紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

天使の羽音-5

2018-05-18 06:58:12 | 江南文学(天使の羽音)
「江南文学」掲載「天使の羽音}33作中ー5


そこまでの話

 パパはもう出勤した。
朝の食卓には、じいちゃんと私、ママとミユと、タカとマーが着いていた。
 二、三日食欲の落ちているマー。体調はそれほど悪そうには見えない。最近、食事中に「おなかがいたい」
と、マーが言うことが多いので、私は、気になっていた。
「マーちゃん、ウンチは出ているのかな」
 と、聞いた。マーが即座に答えた。
「うん。したよ、ウンコ」
「ウンチ出たんだ?」
「ちがうよ。ウンコだよ」
「ああそうか、ウンコか、良かったね」
 私は、ちょっと固目の便を想像した。
 図書館から借りてきた数冊の本の中に、
「うんち」という本があった。
 ウンチはどうして出るのかとか、像やライオンもウンチをするのか、などと、興味を持っているマーのために、ママが借りた。
「ウンピョ、ウンニョ、ウンチ、ウンコ、ウンゴ」
 と、便の軟らかさに従って、五段階の言い方が図入りでかいてあった。マーの便は、うーんと固いものより少し軟らかいということらしい。
「そうか、よかった、よかった。ウンコか」
 当たり前のような便通が、健康のバロメーターでもある。
「あのねぇ、ばぁちゃん」
 タカが便に関することを何か言おうとしたらしいが、間髪を入れずママが言った。
「はい。ウンチの話はそこまで。食事中なんだから」
 孫たちが、自分の前にある食べ物に目を移した。じいちゃんと私は、目を見合わせて笑いを堪えた。



   過ぎた話

 タカが思い出したように言った。
「マーちゃんは、おおきくなったら、パパになるんだよ。ぼくもパパになって、ミユちゃんはママになるんだ。おんなのこだからね。ばぁちゃんもママだったんだから」
「ちがうよ。ばぁちゃんは、ばぁちゃん」
 マーが隣席のタカに顔を近づけて言う。
「だって、そういっていたよ」
 と、タカは、私の顔を見た。
 数日前、
「ばぁちゃんはパパのママで、じいちゃんはパパのパパなんだ」
 という、私との会話を思い出したようだ。
「だからね、マーちゃんもパパになるんだよ」
「ふーん。じいちゃんはパパになるの? ばぁちゃんは、ママになる?」
「じいちゃんと、ばぁちゃんは、もう、すぎたんだよ。すぎたの」と、タカ。
ママが小声で「失礼だわ」と言った後笑い出した。
「過ぎたか。なるほど。アハハハハ」
 と、じいちゃん。
 私と、ママの笑いが止まらない。

「タカちゃんは、大きくなったらなんになるの? どんなお仕事するのかな。マーちゃんは、新幹線の運転手さんになってヒカリ号を運転するんだって」とママ。
「ボクねぇ、ブレード」
「仮面ライダー・ブレード? 怪獣と戦うんだ? 怪獣がいなくなったらどうするの?」
「おうちにいる」
「おうちでなにするのかな」
「ママや、ばぁちゃんをまもるんだ」
 ママの顔が嬉しそうに綻んだ。
「うわぁ、嬉しいなぁ、タカちゃん」
 私はますます孫が愛おしくなった。



   

 私は、生後八ヶ月のミユの風呂係だ。ずっと週五日風呂に入れている。
「今夜は風呂に入れなくてもいいです」
 とママが言った。突発性発疹にかかったらしく、熱っぽいと言う。
 タカとマーの寝る用意が出来るまで、私のベッドにミユを寝かせていた。 
 私の低い枕に頭を載せて眠るミユは、どちらかと言えばパパ似だ。上唇より下唇に厚みがあるところが一番似ていると思う。
――上唇の厚い人は他人に愛情を注ぐ人。下唇が厚い人は愛情を受けられる人。
 と、なにかの書物で読んだことがある。
 本当にそうか否かは解らないが、私は信じていた。
 自分の唇を見ると、上唇の方に厚みがある。
 過ごしてきた人生を振り返ってみると、やはり当たっていると思える。だから、化粧をするときは、下唇に厚みをもたせて口紅を引くことにしている。

 ミユの唇は成長するに従って違ってくるかもしれないが、幸福を暗示しているようで嬉しい。うんと愛情豊かな娘に育ってくれるように、周りの大人は愛さなければならない。
「ミユちゃんが嫁に行くまで、俺たち生きていられるかね」
 じいちゃんが寝顔を見つつ呟いた。
「あら、欲張りね」
「嫁に行くのは、早くても二十歳ぐらいだろうからな」
「その後は、曾孫を見るまで死ねない。なんて言うんじゃないの?」
 と、じいちゃんを冷やかしながら、私は、自分の母親の亡くなった歳にはまだ間があると思った。
 眠りを妨げられたのか、ミユの唇が動いた。



