アメリカの大統領選挙の予備選が始まり、80%以上で、トランプ大統領が支持されていると話題になっている。
数年前より、アメリカが弱体化するとの予想が、スピリチュアル系で話題になっており、本当だろうか?と思っていたが、現在正しくそうした事態になり、アメリカに対抗する国々によるブリックスが力を持ち始めている。
このトランプ大統領に人気が集まっている話題が、ようやく日本のマスメディアにも出るようになって来た。
これまで、こうした話題は、日本の主なマスメディアでは発信されず、ネットにて他国の情報を収集する個人が、日本人に注意喚起をするために発信されてきていた。
しかし、こうした発信に対して、妨害するような発信も見受けられて、情報戦が行われている様子がまざまざと感じられ、戦争中と私はこのブログにも書いて来た。
そして、面白い事に、どんな情報でも自由に発信できるようになった「X」(旧ツイッター)を、フェイスブックへ共有しようとすると、画像などのサムネイルが共有されない状況となっている。
つまりは、共有のボタンがあり、共有するウインドウが出て来ても、簡単に情報を共有させないようにしている状況にある。
また、「x」に、投稿に関して注意喚起をする「ノート」という機能があり、これは書きたい人が投稿できるようだが、明らかに妨害をするために書いていると思われるものが存在する。
また、歴史や科学について、重大な発見があったりするものも、妨害する情報を流す事も感じている。
こうした状況がなぜ起きるのか。
民衆の意識を、誘導したい。誘導されたくない。という人々がある証拠である。
宗教的な事柄ならば、興味がある人々やそれに属する人々が読めばよい。と放置されるであろう。
ところが、この宗教が政治に絡んで、個人の生活に直結してくるならば、これまた問題に成ってくる。
以前より、「ウソとついしょうこれ嫌い」として、ウソをついていたならば、親神様は善としては受け取られない。
ところが、ウソを本当だと信じて、発信する人々もある。
こうした時に、どのように対処するかが、とても問題である。
例えば、数年たって姿かたちで善悪が見分けられれば、周囲も分かり、本人も納得できる。
しかし、姿かたちに現れない事(考え方など)は、難しい。
やってみて、不都合を対感じなければ分からないのである。
しかし、これも体感できれば、周囲も分かり、本人も分かる。
この証明をしたのが、トランプ大統領で、不都合を感じたアメリカの人々は、トランプ大統領の言ったことが正しかったとして、今回の予備選の結果となったのである。
これに4年以上膨大な時間がかかっている。
しかし、日本ではテレビや新聞でしか情報を得ない人々、これまでの価値観だけで物事を見ている人々には、このアメリカの状況は理解できずに、ウソにウソを塗り固めて来た人々を信じている。
私の周囲にも、そうした人々が多くある。
みな良い方ばかりなのだが、会社など周囲の状況から、意識を切り替える事が出来ずにいる。
天理教の歴史と、教えを勉強していくと、いつも書いているように、政府などの上の人々の弾圧を避けるように表向きの対応と、親神様の説かれる神一条の対応との2重の対応をしてきている事が分かる。
しかし、こうした歴史を学ばなければ、表だけの事で、親神様がいんねんを切り替えさせてやりたいと導かれる事柄が分かり難いと思う。
いんねんという言葉も、世間の風潮に押されて、言われなくなった時期がある。
チャンと教典にも書かれているのに、恐れて言わない。
これで良いのだろうか?とずっと思い続けての今日である。
自分自身の善悪をチャンと見分ける事。
それらを認める事。これがとても重要なのだが、こうまんの心が強いと、自分の悪い性分がなかなか認められない。
そして、「わがみうらみであるほどに」と示されているように、すべてはそれぞれの心どおりの守護なのに、うまく行くことは自分の手柄にして、うまく行かない事は他人のせいにする。
こうした心の動きに気がつかない人々が多いように思える。
自分自身が、かつてそうであり、今でも気を許すと、物事を人の性にしてしまう。
これに気がついたから、自らの心を変えるために、態度を変えるように努力をして来た。
子供たちを怒鳴って怒ってきたものを、切り替えたのもその一つである。
すぐには変われないが、時を経て、色々と身上事情を見せられて、徐々に変わって来たと思う。
