理想国家日本の条件 さんより転載です。
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天然の災害に対処できる国つくりを 2018年07月10日
ねずさんのひとりごとさんより
防災工事と言ったって、江戸の昔は、すべて人力です。
人口だって3千万人ほどしかいない。
ところがいまの日本はどうでしょう。
建設重機は整い、人力では到底不可能な大型工事さえもできるだけの技術と機械があり、資金力もあり、
労働力人口は、寿命が伸びたこともあって、当時の5倍以上の労働力です。
にもかかわらず、江戸時代の武士たちにとって、あたりまえだった防災対策が、いまの日本にはできない。
江戸時代の施政を担っていた武士たちが、いまの日本を見たら、あまりの情けなさに、それこそ刀に手をかけるかもしれません。
今回の大雨は、各地にたいへんな被害をもたらしました。
被災地の皆様には、心からのお見舞いを申し上げます。
さて、このような災害があると、毎度繰り返されるのが、
「被害を最小限に食い止め
国民にタイムリーに具体的な情報提供を行い、
避難指示等早め早めの対策を講じ、
実働部隊の対応準備に万全を期し、
国民の命を守るため一丸となって
全力を尽くしてまいります。」
という行政のステートメントです。
ひとつひとつは、とても大切なことです。
しかしこれを聞く多くの国民の耳には、その言葉が空虚なものにしか聞こえないと言われます。
それはなぜでしょうか。
簡単なことです。
日本は天然の災害が多い国です。
そうであるならば、平素から災害に備えるための万全の対策が図られていなければならないのに、
平素はほったらかしにしておいて、いざ災害が起きてから、
「万全の対策を取ります」
という言葉だけが繰り返されるわけです。
いい加減、聞き飽きたというのが、多くの国民の素直な実感なのではないでしょうか。
日本はいまだに不景気だと言われていますが、国会でもりそばやかけうどんの議論を延々と繰り返す暇があったら、
どうして災害が起きたときのための対策を議論しないのでしょうか。
国会の経費は1日3億円といわれています。
100日開催したら300億円です。
その300億円が、堤防工事や、護岸工事、土砂対策工事、橋梁やトンネルの補強工事、高架線の耐震補強工事、
学校等への備蓄食料の確保、避難所施設としての最大活用のための設備充実などの議論に使われ、実際の工事費用として、
日本国政府が年間10兆円規模の予算を執行するとなったら、日本は、災害に強い国にまたたく間に生まれ変わることができます。
だいたい、いざ災害が起きた際の土方などの人夫衆が、外国人である必要などまったくないのです。
平時に土方をすれば、月100万円の収入になる。
重機を利用した被災地現場の修復工事で土方をすれば、特別手当が出て、月200万円の稼ぎになる。(日当10万円です)
等となれば、普通の日本人で土方をする人など、数多くいます。
日本では、商売が左前になったり、借金で首が回らなくなっても、被災地の飯場で5年辛抱すれば、
1億円の借金がきれいに返済できるくらいの労働環境があってちょうど良いのです。
山間部等での防災工事のために人が動けば、地方経済も活性化します。
そもそも災害対策は、国家最大の景気対策でもあるのです。
公共工事は、安ければ良いというものではありません。
国家の威信をかけた、万全の防災安全対策が施された工事であることが大事なのです。
国家が率先してその模範を示し、その工事が業者にとっても下請けにとっても、安定的に儲かるものとなれば、そこに労働人口が集まります。
経済というのは、そもそもお金の動きのことなのですから、こうして巨額のお金が動けば、経済はまたたく間に活性化していくのです。
景気刺激にもなって、経済の活性化にもつながって、国民生活が豊かになって、防災安全対策もみるみるうちに進んで、
二重どころか四重8重に良いことばかりなのに、どうしてそれができないかといえば、
その利権を横取りして金儲けをしたいという、元パルチザンたちが裏でコソコソとうごめいているからです。
一網打尽にしなければならないときに来ているように思います。
ここから少し変なことを書きます。
今回の災害が起こる前、我が家の近辺は高いビルがなくて、空が広いのですが、その青空と、空に浮かぶ白い雲が、
いままで見たこともないような、すごい空でした。
正直な話、何かものすごい力を感じました。
