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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

テレパスアート余話

2013-08-02 | シリーズ「テレパスアート物語」
ずっと昔、まだ名称も「ヒーリングアート」と呼んでいて、彩色もしたり、しなかったり、、という頃の話です。


ある時、ある知人から頼まれてその人の亡くなったご両親の絵を描かせていただいたことがある。
どちらが先に亡くなられたのかは忘れたがあまり日月をおかずに続いて亡くなられ、後に亡くなられたのがお父さんだったか、お母さんの方だったか忘れたが、まだ四十九日も来ていなかった時だと思う。

私は特に仏教徒というわけでも無いのだが、描くには少し早過ぎるのでは?という気がしたのだが、知人は逆に早くその様子を知りたいというか、両親が「成仏しているかどうか?」を知りたかったのかもしれない。
いずれにしても日頃お世話になっている知人なので、絵はご冥福を祈って確かプレゼントさせていただいたと思う。


ところが、かなり後になってその方の妹さんにお会いする機会があり、その絵のことで「ショックを受けた!」とのことで、面と向かって抗議されてしまった。
なぜなら自動的に描いたその絵にはご両親が「喧嘩をして争っている場面」が出て来ていたからである。

「死んでまで喧嘩をするなんて!?」と彼女はとても私に立腹されたのだが、私としてはどう言っていいのかわからず、黙って話を聴くしかなかった。
(心の中では「一度もお会いしたことの無い何の利害関係も無い人たちを、わざわざ悪く?描く必要も理由も無く、私も出来れば美しい蓮の花の上に坐っておられるご両親を描きたかったのですが、、」と言いたかったのだが)


亡くなられたそのご両親は(彼女の話によれば)生前も仲があまり良く無くて、しょっしゅう喧嘩をしていたそうで、だからこそせめて亡くなった後は「仲良くしている両親の姿が見たかった!!」という、彼女の気持ちや切ない願いも当然だったかもしれない。

今ならもう少し上手に丁寧に説明したりすることも出来たと思うのだが、当時は死後の世界のことに対しての情報や本も少なく、私も勉強不足だったので、その彼女とは結局気まずいまま別れてしまい、以後知人とも交流が途絶えてしまったのは残念だ。


もちろん、それ以外にも亡くなった方々の絵を描いたことはたくさんあるが、かなり年月が経ってからだと、けっこう皆さんそれぞれの世界で?元気に暮らしておられる絵になったり、またもうすでに転生しておられる絵になったり、さらには驚くべきことに、過去の世界に生まれ替わっている!?という(時間軸の違う)絵もあったりした。


そういったことも、例えば私が科学に強く、もっと知識があれば、「量子論」だとか、最先端科学の情報をもって説明することも出来るのかもしれないが、今でも私はそういう方面が苦手なので、皆さんにもうまく伝えきれていない面もあることと思う。

そういうことで、「なぜこの絵がこういうふうな絵になっているのですか?」と聞かれても、直観的にはわかっていても、惜しいことに「論理的」に説明することが出来ず、テレパスアートのお客様にもご迷惑をおかけしてしまったり、怒らせてしまったり、またご理解いただけずに返金させていただくこともある。

お客様としても、別に返金を望んでおられるわけでは決して無く、ほんとうに「納得のいく説明を聴きたい」と思っておられるだけなのに、私はうまく伝えられずに納得していただけないことを大変申し訳無く感じてしまうのである。

そういうわけで、せっかく長時間かけて描いても代金すらいただけないこともあり、(決してお客様が悪いわけでは無いのに)時々「一体自分は何やってんだろ!?」とつい情けなく思うこともある。


それでも、何年も経ってから、その絵の意味がやっとわかりましたとか、「納得しました!」とご連絡いただくこともあり、そんな時はとても嬉しくなる。

だから、あの喧嘩していたご夫婦(故人)も、今ではもう少し進化した別世界?に生きておられて、もしかしたら夫婦別々の次元におられるかもしれないが、また描いてみたら違った絵になっているかもしれないとふと思う。


話が長くなってしまったが、『言霊はこうして実現する』(文芸社)を読んでいたら、(P130~137に)こんな話が載っていた。
(以下抜粋引用させていただく)