その他にも様々な醜い性分があり、その性分をお詫びするために、何度もおぢばへ足を運んだ。
どうかお許しください。と願うのではなく、何とか変えて下さいと。
そうした中に、おつとめが「あしきをはろうて」唱えて、胸を払う手ぶりをする事に気が付き、「神が箒や」のお言葉が胸に治まった。
更には、信者さん方の事情・身上の治まりを願っておぢばへお願いに帰った時に、不思議な身上のお知らせをもらい、おつとめの大切さをも自覚させてもらった。
おつとめは、はじめから今のようなお歌と手ぶりを教えられたのではない。
一番初めは、拍子木を叩いて「なむてんりおうのみこと」「なむてんりおうのみこと」と唱えるだけであった。
他の宗教で、神名や短い言葉を繰り返して祈る事を目にするが、正しくそうした事が始めである。
この事は、逸話編でろうそくを半分に切って願っていたところ、なかなか御守護を頂けずに、教祖から「つとめ短い」とご注意を頂いて、線香を半分に折っていた事に思い付、お詫びして改めた話がある。その時がそれである。
その後、狼藉物がお屋敷を荒らして、「あしきはらい たすけたまえ てんりおうのみこと」のお歌を教えられて、今の手ぶりを教えられたのである。
その後、人間宿仕込みの「ぢば」をさだめ、かんろだいを目標に願う事を教えられて、「あしきはらい いちれつすます かんろだい」を教えられて、
その後に、かぐらの出しとして「ちょいとはなし 神のいうこと聞いてくれ あしきのことは いわんでな このよの 地と天とをかたどりて 夫婦をこしらえきたるでな これはこの世のはじめだし なむてんりおうのみこと」を教えらえたのである。
そしてその後に、かんろだいの石が没収され、石工が捉えられて獄中で出直す事となり、「あしきはらい」が「あしきをはろうて」となり、「いちれつすます」が「いちれつすまして」と改めて、人間の救済の方法を変えられたのである。
この事柄を当時の人々は、「神様の模様替え」と呼んでいた。
天理教の歴史の中には、何人ものおたすけの名人と言われ、多くの人々を導き、教会の元となり、教祖の代わりに、神様と慕われた人々が多くいる。
こうした人々は、教祖の教えを実直に受け止め、教えられた通りに歩まれたように思える。
しかし、それに続く人々、私もそうであるが、教祖から教えられた教えを伝えられずに、ただおさづけで人が助かる事のみを教えられたり、そのおたすけ人が発した一部の言葉だけを信じて歩む人々も多々あったのである。
そんな未熟な者でも、時折不思議なたすけを見せられて、親神様を信じて歩んできたのである。
いんねんを悟れずとも、お詫びを言えずとも、「何とか助かりたい。」「何とか助けたい。」という、一心不乱の願いを聞き届けて、親神様は不思議を見せて下さった。
これは、教祖の歩まれた道を思うと、月日の社となられる前の、何も親神様のお話を知らずに「黒疱瘡」の子供を助けるために、一心不乱に神社仏閣へと願われた事と重なるのである。
教祖が「通い帳を見てもならん」と親神様から言われて、筆をもって書かれた「おふでさき」。
自然にひとりでに筆が動いて、後で読み返して意味の分からないところを親神様に尋ねて、入れ筆をしたと言われる「おふでさき」を見ると、陽気ぐらしが出来るためには、胸の掃除が欠かせない事が分かる。
ただ単に、辛い身上が助かること。助ける事が主眼ではなく、心の掃除をする事が親神様の主眼である。
しかし、人間がそこまで理解できずに、今日まで来ているだけのように思えてならない。
本当に、自らの心のほこりを掃除したいと望むならば、それなりの動きをしてもおかしくないのだが、そのような雰囲気は感じられない。
教祖が最後のご苦労、監獄から出られてから、一時期、目も見えず耳も聞えずに、寝床に休まれたままであった。
この時の様子は、山田伊八郎文書に記されている。
この寝床に休まれたままだったのは、親神様からすれば、社の扉を閉めて、不思議な働きを見せるために、世界を走り回っていたのだと、それを読んで理解できた。
その時には、大和のみならず大阪あたりまでも、不思議なお助けが次々と現れて、毎月の月次祭には人がどんどんと集まるようになってきていたのである。
そして、参拝者が増える中、警察を恐れてお屋敷ではそれを断る事におわれ、親神様が「おつとめをせよ」とわれる言葉もなかなか実行できず。するとまた教祖の身上が悪くなり、床に就く、そして親神様にお願いをする。という事を繰り返していたのである。
