではないとされているとのことですから、だとすると、これは問題化も・・




ところで、日本には過去に、

賀川豊彦(かがわ・とよひこ)という人がいました。


明治21年(1888年)7月10日に、神戸で回漕業を営む賀川純一と芸妓との間に次男として生まれました。

彼が4歳の時に父が病死。、母もその後まもなく病死。

それで、徳島の父の正妻に引き取られ養育されたのですね。


徳島中学在学時にローガンとマイヤースという二人のアメリカ人宣教師と出会いました。

マイヤース夫妻から受けた影響が大きく、生涯精神的かつ財政的な援助を受けたそうです。

1903年(明治36)に兄の放蕩から賀川家が破産し、叔父の家に引き取られたそうです。



このような窮地の中でキリスト教信仰に導かれ、賀川豊彦はマイヤース宣教師から洗礼を受けました。

明治学院高等部神学予科に入学。図書館に所蔵されていたあらゆる本を読破したそうですね。


その後、新設の神戸神学校に転校したのですが、重度の肺結核を患い入院。

医師から二度も死を宣告されたそうです。


そこで、

「どうせ死ぬのなら、自殺する勇気をもってすべてに向かって行こう」


と、貧民に伝道と奉仕をしようと決心(21歳)したそうです。



神戸市茸合区新川のスラムに住み込み、路傍伝道を始め、

以後、関東大震災救援のため東京に移住するまで、10年余り、新川のスラムで、伝道と貧民救済などの活動をしたそうです。


この間に、米国プリンストン大学に留学し、生物と神学を学んだとのこと。

そして、

スラム貧民のことを著した『貧民心理の研究』が出版されました。


帰国して友愛会に参加。

個人的慈善的事業ではなく労働者の組織的社会運動によるために、鈴木文治らと友愛会関西労働同盟会を結成して、理事長になりました。



消費者と生産者の互助をはかる消費組合共益社を設立。

これがわが国の生協の始まりとなったのですね。そして牧師の資格を得て、

『死線を越えて』(自伝小説)を出版しました。



私も20歳頃、この小説を読みました。



1年間で100万部、通算400万部の大ベストセラーとなり、大正時代最も売れた本だったそうですよ。

この本で得た印税は、なんと、生活困窮の労働者らとその家族のために回したそうです。



賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は、

昭和35年 (1960年)4月23日天に召されましたが、

2009年9月、スウェーデンのノーベル財団がホームページ上で、



文学賞は1950年まで、平和賞は1956年分までの候補者リストを公開、

賀川豊彦が1947年と1948年の2年連続でノーベル文学賞候補、

1954年~1956年の3年連続でノーベル平和賞候補になっていたことが判明しました。
 

ノーベル賞の選考過程や候補者名は非公開で、50年以上たって公開されることになっており、今回はそれにより判明したんですね。


日本人のノーベル文学賞受賞者は川端康成氏(68年)、大江健三郎氏(94年)の二人がいますが、他の候補者が公式に明らかになったのは初めてですね。



賀川豊彦(かがわ・とよひこ)
は、

 「東洋の聖者」として欧米で最も知名度の高い日本人で、

『一粒の麦』『死線を越えて』などの小説はスウェーデン語に翻訳され、

北欧で賀川ブームが巻き起こったこともあったそうです。


やくだつ市場


「詩歌のモーツァルト」 ビスワバ・シンボルスカさん死去

2012-02-02 13:31:21 | 文学賞

ポーランドのノーベル賞女性詩人 死去


ビスワバ・シンボルスカさん


深刻な問題を皮肉やユーモアを交えて表現する作風


●1923年7月2日生まれ
2月1日、肺がんのため南部クラクフの自宅で死去、88歳。


※1996年にノーベル文学賞を受賞





終わりと始まり


「終わりと始まり」


戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから


誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように


誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に
長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに
血まみれのぼろ布の中に