ーーーーー量子論によるとミクロの物質の未来はただ一つには決まっていないのである。
(中略)
つまり電子の未来はただ一つではなく、複数あることになる。
そして、実際に電子が一秒後にどこで見つかるかは、一秒後になってみないと分からないのである。
つまり、電子の未来はサイコロを振って出た目に従うように、行き当たりばったりに決まるのだ。
(中略)

たとえば、宇宙の果てほどに離れた粒子どうしがエネルギーの交換なしに、宇宙で最も早いはずの光速をも超えて影響を与え合うことも明らかになっている。
(中略)

さて、量子論における量子の振る舞いで最も奇妙に見えるのが、量子が異なるいくつかの状態の重ね合わせで表現されることだ。
たとえば、ある一つの電子の位置について考えるとき、「A地点にいる状態」や「B地点にいる状態」、「D地点にいる状態」などが一つの電子の中で重なっているため、どこか一ケ所だけにいるとはいえない。

しかし、その電子を観測したときには、波の収束という現象が起きて一つの状態に変化するのだという。

このように量子の振る舞いを解釈することは「コペンハーゲン解釈」と呼ばれ、量子論の基本的な考え方の一つとなっている。
(中略)

波の収縮はコペンハーゲン解釈における一つの仮定であるが、これを放棄して、なおかつマクロの世界に現れる観測結果を説明しょうとしたものが、「多世界解釈」という考え方である。
(中略)

すなわち、「電子がA点にいる世界」「電子がB点にいる世界」「電子がD点にいる世界」というように、複数の世界に分岐するということである。そしてそれらの世界は重なって同時並行的に存在していると考える。

その場合、私たち観測者自身も、それぞれの世界に枝分かれして存在していることになる。
だが、枝分かれしたそれぞれの観測者は、自分がどの世界に来ているのかは、電子を観測するまで断定できない。
実際に電子を観測して初めて「私は『電子がA地点にいる世界』にいるんだ」などと分かるのだ。
(中略)

そして、私たちの知らないところに、別の宇宙がいくつも存在し、そこには「もう一人の私たち」が暮らしているというのである。


ーーーーーーーーーーーーーー
(以上抜粋引用終わり)


そういうわけで、かなり我田引水になってしまうが、先述したご夫妻(故人)の絵も、もしかしたら私が描いたからそのような絵になったのかもしれず、また別の人が描けば別の絵になる可能性もあるというか、「別世界」にいる彼らが登場したかもしれない。
(過去、未来という直線的な時間軸では無く、今ここに並行的に重なって存在していて、例えば波のように広がったままのその中の一滴の雫のように、たまたまその泡を私が掬いあげて描いたに過ぎないのかもしれない。まさに泡のように、「幻し」のように!?)


なので、このような絵に確かな事実の証明や実態の証拠を求めるよりも、「そこから何に気付くか」ということの方が大事で、例えば「何かの物語を読むような感じ」で静かに眺めていただけたらと思う。

左脳で論理的に納得のいくようにわかろうとするよりも、右脳で直観的に掴むとか、あるいは情動的に感情が動くとか、そういった一つの体験として(映画を観た時のように)味わっていただければ幸いである。


量子論やパラレルワールドにとても興味はあるものの、理系に弱い私には難し過ぎて未だに頭は???状態なのだが、それでもだんだんにテレパスアートの描こうとしていることや、描かれた内容が、抜粋引用したような事柄と何となく繋がっているというか、同じことを表現しているのかも?しれないなと感じることも多い。

いつかそういったことも(誰にもわかるように)解明されるのが楽しみだ。



ご愛読に感謝です。


下記の絵は『サルー』です。





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最近のテレパスアートの傾向

2013-07-07 | シリーズ「テレパスアート物語」
マヤ暦終了の2012.12.21もとっくに過ぎたのに、そして時間の無い世界?に入った筈なのに、なぜかテレパスアートでは、その頃から画紙に日付を記入することが多くなりました。

理由はわからないのですが、時間の無い世界だからこそ、「今・ここ」をしっかりと意識する必要があるのかもしれませんね。
ただし、これは私が現時点で感じていることなので、この先に行けばまた違った観点での気付きもあるかもしれません。


