優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

一念三千 〈英知の光源 希望の哲理に学ぶ〉 より

2022-12-06 12:49:00 | 池田先生ご指導
🌸 池田先生の指導から

✨ 目の前の具体的な人間――
その「一人」を幸福にできるかどうか。
宿命を転換し、
苦悩の闇を晴らすことができるかどうかです。
一人を救えないなら、
その宗教は虚妄になってしまう。
一人に関わることに、
宗教の存在意義の全てがあるのです。(中略)

✨ 人間革命は、
一人の心から展開されます。
しかも、それは、
個人の内面に閉じ込められるものでは決してない。
「一念三千の成仏」であるゆえに、
一念の生命に起こった変革の波動は
百界千如、三千世間と広がり、
人間と人間、
人間と環境世界との関係にまで及んでいく。

✨ 自分が変われば、周囲が変わる。
環境が変わり、
世界が変わる――
このダイナミックな大転換の起点こそ、
「一人の人間革命」なのです。
 
✨ それは個人の革命であると同時に、
世界に開かれた革命です。
自身の人生を力強く勝利すると同時に、

笑顔は人間が咲かせることのできる花

2022-11-29 08:37:19 | 池田先生ご指導
池田大作
『女性に贈る 100文字の幸福抄』
主婦と生活社  より

「笑う」という言葉は、古くは
「咲う」とも書いたという。
笑顔は、
人間が咲かせることのできる花である。

お金があってもなくても、
家族にも、
友人にも、
惜しみなく贈ることのできる
幸せの花が笑顔である。


池田先生指導 2003年11月25日

2022-11-27 14:29:50 | 池田先生ご指導
2003年11月25日
池田大作全集95巻

「破門通告」より十二年。
仏法勝負の証は、
あまりにも厳然としている。
皆さまが、ご存じのとおりだ。
 
大聖人は、
良観等にたぶらかされた
有力者の一門が滅んでしまったことを述べられ、
「両火房(良観房)を信じている人が、
栄えているとお思いになりますか」
(御書1093㌻、通解)と厳しく仰せである。
 
日顕一派の峻厳な仏罰の姿は、
まさしく、
大聖人から「破門」され、
断罪された末路と見てよいだろう。
 
今や、日顕宗の
「広布破壊の陰謀」も、
「法主信仰の邪義」も、
「誤った血脈観」も、
「化義の悪用」も、
「僧俗差別」も、
「腐敗堕落」も、
すべてが暴かれ、
破折された。
 
一方、学会は、
「日本の柱」として、そしてまた
「世界の光明」として、
百八十六カ国・地域の
広がりをもって、
未曾有の上げ潮の勝利のなか、
創立七十三周年を飾ることができた。
 
御本仏日蓮大聖人が、
私たちを最高に賞讃され、
笑みをたたえられながら、
諸天善神に、
命じておられるにちがいない。
 
この学会の勝利の姿を、
牧口先生も、
どれほど喜んでくださっていることか。
 
先生は言われた。
「上流に立って害毒を流す
僧侶神官等の教導職の罪悪は
更にさらに重大であらねばなるまい。
たとえ小悪でも最大罪となり、
極悪の果報を結ぶことを思わねばならぬ。
況や大善に反対し大悪に加担するをや。
大悪に迎合し大善を怨嫉するに於いてや」
(『牧口常三郎全集』10)
 
このとおりである、
と私も思ってきた。
現実に、
大善であるわが学会に対して怨嫉したのが、
日顕一派の大悪である。
その陰謀に対して、
正義のわれらは、
断固として打ち勝ったのである。
 
さらに、牧口先生は言われた。
法華経は、
憎まれれば憎まれるほど、
幸福になる。
戦いには、
必ず勝つ。
変毒為薬の法門を、
身をもって読んでいくのだ」
「戦えば戦うほど、
こちらが強くなればなるほど、
仏法勝負の実証は早く出てくる」
 
この創立の父の教えのままに、
学会は戦ってきた。
だから勝っている。
 
「反逆者の末路は、
苦悩と醜態の歴史を、
醜く残すだけだ」とも、
牧口先生は、
厳しく見通しておられた。
そのとおりである。
反逆者の末路の実態は、
皆さまがご存じのとおりだ。
 
戸田先生も叫ばれた。
「学会への反逆は、
大聖人への師敵対だ。
その仏罰の最後の姿を見ればわかる」
 
また、「佐渡御書」を拝して
戸田先生は言われた。
「学会への反逆は、
悪い王様に味方して、
正法を立てる者をいじめる時に、
師子王のような心をもって、
敢然とそれと戦う者が、
仏になるのだというのです」
「学会精神というものは、
日本の国、
世界の国を救わんがために
やっているのです」
「全民族が
幸せに暮らせるようにするための
広宣流布です」
「われわれの精神は
師子王のごとく
誇りをもっていてもいいのです。
そうしたら仏になれるそうです。
『例せば日蓮が如し』です」
(『戸田城聖』6)
 
大聖人は厳しく仰せである。
「法華経の敵を見ながら
置いてせめずんば
師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」
「如かず彼の万祈を修せんよりは
此の一凶を禁ぜんには」
「此れより後も・
いかなる事ありとも・
すこしもたゆ弛む事なかれ、
いよいよ・
はりあげてせむべし」
 
いずれも、牧口、戸田両先生が、
よく拝されていた御書である。
 
この御聖訓のとおり、
断固として、
追撃の手を緩めずに戦いぬいてまいりたい。

どんなに強く言っても 言いすぎることはない

2022-11-12 08:29:00 | 池田先生ご指導
1992年4月17日
池田大作全集80巻

どんなに強く言っても
言いすぎることはない


卑怯にも権力の弾圧を恐れ、
率先して数々の謗法を犯したばかりか、
学会の殉難すら迷惑顔で
保身に狂奔(きょうほん)したのが、
宗門である。
(学会幹部が検挙されはじめるや、
宗門は、牧口会長、戸田理事長らを
登山禁止の処分に処した。
″学会とは無関係″というために、
投獄された者を信徒として除名せよとの意見まで出たと言われる。
さらに、牧口会長の投獄後、
宗門の僧侶が会長の家族を訪れ、
特高警察に従って謝罪し
″退転″するよう会長に勧めるべきだと迫った事実も明らかになっている)
 
その宗門を、私どもは、
ただ「広宣流布」を願って、
赤誠せきせいの限りを尽くし、
守りに守ってきた。
正法の尊貴さを民衆に教えるために。
そして大聖人、
日興上人への御報恩のために。
 
しかし、私どもの真心は
無残に裏切られた。
あまりにも手厚い外護(げご)をよいことに、
宗門は戦前・戦中以上に
謗法と欲望まみれに堕落し、
大聖人の仏法を、
真っ向から否定する邪教と化してしまった。
邪教とは、
断じて戦わざるをえない。
 
大聖人は、
正法破壊の僧侶について
「彼等が頸をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば
日本国必ずほろぶべし」
─彼らの首を由比ケ浜で切らなければ、日本国は必ず滅びるであろう
─とまで仰せになっている。
(「頸を詰」との言の真意について、
「立正安国論」では
「其の施を止む」
すなわち悪への供養を止め、
悪僧として生きていけなくすることにあるとされている)
 
大慈大悲の大聖人が、
それほどの厳しい表現をされるくらい、
悪僧の害毒は深く、
恐ろしいのである。
その怖さは、
どんなに強く言っても言いすぎることはない
─このことを、
そして悪の根を断つ″精神″を教えられていると拝される。
 
絶対に甘く、
簡単に考えてはならない。
「仏法は勝負」であり、
勝負に中途半端はない。