誰しも、神様に願って、人が助かれば、これほどうれしい事は無い。
どんどんおたすけに出かけたいと思うものである。
ところが、この不思議な助けが現れるのは、親神様が働いてこそなのだが、それを自分の手柄と思い違えて、教祖の説かれた事と異なる事を言い出す者も出てくるのである。
これの最初が、針ケ別所の助造であるが、教祖が現身を隠されてからも、そうした者たちは次々と出てくるのである。
そして、様々な人間思案で、様々な事情が起きてくるのである。
そしてまた、教祖が現身を隠されて、警察からの干渉が無くなったと思ったところ、当時の上の人々と、親神様が説かれる教えとの食い違いから、弾圧される事となるのである。
親神様は、陽気ぐらし実現のために、心のほこりをはらい、心の成人を望まれている。
しかし、世界を見ても、まだまだ物に囚われて、心の動きにまで目は向いていない。
スピリチュアル系でようやく、心の動きを波動と言う言葉で表して、明るくしようとしているが、それはまだまだ個人のレベルで、人のためにという心の動きまで説く事は見受けられない。
しかし、人のためにと動く人々によって、世界の情勢は変わりつつあるが、大衆にはまだまだそうした心は届いておらず、それがために政治や医療などの変化が遅いように思われるのである。
心の問題は、他人がどうしろと言って変わるものではない。
それぞれが気がついて変わるものである。
三才までの子供は、親の言われる通りにする。
何の疑いもなしに。
しかし、それを過ぎると、自分が出てくる。
この自分が出てからが重要である。
自分を自分で育てる必要があるのである。
これをしなければ、子供を育てる事が出来ないのである。
自分は好きな事をして置いて、子供は他人に任せる。
もしそんな親がいたならば、それは本能のままに生きる動物と変わらない。
人間には知恵があり、その知恵を育てる事が重要なのである。
この知恵が良い方へ向くか、悪い方へ向くかで、その人の人生は変わるのである。
その経験が重要なのである。
生まれ変わりを説かれて、前生どんな人間だったかと思案する時、
「前生見たけりゃ、今世見よ」と昔は良く言っていた。
今世現れている事から、前生を悟れという事であり、それは貸し借りの考え方から悟る事を教えられていた。
これをしっかりと心に治めて、どんな苦しい中も、たんのうして、人助けに心した人々が、大きな教会の元となった人々である事からも、この考えはとても重要な事だと思う。
真柱様が、年頭あいさつで、教祖140年祭に向けて、年祭当日にどれだけ成人で来たかと思えるような歩みをして欲しいと言われたように私は思った。
信仰も代を重ねて、すでに前生でお道の話を聞き、それなりに通った人々もあるだろう。
また信仰はしても、心得違いの道を歩まれた人、
さらには反対攻撃をした人々もあるだろう。
また、すでに前生でひながたを歩んだ人もあるだろう。
それぞれによって、現れている姿は異なり、
ひながたを再度通る人、その次のひながたの道を通る人もあるだろう。
そして早く悟りのつく人、つかない人の差もあるだろう。
そう思う時、すべての人々が同じことをするという事は、難しい時代であると私は思う。
それぞれに、教えを聞き、それぞれの心に留まった事を心に定めて歩んでみる事。
ただ考えるだけではなく、考えた事を実践する事が何よりも重要だと思うのである。
「心定めてついて来い。末は頼もし道があるから」
これまで何回年祭活動をして来た事だろうか。。
と思い、これまでを振り返ると、その時その時で異なる事をしてきた。
そしてその度ごとに学びがあり、それが今の私の思案の糧となっている。
「喜べば喜びの理が回る」と聞かせてもらっても、喜べなかった自分が、今は何を見ても「ありがたい」と思える事が、何よりもありがたい。
思うがままに。。。
人間が敬う対象が神であろう。
では、
人間が自分中心の願い。人を殺めても、自分に利を得たい。と願い
それを叶える存在があれば、それはその人間に対して神となる。
この人間の心が、人と人が争う事を望まず、自分も他も共に楽しむ事を望み、
それを叶える存在があれば、それも神となる。
ここまで極端にならずとも、知識を得たい、力を得たい、物を得たいなどと
