読売新聞の医療大全で、ケーシー高峰さんの記事を読んでいるとおもしろいですね。
それで、以下でそれにふれてみました。
―医事漫談でブレイク、腰痛に―
腰痛になったのは、昭和40年代。テレビ局での撮影中に、脚立の上で足を踏み外して、頭と腰を打ってしまって、それからだな。1週間入院したけれど、退院後も腰痛がおさまらなくて。
ちょうど医事漫談でブレイクし、多忙なスケジュールをこなしていた時。本当に忙しかったのよ。朝はラジオ局で番組をまとめて収録、お昼と午後にそれぞれテレビの生放送、夜からはキャバレーでの営業というスケジュール。
そんな中で、仕事は休むわけにはいかない。1日の終わりには、痛くておじぎができない。キャバレーで、へんなおじぎをしていたから、客に「どーしたんだぁ、ケーシー!」ってヤジをとばされたなあ。
ご存じかもしれないけれど、うちは医師の家系。親兄弟はもちろん、親戚も医師ばかり。
腰痛も、都内の総合病院に勤務する外科医のおいっ子にみてもらっていました。
痛くなると駆け込んで、神経ブロック注射をしてもらいました。
15,16回はやったかな。「だんだん効果は薄まる」と聞いていたけど、その通り。だんだん効かなくなってきた。
―03年、自宅で倒れる―
2003年8月、とうとう入院する事態になってしまいました。
自宅(福島県いわき市)で、夜中トイレに行こうと起き上がろうとしたとたん、腰に激しい痛みが走って、立ち上がれなくなってしまいました。尿路結石の時みたいな痛み。もちろん一人で歩けず、かみさんに支えてもらい救急車に乗りました。MRI検査で、脊柱管狭さく症と診断されました。それで手術をしました。
手術後、主治医から「手術はうまくいきました。あとは本人次第です」と言われました。
で、すぐに、リハビリが始まりました。最初は車いすで移動し、アームバーを握り、立つことから。大きなボールの上に座ってバランスをとったり、中ぐらいのボールの上に腹ばいになり前に飛行訓練のように進んだり。1日2回、ハードでした。
ケーシー高峰さんが語る (2) 芸人だからサービスしちゃう
みんなでワイワイリハビリ
個室に入っていたけれど、リハビリはみんなと一緒。すぐに仲間とわいわいやるようになりました。
福島・浜通りの女性は、明るく人なつっこいのよ。みんな気軽に声をかけてくれてね。
「あれ、ケーシーじゃない?腰やったのけ?」とあいさつ代わりに腰をぱーんとたたかれたり、「で、次、テレビはなに出る?」とか、とにかくおしゃべり。リハビリの前に、おしゃべりで汗かいちゃって・・・・
とにかく女性は元気!夜も、内線電話がかかってくるの。「部屋さこねか。酒のむとアルコールが全身にまわって早くなおるっぺ」って。
東京の病院だったらああはいかないね。土日がまた大変なのよ。リハビリが休みでゆっくりしようと思っても、廊下で「ここさ、ケーシーの部屋だから」とか「今日はリハビリないしいるはず」と大きな声が聞こえてくるの。見舞客と話しているんだね。で、トントンとノックされて、かつおの刺し身やおはぎ、おむすびを差し入れてくれる。
居留守は使えないよね。
どうしてもサービスしちゃうの。芸人だから。中には売れるとすぐ天狗になる人もいるけれど、それやったらおしまい。残っている芸人はみな、腰が低いですよ。
体重増加に要注意
医師には、「もう少しリハビリが必要」と言われたけれど、病院にいたら落ち着かない毎日で、早めに退院してしまった。痛みはなくなったけれど、ちょっと重たい感じが残っていたのね。
で、しばらくして、しびれが出てきてしまいました。今も、左足の薬指と小指がしびれています。雨がふったり、クーラーなどで冷えると症状が強くなります。
リハビリを十分やらなかったからかなあ。
退院してすぐ、10月にテレビ「笑点」で復帰しました。
医師からは、腰痛予防に朝夕のスクワット、もものマッサージ、ストレッチの体操をして、1年間は舞台や寝ている間、コルセットをするように言われていました。
