優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

第1巻 『新世界』

2020-11-25 14:43:16 | 「新・人間革命』を読む
P86
民衆の力ほど強いものはない。
民衆の力は、大地の強さに似ている。
ひとたび怒りのマグマを噴き上げ、振動を開始すれば、
山をも動かすエネルギを持っている。

時代、社会を変え行く源泉は、常に民衆であることを忘れてはならない。

P95
ソ連国民も、アメリカ国民も、皆、平和を欲していた。

P98~99
数を頼りにした自民党の単独強行可決は、議会主義の破壊を象徴する出来事であったことは言うまでもない。
これに対し、議会内で有効な対応のできなかった社会党の責任も、大きいといわねばならない。
院外での大衆運動を否定するものではないが、議員としての責務は、どこまでも審議に徹して、その中で解決策を見出すことにあるはずだ。
実に議会主義の生命は、合意点を求めての粘り強い討議と対話にあることを忘れてはならない。

P100
…大聖人の御書に、安保について説かれているわけではないから、学会にも、色々な考えがあって良いのではないだろうか。
政治と宗教は次元が違う。
宗教の第一の使命は、一切の基盤となる人間の生命の開拓にある

P114
伸一は、こうした一瞬一瞬の時を、決して疎かにはしなかった。
戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。
友への励ましにも、逃してはならない「時」がある

…仏法というのは、特別なものではありません。
真実の人間の道を、人としての正しいふるまいを説いたものなんです

P118
信心をしていないのに、学会をよく理解し、協力してくれる。
これほどありがたいことはない。

私は、その尽力に、最大の敬意を表したいんです。

みんなは、ただ信心しているか、していないかで人を見て、安心したり不安がったりする。
しかし、それは間違いです。
その考え方は仏法ではありません。
信心はしていなくても、人格的にも立派な人はたくさんいる。
そうした人たちの生き方を見ると、そこには、仏法の在り方に相通じるものがある。

…だから、信心をしているからよい人であり、していないから悪い人だなどというとらえ方をすれば、
大変な誤りを犯してしまうことになる。
いや、人権問題でさえあると私は思っているんです

P121
…彼らには、日本人でなければ、信心や学界の精神はわからないのではないかとの思いが、心のどこかにあった。…

十界を互具した人間の心は普遍である。ゆえに、人種、民族を超えて、信心もまた普遍である

P122
…また、組織といっても人で決まる。中心者が一人立てば、すべては、そこから開けていくものである。

P124~126
皆さんは、使命あってこのサンフランシスコに来られた
今は、それぞれ大きな悩みを抱え、日々苦闘されていることと思いますが、それはすべて、
仏法の偉大なる功力を証明するためにほかなりません

…市民権を取り、良きアメリカ市民になっていただきたい、…
市民権を取るということは、国を担う義務と責任、そして、権利を得ることです。
それが社会に信頼の根を張る第一歩になっていきます。

第2には、自動車の運転免許を取るようにお願いしたい。…

第3に、英語をマスターしていただきたい。…
弘教は人との交流から始まり、交流は対話から始まります。
また、大聖人の仏法は、日本人のためだけのものではありません。

…”必ずできる””やるぞ”と決めて挑戦し、努力してみてください。


『新世界』感想
わずか30数時間のハワイ滞在を終え、一行はサンフランシスコへ。
伸一が世界への第一歩を印したこの年は1960年(昭和35年)
安保条約の改定を巡って、国内が激動した年。
それもあって、この章ではしばらく国内外の政治情勢の解説が続く。

学会員の中にも「学会としての統一見解を表明すべきでは」と主張する人も。
それに対し伸一は、「政治と宗教は次元が違う」「宗教の使命は…人間の生命の開拓にある」と

私も一時期政治に関心を持ち、いろいろ勉強した。
関心を持つことは、国民として良いことだと思っているが、何でもかんでも政治で解決できるわけではない。

政治で解決できることは政治で。
医者で治る病気は医者にかかる。
大衆運動で解決できることは、それをするもよし。

それらで解決できないことこそ、宗教の出番なのだ。
ここを、つい勘違いしやすい。

この章を読んでいて一番驚いたのは、世界広布へ伸一と同行した幹部でさえ、
「日本人以外には、学会精神、仏法は理解できないのではないか」と内心思っていたということ。
頭で理解していることと、心の底から納得するということは違うのだと改めて思った。

