あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

2/7 なぜかイライラして、思うがままに。。。

2024年02月07日 08時47分10秒 | 思った事
2月7日
支部例会に配る印刷物の準備が終わった。
今日はなぜかイライラしている。
なんだろう?
 
午後から支部例会。
 
今朝、おふでさきを読みながら、親神様の「ざんねん」「親神様にほこりがたまる」という言葉が頭に浮かんで、離れない。
 
「くにとこたちのみこと」は、水の守護でとても冷たい。理の道理。これが曲がったならば、そのときその時の気持ちで変わったならば、理の筋道、真理というものも無くなる。絶対に曲がらぬから、人間もすべての物がこの地球上で生きておられる。
 
ところがその理を、自分の都合で曲げようとする者がいる。知恵を得た人間である。その者たちは自分の都合で自然を破壊し、無理なことを平気でする。そしてそれを咎められると、そんなことを言っても。。と聞き分けるどころかへ理屈を言って聞き分けようともしない。
 
「おもたりのみこと」は、ぬくみで火の守護。温かくなるのもこの神様がなければ成れない。
 
そして、元始まりの時、「くにとこたち」の相談を受けて、沿った神様であり、人間宿仕込みの時、「いざなみ」に入り込み、母親の役目をした神様でもある。
 
父親よりも母親の方が情に厚く、子供の悪さの肩代りをしてくれて、辛い中をも通ってくれたりする。
 
その母親の情に甘えて、子供が改心しないと、母親は疲れて寝込んだり、病んだりする。
すると、父親からの爆弾が落ちることになる。
 
はじめは口だけが、それでも直らねば手が出る。それでも直らねば勘当となる。
 
子供が大人になり、子供を育てて親の苦労が分かる。自分がしてきたことを振り替えれれば、そして反省をして改めれば、子供も変わり、良い親子となれる。。。
 
しかし、振り返らずに、親や子供を悪くしておれば反省はなく、その子供たちはその環境で育ち、その文化が出来てくる。
 
つまりは、元が狂えば、先も狂い、本来楽しく過ごせるものが、出来ない文化に生活をすることになってくる。
 
元は一つでも、何千年何万年と積み重ねてきた文化に、大きな違いが出てくる。
 
これは、表面的な事柄での、国のなりたちを考える一つの考え方。
 
 
元始まりで、ぢばで宿仕込まれた魂は、ぢば周辺へ段々と産み下ろされて、3度の生まれ変わりをしている。その内、ぢばから遠く離れたところに産み下ろされた者は、食い物を求めて遠くの地へ上がり、近くの者は日本に上がった。
 
ここに、日本に住むものと外国に住むものとの違いを示されている。
 
けれども、何千回何万回の生まれ変わりを出かわりで、それぞれの国に住める魂と住めない魂と、いんねんによって分けられて、生まれ変わっての今日である。
 
親を思う心が自然と使えるものと、使えないもの。
人の事を思いやれるものと、思いやれないもの。
などなど、簡単には分類出来ない人間となっている。
 
そして、それらの間での気付き会いの中である。
 
ましてや、地球に憧れて、人として生まれた魂もあるやも知れない。
 
すべては親神様の見分けによって。。。
 
こうした理の話を、人の上に立つものたちに納得させたい。
そして後に繋がる人々を育てて欲しい。というのも親神様の思いでもある。
 
上に立つものは、ここまで様々な経験をして、物ばかりを求めても幸せには成れないことを知ったはずである。
 
しっかりと心せねば、上に立つもののために、多くの者が苦しむ事になる。
 
上の者は自分さえいれば大丈夫と思っているだろうが、下の者がいなくなれば、上に立つものは生きて行けなくなるのである。
 
上に立つものに信頼がなくなれば。。。下の者は従わない。
この生まれ変わりの理を、多くの人々が知ったならば、従うことはなくなる。
 
しっかりと上にたつ役目を果たさねば、いくら可愛いと思っていても、その子供達が可哀想なことになりかねない。
 
親神様は、慈悲深くもあるが、理にも厳しい。
しっかりと心する必要があるだろう。
 
思うがままに。。。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
追記。。
思い浮かぶままに書いたら、イライラが無くなった。
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2月5日

