4月29日 ひのきしんデーに出かけた後、初めての収穫をした。
スナップエンドウとブロッコリーを。。。
スナップエンドウは9つ採れた。
ブロッコリーは根から抜いてみたところ、
もっと広く根が張っていると思っていたのだが、
初めに植えたときのポットの形に根が固まり、その周辺へ少し広がる程度だった。
3つ目のプランターに植えていた、キュウリの苗の元気がなくなり、葉に斑点が出始めてきたため、
ブロッコリーの後へ、植え替えをしてみた。
30日、植え替えた翌日には、弦は伸びないのに花芽が付いた。
小さなキュウリが出来かけている。。。
5月1日植え替えたキュウリは元気になり、花が咲いた。
そしてイチゴの実が大きくなってきた。
5月3日 2回目の収穫
イチゴの実に赤みが差してきた。
トマトの苗にも花芽が付いた。
5月4日
キュウリの花が増えて、実が膨らみ始めた。
イチゴの赤みがより増して、大きくなってきた。
5月5日
レタスを収穫した。
根から掘り起こしたところ、ブロッコリーと同じように、ポットの形で根が密集していた。
スナップエンドウは3回目の収穫をして、
夕食にレタスと共にサラダとなって食卓に上った。
レタスの後に、今日5月6日、何を植えようかと思案している。
肥料をやらず、農薬を掛けず、糸状菌を発生させる方法で、ここまでの成長があること。
これが事実。。。
【菌ちゃん先生とプランターで土作り】肥料不要!葉っぱや草で出来る無農薬野菜 (youtube.com)
4月28日(日)
久しぶりに大教会のマイクロバスを借りて団参をした。
コロナのために、長年おぢばがえりをしていなかった家族が参加してくださった。
15名の団参だが、とても良い穏やかな天気の元、またゴールデンウィークの中、事故渋滞も回避しておぢばへ到着した。
神殿に到着すると、参拝者が多く、西の駐車場は乗用車で一杯だった。
そこで東筋で皆を降ろして、北2の駐車場に止め、団体に遅れて神殿へ。
すでにおつとめをはじめてもらっていたので、おつとめを終えてから思い浮かぶままに神様のお話をして、教祖殿へ。
教祖殿につくと、ちょうど結婚式の三々九度をしている最中だった。
その様子を皆で見させてもらい、結婚式が終わったのちに、お話をしておさづけの取り次ぎをさせていただいた。
3人の願い出に、3人の取り次ぎ人。
教会の月次祭の後に毎月行っているので、だれも惑うことなく、事はスムーズであった。
その後祖霊殿にてお話をしていると、先ほどの結婚式の団体が、お礼の参拝に来られた。
神殿へ戻ると他の結婚式の団体が集合していた。
とても良い天気の元での沢山の結婚式。素晴らしいと思った。
その後、お茶所でお弁当を食べて、3時前におぢばを出発した。
帰りは、ビンゴゲームで盛り上がった。
コロナ前には恒例だったが、久々のゲームで皆大喜びだった。
帰りはとても順調で、信者さん方を降ろしたのち、6時半ごろ大教会へマイクロバスを返した。
子どもたちとマイクロバスを洗車して、教会へ戻ったのは7時過ぎだった。
マイクロバスの運転手は私一人である。
往復の運転はとても疲れるが、何とか無事に終えることが出来た。
これも親神様のお喜びの賜物と、大教会で、また教会でお礼申し上げた。
とてもうれしい団参だった。
◆
神苑は、桜も終わりつつじがあちらこちらで満開だった。
そして、ライトアップされていた枝垂桜は。。。。
今日4月29日は、全教一斉ひのきしんデー。
その後、部内教会のお運びのために、教区長さんの視察がある。
今日も一日よろしくお願いいたします。
4月7日
朝、Facebookを見ていたら、「Facebookでの友達が突然出直した」という投稿を目にした。
ふと、北海道で独り暮らしをしているFacebookの友達の事を思い出して、その人のページを覗いた。
すると、6日前の投稿で止まっていた。
電話で話をしたことは無かったが、思いきって、電話をしてみた。
すると、弟さんが電話に出た。