人間の望みは様々であり、それを願い、それを叶える存在がその人間の神となる。
この時に、神と人間とをつなぐ存在がある。
これをシャーマンとか、霊媒師として来た時代があり、現在もそうした人々が活動する情報も多々ある。
神社の神主・お寺のお坊さんや様々な宗教者もその一端となるだろう。
また日本の神社では、優れた功績のあった人物を神として社を立てて奉ってもいる。
そしてその神々に、人間は望みを願う。
願いの叶うものもあれば、叶わぬ者もある。
その差はどこにあるのか。
考えたものはあるのだろうか?と思う。
その答えは、その神のみぞ知る。というところだが、
天理教の元の神、親神 天理王命 様は、「誠の言葉しか聞こえない」とも言われている。
「誠ならば受け取る」として、助からぬ母親を思う子供の心を受け取って不思議なたすけをいただいたという、逸話編からも理解できることである。
1月14日に支部例会が行われた。
その席上で、今回起きた能登半島の地震に対する、愛知教区災救隊の活動について報告を受けた。
地震が起きてまじかに、青年会から2台のワゴン車で物資を輸送する予定だったのが、余りにも多くの物資が集まったために、4台のワゴン車で行く事となり、運転手が足りずに災救隊の隊長などが出動する事となったとの事。
石川教区で物資を受け入れてくれる教会も、狭い路地の中にある教会で、物資の搬入、搬出がとても大変で、指定された教会へ物資を運ぶ手伝いをして戻って来たとの事だった。
そして数日前までは、避難所へ炊き出しなどをする部隊の世話どり(宿舎の清掃など)をしているとの事。
そうした作業も近隣の教区から、夜出発して夜に帰るという日帰りでの対応をしているとの事だった。
私も東日本大震災の時には、災救隊とは別に物資を運んだり、ひのきしんに出かけたりした。
あれから10数年たち、もうそのような動きは出来ないが、同級生の教会が被災して全壊したので、同級生で見舞金をだそうという話しになっている。
この災害のみならず、各地で様々な災害が起きており、その度ごとに災救隊が出動して、被災者への心の支えとなっていると思う。
さて、この能登の災害から、一時言われなかった南海トラフの地震が騒がれるようになり、富士山の噴火までも騒がれるようになって来た。
実際に起きるのかどうかは分からないが、これまでの災害の経験から、備えをして置く事に越したことは無いと思う。
ただし、余りにもそうした事に囚われて、心を落として、悲観するような事は必要ない。
反対に、悲観する自分の心を見つめる必要があると思う。
その理由は、喜べば喜びの理が回ると教えられているように、困った身上や事情も、成ってきたいんねんを悟り、たんのうする事によって、その先が変わると教えられるからである。
仏教でいわれる、因縁は「カルマ」「宿業」として変えることが出来ないと言われている。
こうした教えも成ってくる理を考えると、間違えではない。
前生、前々生に通って来た事柄による「いんねん」。心遣いによる今世の出来事は、必ずある。
けれども、それを大難にしてもらうか、小難にしてもらうかは、親神様の見計い次第で、どのようにでもなるのである。
また、出直す側になるか、生き残り助けられる側になるか、助ける側になるか。
これも、今世それまでに生きて来た心遣いによっても変化して行くのである。
すべては、親神様がどのようにそれぞれの心遣いを受け止められたかによるわけである。
今日、政府が推進してきたワクチンについて、まったく政府の対応がなっていないと、デモをしている動画をみた。
私も多くの人々が苦しんでいる事を見て、またワクチンを接種しなくても良くなる薬を体験して、こうした抗議に賛同する者でもある。
親神様は、医薬も医術も聖人君主を使って教えられた。
しかし、その教えられたことを悪用して、自分達の欲得のために人々を苦しめる者については、断固として認められない。
欲得のために戦争を起こすものについても同じである。
宗教を利用するのも同じである。
人の心が、我が身思案で欲得にまみれて行く事を防ぐために、様々な教えを聖人たちを通して説いて来たのに、それを利用して悪用する者があれば、それも同じなのである。
先日、「教祖が我々の罪を詫びて現身を隠された」というコメントを見た。
まったくもって、何を根拠にそのような事を言うのか!