2024年02月05日 08時00分07秒 | 思った事

2月5日

我那覇さんの動画を、門田隆将さんが紹介していた。

 

彼女が一人で、アメリカに渡り、アメリカの真実を発信しながら、
「アメリカに頼るのではなく、日本人自身が、日本人の歴史を学び、誇りを取り戻し、自立することが必要」との結論に達したことを思い出します。
 
当時、黒人の差別報道が日本ではされており、それが民主党、左翼勢力の策略であり、真に自由を求めた人々は、黒人も白人も黄色人種もなく、アメリカの建国の歴史、それから後の歴史を自ら学び、声を挙げていることを知りました。
 
それを妨害しているのが、今のバイデン政権であり、それを推し進める人々であるとも。。
 
さらには、その政権との癒着甚だしい日本の政権、政治家の姿も分かりました。
 
これまでは、海を隔てた外国での事柄で、他人事のように思っていた日本の人々も、それを実感し、真実を知ることになるでしょう。
 
その時に、どのような心を定められるか、それが重要だと思います。
 
親神様は、道具の神様を使い、人間の心を目覚めさせる節を与えておられます。
 
せっかく与えた知恵を、共々に楽しく暮らすために使うのではなく、我ため我欲のために使うもの達、そして何も考えない人々に、考えさせて学びを与えるために。。

 

(3) Xユーザーの門田隆将さん: 「日本が誇る国際ジャーナリスト我那覇真子さんの言葉を聴いて欲しい。政治家の中で、いや国民全体の中で、この言葉が響く人が今の日本にどのくらいいるだろうか。」 / X (twitter.com)

 

(3) Xユーザーのhimuroさん: 「感極まります。 「英霊の皆様ごめんなさい。今の日本は自らの誇りを捨て、隣国に侮辱され、国家主権を侵されるままの国になりました。英霊の皆様、今少しばかりお時間を頂きたいと思うのです。後に続くものを信じて頂きたいのです。祖国日本は再び立ち上がります」 https://t.co/ZoMcF2s37R https://t.co/d4uKCCazMQ」 / X (twitter.com)

 

#我那覇真子 靖国 (youtube.com)

 

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2月4日。。。PCから思うがままに。。

2024年02月04日 09時45分12秒 | 思った事

PCから投稿してます。

 

世界の情勢を見て、スピリチュアル系の情報を見て、「刻限とは?」と思いながらここ数年間通ってきた。

天理教の教えは、だめの教え、最後の教えと言われて、それ以外は必要ないと言い切って、見向きもしない人がいるとしたら、それは大きな間違いに陥ると思っている。

 

私の友人で、親の言うことにはとして、我がことを忘れて尽くしてきた人がいる。

その人から数年前に連絡があり、これまでと生き方を変えた。とのことだった。

 

どういうことかというと、だめの教えと言いながら、それ以前の9つの教えを知らずでは、だめの教えも分からないだろうから、それを求めるようにして、様々なところをめぐり歩いている。そうしたら、すごい発見があり。。。やはり「元の理」が重要だ。とのことだった。

その9つの教えを求めている彼の姿は、教団が。。。信者が。。と言っている人々とは違い、とても元気はつらつであった。

 

教祖のお言葉を探して、いろいろな書物を見ると、結構語呂合わせの言葉が出てきて、理解に苦しむことが多い。

結局理解できずに、そのままになってしまうのだが、

この語呂合わせは、日本語だからできるのであり、日本語の重要性をこの数年感じている。

 

様々な神社仏閣を参るにして、教祖はその時には、天理王命の神名を唱えて参れと言われていた。

神社仏閣が必要ないということではない。

ましてや、

神に対して、参る人が多くなれば威光が増す。というような言葉もある。

9つの教えを一つ一つ求める人、またそうした教えで導かれている人々もあり、そうした人々の発信から得るものもあると思う。

 

