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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(20)

2012-02-19 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
『第4の革命』(エネルギー・デモクラシー)という映画を観てきた。この映画は、ドイツが「原発廃止」を決めたその基ともなったと言われているらしい。(これは4年の歳月をかけて制作されたドキュメンタリーで、ドイツでは13万人もの観客を動員したそうだ)

この映画の監督カール–A・ フェヒナーさんへのインタビュー記事が「スピボイ」というサイトに掲載されていて、私はそれを読んで感銘を受け、さっそく観に行ったのだ。
(ちなみに近畿一円ではこの映画は現在大阪十三にある通称「七藝」(ナナゲイ)と呼ばれる「第七藝術劇場」/サンポードシティ6F/06-6302-2073)でしか上映されていないようだが、ぜひ多くの人にお薦めしたい)

私が強い関心を持ったのは、それまでのフェヒナーさんが平和活動家として数々の運動に参加、デモで拘束されたこともあるぐらいの方でありながら、1991年より方針を転換され、戦争報道等、悲惨な状況を伝えるより、「解決方法」を提示したいと、
「持続可能性」(セステナビリティ)をテーマにTV番組やドキュメンタリー映画を制作されるようになったという、その経緯である。

この映画の中で主に語っておられる(故)ヘルマン・シェーアさんの言葉を下記にご紹介する。
「100%再生可能エネルギーへのシフトが可能で必要だということを理解すれば、人々は自ずとこれを推進するだろう」

既得権を手放したくない権力側の抵抗勢力も強く、ことはそう簡単にはいかないかもしれないが、原発に反対するだけでは無く、代替方法や新しい世界観の提示を通して「持続可能な社会」やユニークでオリジナルなエネルギー環境を実際に生み出していくという、そのアイデアは実に素晴らしいと思う。

この映画の中ではそのような新しい可能性がすでに実現しつつあることが明らかに示されていて、声高では無く、淡々とその事実が静かな映像と共に「数字」(事実)によって現され、観ている私たちは次第に納得がいき、映画を観終わる頃には、ほんとうにそのような「100%再生可能エネルギー」へのシフトが出来るのだということを、容易に信じられるようになってくる。そして自然に「希望と勇気」が湧いてくる。


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阪神淡路大震災で授かった能力(19)

2012-02-18 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
もう25年ぐらいも前の話だが、「内観法」というものを経験したことがある。
それは既述したように、私の不思議な癖(寝ている時の霊動?)を治すためにいろいろなことを試していた時のことで、ある人からの勧めだった。

それで当時奈良県の大和郡山というところにあった(故)吉本伊信先生の自宅(内観研究所)で行われた1週間の(泊まり込み)研修に初めて参加した。
(「内観法」の詳しい説明は省くが、吉本伊信先生はその創始者で、私は生前の吉本先生夫妻から直接にご指導いただいた)

研修の合間の食事時間などには放送があり、殺人を犯した人が「内観」によって立ち直ってゆく話(テープ)などを聴いたりした。
最初はとまどいもあって、なかなか内観が深まらなかったが3日目ぐらいになるとだんだん集中出来るようになり、間脳?が突然開いた?かのように、子供の頃の記憶が鮮明に戻ってきた。

そしてその頃の母が着ていた着物の模様や手触り、その匂いまでがふと甦り、私は思わず号泣してしまった。
それまで私は母にはあまり愛されていないと「思い込んでいた」のだが、実際はそうではなく、私の方が心を(脳幹を?)閉ざしていたのかもしれないと感じた。
私のことをいつもいつも心配してくれていた母の愛を思い出してはその後もどれだけ泣いたことか。

内観することによって、それまで「自己中心的に」眺めていた風景が一変し、相手の側からというか、(外側から)客観的に自分を眺めることが出来たのだった。参加者は何人もいたが、中にはひどい鬱で起きられない人もいた。その女性も帰る頃にはみんなと一緒に起きて掃除したり出来るまでに快復したことも記憶に残っている。

一週間があっという間に経って外へ出た時には、何もかもが新鮮に見えた。駅で電車を待っていると「回送」電車がホームに入って来たのだが、私はそれを見て「回送なんて随分珍しい駅名があるもんだな」と思ってしばらく眺めていて、ようやくして、「あぁ、そうか、これは『回送電車』なのか!」とやっと気が付いたぐらいに、自分のものを見る目が「ニュートラル」になっていたのだ。