さて、最近の絵の傾向の中で、もう一つの特徴はなぜか絵の裏面に詩のような?短い「言葉」(文章)を書くことが多くなり、これも不思議です。
(人によっては言葉で無く、裏面も絵だったり、また何も描かない場合もありますが、、)

詩というよりも、箴言(アフォリズム)?という方が適切かもしれませんが、絵でメッセージを伝えると同時に文章でも伝える場合があるのはどうしてなのか? これは絵の「補足」なのか??
この理由も実はあまりよくわからないのですが、まるで禅の「公案」!?のような感じも受けます。


ただ、私としては文章の方が簡単でいいな(書くのに時間がかからないから)と思う一方で、絵なら時を置いて眺めた時に、また新たな発見があるけれど、文章の場合は、何と言うか、もろ「そのまま」という感じなので、あまり二度、三度と見る気になれないのでは?という気もしますが、果たしてどうでしょうか?

そういうわけで、(お客様の方の反響はわかりませんが)私の中ではなぜ今このような生々しい?文章となって、(絵以外にプラスして)言葉も降りて来る?ようになったのか??と、少々戸惑っている面もあります。


それでも、これまでもヒーリングアートの時から、否それよりもっと前の彩色もしない線描画だけの時から、いろいろと変化し、絵も形式も彩色もシステムもさまざまな変遷を経て来ていて、それも自分が頭でこうしようなどと考えて意図的にその方向へ進むというよりも、どちらかと言えば自然の成り行きだったり、ふとしたひらめきでそんなふうに変わって来たりしているので、今回のこともまた何か意味のあることなのかな?と感じています。

これからもどんなふうに変化していくのか?とっても楽しみです。

15年以上も続けていると、ついマンネリになったり、初心を忘れがちになったり、気付かないうちに怠慢になってしまったりすることもあると思いますが、幸いにも私の場合は、たまわーるどのたまさんが、昔からずっと「テレパスアート研究」を続けてくださっているおかげで、とっても助けられています。

たまさん、いつもありがとうございます♡


そして、私が違った方向へ行きかけたり、うとうとしていると、パッといち早く気付いて声をかけてくれ、私の寝ぼけまなこを目覚めさせてくれます。
本当に心から感謝です。


ところで今日はたまたま七夕☆ ですね。
七夕とは何の関係も無い話ですが、生前の父が私によく言ってくれていた「戒めの言葉」を、ふと思い出しました。

「歳を取ると誰も何も注意してくれなくなる。人が注意してくれている間にちゃんと聞くように!」と。

今夜は星空を見上げながら、亡父に感謝の気持ちを送りたいです♪



下記の絵は『 7・7・7 スリーセブン 』です。





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今日の不思議

2013-06-18 | シリーズ「テレパスアート物語」
午後3時過ぎ。外は31℃以上はあろうかというくもり空の下。
突如として「いし~焼き~~イモ~~~」「美味しい美味しい石焼き芋」「ほっかほっかの焼きたて~~」
というマイクの声がどこからか風に乗って聞こえてきて、思わず目が点に!

我が家から見えるのは道路の一部だけでその石焼き芋屋さんの姿は見えてないのですが、その声が遠くの方からこちらへとだんだん近付いて来るようです。
今日は風もあり、くもり空でいつもよりは少しましとは言え、部屋の中でも扇風機だけでは足りず電気代を気にしながらもクーラもかけたいぐらいの蒸し暑さ!

それなのになぜ?しかもこの最も気温の高い真昼間に!?
一体ほんとに石焼き芋を買う人はいるのかしら???


余計なお世話かもしれませんが、もしかしたら石焼き芋のおじさんは車の運転席がガンガンクーラーが利いていて、外の暑さがわからないのかもしれない(まさか!?)と想像してみたり、、、あるいはクーラーで冷え切った室内で働いている人がいて、ふと熱熱のものが欲しくなるのかも? などとあれこれ考えてみたり、、。

「そんなことをのんびり思い巡らしているなんて、よっぽどひまなんだな~」とみなさん思われたかもしれませんが、実はそんなことはありません。
朝からずっと根を詰めて仕事をしていて、お昼ご飯が遅くなり、ようやくほっとした時だったのです。


やがてふぅ~とかき消すようにその「石~焼き~~芋~~~」の声が遠ざかり、いつの間にかスッと消えてしまった後で、ハッとしてようやく我に返ってみると「あれっ!?もしかして今のは私の幻覚? 幻聴?だったのだろうか、、」と急に気になって来たのです。


みなさんはこの暑さの下で石焼き芋の車が本当に走っていたと思われますか?

