社日様そぼふる雨の中まいる
みなおなじ聞こえなくても聞こえても
心の闇を 消し去り生きる
・・・・・・・・・・・
人の命に値段を付けることは果たして許されるのか。
米中枢同時テロの被害者や遺族を救済する補償基金プログラムを題材にした映画「ワース 命の値段」の問いかけである。
主人公は基金の分配額を定める特別管理人を請け負った弁護士ファインバーグ氏。
当初は機械的な算定基準に従い補償額を決めた敏腕弁護士がなぜ、徹底的に当事者の話に耳を傾けたのか。
一人一人の人生とその悲嘆や苦悩に向き合った33カ月の実話だ。
事故で亡くなった難聴の女児の遺族が損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁が将来得られたはずの「逸失利益」を全労働者の平均賃金の85%とする判決を出した。
障害者の逸失利益が時にゼロ算定された時代を考えれば、前進との評価も可能だが、障害の有無や程度で差別化される遺族や当事者の無念は計り知れない。
札幌地裁で重度障害者の逸失利益を初めて認める和解が成立したのは、2009年12月のこと。
当時の中山幾次郎裁判長は道内の最低賃金を基に週休2日で1日8時間労働できたものと見込み、根拠とした。
そこには一人の人間を見つめるまなざしがあった。
吉村良一・現立命館大名誉教授が「人を働くモノとみなす算定方法を見直す機会となる」と称賛した画期的あっせんであった。
障害者の逸失利益の算定作業は差別の実態を映し出す鏡ともいえる。
「命の値段」が問うのは社会の意識にほかならない。(北海道新聞卓上四季2023.3.1より)
・・・・・・・・・・・
障害者は生まれる前から障碍者のように扱われるのには違和感を覚えます。
後期高齢者になり、身体的違和感を感じるこの頃の私も以前の私も同じ私です。
~~~~~~~~~~~
昨日は病院検査も無事終えました。
良かった!