さて、

身体の傷など、目に見えてよくなることは、周囲の人々にもわかりやすいが、体の痛みや精神の異常などは、周囲の者には分かりにくい。

しかし、そうした精神の身上についても、助かった逸話は沢山ある。

その時には、本人ではなく、周囲の人々の心の切り替えが、一つのポイントになっている。

 

昨日も「あしきはらい」から「あしきをはろうて」に変わったことを書いたが、心のほこりを払ってもらうことを念ずることも大切だと思う。

その時に、自らのいんねん。

見せられていたり、世話をさせられているいんねんを悟ること。

とても重要である。

さらには、精神の身上に対しては、「ご飯を食べて満腹になるようにはいかなくても、薄紙をはぐように」というような言葉で、ご守護の頂き方も示されている。

 

ご守護を頂いた話の中に、些細な変化に気が付いて、それを喜んだら徐々に良いほうへとご守護頂いたという話が多分にある。

喜べば喜びが回ってくるといわれるが、その一つとも思える。

親神様・教祖は、何とか助けてやりたいと思っておられる。しかし、

人間が生まれ変わり出変わりして、積み重ねた悪いんねんはどれだけとも分からない。

今世界では、ワクチンの被害が多分に報告をされているにもかかわらずに、中止をしようともせずに、進めている人々がいる。

これは、どれだけ多くの人々に残念や恨みの心を植え付けるか分からない。

その心は、それを行った人々へと返される。

これが理である。

 

そうしたものが、今世に現れたとしたら。。。

というものである。

 

私が東日本大震災で、ひのきしんに行った時に、腰を痛め、数日後にひどい痛みで入院をした。

その時、牢屋での番人をして、冤罪の人を痛めつけている自分の姿が夢うつつの中で思い出されて、お詫びをしたところ、その晩に不思議と痛みがなくなった事がある。

その時には、あと少しひねれば、すっきりするのにと、腰をひねって、より一層の激痛になり、さらに数日身動きが取れなくなった。

そして、さらに思案の日々が続き、痛みがあっても神経が切れていないことに感謝したところ、3日後には全く痛みがなくなるという不思議をいただいた事がある。

 

そうしたことから、身上を通して、自分の悪いんねんを果たしていくということを、実感している。

 

「わが身恨みであるほどに」である。

世界では戦争に巻き込まれる人もあり、知らず知らずに戦争の片棒を担がなければならない人もある。

安全なところに生活をしながらも、明日を心配して眠れぬ日々を過ごす人もある。

「この世に天国も地獄も出してある。」という言葉は全くと思う。

 

これを切り替える道を具体的に教えられたのが、教祖である。

それはいんねんを悟り、たんのうすること。

喜びに変えれずとも、人を恨むことを止めることである。

 

生まれ変わりの話で、

小エビを食する話がある。

小エビに「こんなものに生まれてくるから食べられてねばならん。」と言われて、周囲の人々に「おいしいと言って食べてやってくれ。その喜ばせた理で人間に近くなってくる」と言われたものである。

小エビの一生というものはわずかなものである。数年生きれば良いだろう。

そうした中に、喜ばれた理で人間に近くなるのである。

人間に生まれても、3歳で亡くなる人もあり、100歳で亡くなる人もある。

亡くした人の心もあるが、亡くなった人が生まれ変わることを考えたら、3歳で亡くなろうとも、周囲の人々が喜んだならば、早く生まれ変わってよい体で新しい人生を歩むことになるだろう。

 

今は、教祖140年祭に向けて、ひながたをたどろうと言われている時である。

ひながたを意識するということは、

ひながた、逸話に込められた親神様の理を思案する時でもあると思う。

 

思うがままに。。。

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2月4日 この人も発言を始めました。

2024年02月04日 09時14分28秒 | 思った事

篠原常一郎さんの、普天間基地を辺野古へ移設することに関して、反対をする団体の現状と、新聞などでの報道との違いを紹介する動画に出会ったのが、狂った世界情勢と日本の政治を知る一番の元でした。

