P86
民衆の力ほど強いものはない。
民衆の力は、大地の強さに似ている。
ひとたび怒りのマグマを噴き上げ、振動を開始すれば、
山をも動かすエネルギを持っている。
時代、社会を変え行く源泉は、常に民衆であることを忘れてはならない。
P95
ソ連国民も、アメリカ国民も、皆、平和を欲していた。
P98~99
数を頼りにした自民党の単独強行可決は、議会主義の破壊を象徴する出来事であったことは言うまでもない。
これに対し、議会内で有効な対応のできなかった社会党の責任も、大きいといわねばならない。
院外での大衆運動を否定するものではないが、議員としての責務は、どこまでも審議に徹して、その中で解決策を見出すことにあるはずだ。
実に議会主義の生命は、合意点を求めての粘り強い討議と対話にあることを忘れてはならない。
P100
…大聖人の御書に、安保について説かれているわけではないから、学会にも、色々な考えがあって良いのではないだろうか。
政治と宗教は次元が違う。
宗教の第一の使命は、一切の基盤となる人間の生命の開拓にある。
P114
伸一は、こうした一瞬一瞬の時を、決して疎かにはしなかった。
戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。
友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。
…仏法というのは、特別なものではありません。
真実の人間の道を、人としての正しいふるまいを説いたものなんです
P118
…信心をしていないのに、学会をよく理解し、協力してくれる。
これほどありがたいことはない。
私は、その尽力に、最大の敬意を表したいんです。
みんなは、ただ信心しているか、していないかで人を見て、安心したり不安がったりする。
しかし、それは間違いです。
その考え方は仏法ではありません。
信心はしていなくても、人格的にも立派な人はたくさんいる。
そうした人たちの生き方を見ると、そこには、仏法の在り方に相通じるものがある。
…だから、信心をしているからよい人であり、していないから悪い人だなどというとらえ方をすれば、
大変な誤りを犯してしまうことになる。
いや、人権問題でさえあると私は思っているんです
P121
…彼らには、日本人でなければ、信心や学界の精神はわからないのではないかとの思いが、心のどこかにあった。…
十界を互具した人間の心は普遍である。ゆえに、人種、民族を超えて、信心もまた普遍である。
P122
…また、組織といっても人で決まる。中心者が一人立てば、すべては、そこから開けていくものである。
P124~126
「皆さんは、使命あってこのサンフランシスコに来られた。
今は、それぞれ大きな悩みを抱え、日々苦闘されていることと思いますが、それはすべて、
仏法の偉大なる功力を証明するためにほかなりません。
…市民権を取り、良きアメリカ市民になっていただきたい、…
市民権を取るということは、国を担う義務と責任、そして、権利を得ることです。
それが社会に信頼の根を張る第一歩になっていきます。
第2には、自動車の運転免許を取るようにお願いしたい。…
第3に、英語をマスターしていただきたい。…
弘教は人との交流から始まり、交流は対話から始まります。
また、大聖人の仏法は、日本人のためだけのものではありません。
…”必ずできる””やるぞ”と決めて挑戦し、努力してみてください。
『新世界』感想
わずか30数時間のハワイ滞在を終え、一行はサンフランシスコへ。
伸一が世界への第一歩を印したこの年は1960年(昭和35年)
安保条約の改定を巡って、国内が激動した年。
それもあって、この章ではしばらく国内外の政治情勢の解説が続く。
学会員の中にも「学会としての統一見解を表明すべきでは」と主張する人も。
それに対し伸一は、「政治と宗教は次元が違う」「宗教の使命は…人間の生命の開拓にある」と
私も一時期政治に関心を持ち、いろいろ勉強した。
関心を持つことは、国民として良いことだと思っているが、何でもかんでも政治で解決できるわけではない。
政治で解決できることは政治で。
医者で治る病気は医者にかかる。
大衆運動で解決できることは、それをするもよし。
それらで解決できないことこそ、宗教の出番なのだ。
ここを、つい勘違いしやすい。
この章を読んでいて一番驚いたのは、世界広布へ伸一と同行した幹部でさえ、
「日本人以外には、学会精神、仏法は理解できないのではないか」と内心思っていたということ。
頭で理解していることと、心の底から納得するということは違うのだと改めて思った。
信心しているか、いないかで、人を判断してはいけない、ということ。
しっかりと肝に銘じたい。