信心しているか、いないかで、人を判断してはいけない、ということ。
しっかりと肝に銘じたい。




平成13年3月8日 「法華経の知恵」に学ぶ。『如来寿量品』

2020-11-22 16:10:34 | 「法華経の知恵」に学ぶ
北海道婦人部長 館 百合子

自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐりゆくなり(御書P724)

18年前、年も押し詰まったある日、夜空を見上げると雪が舞うように降り続いていました。
足元は、まるで鏡のようにピカピカ。
滑らないように必死にこらえるのが精いっぱい。
四歳の娘の手を握りしめながら、不安と悲しみに包まれ、私は、故郷・北海道に戻ってきました。
その年の八月に夫が亡くなったからです。

年老いた両親が、部屋を温かくして、四歳、七歳、十一歳の三人の子どもたちと私を迎えてくれました。

思い起こせば、私が大学に入るために上京して以来、二十数年がたっていました。
まるで、あの日の続きのように、”お帰り!”と言って…。

以来、私は食事の支度をしていても、車の運転をしていても、何をしていても、夫のことばかりを考えている自分に気づきました。
それは堂々巡りのように、私の心を暗く、冷たくするだけでした。

それから一年後、池田先生が、代表メンバーで追善の勤行会をしてくださるとの知らせを受け、上京。
学会本部で先生の朗々たる勤行の声の中にすっぽりと包まれていました。
その時、涙があふれて、どうしようもありませんでした。

帰宅して元気に活動を開始した私は、ハッと気が付いたのです。
”あれほど堂々巡りだった何かが煙のように消えていた"
”なぜ?”と問われても自分でも明確に答えられるわけではありません。

しかし、『法華経の知恵』を読み進むうち、寿量品の個所にさしかかった時です。思わず、「これだ!」と膝を打つ思いにかられたのです。

先生は、こう語られています。
「人生は長い。
晴天の日だけではない。
雨の日も、
烈風の日もある。

しかし何が起ころうと、
信心があれば、
最後は全部、功徳に変わる。

戸田先生は言われていた。
「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。
信心なくして疑えば、
すべて罰だよ」と。

『永遠の生命』を信じて、この一生を生きて生きて生き抜いていくのです…
それが法華経です。
寿量品です。」
(第4巻P18)

まるで、囲炉裏の側にいて、私に語りかけているかのように思えました。
先生と勤行した後、今を生きる私の中にすべてのカギがあることを、知らず知らずのうちに心の中に刻んだのでした。

以来、前を向いて広布の真ん中を歩み続けてきた私の人生は、すべてが功徳に変わりました。
早々を生き抜いた両親もなくなりましたが、私が喜び勇んで広布の為に、同志のために戦い尽くす歓喜の生命の中に、今は亡き大事な人たちは一緒に生きていると確信します。

当時、四歳だった末娘も、今春、大学を卒業します。
年を重ねるにつけ、幸せの花を咲かせることができたこの人生…。
今度は、後継の子らの中に、広布の松明を燃やし続けるようにすることが親の使命だと思っています。

歴代会長と縁の深い三代城の北海道は、本年もまたすべてに大勝利してまいります。


第1巻 「はじめに」~「旭日」

2020-11-19 16:55:05 | 「新・人間革命』を読む
数日前、「新・人間革命」の読了を決意。

これまで通り、毎月一巻づつ読もうと読み始めたのだが、待てよ…。
「新・人間革命」は30巻。といっても、30巻目は上下に分かれているから、実質31巻。

毎月1巻づつ読んでいて、途中でちょっと時間が取れないことがあったりすると、…
3年かかる!

ダメでしょ!ということに気づいた。(遅いよ、私)
創立100周年までの大事な10年間、その弟子の道を知るための読了。
3年もかけてたら、残り7年になっちゃう。

ということで、毎月3巻読了を目途に挑戦します。

一度読んだだけではスルスル抜けていく脳みそなので、「ここ」というところには線を引いて
ブログにアップしていければと思います。

 🍀🍀🍀
「はじめに」
・1993年8月6日、広島原爆投下の日に軽井沢研修道場で「新・人間革命」を書き始めたことが記されています。

P2
恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の「弟子の道」を書き残さなければならないとの思いからであった。
・できるなら、続編の執筆は誰かにお願いしたいというのが、私の偽らざる心境であった。
だが、私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。
私でなければわからない真実の学界の歴史がある。