誰かが梁を運んで来なければならない
壁を支えるために
誰かが窓にガラスをはめ
ドアを戸口に据えつけなければ


それは写真うつりのいいものではないし
何年もの歳月が必要だ
カメラはすべてもう
別の戦争に出払っている


橋を作り直し
駅を新たに建てなければ
袖はまくりあげられて
ずたずたになるだろう


誰かがほうきを持ったまま
いまだに昔のことを思い出す
誰かがもぎ取らなかった首を振り
うなずきながら聞いている
しかし、すぐそばではもう
退屈した人たちが
そわそわし始めるだろう


誰かがときにはさらに
木の根元から
錆ついた論拠を掘り出し
ごみの山に運んでいくだろう


それがどういうことだったのか
知っている人たちは
少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない そして
少しよりもっと少ししか知らない人たちに
最後はほとんど何も知らない人たちに


原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが横たわり
穂を噛みながら
雲に見とれなければならない


-Wisława Szymborska-



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◆直木賞『切羽へ』井上荒野著から

2008-08-10 23:08:36 | 文学賞
讀賣新聞で、直木賞作家の江國香織と井上荒野の記念対談が載っていた。

江國、という名を初めて聞いたとき、男性かと思った。その後も男の作家に違いない、と長いこと思っていた。
今回、井上荒野、というひとが直木賞を受賞した、と聞き、これまた男性作家に違いない、と思った。

対談を読んでいて、男の観念に近いものを持っている二人だと。二人とも父親が作家で、幼少時から影響を受けていることを知り、頷けた。

今回の受賞作、井上荒野の『切羽へ』は、パソコンで「きりは」と入力しても出現しない。「せっぱ」と入れるとヒットする。作中では、
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽というとよ。トンネルが繫がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」
で、「きりは」と読むのだという。

舞台は、長崎県西海市の島・崎戸だということだ。読んでいて方言が直感的に何となく分かり、読みづらさは少ない。

主人公のセイは、小学校の養護教諭。夫は同じ島育ちの絵描き。
この作品に登場する「月江」という女性教諭と「本土さん」と呼ばれ妻がいるが「月江」に会いに来る男の存在がストーリーを盛り上げる。

帯を先に読んでしまったからだろうか。この島へふらりとやってきた独身男性の音楽教師・石和聡。出自をぼかしているが、料理が上手で純粋さも感じられる男。現実世界ではこのようなひとはいそうな存在。
しかし、セイが夫以外のこの登場人物に、そんなにも惹かれているという感じはしなかった。帯を読まないで読みにかかったら、また違ったかもしれないが。

それにしても、作中での「セイ」や「月島」、それに赤いコートの本土さんの妻には、女としてのそれぞれの味が見事に描かれている。
これは、女性作家の手によるものだな、と読んでいて思う。
細かな言葉の継ぎ穂で読者を引っ張っていく表現力が、この著者の持ち味だと。


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☆島清恋愛文学賞

2007-09-28 19:14:03 | 文学賞
27日は、「島清恋愛文学賞」の選考会だったとのこと。
高樹のぶ子氏は、現在は、島清(しませ)恋愛文学賞の 選考委員です。

島清(しませ)恋愛文学賞初代受賞作:
    高樹のぶ子『蔦燃 』( つたもえ)

『ラ・セーヌ』'93年1月号~'94年3月号に連載された、
『蔦の沈黙』が改題されて『蔦燃』となった。


☆島田清次郎が大正8年に発表した長編小説「地上」第一部は、
若い読者に迎えられ大ベストセラーとなった。


島田清次郎(1899-1930・明治32年-昭和5年)石川県石川郡美川町(現白山市)の生まれる。
昭和5年4月29日歿 31歳  (釈清文) 石川県石川郡美川町の共同墓地に氏の墓がある。

http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/shimadaseijiro.html

昭和5年4月29日午前5時、東京府下西巣鴨庚申塚の保養院で一人の狂人が肺結核で死んだ。青白くやせ細ったその男の名は「島清」こと島田清次郎。

島田清次郎の生涯については、杉森久英著『天才と狂人の間』に詳しく描かれています。


やはり、常に恋をしてゐなくてはならぬのだ。
             「閃光雑記」より