と思うばかりである。
この考えは、キリスト教でキリストに対して言われる事で、教祖は違う。
扉を開いて世界助けに出られたのである。
世界助けとは、人々の心を切り替えさせること。
身上事情を見せて、不思議を見せて、教えを元に人々が自ら心を切り替えるように進める事である。
そして、教祖のひながたを歩み、神一条の道を歩み、陽気ぐらしへと歩むように導かれる事である。
人間というものは、辛いことや自分の思いと違う事があると、聞いた言葉や見た事柄などを自分の都合の良いように解釈するというものである。
事実を理に照らし合わせて、善悪を判断するのではなく、自分の都合に合わせて理を曲げようとする。不都合な事は伏せて、都合の良い事だけをつなぎ合わせて自分を肯定しようとするものでもある。
こうした状態が進むと、そうした人々の行動や発言は、支離滅裂となってくる。
以前こうした発言をしていたのに、まったく異なる発言を簡単にして、平然としているのである。
そうなると、周囲の人々からは相手にされなくなるのである。
「うそをついたらその者が、ウソになるのがこれが承知か」と言われる言葉が思い浮かぶ。
教祖が歩まれたひながたの中で、「一つ道を変えた」と言われる出来事がある。
それは「かんろだいの石の没収」を契機として、おつとめの地歌を「いちれつすますかんろだい」から「いちれつすましてかんろだい」と変更して、助けの方針を変えられた事である。
これを当時の人々は、「神様の模様替え」と言っていた。
おさしづを見て見ても、「思惑が立たずに一つ道を変えた」という言葉が各所に出てくる。
神は万能、見抜き見通しという言葉からすると、理解に苦しむ人々も多い事だろう。
私も以前はそうだった。
しかし、今回のコロナの騒動や世界の様々な事柄を見た時、見抜き見通しだからこそ、そして親神の子供である人間に心の自由を与えたからこそ、子供の成人に合わせて、無理のないようにと方針を変えられたのだと思うに至ったのである。
さらにはまた、様々なスピリチュアル系の動画を見て、江戸時代末期に天理教が始まった頃、多くの宗教ができた事と同じように感じている。
宇宙人からのメッセージとして伝えるもの。
キリスト教の元の心で伝えるもの。
日本の神道や霊媒師が伝えるもの。
世界の霊媒師が伝えるもの。などなど。。
日本で起きた事が、地球規模で起きて、それがインターネットを通して世界中で見聞きされて、それぞれの心に響くメッセージを取り入れるように導かれているように思う。
先の真柱様が言われた「色鏡といういんねんで見ている」とか「物を色々な角度から見るように」などという言葉が思い出される。
教祖のひながたも、人間個人として見るか、親神様の使いと見るか、はたまた、親神様の視点で見るかによって解釈はどれだけでもできる。
そしてその見方によって、悟り方も多分に出来るのである。
言い換えたならば、子供の視点で見るか、子供を導こうとする親の視点で見るか。
はたまた悪さをする子供の視点、それを怒る親の視点という見方もある。
もっといえば、それらの両者を見る祖父母の視点という見方もある。
また親神様は、月日であり、父母でもある。つまりは、父親の立場、母親の立場もあり、そうした視点もある。
今世界は、これまでウソで隠された事柄を開示して、それぞれの国や人々の元を探ろうとしている。
そのために、歴史の考察の動画が多分にある。
これらは文献や遺物による考察がほとんどで、そうしたものがない時代の考察は出来ない。
天理教の元の理は、知恵文字を仕込まれたそれ以前の話であり、それを仕込むための苦労の話でもある。
しかし、この地球・世界における理については、先に述べたように視点を広くすれば、十柱の神様の働きにつながるのである。
アフリカのコンゴで、天理教が飛躍的に広がっているという話しを聞いた。
大変結構な事だと思う。
幾多の社会的苦労の中を抜けての今日であろう。
戦後の日本での天理教の姿と重なる。
