教養掛に来て何かと忙しく、ようやく書き込む時間が出来た。
さて、日本では戦争が終わって、75年が経つ。
終戦によって、日本の人々は自由を得る事が出来た。
昔、山澤先生と話をしていた時に、終戦の話になり、「アメリカのお陰で自由になれた」という言葉を聞いたことを記憶している。
その時にはピンと来なかったが、今このコロナの時代で、自由に集まりおつとめを勤める事が出来ない事を思う時に、終戦前の、帝国主義で統制下にあった時代と重なった。
教祖がご在世の時には、警察からの止め立てが絶えずに、お屋敷では隠れておつとめをつとめ、そして隠れてお話を取り次ぎ、おたすけをされていた。
これが、教祖が現身を隠されて、天理教教会本部として教会が公認されたとたんに、各地で不思議なおたすけが続々と現れて、教会が次々と設立されていった。
そして多くの人が、おさづけの拝戴を願い出るようになった。
そうなって来た時に、明治29年「内務省訓令第12号(秘密訓令)」が発令され、政府からの取り締まりが苛烈となる。
この「秘密訓令」に対して、逐一おさしづを伺い、様々な変更がなされて、昭和20年 第2次世界大戦の終戦を迎えて、2代真柱様から「復元」の提唱があり、それまで説けなかった話も自由に話すことが出来るようになった。
弾圧があったからこそ、隠れてでもという信仰。隠れながら大手を振って取り次げないけれども、隠れてでもお話を取り次いで来た信仰から、
自由になったからこそ、安易になりすぎて、自ら求めずに、歩んだ道があったのではないかと思えて仕方がない。
インターネットの時代で、どんな事でも発信できる。
しかし、捉え方は受け取る人次第である。
だからこそ、安易に発信できない事もある。
やはり、大勢ではなく、胸から胸へだろう。と思う。
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以下に、秘密訓令に対するおさしづを揚げておく。
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No. :(4巻2663頁3行)
明治29年4月21日
『内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺』
さあ/\いかな事も言うて来る/\。皆これまで十分話伝えたる。どんな事しようと思うて成るやない。今一時尋ぬる処、どういう事もある/\。尋ねる処、どんな事もすっきり取り調べさす。取り調べさすと言えば、おかし思うやろ。地方庁や、願う/\、却下や/\。どうしてもならん。時々の処にてはどうもならん。皆すっきり寄せて了う/\。尋ねにゃなろまい。一時見れば怖わいようなもの。怖わい中にうまい事がある。水が浸く、山が崩れる。大雨や/\。行く所が無いなれど、後はすっきりする。今一時どうなろと思う。心さえしっかりして居れば、働きをするわ/\。反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。これまでほんの言葉々々でさしづしてある。これはというようなものは、さしづがさしづやないと言う。世界の反対は言うまでやない。道の中の反対、道の中の反対は、肥えをする処を流して了うようなもの。こんな所にこんな事があったかと。鮮やか分かる程に/\。必ず/\悔むやない。悔むだけ心を繋げ/\。これからは、どうでも皆集める程に/\。山が崩れる、水が浸く。雨風や。何処へ駈け付く所も無いというようなもの。泥水すっきり流して了う。泥水の間は、どんな思やんしてもどうもならん。心一つの理を繋げ/\。いかんと言えば、はいと言え。ならんと言えば、はいと言え。どんな事も見て居る程に/\。
『会議の決を願(会議の点九点)』
さあ/\前以て事情諭したる。泥水の中というは、何処へ駈け付こうかというようなもの。一時泥水の中やから見て居る。尋ねる処は皆こうしたらよかろうという処、それはいかんとは言わん。落ちて了てからどうもならん。無くなってからはどうもならん。泥水の中でもあちらへ這い上がり、こちらへ這い上がりすれば、どうなり道が付く。これがいかんと言えば、はいと言え。これより這い上がる道は無い。もう安心の言葉を下げて置こう。これがならんと言えばはい、いかんと言えばはい、と、答えて置け。
『祠宇建築に付伺』
さあ/\尋ねる処/\、それは心に持って、又ぼつ/\。
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