それを思い出す投稿があったので、記録しました。

2月4日

この人も発言し始めました。
世界情勢が変化しているのに、日本のマスコミは。。。
このマスコミの事実を早く認識すること。
これが重要です。
教育者、指導者という人々。。
早く気が付け!!
篠原常一郎(古是三春)
@sinoppa1960
日本報道は、もう変化についていけないね。
引用
MK✝️ほんものだよ
@Mari21Sofi
·
2月2日
「大統領対将軍」:シーモア・ハーシュは、西側諸国はザルジヌイに賭けていると書いている――ザルジヌイは「盗みすぎた」ゼレンスキーに代わって軍事紛争を終わらせるべきだ。
「ザルージニー将軍は軍事紛争が今すぐ終わることを望んでおり、ゼレンスキーは単純に彼を解任するかもしれない。
✔️ 理由…
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ようやくPCが使えるようになった。。2月2日・2月3日。。思うがままに。。。

2024年02月03日 10時09分18秒 | 思った事
1月18日の部内の大祭を終えてから、何かしら書きたくなってきていた。
ところが、コンピュータの調子が悪くなり、初期化したがうまくいかず、結局中古のPCに乗り換えることとなった。
その調整もようやく終わり、通常に使用できるようになった。
その間、フェイスブックに思いをつづってきたものを転記した。
 
その最後がこれ、2月2日にアルバイトへ向かう地下鉄の中で書き始めたものである。
 
・・・・・・・
2月2日 2・追記2月3日・追記2月3日2。。。
 
親神様は、天理王命として、かんろだいの据えられている元のぢばに名付けられ、そこにおられるとして、かんろだいを礼拝の目標とされている。

ところが、元の理からすると、かんろだいのぢばは、人間を宿し込んだ場所、「いざなぎ」と「いざなみ」様が、男女の道具を使い、「いざなみ」様の体内に、人間の種を宿仕込んだ場所。そして人間が生まれでるまでの間、滞在していた場所、地点を現している。
その場所を定めたのが、ぢば定めの時。

親神様のはじめの計画は、この場所に、人間を宿仕込み、育てる上に使った道具衆の魂を持つものを集めて、かぐらづとめをつとめて、不思議な現象を表して、人間の心を変えたいと言うもののだった。
けれども、集まった人衆は思うように仕込めず、不思議なたすけを妨害する者が多くあり、助けたくとも助からない人々が多い状況が露呈した。

つづく
2月3日追記

それ以外にも、せっかく渡したおさづけを自分の欲得のために使うもの、元の屋敷を蔑ろにするものなど、不思議を見せることでおごり高ぶる人間の姿も露呈した。
そして、それに対する対処も、さづけを止めたり、おやさまが自ら出張して取り払ったりと、ひながたに残された。

その一つが、かんろだいの石の没収による、助けの方針の変更である。

天理王命の名が知れ渡り、神名を唱えるだけで不思議が現れ、おやさまがうつしみを隠されて後は、おさづけを頂いた人々が現す、様々な不思議で、不思議な神が現れたとして多くの人々がぢばへと集ってきたが、その集う思いは様々である。

真に人助けを思うもの、欲得で天理教を利用しようとするものなどなど、千差万別な人々が集ってきた。

そして、集った人々を仕込むと共に見定めるために、様々な事柄を始め、また様々な事情が起こり、より信仰を深めるものもあれば、離れるもの、教えや組織を利用して自分で事を起こすものなどが現れての今日である。

