南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?
https://www.youtube.com/watch?v=AjDJzO_SRfE&list=PLRReuSkzUbACN8FiHNrYl45y5Prt-6MbA
転載、させていただいた記事です
南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは? ふたつめの動画は、歴史的資料ですが、グロテスクな写真が出てきますのでご注意ください。
忘れ去られる通州事件
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通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件のこと。
「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)が日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を襲撃し、
日本人260人を虐殺した事件を指す ・・・・・ 日本人虐殺
7月29日、千数百人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が[1]、
華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約380名を襲撃し[1]、
260名が惨殺された[1]。これにより通州特務機関は全滅。 また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、「もっともこれは単に通州だけに
突発した事件ではなく、かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、華北各地の
保安隊がほとんど全部、29日午前2時を期して、一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている[7]。 生存者の証言・記述
九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。
昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。」[8]。 吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、中国人看護婦により
自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、
保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという[9]。
影響等
日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された
女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、
腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると
日本の対支感情は著しく悪化した[10]。 これは、既に7月7日生じたあと現地で解決されていた
日本軍と国民党の武力衝突につき、感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。 近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無である。中国政府公式対外宣伝刊行物の
『南京大虐殺写真集』の目次では『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。
日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件については一切触れられていない。
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前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された長野朗氏の2つの著書の文章を当時の新聞記事とあわせて紹介したが、
戦前の日本人の文章や新聞記事は信用できないという人も少なくないだろう。
そこで、今回はアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ 氏が
1938年(昭和13年)11月に著した、”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』:芙蓉書房出版)
という書物を紹介することにしたい。 この本の中でウィリアムズ氏は、アメリカ人の視点で、中国が排日に至った経緯をこう述べている。 「日本は、…アメリカやヨーロッパに若者を留学させた。やがて日本は西洋列強が新しく見出した
保護すべき友人という立場から、対等のライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。
彼ら(西洋列強国)の態度は変わった。日本の背中をやさしく叩いて、『お前はいい子だ』とは
もう言わなくなった。
彼らは態度を変え、団結して対抗するようになった。気が利いており、かつ危険なプロパガンダなのだが、
日本の商品や国民に対する差別によって日本は世界中にその名誉を毀損され、
人々に嫌われただけではなかった。日本をなだめすかして鎖国の孤立から引きずり出した
あの西洋列強が、ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から締め出し始めたのだった。」
(田中秀雄訳『中国の戦争宣伝の内幕』p.13-14) 要するに西洋諸国は、わが国がこんなに早く西洋技術を修得して西洋のライバル国となるとは
考えてもいなかったのである。西洋諸国は自国の製品を日本市場に売りつけて、日本から富を
吸い上げるつもりだったのが、逆に西洋諸国の販売国に日本製品が食い込んで行った。
それがアメリカをはじめとする西洋諸国には不愉快であったのだ。
そこで彼らは、わが国に対して「危険なプロパガンダ」を使ってでも、日本商品を
市場から締め出そうとしたのである。 長野氏の著作では最初に排日を仕掛けたのは英米であったと書かれていたが、