まっ、そんなことはどっちでもいいことかもしれませんが、私にとっては一大事!

次元の違う(あるいは季節や時間帯が違う?)世界がこの「現実」の中にふと混入して重なって存在していて?それが時々そういう現象を引き起こしているとしたら?
わぁ、それはちょっとコワイですよね!

それとも私が仕事に没頭し過ぎて少々頭が疲れていただけなのでしょうか、、。


朝から仕事をしていてふと気が付くともう辺りが薄暗くなっていた、、なんてことはよくあります。
どうしてそんなに時間がかかるのかな~と思ってつくづく考えてみたら、どうやらそれだけ筆が遅くなっているのですね。

よい絵と言うのは勢いがあってあまり時間のかからないものらしいのですが、そう言えば初期の頃はもっと簡単に気軽に描けていたような、、。ともかく今よりももっとずっと仕上がりが早かった気がします。

「自動的」に描いているので、自分自身の「能力」とはもともとあまり関係無いと思うのですが、これは一体どういうことでしょうか。

もしかして受信する私のからだ(受信器)の衰えか?感度が鈍くなったのか?集中力が落ちたのか? etc...
と思っていろいろ考えてみたところ、どうやらあちこちに飛び回っている携帯電話などの電波やパソコンなどの電磁波、その他受信を妨害するものが15年前よりは飛躍的に増えたためかもしれないと思いました。
そのためかどうか、実際、「疲れ方」も以前とは違う気がします。

けれども例えばたまわーるどのたまさんなんかは、20年前も今も全く同じ!で、子どもの頃からその能力は変わっていない(それどころか進化&深化している!?)みたいなので、これはやっぱり私の「言い訳」なのかなぁ?(汗) 
それとも気付かないうちに「時間が加速化している」のでしょうか!?


「プロなら言い訳はゆるされない」とは承知していますが、あえて言わせてもらうと、それだけ一人ひとりに時間をかけている(丁寧になっている?)ということかもしれない、、という(自己弁護の?)結論に達しました。

それはつまり一人ひとりの抱えている問題や課題も、今はそれだけ深く重いものになっていたり、未来も不透明で現在の社会もまた以前よりはずっと深刻な状況に追い詰められていたり、、誰にとっても簡単に答の見いだせる現状や環境では無いからかもしれません。
それに病気を抱えた人の絵を描くのも、以前は今よりもずっと数が少なかったと思います。


それに、以前よりは今の方が説明も具体的でより細やかなものになっているからではないか、、等々、
自分で自分を励ますことをいっぱい書きましたが、皆さんは果たしてどう思われるでしょうか。
(「実は批判はいっぱいあるけど伝えてないだけよ~」なんて言われたら、ひぇ~~~どうしましょう!)

たくさんの人に広く浅く~のコンサルから、今はだんだん一人ひとりの人生に深く寄り添うようなかたちに変化し、関係性がそれだけ太く強くなってきているのかもしれないと、都合好く?自分流に解釈しているのですが、もしかしたら皆様のご要望に応えられるだけの力量が不足しているのだとしたら、もっとパワーUP!しなければ、、。

いずれにしてもそのような過大な責任を感じ過ぎるがゆえに?私の絵筆も、また説明も「より慎重に」ならざるを得ない面もあるのかもしれません。
(絵そのものよりもその説明の方にさらに多くの時間がかかるぐらいです)

そういうわけで、今は速度はかなり遅々としてはいますが、一人に一冊の「絵物語」を描くようなそんな気持ちで日々精一杯絵筆を握っています。


また、話は変わりますが、(自己流)オーリングテストで今月は何名のお申し込みということが前もってだいたいわかる?というのも不思議です。

5月も、「あと8名」と言われた時点で、「ほんとにこれからまだそんなにたくさんお申し込みが!?」と半信半疑だったのですが、締切を過ぎてから後にきっちりその通りになりびっくり!!!でした。


