昨日23日は、大教会の春季大祭でした。長い間、直属教会長夫妻と役員のみでおつとめを勤めて来たが、この春季大祭よりおつとめ奉仕者で勤める事に決定し、つとめられた。しかし、こうしたコロナ禍の事で、出欠はそれぞれの思いに任すことで勤めた。
そういう事で、久々にお会いする方があった。その中に、私のFacebookを見ていて下さる方があり、「次々と通知が来て。面白いです。特にキリスト教の話が。。。」と声を掛けて下さいました。「色々と勉強になるでしょう。」と返事をさせてもらいました。
私自身も、このアメリカ大統領選挙の事から、YouTubeなどを通して、初めて知る事ばかりである。そしてまた、全てが正しい事ではない事も、大きな組織で情報操作をしている事も知った。
これまでは、日本の事また、自分の生活範囲での情報だけで生活をしてきた事、そしてそれがどれだけ情報操作されていたのかという事も知った。
「では、どうしたらよいのか。」と様々な人が思っていると思う。「自分では判断できない。」という人もあるだろう。
私自身もそう思うひとりである。正誤、善悪など分からなくとも、異なる意見や事象を知っている事が、後々の判断をする上に役に立つだろうと思うのである。
その上で、気になった情報はどんどんFacebookにシェアしている。
もう一つ思うのは、表面的な事も大切なのだが、それを行っている人々の心情も考える事が大切だと思うようになった。
Facebookにシェアしている情報の中には、占いの情報もあったと思うが、YouTubeの中には、占いやスピリチュアルと言ったものもある。
また、コメントからも様々な考え方を知る事が出来る。
先日行われた、大統領の就任式において、それまで発言していた事と違う結果が出た投稿者に、詰め寄る様子も見聞きした。
それを見た時に、この人たちは、自分で判断したのではなく、投稿者を信じていただけだったのだと思った。
これは、えせ教祖を妄信する信者と同じようにも思えた。
自らが判断して信じて行っているならば、そんな言葉は出ないはずである。
反対に、自分自身で考えている人は、その投稿者を責めるわけではなく、自分なりの意見を述べていることも知った。
また、投稿者によっては、コメントから学ぶ事があるようで、発言がどんどん変化して行く人もある。
自分自身もこうして書く事や、様々な投稿を読むことによって、変化していると思う。
そうした中に、私には、親神様、教祖の教えがある。だから、その場の状況で左右される人々とはちょっと違うと思う。
そして、先に書いているように、「八つのほこり」「うそと追従」こうした心をしっかりと見定める事、そして自分自身が誠真実の心で、毅然とした判断が出来るように成る事が大切だと思うのである。
こうした様々なことすべてが、親神様の手のひらで行われており、それぞれがどれだけ悟れるか。と思える。
今日、「八つのほこり」の詳しい説き分けを、『正文遺韻抄』から書換えてアップした。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。
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