Facebookの友人であり、投稿が止まっていたので気になって電話したことを告げた。
すると、本人は1日に亡くなり、郵便物などで不信に思った隣人が発見した。とのことだった。
そして
遠く本州から片付けに来ているとのことだった。
支部の例会を終えて、亡くなった方の事が気になり、所属の教会に電話して、様子を伺うと、警察から遺体が戻り次第、火葬場へ直送し、葬儀は行わないとのこと。
葬儀は行わなくとも、亡くなった方のために何かして貰いたいと、玉串料を送ることを申し出たところ、教会の奥さんが引き受けてくれた。
Facebookを通して、時々教会へ参拝に行っていた事を知っていたために出来たことである。
人間は、生まれ変わる。
また新しい身体を借りて、新しい人生を歩んでくれるように願っている。
4月8日 かんろだいの側に座りながら、思いを馳せている。
3月31日
ついに年度末日となった。
今月は一度もブログが書けなかった。
まあ、世の中がどのような事になるか、そして人々の心がどのようになるか。
身近に不都合な真実が現れて、様々な行動が出てくるだろう。
親神様の十全のご守護には変わりはない。
それをどのように受け取り、解釈し、行動に移すかでそれぞれの未来が変わるだけである。
神は理であるが、それが教えた教えも理である。
教えをどのように解釈するかもそれぞれの心である。
問題はそれぞれの心にある。
心を澄ますこと。
心のホコリを払うこと。
そのための手だてがおつとめであり、身上、事情である。
願い、神様が箒となって心のホコリを払ってくださる。
心で思えば、行いに出る。
今日は大教会で、少年会のおつとめ総会である。
これから出掛ける。
親神様、おやさま、今日まで大難は小難にとお導き下さりありがとうございます。
今日も一日よろしくお願いいたします。
。。。。。
4月3日
3月31日に行われた、おつとめ総会。
近年、こどもが少なく、参加される教会も少なくなり、親子3代でのおつとめとなっている。
つとめた人々の顔は、とても嬉しそうでした。
(*^^*)
2月23日 無事に大教会の月次祭が終わりました。
うちの月次祭を終えてから、アルバイトやお見舞いにと、忙しく過ごした。
そして昨日、22日 フェイスブックに「これから大教会の月次祭の準備。忙しくなりそう。。」と書いたところ、
昨日と今日、ひのきしんや相談事などで忙しく過ぎていった。
今、次の相談の人を待つ間少し時間ができて、久々にブログをと思って、書き出した。
2月19日 アルバイトである団地を歩いていた時、「バサ」っと音がして振り向くと、外国人がごみを集積場へ出していた。
それも上から投げ入れて、カラス除けのネットもせずに立ち去ろうとしていた。
何事かと思って、見ると相手はにらみつけてくる。
「なぜにらむ?」と思いながら、見ていると、こちらを気にしながら、中指を立てながら去って行った。
その翌日、ネットで、クルド人の中指を立てて、「日本人死ね」というニュースを目にした。
困ったものだと思いながらも、30年以上前にブラジルの人たちが出稼ぎに来て、その団地が大変になった事を思い出した。
当時は、学校も外国人の子供たちのために、様々なことをした。
以前、クルド人が事件を起こしてニュースになった時に、同じクルド人が「日本になじむように、長期間頑張ってきたのに、なんてことをしてくれるんだ!」というようなコメントを見たことがあった。
同じクルド人でも、様々な人がいるのである。
日本人でも同じこと。
こうした時に、どのように治めていくかがこれから重要になってくると思われた。
不法滞在者を摘発して送還することも一つだろうが、それにも限界があるだろう。
そんなことを考えていたら、「竜頭狂えばみな狂う」という言葉と「上の者に納得させれば下の者は自然と納得する」というような言葉が浮かんできた。