   写真

「マーちゃん、ばぁちゃんが何処にいるか分かる?」
 五歳になったマーが、即座に集合写真の前列中央を指さした。同期会二日目の七が宿ダムで撮った女性ばかり三十七名の写真だ。
「あーら、よく分かったね」
「ばぁちゃんはわかるよ。ボクのばぁちゃんだもん」
 白石市小原湯元温泉の旅館で、中学卒業五十周年記念同期会が開催された。宴会前の記念撮影は男女六十六名が並んだ。
 会場内の半分以上の人が分からない。記憶を辿るが名前と顔が一致しない。名簿片手に一人ずつ確かめながら歓談した。
 宴会は出し物続きで盛り上がった。唄に踊りに、皆の幸せ度が大きいのを実感する。
 二次会は、二手に別れての民謡合戦。次々と続くカラオケ。二十三時のお開きに、三次会の場所案内を幹事がしていた。体力的に持ち堪えられなくて寝てしまったが、三次会は翌日の午前二時まで続いたという。

「ね、ばぁちゃん、なんで、おばぁちゃんばっかりあつまっているの?」
 写真を幼い指がさす。改めて見た。くに子ちゃんもきん子ちゃんも、フミちゃんもキクエちゃんも、妙ちゃんも、あっちゃんも、共に六十五歳になる。
 髪は染めた。目一杯おしゃれしたつもり。シャッターチャンスには背筋を伸ばした。一番可愛い笑顔を作ったはず。
「ね、ばぁちゃん。どうして?」
 マーには理解不可能な写真なのだろう。
 どの笑顔も懐かしい。もう、次回の同期会を既に待っている心境。
「どうしてよ、ばぁちゃん」
「みんな、ばぁちゃんと同じ年だからよ」



   パズル

「ばあちゃん、ミユ、らぶべりーみる」
 二歳七ヶ月になるミユが来た。
「わぁ、ミユちゃん。今日はピンクの髪飾りを付けてんのね」
「うん。きらりんとおなじ」
「きらりん?」
「ミユちゃんは、きらりんすき」
「なに? きらりんって」
「ああ、テレビのアニメキャラよ」
 七歳になる、タカが説明する。
「ばあちゃん、らぶべりーみるよ」
 ミユは私のパソコンの前に立つ。膝にミユを抱き、パソコンの温まるのを待つ。

 ラブベリーと検索。『オシャレ魔女・ラブ&ベリー』を開ける。ラブという女の子と、ベリーという女の子のアニメキャラクターが笑顔を向ける。
「ミユちゃん、何処を見たいの」
「う~ん」
 ミユは画面を見渡す。小さな指がゲームコーナーをさす。クリック。二種類のパズルと二種類の塗り絵がある。パズルをクリック。
 画面左の完成図で、ラブ&ベリーが微笑んでいる。スタート。バラバラのパズルのピースをクリックして掴み、正しい場所に納めるのだ。秒単位で時間が刻まれていく。

 私は、いつの間にか真剣に取り組んでいた。ミユも画面を見つめる。ラブの頭がどこかへ隠れている。ベリーのミニスカートに見とれている暇がない。あれはここで、これがおててだわね。あっ、ラブちゃんの頭みっけた。
 右上の時間が三百を突破した。完成まで後僅か。ミユが溜息を吐いた。私は、膝にミユの重みを感じながら、四百秒突破を阻止したいと力む。



   ポニーテール

「エイッ、きった」
 三歳になったミユは、玩具の包丁を持っている。
 朝食を既に食べ終わったタカやマーは、二階に行って、登校と登園の支度に取りかかっている時間だ。ママはキッチンと二階を行ったり来たりしている。
 じいちゃんとパパと私はまだ食事中。
 ミユが食卓の下に潜ったりして、持っている玩具の包丁で、パパの両足、両腕、脇腹、と切っていく。その度に、パパはうめき声や、「やられた」などと悲鳴を上げている。
 最後には椅子によじ登って、パパの首に包丁を当て、刃を横に引いた。
「エイッ。ばらばらになっちゃった。ばらばらだ。ばらばら」
 パパは、ミユが椅子から落ちないように後ろ手を広げている。
「パパは食べているんだからねぇ。ミユちゃんそっちで遊んでいて」
 と、ママ。ミユは、パパの椅子から降りると階段方面に走っていった。
「バラバラ事件だ」と、じいちゃん。
「恐ろしいわね」と、私。
 タカもマーもテレビアニメを観ている。戦うものや冒険が主。ミユも充分目にする。

「ばあちゃん、かわいい?」
 ミユは、赤いゴムのポニーテールだ。鏡に映して見ている。
「可愛いよ。ハートのピンも付けているね」
 玩具の食器の蓋を開けた。
「なあに? あ、ホットケーキ、美味しそう」
 ミユは玩具の食パン、デコレーションケーキなどを持って、リビングと私の部屋を何度も往復している。さっき、パパの首を切った残酷さは、何処かへ消えていた。