紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

★12 時刻表

2024-05-11 16:30:21 | 風に乗って(風に乗って)17作



 テレビの天気予報を見ていた夫が「今夜半から雪が降るって」と言った。
「子供達は成人したし、住宅ローンは終わった。喧嘩もしたがまずまずの生活だったな」
 呟きながら夫の視線が、カレンダーからその下のJRの時刻表に移った。

 翌朝、私が目覚めたのはいつもの六時半。 
 既に、夫はベッドに居ない。
 階下の居間のファンヒーターにスイッチが入れてあった。部屋は温まっている。
 私は部分入れ歯の夫のために、鍋に湯を沸かす。温野菜のサラダとゆで卵を作る。バターロールとミルクティーを用意した。
 新聞はいつも夫が取りに出る。だが、一向に戻ってくる気配がない。

 廊下の雨戸を開け、玄関のドアを開ける。
 雪が5センチほど積もっていた。
 玄関から通りに向かって、雪に靴跡が続いている。確かに夫の靴跡だ。靴跡は通りを横切りJRの駅に向かっていた。

 八時五十分。夫の会社に電話を掛けた。
「今日は、休暇願は出ていません。もうじきいらっしゃるでしょう。出社しましたら、ご自宅へお電話させます」
 総務部の男性が言った。

 何の言葉もなく出掛ける事の無かった夫。「そのうち帰って来るよ」と息子が言ったが、夕方になっても連絡はない。私はもう一度会社に電話をすることにした。プッシュボタンを押しながら、何気なくカレンダーに視線がいき、その下の時刻表に移った。
 指で辿りながら見ていくと、上野発下りの二番列車の部分に(雪)の字がついている。
 臨時急行列車。行き先の欄が空白だ。
 私は、夫がこの列車に乗ったことを確信した。




★著書「風に乗って」から、シリーズ「風に乗って」17作をお送りしています。楽しんで頂けたら幸いです。
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★11 ワッカノナゾトキ山

2024-05-05 07:18:11 | 風に乗って(風に乗って)17作


 
先頭はサダジロウ先生だ。その後ろに十人ばかり繋がっている。みんな前の人の上着を掴まえている。あたしの後ろのタッちゃんは、あたしの三つ編みの髪を握って「なぁヨリコしっかり行けよ。おまえドジだからな」と言った。先生は時々後ろを振り返る。タッちゃんの手までは見えないみたいだ。

「この列車は、今日はワッカノナゾトキ山まで行きます。すこーしスピードを出しますから、みんなしっかり掴まるように」
 先生は腰を低くして走り出した。みんなも走る。あたしも走った。
 校門から田んぼ道を突っ走る。マイマイ川の木の橋を渡ってササクレ坂を登る。
 先生は、定年間近だけど若っぽい。少し長めの巻き毛をなびかせて、息も切らずに登って行く。みんながしがみつく。タッちゃんは、あたしより歩幅が大きいものだから、その頃にはあたしと並んでいた。
「ヨリコ置いて行くぞ」タッちゃんはあたしを追い越し、前のナツミの袖に掴まった。
 あたしは仕方なくタッちゃんの上着に手を伸ばした。

 タッちゃんの上着が脱げた。あたしは握ったまま転んだ。起き上がった時には、みんなはずうっと先を走っている。みんなの足が宙を飛んでいるように見える。
 ワッカノナゾトキ山の頂上の、木の無い所に秘密があるらしいけど、今のところ先生しか分からない。今日、探ろうと思っていた。
 あたしはみんなの後を追いかけた。タッちゃんに、上着を届けるしかない。

 ワッカノナゾトキ山の向こうに、同じ山が見えた。その山の向こうにまたワッカノナゾトキ山があって、その山を先生を先頭にみんなが登って行ったらしい。




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★10 蜘蛛

2024-04-27 08:11:29 | 風に乗って(風に乗って)17作

 梅林入口の駐車場に車を停めた。
 秋の梅林って、どんなものだろうと思いながら入っていく。山の南斜面の梅林には人影もなく、梅の葉が僅かに残っている。

 梅の枝に張った蜘蛛の巣に、揚羽蝶が一匹引っ掛かっていた。蜘蛛の糸に絡んだ足を動かし、羽を震わせている。 
 私はベタつく糸を端からちぎった。やがて蝶は、二、三回羽ばたくと舞い上がり、梅の葉を掠めて飛び去った。
 