天理教の布教が進むうえにも、その地域の偉い人が入信した事により、その地域全員が天理教になったという事例もあった。
人間は一人では生きていけない。
絶対に世話をする人などがいるのである。
そうした人たちが、治めてくれて、秩序をもって生活出来ることが良いと思うばかりである。
現在は、これまでの政治や医療などによる秩序が崩れてきている。
悪事が民衆の目について、それを良しとしない人々が増えてきているのである。
崩れても、新しく構築されれば良いのであるが、それには時間がかかる。
これまでにも、様々情報を共有しながら、いろいろな意見を学んできた。
簡単に真実と言っても、携わってきた経歴や知識によって、ものの見方が違い、先の予測も違うのである。
それがすごく分かった。
親神様の教えを元にして、思案をすると、スピリチュアルで発信された情報も、同じように良くわかる。
中には、「そんなことを言ってもすぐにはいかんでしょ」と思える情報も多分にあり、個人個人が考えて決断することが重要だと思うばかりである。
色々と思うことはあるのだが、言葉にできない。
親神様、教祖、無事におつとめが務められましたこと、感謝いたします。
久々に思うがままに。。。。
2月の月次祭が、昨日無事に終わりました。
おさがりだけを届けていた方が、久しぶりにお勤め前に参拝に来てくださいました。
そしてまた、部内の奥さんも、自分で運転しておつとめに出てくれました。
親神様のお導きのままにと、すべてそれぞれの自主性に任せて来た中での、うれしい一日でした。
また、一言話をして頂いた方の話が、これまでより少し長くなり、自分の思いをしっかりと話して下さり、これまた喜ばせて頂きました。
親神様のお導きに感謝です。
今朝もまた夢を見た。
探偵まがいに、人の事を探る人についてだった。
教祖の御用場で、「あの場所にあの人と一緒にいたのは、あと誰でしたか?」と私に尋ねる夢だった。
その方はお道の方で、あまりにもしつこく聞いてくるので、「人には様々な事情があります。あまり深く詮索しないことです。」とだけ言ったところで目が覚めた。
昨日に引き続き、あまり気分の良い夢ではなかったので、もやもやしながら朝勤めをつとめていると、「正文遺韻」(初版本)にある、警察を止めてお道のおたすけ人になられた方の話を思い出した。(266頁「斎藤織造氏の話」)
探偵として、信者に紛れて教祖のお話を伺った人が、実名を呼ばれて直接話を伺うこととなり、
「人の周囲を嗅ぎまわり犬と呼ばれる商売もありますな」などというお話を聞いて、心改めたという話である。
これ以外にも、「ほこりの提灯持ち」という逸話がある。
人は誰しも悪い心を使い、悪い行いをするものである。
それをどのようにするかはそれぞれであり、些細なことで人を貶めることはそれこそ良くないことであろう。
教祖が月日の社と定まれる前の逸話で、怠け者の作男を「ご苦労さん」という言葉で改心させた話は有名である。
以前書いた「誠の中のほこり」というお話も、これに通じるものがある。
自分は良かれと思っても、それが人を助けるどころか、貶めることになる場合もある。
ここまでの思案ができるようになること。
これを親神様は求められているように思うが、人間すべてがそのようになるにはまだまだ先の事。
これらは、法律にはできない話でもあろう。
まずは、自らの心を顧みること。
そして自らの心を律することができるようになること。
そして、人を愛せること。
そして、人を育てること。
「愛する」と言っても、溺愛では「かわいい」のほこりとなる。
また「わが身可愛い」が過ぎると、どんなことにも恐れを抱くことにもなりかねない。
こうしたことを、学び、成人の歩みを進める。
「これがこの世の始まり」とおふでさきにも出てくるが、
元の理は人間の形が作られていく様を表しており、人間が5尺になったならばとして、そこまで成長した現在。
次は心の成人の歩みが、一つずつ進められていると思わずにはいられない。
思うがままに。。。