急にあたたかくなってきて、日中はもう暖房も不要なぐらいになってきました。
おかげさまで私のケガも眼のふちのあざも消えて、少しずつワープロ文字入力もスムーズになってきました。
昨日は様子を見るためもあって、わざわざ遠出してかなり歩いた(5千歩ぐらい?)のですが、その時は途中から膝の裏やふくらはぎが重だるくなり、少々痛みもあって、脚を引き摺るようにして帰宅しました。
そしてその後ぐったりと疲れ、ダウンして仮眠しました。
が、今朝はすっかりその痛みも消え、普通になりましたので、ほんとうに治りの速さに驚いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところで、今朝目覚めた時に、なぜかある数字と同時に、(その数字とは何の関係も無く?)昔描いたテレパスアートの新たな意味がふとわかったのです。
まるで悟りを開いたような境地!?
下記が(15年前に描いた)そのテレパスアートです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記のこの絵は、2004年の秋に「ヒーリングアート」の名称を「テレパスアート」に変え、またそれまでの水彩絵の具による彩色をアクリル絵の具による彩色に変えるための「お試し」で、
いろいろな人にお願いして(無料で)描かせていただいた絵の中の一枚だったのです。
けれども、その絵の意味について、「ビーズ」という言葉がキーワードになっていたにも関わらず、
その時は、例えばビーズを習うとか、ビーズそのものの物質的なイメージだけに即物的に捉えられていて、それ以上の深い意味がわからず、
その後のこの15年間というもの、折りに触れてその言葉が心にひっかかっていたのです。
それがなぜ突然にわかったかと言えば、どうやら「樹木希林さんの言葉」とも関係があるようで、彼女の遺言集は未だ読んでいないのですが、
生前の彼女が「宇宙に輝く星でなくてもいい。輝くちりになれたらそれでいい」というような意味のことを言っておられたことがヒントになったのかもしれません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つまり「ビーズ」というのは英語のスラングでは「くず」のような意味もあるようで、つまり、ちりと同じなのですね。。
もの凄く立派な「宇宙的地球的使命天命」を追求するとか、素晴らしいお役目があるとか、、
そういう感じでは無くて、言わば「物見遊山」で地球に観光に来たような? ただ体験したり、愉しく見物しに来たかのような、この絵の人の生き方を示唆していたのです。
それはまるで「日々是好日」の樹木希林さんのようでもあり、「一切なりゆき」という生き方でもあったのですね。
それがこの人の生き方の「本質」でもあるのかもしれないということがやっと私に理解できたのです。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
遥かな宇宙の彼方から見れば、例えばノーベル賞を取ったエライ学者さんも、歴史に名の残るような凄い作家さんも、
あるいは日々淡々と、また汲々としてただ生活に追われている人も、ホームレスの人も、どこかの国の女王さまも、
どんな美人も、若い人も、太っている人も、大人も子どもも、年寄りも、、みんなどんな人も、ちりにさえ見えないぐらいの存在なのかもしれません。。
けれどもそれが土星の輪のちりのように、その一粒ずつがそれぞれみんな輝いているのですね!
何て、ステキな生き方なんでしょうか。。
何かを残すとか、何者かにならねばならないとか、何かを得ようとか、、そういうことには全く頓着せずに、「今」を生きているのですね!
ほんとうに素晴らしいです。。
樹木希林さんだけが「達観」しているのでは無く、その言葉に共感し、彼女の生き方に憧れる人はみんな誰もが、実はすでにどこかその境地に達しているということではないでしょうか。。
たとえ自分ではとてもそうは思えなくとも。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、偶然かもしれませんが、そのビーズの絵を描いた2004年から10年経った2014年の秋に娘が亡くなり、
それから5年目になる今年になってようやくこの意味がわかったということも、
私にとっては、それだけの年月が必要だったということかもしれません。
実は娘は幼い頃からなぜかビーズが好きだったのか、私にもいくつかビーズのネックレスやブレスレットを作ってプレゼントしてくれたり、形見に遺してくれていたのです。
なのに、これまでそのことを特別なことだとは私は一度も思ってもみませんでしたが、このブログを書いていたら、「ああ、そういうことだったのか!」とようやく今、ストーンと腑に落ちました。
今朝突然に起きたこの小さな(否、とても大きな)この「氣づき」は、もしかしたら娘の私への「メッセージ」でもあるのかもしれません。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それから、また、もう一枚、私のお氣入りの絵があり、それはホームページにも掲載している下記の絵です。
これは2017年の夏に描かせていただいた「ガイドメッセージアート」に出て来た「海の女神さま」なのですが、この絵の女神さまがなぜかやっぱり「ビーズ」の帽子を冠っているのです!
2004年の絵では、まるで亀が頭にビーズを冠っているような!?感じでしたが、どちらも海と関係しているのが不思議で面白いですね。
海の中は星空と同じ「宇宙空間」なのでしょうか。。
海に潜ると宇宙に還ったような氣持ちになり、また宇宙空間に出て行くと、もしかしたら海に潜ったような感覚になるのかも?しれませんね。。
いずれにしても、この「ビーズ」が私たちをとても静かな平和な心地にしてくれることは間違い無いようです。
樹木希林さんの遺してくれた言葉が私たちの心の奥深くに響いて、幸せな境地へと誘ってくれるように。。
日々ビーズの一粒ずつを繋いでいくような、人生フルーツの豊かな実りの一粒のような、そんなささやかな生き方が出来たらいいですね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってありがとうございます。
皆さまのおかげさまでどんどん元氣になれて、今日も一粒のビーズのような絵が描けてうれしいです。。
おかげさまで私のケガも眼のふちのあざも消えて、少しずつワープロ文字入力もスムーズになってきました。
昨日は様子を見るためもあって、わざわざ遠出してかなり歩いた(5千歩ぐらい?)のですが、その時は途中から膝の裏やふくらはぎが重だるくなり、少々痛みもあって、脚を引き摺るようにして帰宅しました。
そしてその後ぐったりと疲れ、ダウンして仮眠しました。
が、今朝はすっかりその痛みも消え、普通になりましたので、ほんとうに治りの速さに驚いています。
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ところで、今朝目覚めた時に、なぜかある数字と同時に、(その数字とは何の関係も無く?)昔描いたテレパスアートの新たな意味がふとわかったのです。
まるで悟りを開いたような境地!?