 気が付くと私が蜘蛛の糸に巻かれていた。光る網の向こうに、四、五センチもありそうな蜘蛛が居る。細い糸が徐々に私の体を絞めつけてくる。
 梅林の坂道を男が上って来た。「助けて」と言う私の声に男は立ち止まった。が、私は後の言葉を続けなかった。これから何をする予定も、何処へ行く気も無かったからだ。
 男は目の前を通り過ぎて行った。
 
 私は全身の力を抜いて、蜘蛛の巣に体を預けた。つま先は地面に着いている。膝を曲げた。体が宙に浮いて揺れた。私は体を揺れるに任せた。

 眼下に広がる田園は、冬支度をしている。陽を浴びて、籾殻焼きの煙が一直線に空に向かっている。三つ二つ浮かぶ雲に誘われるように、何処までも高く上っていく。
 音もなく飛行機雲が空を横切り、西の方へ消えていった。 
 視線を移すと、筑波学園のビル群が緑の中に立ち並んでいて、白く日差しを反射させている。

 茶褐色の蜘蛛は、梅の枝に張った糸を端から食べ始めた。 
 私の体の周りの糸も、いまはあらかた食べつくされた。




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★9 都会の空間

2024-04-21 15:55:24 | 風に乗って(風に乗って)17作


都庁第二庁舎前の三十階建てのビル。以前来たことのある新宿モノリスビルの隣だ。
 迷うことなく来ることが出来た。入っていくと、フロアーが薄暗い中に広がっている。真上に吹き抜けている空間の壁に、大時計が長い針を動かしていた。
 私は三階にある東洋医学研究所を探した。
 三年前の夏エアコンで冷やした体。それからずうっと左半身が痛く、悩まされていた。新聞の記事で知った鍼灸を、試してみようと思ったのだ。電話予約をしていたので、十一時前には受付を済ませるつもりだ。

 吹き抜けを取り巻くように通路が続いていた。所々にあるドアにはそれぞれの事業所の名称がある。確かめながら歩いていると東洋医学研究所の文字があって、矢印が見えた。

「あらあったわ。ここだわ」と言いながら八十歳位のおばぁさんが私の前を遮った。矢印に沿って歩いていく。おばぁさんは少し足を引き摺っている。きっと神経痛か何かなのだろう。

 前を歩くおばぁさんは早足だ。私は当然のように続いた。何度か矢印の赤色が目の端を通り過ぎた。
 長時間歩いたような気がする。時計を見ようとしたが、私の腕には時計がない。
 おばぁさんはトイレに入った。
 私はトイレの入り口で待つことにした。

 いつまでもおばぁさんは出て来ない。いい加減待ってから私は、なぜあのおばぁさんを待っているのだろうと思った。おかしな先入観で後に従って歩いていたのかもしれない。

 東洋医学研究所の受付に立った時、すでに待合室の壁の時計が午後三時を過ぎていた。
 私は、おばぁさんの狸のような目を思いだした。
 疲れと、空腹が押し寄せて来た。





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★8 真昼の宇田踏切

2024-04-13 06:59:44 | 風に乗って(風に乗って)17作

 
宇田踏切の警報機が鳴り出したので、ブレーキを踏んだ。上りの矢印が、赤く点滅している。開かずの踏切の異名を持つ程に、一旦鳴り出すと、なかなか通れない。
 向こう側で、咥え煙草の五十がらみの男が、貧乏ゆすりを始めた。

 私は、下り方向を見た。まだ列車の姿はない。いつもなら、すかさず下り矢印も点滅するはずなのだが。
 男に目を移した時、その姿は踏切内に入り線路を歩き出していた。枕木を確かめるように見ながら急いでいる。
 百メートル先の、広地川の鉄橋に向かっていく。列車が線路を震わせてきた。
「あぶないっ」
 私の叫び声など聞こえるはずもなく、鉄橋を渡り出した男が、上り列車に巻き込まれたようだ。列車は私の目の前を、速度を落とさずに走り去った。

「どうしよう、警察に、で、でんわ・・・」
 私は、震える手でドアを開けようとした時、鉄橋の上で人影が動いた。枕木に掴まって鉄橋にぶら下がってでもいたのか、這い上がるように、体を起こした。腹や膝の汚れを手で払った男は、また歩き出した。
 ブレーキを踏みこんでいる足を外した時、再び、警報機が鳴り出した。
 私の乗った車を揺り動かして、上下の列車が通過していく。

「中高年の失業者が増え、再就職の難しい時代となった」と、カーラジオから聞こえてきた。
 やっと、警報機が鳴り止んだ。
 さっきの男が、真新しい煙草を咥えて踏切を渡り、私の車の横を通り過ぎて行った。
 私は、バックミラーの男の背を見送った。




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