1月8日に本部の神殿奉仕をさせて頂きました。
とてもとても寒い中でした。
新型コロナウィルス感染防止の上に、全ての礼拝場の障子が開け放たれておりますので、風が吹き抜けていきます。
その中で一番寒いのが、西礼拝場の北の席です。
西から冷たい風が、右の耳に当たります。
防寒のために、使い捨てカイロを背中とお腹、そして両足に張って着座をしていました。
教祖は、こうした厳寒の中、投獄されて、井戸水を掛けられようとされた事が心に浮かびました。
人のためにと尽くしながら、無理矢理罪をきせられたのです。
そうした中でも、看守の人が居眠りをして言うのを見て、「あの人は退屈しているから、あめでも買ってやってくれ」と言われたのです。
普通の人間では出来ない事です。親神様が入り込まれているからこその事だと私は思います。
どんなに立派なルールを作っても、人の心が悪ければ、何ともならないのです。
神様がある。神様が見ておられると思うから、悪い事にも歯止めがかかると思います。
悪い事をしたら、子供に又身内に悪い事が起こると思うから、自分を律する事が出来ると思います。
神様のお陰という言葉をなくしてはならないと思うのです。
神様が見ている、神様に守ってもらっていると思うから、心に安心が生まれます。
不安な事でも、お願いをする事が出来るから、不安も半減して、前に進むことが出来ます。
とてもありがたい事だと思うのです。
寒い中、座っていると色々な事が思い浮かびます。
特に、今は新型コロナウィルス、政治の世界も大変な事ばかりです。
直接にどうする事も出来ませんが、親神様に、大難は小難にとお守りください。とお願いしながら座っていました。
そうした中に、一つ思い浮かんだことがありました。
お守所の時計には、湿度が表示されるのですが、それが「LOW%」と表示されていました。
測れないくらい乾燥しているのです。加湿器が常時加湿しているのにです。
人の粘膜が乾燥して潤いが無くなるから、ウィルスが体内に入りやすいと聞いたことを思い出しました。
マスクをしていれば、部屋が乾燥していても、のど、鼻の乾燥は防げるのです。
(私は、朝起きると、いつものどがいがらっぽくて調子が悪いので、寝る時もマスクをしています。すると朝とても楽なのです。)
感染しないためのマスクではなく、もし感染していたら、感染させないためのマスクと以前から行ってきましたが、自分の体調を管理するためのマスク。
外出する時だけではなく、家の中でもマスクをする事が大切なのではないかと思ったのです。
温みと水気、火と水、太陽と月。おもたりのみこと様とくにとこたちのみこと様のお働きが、五分五分あるので私たちは生きれるのです。
この調和の御守護を頂く事。そのためには、私たちも調和のとれる心になる事が大切だと、あらためて思いました。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。
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