神々がいま次々と我が日本に降臨されて、日本の立て直しをしようとしているのだと、ある方がおっしゃっていました。
本当にそうなのかもしれないと、これは「感じ」ました。
個人的な「感じ」ですから、具体的に何が、というようなものではありません。
しかし、そういう感じを幾日も感じ続け、今回の災害となりました。
「日本人よ、目覚めよ」
と、神々がおっしゃられているのかも知れない、と感じました。
全国で同時多発的に、地震が起き、火山が爆発し、大雨が降り、土砂災害が起きているのです。
一箇所二箇所なら、「災害が発生してから」の対策でも、なんとかなるかもしれません。
しかし、全国で同時多発的に多数の災害が起きることに対しては、平素から、あらゆる災害への備えを、
きちんとしておくことが、当然に求められると、これは少し考えたら、誰にでもわかることです。
震災では、お金のために手抜き工事をしたブロック塀が倒れて女子児童が亡くなりました。
これは「工事はお金のためにするものではない。安全と安心を優先しなさい」という教示のように思います。
台風被害では、記録的大雨によって、水害と土砂崩れが起きました。
全国の高速道路や高架鉄道は大丈夫なのでしょうか。
大雨による水害に、いまの電気供給方法で、果たして大丈夫なのでしょうか。
京都の桂川は、以前にも氾濫しています。
しかし実際に河川が反乱するという被害がありながら、今回の大雨に対して行われたのは、前回浸水した個人家屋が、
自衛のために洪水よけの盾を設置するという程度のものだけでした。
どうして、実際に氾濫が起きたという実績があるのに、護岸工事の見直しができなかったのでしょうか。
どうして、上流の貯水池の大型化が実施できなかったのでしょうか。
今回の大雨では、1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨に襲われた地域も少なくありません。
しかし、我が国の最大局地雨量は1時間に153ミリ、つまり今回の3倍の雨量を伴う大雨です。
もし、そんな雨が、同時多発的に全国で降ったら、どうなるのでしょうか。
天然の災害が、いつ、どこに襲ってくるかなど、誰にもわからないのです。
だからこそ、日頃からの対策が必要です。
江戸時代、各藩の大名たちは、自国の領土にこうした天然の災害がいつ起こるかわからないから、
常に食料を備蓄し、日頃から堤防を築き、火災が起きても大丈夫なように、火止の空き地を作り、
都市計画も防災を重点的に考えて行っていました。
そしていざ災害が起きると、お蔵米を放出して被災地の救援にあたり、また長屋を築いて被災民の収容にあたりました。
江戸の長屋というのは、いまで言ったら仮設住宅のようなもので、焼けても壊れてもすぐに復興ができるようにしておいたし、
またいつ大火が起きて江戸の町が全焼しても、すぐに復興工事ができるように、材木を常時確保していました。
それがいまも残る「木場」の地名です。
当時の農民にとっては、年貢は重たい税金ではあったけれど、いざというときの保険の役割も担っていたのです。
だから少々高くてもちゃんと支払っていたのです。
「自助共助公助」といいますが、大規模災害に際しては自助も共助も限界があります。
ここでは公助がものをいうことになります。
けれど実際はいまの日本はどうでしょう。
公助は、外国人の生活保護のため。
共助は、誰かの金儲けの手段。
自助は、しようにも、景気が悪くてその余裕がない。
防災工事と言ったって、江戸の昔は、すべて人力です。
人口だって3千万人ほどしかいない。
ところがいまの日本はどうでしょう。
建設重機は整い、人力では到底不可能な大型工事さえもできるだけの技術と機械があり、資金力もあり、
労働力人口は、寿命が伸びたこともあって、当時の5倍以上の労働力です。
にもかかわらず、江戸時代の武士たちにとって、あたりまえだった防災対策が、いまの日本にはできない。
江戸時代の施政を担っていた武士たちが、いまの日本を見たら、あまりの情けなさに、それこそ刀に手をかけるかもしれません。
天の神々は、そういうことに、日本人よ気付け、見直せ、とおっしゃられているのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
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「美し国の旅人」 恍多 - Kouta