戦時中弾圧をさけるために、戦争の後押しをするひのきしんを信者に求めた歴史。
二代真柱様が、復元を唱えた時の言葉から、その時の苦汁をすごく感じる。
そうした時代を越えて、人々が勇み立つ時代。
そうした時代を超えた今の日本では、これからどうするか。
これがこれからの課題であろう。
すでに物質での幸福感を味わい。
それでは真の陽気ぐらしは出来ない事も分かった現在。
天理教の教えを聞いて、生まれ変わりを重ねた者がいる現在。
次の段階へと思いを致さねばならないだろう。
教祖のひながたを思う時、教祖が「月日の社」となられた条件が気になる。
教祖は「いざなみのみこと」の魂の方であり、幼少の頃から、慈愛が多くあられた。
そして我が身、我が家よりも困った人々への救済の心が多く、世界の自己中心的な事柄については悲観的であられ、尼になる事を希望されるほどだった。
それを両親の声によって、中山家へ嫁ぎ、主人へ家族へそして周囲の人々へと、慈愛の心と行いを行われていたのである。
その一つの行いが「黒疱瘡の子供をたすけた」逸話である。
この後に、「月日の社」なられる。
この事を親神様は、褒めたたえて、後日おさしづによって別席の話に取り入れさせておられる。
すでに天理教の話を前世で聞いて、この教祖のような心で生まれ変わっている人々が世界中にいるのではないかと、様々な情報を発信して行動をしている人々を見て思うのである。
そして、それぞれにいんねんある人々が集っているようにも感じるのである。
話を模様替えに戻す。
こうした教祖に対して、人間宿仕込みの魂のいんねんある人々を、立教後身上や事情で引き寄せられるが、ことごとく親神様の思惑通りの「にんそく社」とはなられずに出直されていく。
そして「魂のいんねん」の無い、本席様を「柱」として、教祖(親神様)が世界助けに出られてから、おさしづによって導かれる事になる。
こうした事も、計画を変更された一因であり、計画後の対処とも思えるが、これらはこうした人々の心の動き、また周囲のドジョウの魂の人間の心の動きを見定めての事と思える。
こうした事や道すじを研究して行けば、欲にきりない泥水に流れず、陽気ぐらしが出来る人間となるための道筋を思案できるのではないかと思うのである。
ご利益信心ではなく、証拠信心という話しがあるが、研究した事を身をもって体験すること。
教祖のひながた、先人のひながたをたどり、身をもって体験する事。
それによって確固となる証拠を固めて行く事。
これが重要であり、それが助かるための話の種。
こうき話となるように思えるのである。
長らくなかった左の耳あたりが痛み出したので、昨日書きかけて止めていたものを書きだした。
思うがままに。大難を小難に、小難を無難にとお守り頂きますように。。念じて。。
気持のよい天気の元、大教会長さんの巡教を受けて、春季大祭をつとめ終えました。
おつとめは、いつもと変わらない人数でしたが、ここ数カ月参拝に来られなかった方が、いつもの如くおつとめ中に参拝に来られました。
今朝書いた祭文も、何だかいつもとちょっと違う視点で書く事が出来て、嬉しく、勇んで勤める事が出来ました。
すべて終えて、ゆっくりと食事をしていると、任命の世話をしている新会長から電話があり、色々と報告を受けました。
祭典前に、大教会長さんからその教会の事について報告があり、新会長がどのように受け取っているだろうか?と心配していましたが、
大教会長さんの計らいにとても喜んでおられて、良かったと安堵しました。
次回大教会長さんにお会いした時に、報告したいと思います。
ふと思うが神心で、我を忘れて動き回って良かったと思うばかりです。
任命のお運びから奉告祭まで、無事に終える事を願っています。
前回、1月1日に投稿してから、能登半島での大地震が起きた。
多くの人が亡くなり、行方不明となられた。
更には、羽田空港での事故、救援に向かうはずの人々が亡くなった。
まことに痛ましく、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げたい。
