私は、教育の専門家ではありません。
学習塾で、少々助手の経験があるだけの母親です。
ですから、これは一人の母親としての意見です。
自分も生徒だったころのことを振り返り、テストや勉強が好きだったかといえば、やはりいやだったし、嫌いでした。
反面、がんばっていい結果が出たときはうれしかったし、励みであったことも確かです。
中には、テストなどなくとも興味を持って自ら積極的に学ぶ人もいるでしょう。
でも、ほとんどの人は、テストがあるから勉強するのではないでしょうか。
そうやって勉強していくうちに、わかる喜びや学ぶ楽しさ、達成感などを知るのだと思うのです。
1960年代、どんな弊害があって学力テストが中止になったのかは知りません。
新聞の論調などを読むと、どうも競争やランク付けがいけないといっているように感じます。
ですが、教育において、競争やランク付けがいけないことなのでしょうか。
どんなことでも、最初は人との競争のようでいて、結局は自分との戦いではないでしょうか。
怠けたい、楽をしたい、好きなことだけしていたい、そういう自分の欲との戦いだと思うのです。
人と競争していく中で、切磋琢磨していく中で、自分に打ち勝つことを学んでいくのだと思うのです。
だから、小6と中3という節目の学年で、全員が同じテストを受けるというのはそれなりの意味があると思うし、そのテストを学校が上手に利用すればいいと思います。
数十億円というお金が無駄だ、などという意見は論外です。
教育にお金をかけなくて、何にお金をかけようというのでしょう。
アメリカにおいては、1997年2月クリントン大統領の「規則を強化し、ゼロトレランス方式の確立」をという呼びかけによって教育改革を行い、規律正しく、優秀な生徒や教師に対してはその能力を伸ばし、善行は素直に表彰する、ということが行われており、そのことがアメリカ教育界の活力と進歩の素となっている。
(「アメリカの事例から学ぶ学校再生の決め手」加藤十八著より)
学習塾での助手の経験から、いまの子どもたちは学ぶ喜び、新しいことを知る喜びを知らないのではないかと感じます。
勉強はただ面倒でいやなもの、というのでは、子どもたちが本当にかわいそうです。
せっかく再開してまだ3回目の学力テスト。
やめるかどうかではなく、どうそれを生かしていくかの議論をしていただきたいと思います。
学習塾で、少々助手の経験があるだけの母親です。
ですから、これは一人の母親としての意見です。
自分も生徒だったころのことを振り返り、テストや勉強が好きだったかといえば、やはりいやだったし、嫌いでした。
反面、がんばっていい結果が出たときはうれしかったし、励みであったことも確かです。
中には、テストなどなくとも興味を持って自ら積極的に学ぶ人もいるでしょう。
でも、ほとんどの人は、テストがあるから勉強するのではないでしょうか。
そうやって勉強していくうちに、わかる喜びや学ぶ楽しさ、達成感などを知るのだと思うのです。
1960年代、どんな弊害があって学力テストが中止になったのかは知りません。
新聞の論調などを読むと、どうも競争やランク付けがいけないといっているように感じます。
ですが、教育において、競争やランク付けがいけないことなのでしょうか。
どんなことでも、最初は人との競争のようでいて、結局は自分との戦いではないでしょうか。
怠けたい、楽をしたい、好きなことだけしていたい、そういう自分の欲との戦いだと思うのです。
人と競争していく中で、切磋琢磨していく中で、自分に打ち勝つことを学んでいくのだと思うのです。
だから、小6と中3という節目の学年で、全員が同じテストを受けるというのはそれなりの意味があると思うし、そのテストを学校が上手に利用すればいいと思います。
数十億円というお金が無駄だ、などという意見は論外です。
教育にお金をかけなくて、何にお金をかけようというのでしょう。
アメリカにおいては、1997年2月クリントン大統領の「規則を強化し、ゼロトレランス方式の確立」をという呼びかけによって教育改革を行い、規律正しく、優秀な生徒や教師に対してはその能力を伸ばし、善行は素直に表彰する、ということが行われており、そのことがアメリカ教育界の活力と進歩の素となっている。
(「アメリカの事例から学ぶ学校再生の決め手」加藤十八著より)
学習塾での助手の経験から、いまの子どもたちは学ぶ喜び、新しいことを知る喜びを知らないのではないかと感じます。
勉強はただ面倒でいやなもの、というのでは、子どもたちが本当にかわいそうです。
せっかく再開してまだ3回目の学力テスト。
やめるかどうかではなく、どうそれを生かしていくかの議論をしていただきたいと思います。