今日はこれら、大教会へ行って、明日の月次祭の準備です。
先日来、Facebookがことごとくおかしな動作をする。
ワクチン接種が始まってから、政府の発言と異なるワクチンに関する事を書いたりすると、使用停止になったりしていた。
こうした事を検証するためにも使用していた。
イーロンマスクがツイッターのCEOになってから、政府との癒着で検閲をしていた事がドンドン暴露されて、これまで検閲されていた事も自由に発信できるようになってきている。
日本にいて、アメリカでのこうした情報を得ていない人には、何の事だか?という話しである。
目の前には見えない、機械を操作する人々の話しなのだからである。
この状態ではいつFacebookが無くなるか分からないと思い、ツイッターも使う事にした。
「atutakai」で検索をすれば、「はせがわ よしろう」が出てくる。
私がFacebookで検証をと書いた事は、目に見えない操作を目に見えるものにするための手法である。
操作するからには、その履歴が残るのである。
その履歴を検証すれば、どのような操作、悪事を持った操作、善意を持った操作という事が、目に見えてくるのである。
コロナに対して、イベルメクチンを使用した事も検証である。
コロナが本当にコロナなのか、新型インフルエンザなのかは分からないが、PCRで一応陽性になり、発熱した時に、イベルメクチンを服用して、一日で治まった。
これは私が体験した事実なのである。
目に見えないウィルスと呼ばれるもの、この存在を理解するのは、発熱やのどの痛みなどの症状なのである。
そして、薬が効くかどうかは、服用しての症状の変化で確認するのである。
目に見えないものを、目に見えるようにする。
これはそれぞれの検証。その履歴がそのようにするのである。
親神様の御守護も同じである。
目に見えない親神様である。
言葉の聞こえない親神様である。
ところが、願う誠の心で、現れる利益が神の姿と言われる。
これも同じである。
薬が効いたのか、医者のいう事が正しかったのか、それとも親神様の不思議なのか?
と分からない事がある。
だから、親神様はまず医者に掛かって、医者の手余り、医者が私の力、知恵、薬では対応できません。というものが、不思議と治ったならば、それが神の姿と得心できるだろうと、教えられたのである。
いくら医者がいても、その病気に対応する薬がなければ、医者はどうしようもない。
その時に、親神様に願って、不思議が現れたらならば、まぎれもなくそれが親神様の存在証明である。
その他にも、存在を証明する方法はある。
先のFacebookの陰での操作ではないが、同じ事が数度起きるとか、普通ならばこのようになるのに、違った結果が出る。それが度重なる。
という、状況の履歴で判断する事が出来るのである。
ほんの一秒の差で、事故に遭わなかった。
などが重なって、何か不思議なものを感じるのである。
この時には、願う事はしていないので、何か不思議なものがあるのでは?
となり、それを霊とか、偉大なるものなどと人間が思うのである。
これを、家のいんねんという話しにつなげて見たら、その家の人々の性格につなげてみたら、八つのほこりと十柱の神様の御守護とつながり、親神様が不思議と働いて大難を小難にして下さっていると、理解されていくだろう。
目に見えないから。。と拒否をするならば、それは親神様自体をも信じていない事になるだろう。
親神様は陽気ぐらしをさせたい、陽気ぐらしが出来る人間にしたいと思って人間を作られた。
これは、この話を信じるしかないのである。
不思議を体感した神様の言葉だから、これを信じて、これに向かって自らを省みて、日々を楽しく生きていく。
このコロナはじめ世界の事情を通して、ようやくこうした事が分かるようになった。
ありがたい限りである。
今日も一日よろしくお願いいたします。