なぜかんろだいの石の没収を契機として、道をかえたのか。
私はとても不思議だった。
それが、このコロナの事情、世界の大変動の事象でなるほどと思えた。

「いちれつ澄ますかんろだい」は、おつとめをつとめて、下がった甘露をおやさまから人々に渡すというもので、それを貰うためには心が澄んで誠が使えねばならないと言うものだった。
それを貰いたいと思う人々は、自らで心を澄ます努力をして、貰いに来るであろう。と思って段取りを組んだ。
ところが、余りにも心が澄んだものがおらず、心を澄ますということすら考えない、周囲の圧力妨害、習慣に捕らわれて、親神様の思いを分かろうとするものがいなかった。

これでは、せっかく付け掛けた道が遅くなるとして、おやさまの代わりに広くさづけを渡し、人々の心を澄ましてからかんろだいを建てようと、「あしきをはろうてたすけたまえ 天理王命」「あしきをはろうて 助けせき込む いちれつすまして かんろだい」と変更された。

つづく
2月3日- 2追記
そして、現身を隠されたのちは、真柱様を芯として、本席様を祖神様教祖の思いを伝える道具として、個人の助けに限らず、組織としての進め方などを仕込まれた。

この組織としての内容には、神一条と世上の理との区別と対応、会議など、入り込みについてなどなど多岐にわたる。

これらをどのように悟り、思案をして対処に用いるかは、人間の心にかかっている。

立教依頼187年がたち、教祖が現身を隠されてから140年がたとうとしている。
その間の道の歩みとともに、世界の変化を考える必要があると思う。

みかぐらうたの最後「止は大工」と言われているが、大工も一人ではない。
「大工の人も揃い来た」と複数人が必要となり、その大工に使われる道具もある。

陽気世界を実現することを、「陽気ぐらし建設」と表現することもあるが、これはこうした建築にたとえた表現からである。

重要なことは、陽気暮らしを実現するための人材、道具衆にもいろいろな特性があり、それらの持ち場立場で出来上がっていくのである。

ところが、せっかく誠を尽くして一つの道具として使われるようになったとしても、自分のことばかりに囚われて、自分と同じことをしていない人に不足をする場合がある。

これは厳に気をつけねばならないことである。

「誠の中のほこり」という話でこうしたことは教えられている。

良いことをしても褒められたら帳消しとして、褒められなくても喜んでつとめて陰徳を積むことを教えられたのと同じく、積極的にひな形をたどろうと動き出しても、動かない人を見て「なぜ動かない」と不足をしたならば、それは「誠の中のほこり」となってしまい、親神様の受け取りはほこりとなる。

どうしてこんなにもしているのに。。と思うこともあるだろうが、人それぞれに、前世からの持ち越したものの、重い軽い、多い少ないは異なるのである。

このことをよく思案して、日々努めることが大切だと思う。

掃除をするにしても、掃除の仕方によって使う道具は違うのである。

心の掃除の仕方も、され方もしっかりと学び思案をする必要があるだろう。

陽気ぐらし実現の道具となるか、ならないか。
また、良い道具となるか、悪い道具となるか。
それはそれぞれの心次第。

すべては、教祖が通られた道の中に、先人が通られた道の中に、ヒントが隠されている。

思うがままに。。。。
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2/1

2024年02月01日 09時14分41秒 | 思った事
 
2月1日
 
「かしものかりもの」を元に思案することを定める。
定めれば、思い返すことが出きる。
 
先祖があって、自分がある。
生まれ変わり出かわりの魂である。
生まれ変わると、前世の記憶がないのがありがたい。
前世の通り返しが今世に現れる。
 
自分が思うだけではなく、人に思わせた事も返される。
性分は生まれ変わりの産物。
 
心は自由。だからこそ、自らで心をコントロールする術を身につける。
「八っのほこり」の説き分け、「うそとついしょうこれ嫌い」で、心の善悪を見定める。
人は鏡、気になることは自分にもある。
「いんねん寄せて守護されている」「世話取りするのはなおのこと」。
難がなければ、いんねんは切り替わらない。
 
切り替える術は「たんのう」。
 
善悪は神々分けて、神がかやしをする。
 
ほこりは避けて通る。
 
人助けて我が身助かる。
 
極楽や天国はこの世にある。
 
この世は悪事交じりであるから、いんねんをつけることは悪いこと。心の澄んだものを、ほこりまみれの中に入れることは、悪事であり、その住み分けがなされているのに、それに気づかないから、悪事に引き寄せられる。
 
