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箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著
「地獄に堕ちないための言葉」⑪ 男女の愛も、仏法真理から見ると、「与えた」か「奪った」かで、天国地獄が分かれる。
コメント
若い時は、一目ぼれの如く外見だけで判断し、欲望のままに走りがちであります。
つまり自分の欲を満たすためであり、奪う愛であるのです。
年齢を重ねると、社会性が身について、自分を愛してくれる人、自分が得する相手かどうかで判断するようになるが、やはり自分本位ですね。
反対に、私を選んでくれた相手が、私を得になる人であると判断されたならば、やはり相手は「奪う愛」の考えになるのです。
「相手が喜ぶことをしたい」と考えることは「与える愛」になります。愛されるのはとてもうれしいものです。でも愛されて当然と思うようになると「奪う愛」に変化してゆきます。
釣った魚に餌はやらない、と考えている人は自己中であり、「奪う愛」に生きる人です。
この様に「奪う愛」に生きる人は地獄行きです。求める人達の集団に入るのです。同じ求める考え方をしている集団です。
素直に相手の喜ぶことを自然とできる人は、与える人達の世界=天国行きです。そこは与えることを喜びとしている人達の集団です。
結婚して子供ができると、初めて「与える愛」に気づくようになります。男女の愛ではなく、親子の愛になるのですね。与えることが喜びになるのです。でも、やがては親の面倒を見てくれる存在と考え始めると「奪う愛」に変化してゆきます。死後の世界は、考え方の同じ人の集まりになるのです。いわゆる「波長同通」の世界がはっきりした世界なのです。
男女の仲だけでなく、人間同士、さらには動植物との関係も「与える愛」に発展したいものですね。