今月はスタートがゆっくりでしたが、「あと5名」と言われています。
それでいつもなら中旬を過ぎると定員枠を超え、もうそろそろ締切ろうかな、、と考えるのですが、今月はまだ店を開けています。

それから、以前はたくさんの方々に「卒業」していただいたのですが、それは私の描ける枚数というか、お引き受け出来る数が限られているため、なるべく初めての人や新しいお客様を優先したいという願いがあり、何度も描いている方々や、もうこの方は大丈夫だなと安心感の感じられる方々に、ご無理とご負担をおかけしてしまったのですが、最近はなぜかまた一旦卒業された方でも再度申し込まれる方もおられ、そのような時にはお断りせずに出来るだけお引き受けすることにしています。

ただ、年月が経ったからと言って私の絵の技量がUPしているとは限らず、期待外れになられるかも?しれませんが、それもまたすべて「宇宙におまかせ」で、絵が気に入られる時も、そうでない時もあるかもしれませんが、今後共にどうぞ宜しくお願い致します。


それでは、あと5名!?の方々とのご縁を楽しみに、お申し込みを心待ちしています♪
ご愛顧まことにありがとうございます☆







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部屋の中に象が!?

2013-06-16 | シリーズ「テレパスアート物語」
これは昨日(2013.6.15)、「奇跡とコンタクトする時代&夢を叶える時代」というTHD主催のセミナーの中で、エハン・デラヴィさんが話されたことなのですが、「部屋の中に象がいる」
(The elephant in room )というのは、「一番大きな問題は目の前にあるにも関わらず、そのことに気付いていない」という意味なのだそうです。

この(英語の)言い回しを聴いてパッと浮かんで来たことがありました。
それは、つい最近描いたある方の「テレパスアート」のことです。

その方の絵の場合は、例えば目の見えない人が象を撫でてそのしっぽを掴んだとしても、もし一度も象を見たことが無いとしたら、「その全体像はわからない」という意味のように(その時点での私には)受け止められました。

そして不思議なことに描いているうちに、その「巨象」(「虚像」とも重なっている!?)は「牛」に変化し、それはいわゆる禅の「十牛図」(悟りに至るまでの十段階の道筋)のような感じで、例えば牛飼いが牛を飼っているとして、「その牛を何とか家に連れて帰りたい」(自分の思う通りにしたい)と思っても、(その段階においては)「手を放して牛を自由に放牧する」方がよりベターな選択だったり、「そういう時期」なのかもしれないということのようでした。


それで、その時は私に感じられたこととして、上記のようなことを(連想も含めて)お伝えしたのですが、うまく伝えられたかどうか?はわかりません。
もし私が先にこのエハン・デラヴィさんの講演を聴いていたとしたら、あるいはもう少しうまく説明出来たかもしれません。


ところで、そのことわざ?の中で言われている「一番大きな問題」(目に見えない象)とは果たして何か

会場の聴衆の誰もその問いには答えられませんでしたが、何とそれは「TIME」のことだったのです!!!


そしてその後、「時間の加速化」について非常に興味深い話がありました。

エハン・デラヴィさんは「まだアセンションは起こっていない」(臨界点には達していない)という立場で、今どんどん「時間が加速されていっている」ということや、イベントホライゾン?(事象の崩壊)など、時間とそれに関して私たちの感じている「リアリティ」についても、とても不思議な話をされました。

これは「客観世界は無い」という量子力学に関するお話も含めて、私の頭では理解するのに少々難しく、(直観的には感じてはいても)あまりうまくお伝え出来ませんが、いずれにしても今は「時間軸から外れていく時代」だそうで、私たち一人ひとりがこれからは「時間のマスター」☆ になっていくということでした。


私たち自身が「時空間を創れる存在」として気付いていくこと♪
例えばアボリジニはすでにというか、もともとそのような「ドリームタイム」を生きているのだそうですが、現代の私たちの左脳というのは数字とか、論理性とか、コンピューターのように「時間が無いと動けない(動かない)」ものなのだそうです!