アメリカ人であるウィリアムズ氏も長野氏と同じことを書いていることに注目したい。 では当時の中国はどうであったのか。ウィリアムズ氏はこう書いている。 「日本には中国というよき教訓の対象となる国がある。隣国で大きく、その重い図体で
あえぎあえぎしていた。四億五千万の人々が住んでいながら、自らの足で立つこともできないでいた。
貧困と悲惨にどっぷりと浸かっていた。
その豊かな国土は軍閥によって強奪、掠奪され、西洋列強によって富が吸い取られていた。… 日本は西洋列強のライバルとなった。中国は彼らの奴隷となった。それゆえに日本は自分が
一人の味方もいない事を思い知らされた。そして中国は、かつて外国人を殺戮し掠奪したという
過去も忘れられて、突然同情と援助に値する国家と国民というように持ち上げられたのだ。」(同上書p.14-15) このように、中国民衆は長い間、軍閥と西洋列強によって搾取されるばかりであったのだが、
西洋列国が「危険なプロパガンダ」により日本商品を市場から排除する際に、中国を支援して
排日思想を植え付けて民衆にそれを煽ったために、わが国は世界で孤立していくことに
なってしまったということになる。 西洋諸国が日本との貿易を避けようとするので、新たなビジネスを開拓せざるを得なくなった
わが国は、当時掠奪と殺戮を繰り返す約30万の匪賊が横行していた満州に目をつけ、
その地から張学良ら軍閥と傭兵匪賊集団を放逐し、学校や鉄道を作り工場などを誘致して、
満州を北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまったのである。 しかし、わが国に新たな危機が到来する。ウィリアムズ氏の文章を続けよう。 「この危機はソビエトロシアからやってきた。西洋諸国は中国で経済計画を作成していた。
特にその中の一国は中国に大きな権益を持っていた。ソビエトロシアは政治的計画を作成していた。
極東に起きたドラマにおけるソビエトの役割はまだほとんど語られていない。
だから私が話そう。モスクワが日本と中国との間に戦争の火を点じたのだ。… この四五年、ソビエトは中国に足場を持とうとしていた。… …共産主義 者たちは飢える数百万の中国人を使って、金持ちや蒋介石 、そして彼の南京の
軍閥政府、そしてすべての外国人相手に戦わせようと慎重に計画していた。彼らは差し押さえた
金持ちの財産、安楽な生活、有り余る食い物をすべての飢えた苦力たちに保証したのだ。… 蒋介石 は驚き、『反日』という方法で中国を統一する考えに絶望的にしがみついた。
そして彼や金持たちから大衆の視線をそらそうとしたのだ。いくつかの西洋列強からも彼は
ひそかにそれを奨励された。蒋介石 は中国共産党の戦列についに加わった。 日本は中国だけでなく、国家を超えた反日計画に直面していることを理解した。それは西洋列強と
リンクしていたのだ。日本が、またある西洋国家さえもが中国の混乱に秩序を与えてくれると
期待していた蒋介石 は日本の敵と合流した。しかし日本は果実に錐で穴をあけるような
反日の嵐が遠くまで広がり、侮辱と周期的な自国民の殺害に至っても平和的であろうとした。」(同上書p.21-22) ソビエトはさらに日本と中国を戦わせようと圧力をかけていく。これは以前このブログで書いた通り、
スターリンは日中を戦わせてわが国を消耗させ、さらに日本をアメリカと戦わせて敗北させて、
わが国を共産主義 陣営に取り込む戦略であったのだ。 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html 中国にせよ西洋列強にしても、満州の発展をそのまま放置して彼らのプロパガンダの嘘が
明らかになってしまうことは、極めて都合の悪い事であった。ウィリアムズ氏はこう書いている。 「新しくできた満州国 は蒋介石 やその配下の軍閥にとって目の上のたんこぶか、喉に刺さった
とげのようなものであった。それは中国共産党にもロシアのボルシェヴィキにとってもそうであった。
というのも、貧相きわまる満州から、幸福と繁栄の帝国に満州国 は変貌を遂げていたからだ。
日本が傀儡政権をうち立て、満州人を搾取しているというプロパガンダが世界的に広まっていてもである。日
本の統治であっても、疑いなく満州帝国は繁栄をきわめるだろう。満州国 の清潔で賑やかな町と村、
よく秩序だった生活、近代的な鉄道と、中国本土の惨めで貧しい、紊乱した状態を比較してみるがいい。
たちどころに南京政府もソビエトロシアも秩序というものからほど遠い事が理解されるだろう。 そういう時に西安事件 が起こったのだ。それから北京の近くの盧溝橋での日中両国間の敵意の
爆発までには大した時間はかからなかった。宣戦布告なき戦争である。真実はまだわからない。
しかしその背後にあるものを見ようとする者には、真実は知れ渡っているのである。」(同上書p.23-24) 西安事件 というのは前回の記事で書いた通り、1936年12月に反共の蒋介石 が張学良に拉致・
監禁された事件で、それ以降蒋介石はソビエトのコントロール下に置かれるようになる。 西安事件 のあと、中国共産党はわが国を戦争に巻き込むために何をやったか。
ウィリアムズ氏はこう書いている。 「…中国共産党は日本人を血祭りに挙げることに決めた。もし日本人が二、三千名殺されたして、
誰が対応するのだ。虐殺は日本を激昂させるだろう。自国民を殺されて行動を起こさない国はない。
面目は立たない。日本人虐殺は日本との戦争になるだろう。蒋介石も戦わざるを得なくなる。 そしてまた、蒋介石は南京で新たに軍隊を熱狂的に作り直そうとしていた。そしてこれによって
中国中にさらに大きなスケールでの日本人男女、子供の虐殺がはじまることになった。
これには朝鮮人も含まれる。防御方法を持たない無辜の日本人たちは、家で、店でされ
、町や村の街路で暴徒に殺された。数えきれない多数の日本人、朝鮮人たちがこうして死んだ。
孤立したコミュニティで殺されていく。」(同上書p.32-33) こういう史実はほとんどわが国では知らされておらず、日本人は中国大陸で悪いことをしてきたと
多くの日本人は学校やテレビ番組などで教え込まれてきた。
以前にこのブログでも通州事件 のことを書いたが、中国大陸でこの時期に大量に
虐殺されたのは日本人の方なのである。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html この通州事件 のことをウィリアムズ氏はこう書いている。 「私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、