私の友人たちも被害に遭った。
しかし、皆大難は小難にとお守り頂き、避難生活をしているとのこと。
その連絡をもらった時は、ほっとして親神様にお礼を申した。
そして、知り合いの大教会長さんが、被災した教区長の代理として勤められるとの情報を得て、これまた無事に被災地への支援が出来るようにと心より願った。
命あっての物種。と言われるが本当にそうだと思う。
ただ、命が助かっても、心を落として嘆く人々もある。
この心の持ち方を、親神様は教祖を通して教えられた。
貧のどん底で、明日食べる物が無くても、「水を飲めば水の味がする。世の中には枕元に食べる物を山ほど積んでも、食べるに食べられずに苦しむ人がある。それを思えばわしらは結構や」と。
この逸話は、教祖が狐憑きや狸付きと周囲から言われて、夫様からも刃を向けられて「付き物ならば退け」と責められて、「この身さえ無くなれば、家族が責められる事もない」と井戸や池へ身を投げようとされたひながたの後の話である。
この身を投げようとされた時には、親神様から「短気を出すやない。短気を出すやない」との声が聞こえて、身を投げようとする足が前へ進まず、後戻りだけは出来たとの事である。
どんな中でも親神様が見守って下さり、導いて下さっているというひながたであり、それを越して、困窮して心配する家族を教え導く人になるという順序のひながたとも思える。
また、地震直後からボランティアの人々が現地へ入り、炊き出しをして下さったという情報も目にした。
知り合いの会長で、災害があれば率先してボランティアに出かけて、災救隊・行政以外で活動をしている人があり、被災・救援に対する知識を色々と聞かせてもらったところによると、
行政・自衛隊のみならず、これまでの災害の経験から、行政の足らない所を知り、早急に行動するボランティアの人たちがおられるのである。
そうした人々が、弱った人々の心を助けているという状況を、本当にありがたく思うばかりである。
前回、医療では考えられない不思議な親神様の働きの話を書いたが、今回もちょっと書いておきたい。
1月3日に、新しく教会長になられる方のお運びの願書の世話で、その教会へお邪魔した。
この新しく会長になられる方は、75才を越えた女性の方である。
なかなか後継者が定まらない中、この方が突然原因不明の身上となり、検査入院をされる事となった。
その入院中、諭達を読んでいる時に、これまでの事を振り返り、「教会長にならせて頂く」と心定めたところ、急に元気になり、原因不明のまま退院をして、お運びをする事になったのである。
これに合わせて、息子が追突事故に遭い、車は大破するものの、身は無難に守って頂き、車を保険ですべて買い替えれた事から、お母さんの運転手を務めるとの心定めをしてくれて、今日にいたっている。
年を取っていても、サポートしてくれる方があれば、務められる。
また、そのサポートをしようという人々の心を親神様は嬉しく受け取られて、その真をその人たちへと返して下さるのである。
また別の息子は、仕事の前に教会へ足を運び神様の用事をして、仕事へ出かけている。
これは、誰にどうしろと言われた事ではなく、起きて来た事からそれぞれが悟り定めてのことである。
おさしづに、「いわんいえんの理を聞き分けよ」と説かれている。
言ってやらせても、嫌々やるものもある。喜んでするものもある。
親神様の受け取りは、その行動と心であり、せっかく人を喜ばせる事をしても、嫌々やっていては、帳消しになってしまう可能性が高いのである。
人に頼まれて、人を喜ばせ、自分も喜んだならば、それは十二分の喜びとなるのは間違いないのである。
ところが、頼まれてもなかなかそのようにならない。
そのように思えない。こうした関係が親子の中にも多分にあるのである。
これが、いんねんで引き寄せられている。
だからこそ、いんねんを自覚して「いわんいえんの理を聞き分けよ」と言われるところだと思っている。