大難、小難、無難や徳、不徳を見分ける術を身につける。
 
徳には、「目に見える徳」と「目に見えない徳」がある。
 
思うがままに。。。
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1/28

2024年01月28日 13時13分01秒 | 思った事
1月28日
天理教を知っている人で、かんろだいが立てられれば陽気ぐらしになる。かんろだいをなぜ本部が立てないのかという人がある。
 
かんろだいは、つとめ人衆が寄ったら出きると言われてきたが、寄らずにかんろだいの石の没収となり、「いちれつすます」が「いちれつすまして」となり、現在となっている。
 
親神様の望まれる神人和楽の陽気ぐらし世界は、人々の心のほこりが払われて、がとても重要な点である。
 
人々とは、個人それぞれの事である。
人任せではならない。
 
かんろだいを建てる条件を満たすのは、人間の成人が重要であり、親神様の道具衆であるつとめ人衆が、かぐらの人数とてをどりの人数、2下りずつ6交代の他に楽人など、多数の人数が必要と言われているのである。
それも3段にしてと言われる。
 
その人衆も、おやさまお隠れのときの人衆さだめを思うとき、あのような、親神様の心見定めの事情を抜けねばならないのである。
 
正文遺韻を読んで、つとめの人数についての事が出てきたので、思うがままに。。。
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1/26

2024年01月26日 13時14分34秒 | 思った事
1月26日
本部の春の大祭が終わり、名古屋に向かっています。
 
大祭のおつとめ。
先月も感じたが、何だかこれまでと違って、良い緊張感の元、つとめられてるように思えた。
 
詰所にて、同室になった先生と、政治や世の中がどうなって行くかと、トランプさんが大統領になるらしいという事から話し合った。
 
これまで日本のマスメディアでは語られなかった事を、解説しているYouTubeチャンネルを紹介して説明した。
 
理解が追い付かない様子であった。
 
ワクチンについて、免疫が下がって、風邪などに掛かりやすくなってきていると話す方が出てきた。
 
周囲でインフルエンザでもコロナでもなく高熱が出る方が増えてきていて、私もそのように感じている。
しかし、あまりそれに気をとられすぎてはならないと思う。
明るい心になって、親神様のご守護を頂いてほしいと思う。
 
これからは、些細な風邪でもおさづけで助けていただく気持ちが必要だと思う。
 
正しく、おたすけの旬であろう。
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1/26 早朝

2024年01月26日 03時15分40秒 | 思った事
人の口には戸は立てられない。
そして、悪風も良い風も起きる。
 
さらには、人は心に思っていても、言わないことが多い。
そこを知るために、色々と探る人もあり、探らない人もある。
 
歴史を振り返りその当時の人々の思いを探ることも同じこと。
 
行いをつなぎ合わせて推測をする。
 
また、まだ当時のことを知る人があれば、尋ねることはとても重要なこと。
 
周囲の人の目から見て、その人の性格や状況を探る。
 
すると、探る人によって説は異なって来て、幾つもの説が出きる。
 
それが派閥となっていく。
 
宗教ならば、宗派が分かれるのも同じこと。
 
今の世界情勢を見て、解説者によって言うことが違うのも同じこと。
 
今日、たまたま車でラジオを聞いたところ、アメリカの大統領選挙で、トランプさんが人気であることの解説がされていた。
 
バイデンさんの不法選挙や1月6日の議事堂襲撃事件、さらには民主党の息の掛かった人々の発言やマスメディアの情報統制の様子を見て、そして日本での政治家の様子を見た時、これまでの常識では推し量れない事が起きていると改めて思う。
 