下記が(15年前に描いた)そのテレパスアートです。
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上記のこの絵は、2004年の秋に「ヒーリングアート」の名称を「テレパスアート」に変え、またそれまでの水彩絵の具による彩色をアクリル絵の具による彩色に変えるための「お試し」で、
いろいろな人にお願いして(無料で)描かせていただいた絵の中の一枚だったのです。
けれども、その絵の意味について、「ビーズ」という言葉がキーワードになっていたにも関わらず、
その時は、例えばビーズを習うとか、ビーズそのものの物質的なイメージだけに即物的に捉えられていて、それ以上の深い意味がわからず、
その後のこの15年間というもの、折りに触れてその言葉が心にひっかかっていたのです。
それがなぜ突然にわかったかと言えば、どうやら「樹木希林さんの言葉」とも関係があるようで、彼女の遺言集は未だ読んでいないのですが、
生前の彼女が「宇宙に輝く星でなくてもいい。輝くちりになれたらそれでいい」というような意味のことを言っておられたことがヒントになったのかもしれません。
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つまり「ビーズ」というのは英語のスラングでは「くず」のような意味もあるようで、つまり、ちりと同じなのですね。。
もの凄く立派な「宇宙的地球的使命天命」を追求するとか、素晴らしいお役目があるとか、、
そういう感じでは無くて、言わば「物見遊山」で地球に観光に来たような? ただ体験したり、愉しく見物しに来たかのような、この絵の人の生き方を示唆していたのです。
それはまるで「日々是好日」の樹木希林さんのようでもあり、「一切なりゆき」という生き方でもあったのですね。
それがこの人の生き方の「本質」でもあるのかもしれないということがやっと私に理解できたのです。。
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遥かな宇宙の彼方から見れば、例えばノーベル賞を取ったエライ学者さんも、歴史に名の残るような凄い作家さんも、
あるいは日々淡々と、また汲々としてただ生活に追われている人も、ホームレスの人も、どこかの国の女王さまも、
どんな美人も、若い人も、太っている人も、大人も子どもも、年寄りも、、みんなどんな人も、ちりにさえ見えないぐらいの存在なのかもしれません。。
けれどもそれが土星の輪のちりのように、その一粒ずつがそれぞれみんな輝いているのですね!
何て、ステキな生き方なんでしょうか。。
何かを残すとか、何者かにならねばならないとか、何かを得ようとか、、そういうことには全く頓着せずに、「今」を生きているのですね!
ほんとうに素晴らしいです。。
樹木希林さんだけが「達観」しているのでは無く、その言葉に共感し、彼女の生き方に憧れる人はみんな誰もが、実はすでにどこかその境地に達しているということではないでしょうか。。
たとえ自分ではとてもそうは思えなくとも。。
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そして、偶然かもしれませんが、そのビーズの絵を描いた2004年から10年経った2014年の秋に娘が亡くなり、
それから5年目になる今年になってようやくこの意味がわかったということも、
私にとっては、それだけの年月が必要だったということかもしれません。
実は娘は幼い頃からなぜかビーズが好きだったのか、私にもいくつかビーズのネックレスやブレスレットを作ってプレゼントしてくれたり、形見に遺してくれていたのです。
なのに、これまでそのことを特別なことだとは私は一度も思ってもみませんでしたが、このブログを書いていたら、「ああ、そういうことだったのか!」とようやく今、ストーンと腑に落ちました。
今朝突然に起きたこの小さな(否、とても大きな)この「氣づき」は、もしかしたら娘の私への「メッセージ」でもあるのかもしれません。。
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それから、また、もう一枚、私のお氣入りの絵があり、それはホームページにも掲載している下記の絵です。
これは2017年の夏に描かせていただいた「ガイドメッセージアート」に出て来た「海の女神さま」なのですが、この絵の女神さまがなぜかやっぱり「ビーズ」の帽子を冠っているのです!
2004年の絵では、まるで亀が頭にビーズを冠っているような!?感じでしたが、どちらも海と関係しているのが不思議で面白いですね。
海の中は星空と同じ「宇宙空間」なのでしょうか。。
海に潜ると宇宙に還ったような氣持ちになり、また宇宙空間に出て行くと、もしかしたら海に潜ったような感覚になるのかも?しれませんね。。
いずれにしても、この「ビーズ」が私たちをとても静かな平和な心地にしてくれることは間違い無いようです。
樹木希林さんの遺してくれた言葉が私たちの心の奥深くに響いて、幸せな境地へと誘ってくれるように。。
日々ビーズの一粒ずつを繋いでいくような、人生フルーツの豊かな実りの一粒のような、そんなささやかな生き方が出来たらいいですね。。
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本日も「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってありがとうございます。
皆さまのおかげさまでどんどん元氣になれて、今日も一粒のビーズのような絵が描けてうれしいです。。