P3
・その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるに違いない。
しかし、自身のこの世の使命を果たしぬいてこそ、まことの人生である

「旭日」
P14
・伸一は…戸田が逝去の直前、総本山で病床に付しながら、メキシコに行った夢を見たと語っていたことが忘れられなかった。
…「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。…君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ」
・彼が初の海外訪問の日を十月二日と決めたのも、二日が戸田の命日にあたるからであった。

P16
・…日本の仏教そのものが、広く世界に流布されることはなかったといってよい。…「禅ブーム」を起こしたに過ぎなかった。

P17
・…それは、仏教史を画する新たな時代の幕開けにほかならなかった。…奇しくもこの年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を認められ、恒久平和への光の矢を放たれてから、ちょうど七百年にあたっていた。不思議なる時の一致といってよい。

P18
・「…マッカーサーは諸天善神だ。梵天・帝釈だよ。アメリカにはその恩返しに行きたいな」
・私は先生の分身として、アメリカの大地に立つのだ。新しき歴史を、この手で、断固、開くのだ

P20
・…有能な通訳の育成が不可欠であることを痛感した。

P28
・(彼=正木)…念願のロサンゼルスについて5日目に、父の死を知らせる便りを手にした。…四日目の朝に伸一から励ましの便りが届いた。
「正木君、悲しいだろう。辛いだろう。しかし、使命に生きる君らしく、いかなる悲しみや苦難をも乗り越えて、雄々しき指導者に成長されんことを祈ります」
・…更にその一年後…第二代会長戸田城聖の逝去の報に接したのである。…
「真の使命を忘れてはならぬ。世界の指導者に育つことを忘れてはならぬ」との、伸一の烈烈たる呼びかけに、彼は、今こそ弟子が立ち上がり…

P44.45
・「風俗や習慣の違いというのは、確かに大きな問題ですね。…勤行の時の正座も、外国人にはかなり苦しいのではないかと思うんです。…でも、これは変えるわけにはいかんのでしょうね」
「いや、当然、椅子に座って勤行をすることも検討しなければならないだろう。…仏法には随方毘尼という考え方がある。…
大聖人の仏法は、…全世界の人類のための宗教なんだからね」

P48.49
・…このハワイ後に、世界広布の第一歩を記した意味を想った。
戦争の辛酸をなめた人ほど、平和を渇望している。いな、最も不幸に泣いた人こそ、最も幸せになる権利があるはずだ。
そうであるならば、太平洋戦争の開戦の島であり、人種の坩堝ともいうべきハワイこそ、世界に先駆けて、人類の平和の縮図の地としなければならない。また、そうできるのが仏法である

P57~
・「毎日、苦しい思いをしてきたんですね。辛かったでしょう。…でも、あなたには御本尊があるではありませんか。信心というのは生き抜く力なんですよ」
「ご主人と別れて、日本に帰(っても)…、自分の宿命を転換できないければ、苦しみは付いて回ります。…家庭不和に悩まなければならない自らの宿命を転換することです。…幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。…」
・「…一日も早く英語をマスターして、誰とでも意思の疎通を図れるように努力してください。これも大事な戦いです。…大きな心で、みんなの幸せを祈れる自分になることです。」

P75~
・「…社会的な信頼を得るために、まず大切なのは、仕事で成功することです。…広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈るときに、おのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます」
・…組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。

「旭日」の章の感想
・今や192か国地域に広がったSGI。
けれども、その第一歩がいかに大変だったか。
この1巻を読んで、知った。
初めて『新・人間革命』を読んだ時は、愕然とした。

出来上がったものしか見ていないと、ついそれが当たり前になってしまう。
生まれた時から携帯電話があった子どもたちにとって、確かにメールやlineがない、リアルタイムに連絡が取り合えない世界など想像もつかないだろう。

60年前(1960年昭和35年)ジェット機が就航したとはいえ、ハワイまで7時間。
到着した深夜のホノルル空港に出迎えるはずの人々がいない。

タイプミスで到着時刻が誤って伝えられていたのだ。

会長一行を出迎える人々も、時間をかけないお金をかき集めて各島々から集まってきていた。
指導を求めて、幸せを求めて。

山本伸一は一粒一粒丁寧に種を植えていく。
幸せになるための「希望」、「信心」という種を。

ハワイ滞在は、わずか30数時間。