毎日が突然あけて木の芽張る
いま今の積み重ねたる今日の日は
良い日悪い日突然ありて
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宮城県名取市の丹野祐子さんの元に手作りのひな人形が届いたのは2月のことだ。
ビーズで作った手のひらサイズの三段飾り。作り手の思いがあふれる。
送り主は中学時代の修学旅行で震災語り部の丹野さんの話を聞いた札幌市の女性。
津波に遭った地域で生活を続けたいとの話を聞き、災害に強い建物造りを志して建築を学んだ。
ビーズアクセサリー作家として活動する今も、夢は諦めないと同封の手紙にあった。
東日本大震災で中学1年生だった長男の公太さんを亡くした丹野さん。
生きた証しを残したいと遺族会を組織し、資料館「閖上(ゆりあげ)の記憶」の代表として活動する今日まで語り続けた。
容易なことではなかったろう。語り部の活動は息子を助けられず、生き残ってしまったことへの言い訳という。
その言葉に閉じ込めた喪失の大きさである。立ち直るために必要なものは「物語り」である。
そう述べたのは東北大学名誉教授の野家(のえ)啓一さんだ。
人は言葉にして語ることで身近な人間の死を自分の歴史の中に位置づけ、喪失の体験を自分自身に納得させることが可能になるそうだ(「歴史の読みかた」ちくまプリマー新書)。
「物語り」には誰かの人生を支える力もあるのだろう。丹野さんの元には、ひきこもりからの再起を誓う人の便りも届く。
まるで公太さんの生きる力が引き継がれるようだ。記憶の継承にとどまらぬ命のリレーである。(北海道新聞卓上四季2023.3.10より)
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震災から数ケ月後に行った仙台空港は閖上地区のある名取市と岩沼市に跨っています。
飛行場にはまだ小型飛行機が津波で押し流されたままで、青葉神社の鳥居は倒れたままでした。
震災で亡くなった人は15,900人行方不明者は2,523人だとか。
その他に震災関連死者も多数いらっしゃるようです。
命と向き合うことは大変なことです。
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でも何人にも死は必ず訪れます。
突然災害で亡くなる人にはなんと声をかけたら良いのか分かりません。
自分にも死は訪れます、あまり考えたことが無いですが、生きている間には徳を積むようにしたいものと思います。