20名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉を繋がれて、
村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。
共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。
日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの
虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう。
それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして1日中続いた。家から連れ出され、女子供は
この兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。
ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見した時には、ほとんどの場合、男女の区別も
つかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。
何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。…
…中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの『助けてくれ』との
叫びを聞こえなくさせた。目玉を抉り出し、自分の拷問者を見られなくした。」(同上書p.33-34) 通州事件 のことは、以前このブログで詳しく書いたので繰り返さないが、死亡者の名簿も現場の写真も、
生存者の手記も残されている。わが国では新聞や雑誌にも詳しく報道されている。
ウィリアムズ氏の手記には誇張はないと思う。 しかし、この様な酷い事をした中国兵をせっかく日本軍が摑まえても、「罪を憎んで人を憎まず」の
サムライ精神で臨み、「もうああいうことをしてはいけない。さあ行け。」と説いて帰したというのである。そ
の点は、尖閣事件における不法侵入者に対する今回の日本政府の対応と似ている。
「通州事件 」の際に、わが国が世界に対して、このような残虐きわまりない行為を訴えていれば、
世界が中国を非難していたのだろうが、日本側は中国側の酷い行為を世界にアピールしなかったために、
世界は中国でこのような虐殺行為があったことを知られていないとウィリアムズ氏は書いている。
ちなみにこの本が刊行されたのは、「通州事件 」が起きてからわずか1年4か月しか経っていないのだ。 「…もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさに
縮み上がるだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。
しかし、日本人は宣伝が下手である。… 中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐには動かない。彼らは共産主義 者に
よって虐殺が遂行されていたことが分っていた。
また西洋諸国が日本を貿易市場から締め出した以上、北支との間でビジネスをしなければならないことが
分っていた。率直に言って、中国とは戦争をしたくなかったのである。
中国政府がロシアのボルシェヴィズムの罠に絡め取られていることも分っていた。しかしそれでも
中国との人々とは戦争をしたくはなかったのである。なぜなら中国は隣国であり、もし望むならば、
生きていくためのなくてはならないお客様だったのである。」(同上書p.36) 日本人は我慢強い民族であるが故に、わが国を蒋介石との戦争に引きずり込むために、中国共産党は
ここまで卑劣な行為で挑発をしなければならなかったのかも知れないが、
歴史の真実は、こんな酷いことをされても、わが国は世界にアピールすることもせず
、中国と戦おうともしなかったのである。 しかしながら戦後占領軍によって、このような「戦勝国にとって都合の悪い史実」が封印され
「わが国が侵略国家であり、戦争責任はわが国にある」という薄っぺらい歴史観を、日本人は
戦勝国から押し付けられてしまった。
学校で学んできた歴史も、マスコミによる昭和史の解説も、いずれも同じ歴史観で語られるために、
ほとんどの日本人がその歴史観に洗脳されてしまっているのが現状だ。しかし、中国や韓国や北朝鮮の
ような言論の自由がない国が、彼らの主張する歴史を声高にわが国に押し付けようとすることには、
余程の魂胆があると考えるべきではないのか。 いずれ近現代史は全面的に書き換えられる日がるだろうが、その為には多くの日本人が現在流布されている
歴史観の誤りに気がつき、正しい歴史を世界に広める強い意志が不可欠である。
なぜなら、中国にせよ韓国にせよロシアにせよアメリカにせよ、わが国が「戦勝国にとって都合の良い」歴史観
に洗脳されていることが、それぞれの国の国益に叶うからである。わかりやすく言うと、戦争の原因を
すべてわが国に擦り付けることができるだけでなく、少し圧力をかけるだけで
わが国から資金援助を得ることも可能だからである。
史実はその歴史観とは程遠いものであったのだが、彼らはいくら真実が明らかになっても、
わが国がその歴史観を変えないように、様々な圧力をかけてくるだろう。
なぜならわが国が歴史の真実を知りそれを世界に広めることは、彼らの国はわが国から
資金援助が得られないばかりではなく、今度は彼らの国が「戦争犯罪者」の汚名を
被ることになりかねないからだ。 戦勝国が我が国を裁いた東京裁判の11人の判事の中でただ一人、日本人被告全員無罪の
判決を下したインド代表判事のラダビノード・パール氏の顕彰碑が東京都千代田区にあり、
その碑にはこう刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう」 第二次大戦が終わって67年以上が経過した。
そろそろ日本人も真実の歴史に目覚めるべき時ではないだろうか。
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転載させて頂いてる間に、パソコンの調子が戻ってまいりました(`・ω・´)
涙なくしては読めない記事でした。。 頑張ろう日本人
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