神の存在は「願う誠の心に現れる不思議が神」と言われる。
この言葉、人間が願うことがまず神を感じる上には必要条件のひとつである。
そして、この言葉から神は一つと考えてはならない。
ただ神としかいわれておらず、
「一屋敷 同じ暮らしている内に 神も仏もあると思えよ」といわれ、おやさまが、月日の社となられる前は、様々な神仏に願いをかけているのである。
また、十柱の神以外にも、神の名を言われている。
色々な神があり、その神にも色々な力の差があることも、逸話編の「ここにはすべての神様がおられるのに」と言うことや、
「月日が一の神」ともおふでさきに出てくることからも考えられる。
だから、おぢはで助からないことはない。
ただ、十柱の神様、親神様に思いが通じて、助けて貰えるかどうかは、それぞれの心にあるだけである。
「誠の人の言葉は聞こえるが、そうでない人の言葉は聞こえない」というおやさまの言葉もある。
また、神様が受けとる誠にも段階があることも、「導きがすんで、試しがすんでない」という逸話からも教えられている。
何といっても、銘々の心が肝心。。
そして学びが肝心だと思う。
おもうがままに。
今日も一日ありがとうございました。