蛙の子は、蛙である。
どれだけトンビが鷹を生もうとしても、自分が鷹にならねば鷹を生むことは出来ないのである。
人は鏡と言われるが、自分の子供ほど自分の鏡は無い。
これは、教会などの関係でも同じ事が言える。
においがけ、おたすけに行ったとしても、自分の性分に、いんねんのある人でなければ、においは掛からず、おたすけにもならないのである。
そうして縁づいて出来た教会は、代が重なれば、よりそのいんねんは親子と同じものが現れると考えても良いはずである。
そうしたいんねん切り替えの話を、願書の世話と共にさせて頂く機会を頂いた。
世間での聖人と言われる人々は、個人が山などで修業をして偉くなり、人を助けるようになったと言われる。
そうした中に教祖は、夫婦で人助けをされて、家族で人助けの道を歩まれたのである。
「郷の仙人」という言葉はこうしたところからも言われたのだと思っている。
こうした点をもしっかりと思い返して、自分の役割を見つめ直す事も大切だと思う。
1月7日今日、家族でご本部のおせち会に出させて頂いた。
専門学校とアルバイトでほとんど休みのない3男が、免許を取って半年以上経って、初めて運転しておぢばがえりをした。
ひょんなことから、「高速を運転した事がない」との言葉からそれを知った。
おぢばがえりにはあまり意識が無く、なかなか起きれない3男だったが、「今日は運転してくれるんだろ」と言うと、慌てて起きたのが面白かった。
長男が横に乗って、色々と注意をしてくれて、無事におぢばに着いた。
親神様・教祖・祖霊様に、大難は小難にお導き頂いた事などの御礼を申し上げて、おせち会場へと足を運んだ。
12時20分の時点で、第1、第2食堂はいっぱいなので、テント会場へ廻るようにとアナウンスがあり、テント会場へ向かう。
とても気持ちの良い日差しを受けながら、30分ほど並んで待つ。
お節会場では、昨年とは異なり、おかわり自由でたくさんのお餅をよばれる。
これまでと出汁の味が変わった事が気になり、炊事本部の作る方が変わったのだろうと思った。
出口で神に包んだ生餅を頂いた。
本当に沢山のお餅が、各直属教会から御供されて皆に振舞われる。
どれだけ食べる物があっても、それを喜び、助け合う心がなければ陽気ぐらしは出来ない。
その喜ぶ心を作るためには、辛いと思われる事情がなければ気がつかないのである。
その辛い事情も、大難は小難にしてくれている事は、自分のいんねんを悟らねば分からない事でもある。
ところが、このいんねんが悟れると、喜びが多くなり、尽くすことが嬉しくなるのである。
これが「好循環」と言われるものだと私は思っている。
これらの事が世界中に広まれば、おのずと陽気ぐらしは出来るようになるのだが、人間は生まれ変わりをするたびに、前生の記憶は無くなって、白紙の状態で生まれ出るのである。
この白紙の状態で生まれ出る事を、良く思えるか、悪く思えるかも、それぞれの心にかかっているのであるが、教理を学び、おたすけをさせて頂くと、それがどれだけありがたいかと、今はつくづく思える。
復元33号の「稿本 教祖様御伝」も50頁を超えるあたりまで書き換えが進み、官憲へのご苦労の道中の話となって行くが、それまでの、人が誰も寄り付かず、教祖・親神様へのお礼の気持ちを捧げる人が現れるまでの、25年のひながたが、どれだけ私たち個人の日々の歩みに重要なひながたかと思うばかりである。
思うがままに。。
新年 明けましておめでとうございます。
家族元気に新年を迎え、元旦祭も無事に勤め終える事が出来ました。
自然界の上にも、政治、医療、生活の上にも、様々な事が起きて来ていますが、
いんねんによる大難も小難に、小難も無難に過ごさせてもらえるように、
かしものかりもの、八つのほこり、心通りの守護を心に定めて、
互いに助け合う親神様の理想を目標に、教えを元に日々努めたいと思います。
皆様方のご多幸を、陰ながらお祈りいたします。
本年もよろしくお願い致します。