今回、高樹のぶ子氏がふれている1940年代の上海を舞台にした、張愛玲原作の「ラストコーション」という映画。
私は、このブログで初めて知った。
「ラストコーション=色・戒」は1939年の国民党の対日女工作員だった鄭苹如による丁黙邨暗殺未遂事件をモデルにしている、と。
張愛玲とその最初の夫であった胡蘭成との関係も投影されているともいわれている、と。
張愛玲は多くの作品を残したが、小説のほかにも散文、映画脚本、文学論も書いている。
張愛玲の作品のうち『怨女』『流言』『半生縁』『張愛玲短編小説集』は、1960・70年代前後に台北の皇冠出版社から改めて出版され、1980年代に海外で販売。
張愛玲の小説のスタイルは、戦後台湾の文壇における小説の流派に、大きな影響を残している、と。
2004年2月、台湾皇冠文化集団が設立50周年を記念して、張愛玲の遺作『同学少年都不賎』を出版すると公表。
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◆張愛玲
1920年(1921年説あり)上海で生まれる。
祖父は清朝末期の名臣張佩綸、祖母は清朝末期の洋務運動の指導者の一人であった李鴻章の娘であった。
1922年、一家は天津に転居。張愛玲は4歳のときに私塾に入り、1928年上海に戻る。
1930年、中学校に進学する際に張愛玲に改名する。同年、両親が離婚。
1931年、上海にあった米国聖公会の聖マリア女学校に進学、翌年には処女作となる短編小説『不幸的?』を校内刊行物に発表。
1939年、香港大学に進学。成績優秀。戦争の悪化により学業を中断せざるをえず、上海に戻って文学創作活動専念。
1943年、『沈香屑 第一炉香』、『傾城之恋』、『心経』など、代表作となる作品を発表。同年に汪兆銘政権幹部の胡蘭成と知り合い、翌年に結婚。1947年に離婚。
1955年、アメリカへ移住。1956年に劇作家のライヤーと知り合い結婚。
小説『秧歌』『赤地之恋』の執筆を開始。ストーリーの背景に「三反五反運動」時代がある、と。しかし、これらの作品は、当時の中国の思想と相容れぬものがあったため、「毒草」と批判を受ける。
また中国の文学界においては、張愛玲自身も長きに渡って典型的な悪玉と見なされ、改革開放後にようやく見直されることとなった。
1967年、夫ライヤーが死去。清朝の長編小説「海上花列伝」の英文翻訳に取り掛かる。
1973年、ロサンゼルスに移り住む。
1995年、9月8日、ロサンゼルスで死去。74歳。
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