それに反して「右脳」は、(眠っている時に)「夢を見ている時間」に近い感じで、右脳は全宇宙にもつながっているのだそうです。

そしてそこから話はさらに深く、またさまざまな方向へと広がっていきました。

1952年スコットランド生まれで若い頃には日本に長く住まれたこともあるエハン・デラヴィさんは、もちろん日本語も堪能で(現在も日本に住んでおられ講演も全部日本語だったのですが)、今最も必要なこととして<神道ルネッサンス>を通して<日本のルネッサンス>を提唱されています。


それは「奪われた自分の魂をレスキューする(救う)」ために、神仏とのつながりを取り戻すことや、意識の持ち方を変えたり、「奇跡とコンタクトする」ことが大切なことだから、なのです。

日本にはたくさんの「神社」があり、またそこはほんとうに素晴らしい宇宙とのコミュニケーションの場でもあるのですね。

「日本神話」の豊かさについても賛嘆されていました(もう一人の講師の武田葉子さんも!)が、かつてはどこでもあったそのような神社のお祭りや儀式なども今はどんどん廃れる傾向にあり、特に神官や宮司さんたちが「シャーマン」としての能力をほとんど失っていることに対して、エハン・デラヴィさんはとても嘆いておられました。


けれどもこれからの時代、私たち一人ひとりも自分の「意識の持ち方を変えていく」ことで、これからは奇跡を生きることも出来るのです!!!

まずは、時間の長さ(自分にとってどのように感じられるか)をよく観察し、その時の自分の気持ちと共にリストアップして、自分で確認し、時間に対して「意識的になっていく」ことをエハン・デラヴィさんは勧めておられました。

もちろんこれは「楽しい時には時間はあっと言う間に過ぎる」「苦痛な時間はなぜか長く感じられる」と、これまでにも一般に言われていたような、誰でも普通に感じることの出来るそういう(無意識的な)感覚以上!のことなのだと思いますが、果たしてどうでしょうか。
(私の理解が間違っていたらご海容ください)


さて、話を元に戻しますと、その方のテレパスアートでは、何と「四半世紀も先のこと」が描かれていたのです!
私は通常何もお伺いせずに描きますので、その絵のお客様が何歳かということも全く知らなかったのですが、その後お客様とのメールのやりとりの中で知って、本当に仰天してしまいました。

これまでも「過去生」(信じる必要はありませんが)の絵や、かなり「未来」?の絵を描くということはありましたが、それよりは今回はもう少し場面が具体的でとてもリアリティとエネルギーがありましたので、私にはそれが「今現在の状態」のように感じられました。

それでこれまでもそうですが、「その感じたままを説明させていただいた」のですが、本当に驚きました。


お客様の方は私よりももっともっとびっくりされた!?ことと思います(汗)が、それは私にその方の将来を「感知する」能力があるわけでは無くて、むしろ、そのお客様自身がそのような能力を兼ね備えておられる(その人の細胞やDNAの記憶)ということではないでしょうか。

またこれは、「今現在」の中にすでに過去も未来も含まれているということかもしれません。

エハン・デラヴィさんは、会場の皆さんに「Are you here ?」と幾度も問いかけられましたが、それに対する正しい答え方というのは、「イエス!」では無く、簡潔でとても力強い「I am 」だったのです!


誰でも自分の将来に何が起きるのか、をすでに知っている。

話は飛躍しますが、原爆や原発を作った人たちも、それが将来どういうことを引き起こすことになるのか!? は、もしかしたらどこかでわかっていたのかもしれません。
たとえ意識的には気が付いていなかった(想定外!?)としても、ほんとうはみんな最初から「想定内」に組み込まれていた!のかもしれません。
ただ目の前の「お金」や権力、名誉や「間違ったプライド」、エゴに目がくらんでいたから、「一番大きな問題」が見えなかったのかもしれません。


最近生まれて来る子どもたち(インディゴチルドレンやレインボーチルドレンetc..)はすでにそのようなことに気付いていて、生まれつき高い意識を持っていると言われていますが、もしかしたらこの絵のお客様もそのような方なのかもしれません。