そして、よく陰謀論を解く人々が、事件や災害が起きると、誰々の仕業だと首謀者を特定して話をするが、それは個々の意識のレベルになってきているように感じる。
 
つまり、それまでは命令されて実行していたものが、個人の恨みや不安から様々な事件を起こす人が増えて来ているように思えるのである。
 
こうなると社会的に、とても不安定で、恨み辛みの連鎖が起きることになる。
 
「地震、大風、水つきも月日の残念、立腹」と言われるが、こうした人々の重なった恨み辛みをリセットさせて、助け合って生き延びる心にさせようと、親神様が見せられると思う。
 
そして、その残念を晴らすのは、おつとめと教えられる。
かぐらておどりと教えられる、おつとめ。
 
これは元の神様が受け取られる「かぐら」であり「ておどり」である。
 
以前、戦争が起きることをおやさまは予見されていた。と書いた。
また、「おふでさき」にも、「おさしづ」にも、予見された言葉は沢山ある。
 
つまり、起きることは必ず起きると言うことであり、それが「なるいんねん」である。
ただその「なるいんねん」も、心次第で大難にもなり小難にもなる。
 
「つとめに掛かりたるなら」と教えられるので、つとめもその一つである。
 
先日ある人から、先日行われた「ようぼく一斉活動日に、会長からようぼくまて一切出ていない教会があるがなぜだろう」と言われた。
 
その時に私に浮かんだのは、「本部からの言葉が二転三転して信用ならん」と言う意味の言葉である。
 
私も突然の発表で戸惑った。突然方針を変えた説明がなかったからだ。
まったく政府の答弁と同じように感じた。
 
役目がら何とかせねばと、試行錯誤して開催にこぎ着けたが、たぶん。。と思っていた方は欠席だった。
 
思っても言わずに沿う人もあれば、思っても言わずに沿わない人もいる。言うなればストライキである。
 
信仰の世界は、それぞれの心次第。
 
先にのべたように、取り方でどんな宗派も出来るのである。
親神様が道を変えたとして、「いちれつすましてかんろだい」に地唄を変えられた経緯は、反対する警察がかんろだいの石を没収したことであるが、この元は、人間が親神様のお言葉を信じ切れなかった事にある。
 
「反対するのもかわいい我が子、念ずるものはなおのこと、なれどももちいねば反対同様のもの」これは、せっかく頂いたおさづけを使わぬ事についてのおさしづと解釈されるが、おさづけを頂いても、「破れ風呂敷で家に着くまでに落とすものもある」という言葉からすると、おさづけばかりでは無いようにも思われる。
 
「ちょいとはなし」では、「神の言うこと聞いてくれ、あしきのことは言わんでな」と親神様から頼まれているのである。
 
「せよ!」と強制されていないのである。
おやさまの雛形をたどれ!と言われる旬。
 
おやさまはどうだっただろうか。
「おふでさき」は「口では言わんふでさきのせめ」として書かれており、強制されずに自分で悟るようにされた。
おつとめを急きこむにしても、自分の身上を通して、せきこみ。命捨ててでもと心定めた者を見分けて、1月26日の今日のおつとめを向かえるのである。
 
すべては心次第である。
そして、「竜頭狂えばみな狂う」とも言われて、先頭に立つものの心得の重要性も説かれている。
 
天理教はダメの教え。
最後の教えである。
 
それは、それまでに説いてきた教え(占い、医術、薬学、仏教など)のその上に説かれたもの、ひながたを通して誠の心になり、陽気な世界を目指すために、理のことわりを教えたものである。
 
だから、書き物にすれば「万巻の書」となるとも言われる奥深い教えである。
1月26日早朝。
思うがままに。。。
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1/24

2024年01月24日 13時16分32秒 | 思った事
1月24日 祭典が始まる前に。。
今日は幅下大教会へ代参。
 
雪のため一寸不安だったが、思いの外順調に着いた。
 
明日は、詰所のひのきしんに行かれる方を乗せておぢばへ向かう予定。
 
雪で道路がどのようになるか分からないが、成るよう、行くようつとめたいと思う。
 
今日も一日よろしくお願いいたします。
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