でも、なかなか守れなくて。5、6個オーダーで作ったコルセットは、汗かいてむれるし、寝ている間は、苦しいのなんのって。「どっちに転がるかわからないから」と言われたけど、すぐとっちゃった。
朝夕の体操も、飲んで帰った後はさぼっちゃう。朝もかみさんに言われるけど、「酒残ってるしだめだー」って・・・・・
今の問題は、体重です。腰痛手術のころより15キロぐらい増えちゃった。
というのも、2005年に舌がんが見つかって手術をしました。その後、食べ物がやたらおいしくなった。こんなに味が違うのかなというぐらい。1回の食事量はかわらないけれど、回数を食べるようになってしまって。特にお腹周りに肉がついて、白衣のサイズも大きくなりました。
ほかに大きな問題はないかな。食事は気をつけていますよ。海草類をとり、ヨーグルトはプレーンで、塩辛いものは避けています。
体も冷やさないようにしています。夏場のクーラーが困る。毛布をまいて冷えないようにする時もあります。自宅ではなるべくクーラーはつけないようにしているけど、お客さんが来たらつけます。でも、そろそろ時間かな、冷えてきたなと思ったら、「ママ、毛布とまくらももってきて!」とかみさんにお願いするの。で、「ほら、これから何するかわかるだろ」って冗談を言うと、みんな笑って、「じゃあ帰ります」となりますよ。
2003年に腰痛の手術を受けたケーシー高峰さん(76)。痛みは消えたが、左足の小指と薬指にしびれが残った。いまでも雨が降る前日や、冷房で体が冷えるとしびれが強まる。
医師から、退院後1年間はコルセットを使うよう言われた。だが、舞台では汗でむれて気持ち悪いし、寝ている間も苦しくて、途中で装着するのをやめた。
朝夕のスクワットやストレッチも、深酒するとさぼってしまう。腰痛には体重増加も要注意だが、手術当時72キロだったのが87キロに。特に腰回りに肉がつき、演芸場で着る白衣もLLから3Lになった。
「5年前に舌がんの手術をしてから、食べ物がやたらおいしくなった。で、1日何回も食べちゃうわけ」
優等生とは言えない患者だが、舞台では熱血なドクター・ケーシーになる。
観客の健康相談に応じるコーナーでは、「病気と仲良くしろとは言いません。腰痛の手術をしたら、まずリハビリ。しっかりやれば後々苦労しない」とリハビリ体操を実演する。
もちろん、持ち前の毒舌も。高血圧の人にはこうアドバイスする。
「刺し身を食べる時、しょうゆを使うのはやめなさい。かわりにケチャップをかけてごらん。まずいから」
独創的な医事漫談の原点は、故郷山形にあるという。
母・門脇シヅエさんは、江戸時代から続く医師の家に生まれた。自らも医師になり、無医村で開業、99歳で亡くなるまで現役だった。地域医療への貢献が認められ、第1回医療功労賞(読売新聞社主催)も受賞した。
そんな母をみて、兄や姉も外科医や歯科医になった。末っ子のケーシーさんも、日大医学部に進んだ。だが、ほどなく、芸術学部に転部する。母親はそんな息子に落胆し、「もう山形に帰ってくるな」と勘当した。
医事漫談は、「せめて白衣を着て孝行したい」という母への思いがあったから。
十数年ぶりに母と話したのは30歳代半ば、テレビの生放送中だった。突然、司会者に促されて受話器をとると、懐かしい声がした。
その後、漫談家として不動の地位を築き、俳優としても映画やドラマに出演、活躍の場を広げた。母も認めてくれるようになった。
振り返れば、母は80歳を過ぎてなお、精力的な仕事ぶりだった。ドクター・ケーシーもまだこれから。
「新ネタを考え続け、死ぬまで漫談を続けたい。病気の体験を話せば、お客も身を乗り出してくれる。腰痛にしろ、舌がんにしろ、私は病気に恵まれました」
☆ケーシー高峰さん
1934年山形県生まれ。日本大学医学部に入学後、芸術学部に転部。司会業を経て、1960年代後半から、黒板を使って白衣姿で行う医事漫談でブレイク。漫談家として人気を集める一方で、俳優としても活躍。ドラマ「夢千代日記」、映画「学校3」はじめ数々の話題作に出演。
(読売・医療大全記事より)
◆医療機関案内