北海道婦人部長 館 百合子
自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐりゆくなり(御書P724)
18年前、年も押し詰まったある日、夜空を見上げると雪が舞うように降り続いていました。
足元は、まるで鏡のようにピカピカ。
滑らないように必死にこらえるのが精いっぱい。
四歳の娘の手を握りしめながら、不安と悲しみに包まれ、私は、故郷・北海道に戻ってきました。
その年の八月に夫が亡くなったからです。
年老いた両親が、部屋を温かくして、四歳、七歳、十一歳の三人の子どもたちと私を迎えてくれました。
思い起こせば、私が大学に入るために上京して以来、二十数年がたっていました。
まるで、あの日の続きのように、”お帰り!”と言って…。
以来、私は食事の支度をしていても、車の運転をしていても、何をしていても、夫のことばかりを考えている自分に気づきました。
それは堂々巡りのように、私の心を暗く、冷たくするだけでした。
それから一年後、池田先生が、代表メンバーで追善の勤行会をしてくださるとの知らせを受け、上京。
学会本部で先生の朗々たる勤行の声の中にすっぽりと包まれていました。
その時、涙があふれて、どうしようもありませんでした。
帰宅して元気に活動を開始した私は、ハッと気が付いたのです。
”あれほど堂々巡りだった何かが煙のように消えていた"
”なぜ?”と問われても自分でも明確に答えられるわけではありません。
しかし、『法華経の知恵』を読み進むうち、寿量品の個所にさしかかった時です。思わず、「これだ!」と膝を打つ思いにかられたのです。
先生は、こう語られています。
「人生は長い。
晴天の日だけではない。
雨の日も、
烈風の日もある。
しかし何が起ころうと、
信心があれば、
最後は全部、功徳に変わる。
戸田先生は言われていた。
「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。
信心なくして疑えば、
すべて罰だよ」と。
『永遠の生命』を信じて、この一生を生きて生きて生き抜いていくのです…
それが法華経です。
寿量品です。」(第4巻P18)
まるで、囲炉裏の側にいて、私に語りかけているかのように思えました。
先生と勤行した後、今を生きる私の中にすべてのカギがあることを、知らず知らずのうちに心の中に刻んだのでした。
以来、前を向いて広布の真ん中を歩み続けてきた私の人生は、すべてが功徳に変わりました。
早々を生き抜いた両親もなくなりましたが、私が喜び勇んで広布の為に、同志のために戦い尽くす歓喜の生命の中に、今は亡き大事な人たちは一緒に生きていると確信します。
当時、四歳だった末娘も、今春、大学を卒業します。
年を重ねるにつけ、幸せの花を咲かせることができたこの人生…。
今度は、後継の子らの中に、広布の松明を燃やし続けるようにすることが親の使命だと思っています。
歴代会長と縁の深い三代城の北海道は、本年もまたすべてに大勝利してまいります。