そして、このお客様の場合は、例えばその解決方法や対処の仕方もすでにご自身がよく知っておられて、絵を通してそれを自ら確認されているのかもしれません。

その時点では私にはそこまではわかりませんでしたので、おそらく時間(の経過)がそれを証明してくれるでしょう、、というような言い方でしかお伝え出来ませんでしたが、このエハン・デラヴィさんのお話を聴くことによって、その絵の意味が実はそういうことだったのか!ということが、大変よく解りました。


個人のことを描いているようでいて、それと同時に実はそのお客様の絵を通して、人類全体の?「時間」について宇宙は今私たちに伝えてくれているのかもしれません。

エハン・デラヴィさんと共に講演された他のお二人の講師の方々も言っておられたように、もしも「宇宙の計画がある」としたら、それはこういうことなのかもしれませんね、、。

「いつ死んでもいい」(時間は幻想)ということ、すなわち、「今を思う存分に生きる」ということ♪
自分という存在が無ければ時間も無く、また奇跡も無いということ。

自分が今ここに存在しているという、そのような「確実な存在感」(肉体としての自分)を感じ、そしてまたそれが如何に凄い「奇跡」☆ であるかということを悟る(意識する)ということ。

そして、もし本当にそれが自覚出来たなら、自然に心からの感謝や喜びが湧いて来るに違いありません。


私も「奪われた自分の魂を救う」ということに関して、また、「これから自分がどういう方向に進めばいいのか」ということについて、とても深い示唆と具体的なヒントを得ることが出来ました。

理屈ではうまく説明出来ませんが、今回のセミナーの以前に、すでにこのようなことを絵を通して伝えてくださっていたお客様と「宇宙」に改めて心から感謝 ♡ です。


下記の絵は『メディテーション」(瞑想)です。
(興味を持たれた方はアズミックアートの宇宙画「ポストカード」のコーナーをご参照ください)






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14年ぶりの、、

2013-04-16 | シリーズ「テレパスアート物語」
先日とってもうれしいことがありました。

何と14年ぶり!という方から突然メールが届き、再度「テレパスアート」のお申し込みをいただいたのです!
(14年前というと、名称が「ヒーリングアート」で、彩色もアクリルでは無く水彩だった頃です)

その頃は、絵の説明も、現在のように「ワープロ文を印刷して絵と一緒にお届けする」というシステムでは無く、絵のお届けの後でお客様の方からお電話をかけていただき、口頭で説明するという方式だったかと思います。


新しくなった説明方式やアクリル彩色をどう感じられるかはわかりませんが、いずれにしても14年ぶりにまたお申し込みいただいたことが、とっても嬉しかったです。

しかも、最初の絵の依頼以降、残念なことにこちらの連絡先を紛失してしまったために、再び絵を頼みたくても出来ず、(その頃はまだネットも普及していず、私もパソコンやメールを使っていませんし、HPも立ち上げていませんでしたので)その後も私のことをずっと探してくださっていたとのことです。


ところが最近になってふとメモが出て来たそうで、「ようやく連絡が取れました!」ということで、まるで奇跡のような不思議なお話に驚きつつも、感激で胸がいっぱい♡ になりました。
そして「これまで絵を止めずに描き続けてきて本当によかった♪」と思いました。


今まで幾度か転居したり、またHPも何度か改装のための休止期間があったり、HPアドレスも度々変更したりしたために、お客様にはいろいろご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。
(もう止めてしまったと思い込まれて、探すのをあきらめておられる方も、もしかしたらおられるのかも?)

それにも関わらず、こんなふうに長年連絡先を探し続けてくださったり、またネット検索などでようやく辿り着いて申し込んでくださるお客様たちがいらっしゃるということに、心から感動しました。
ほんとうに感謝でいっぱい ☆ です。


もしかして今もそんなふうに探し続けてくださっている方がどこかにおられるかもしれませんが、ご縁のある方々☆とは、何があってもきっと「また必ず繋がることが出来る」と信じています♪
ほんとうにありがとうございます!!!


またこのような喜びをブログを通して共に分ち合うことが出来るのも、皆様方のおかげです。
そして昨年末に開いたような「交流会」イベントも、再びどこかで開けたらいいなと願っています♪
「再会」を楽しみに、今後共にどうぞ宜しく☆ お願い致します。


下記の花は「てっせん」(クレマチス)です。





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