さて、これからが本題なのだが、何年か前にふとまた内観に行きたくなり、どこがいいかと全国あちこちにある研修センターのHPを調べている時、ある高名な内観研究所長が書かれた体験談に目が止まり、それを読んでいるうちになぜか涙が滂沱と流れてきた。
それで、自宅からはかなり遠かったのだが、(何となくご縁を感じて)その内観研究所にしようと決めたのだった。

行ってみると、そこは本当に立派な施設で、まるで神殿か御殿かと言っていいぐらいにどこもかしこも真新しくピカピカだった。
設備も最新式で(ちょうどその時期は空いていて)十畳の和室に私一人だった。
(かつての内観研修では、屏風で仕切られているだけで何人かが同じ部屋で寝起きしていたが、最近は個室も増えているようだ)

最初は隣の部屋にも誰か居るようだったが(この研修所では女性と男性が上下の階に分かれていた)、そのうちその女性も研修を終えて帰りやがて私一人だけになった。ところが初日を終わる頃から急に始まった頭痛が、日が経つと共にだんだんひどくなってきたのだ。それでまだ途中だが切り上げて帰りたいと申し出たら「もう少し頑張ってみられてはどうか。それは内観への抵抗かもしれないから」ということで、担当の先生(そこの所長)にやんわり引き止められた。

それで我慢していたのだが、その先生が、なぜか私に対してひどい罵声を浴びせてくるのだ。そしてあろうことか、「君は嘘ばかりついている」と言うのだ。何を根拠にそんなことを言うのか!?とよく考えてみたら、その人は私が吉本伊信先生から直接の研修を受けたことがあると(申し込み時に)話したのを、当時の参加者名簿か何かで調べたようだった。
それでそこに名前が記載されていないので「不信感」を抱かれたようだったが、私はその当時とは氏名が変わりまた住所も全く違うので、誰が見てもそれは分らないことなのだ。

また、掃除をする時間帯に私が(ごまかして?)掃除をしていないと誤解されたようだった。
そこではあまりよく眠れなかったので、決められた起床時間の前からすでに起きていて身支度をするのだが、あまり器用な方ではない私はなぜかどうしてもその時間内(30分ぐらい)に全てをこなすことが出来ないのだった。
これは言い訳では無いが、私は決して手抜きしたわけでは無く、広い長い廊下や割り当てられたお風呂の掃除その他を済ませて、いざ自分の居室の掃除に取りかかろうとすると、もう正座(内観)する時刻になってしまうので、仕方無く(掃除機はかけずに)拭き掃除だけしていたのだ。

ところがこの立派な施設では全てが「監視」?出来るようになっているようで、二階の気配が全て下の階にある事務所(先生の居室)に伝わるように光センサーか何かで(あるいは掃除機の音や動きで?)分るモニターシステムになっているようで、施設の全てがリモートコントロール(遠隔操作)されている感じだった。

これは決して私の思い過越しでは無い。入所してまず最初の注意が、「夜に窓に触れると警報が鳴りますから気を付けてください」ということだった。長い廊下の全ての窓には全部「鉄格子」がはまっていて、まるで「牢獄」のようだと私は感じていたが、それは説明によると勝手に脱け出す人を防止するためで(外からの侵入防止策では無く)「自殺防止」のためでもあるということだった。

例えば鬱やノイローゼの人など心身が病んだ人たちも(それを治そうとして)内観に来るので、時にはそういう危険性もあることだろうとは思ったが、(いくら部屋が旅館以上に豪華であっても)私にはちょっとなじみにくい環境だと感じた。

あと、不思議だったのは洗面所の洗面器の上に、朝になると必ず男性のヒゲを剃った後のチリのような髪の毛が点々と落ちていたこと。その洗面所は女性専用で、その掃除は奥さんが担当されていたので、とてもきれいに掃除されていたし、先生方の居室(自宅)は一階にあったので、わざわざ二階の洗面所を使われるのは不自然に思った。
もしもそれとなく私の様子を見に来られる?にしても、まさかそんなところでヒゲをそられることは考えられない気がした。
(一階には男性用の研修室があり、そこにも広い洗面所もある)しかもその週は、館内には私以外に誰も研修生が居なかったのに、である。

そんなことが続いて、頭はガンガンするし、今度は奥さんに帰宅の許可をもう一度お願いしてみたが、「ここに来るとなぜか頭が痛くなったり、風邪を引かれる人が多くて、、どうしてでしょうかね?」と軽く言われ、「寒いようなら遠慮せずに暖房をどんどん使ってください」とまたまた優しく引き止められてしまった。

それでその後も真剣に内観を続けていたのだが、その先生が私の話を聴かれた後、何が可笑しいのか、去り際に片袖で口元を押さえながら「ククッ」と何とも不気味な笑い方をされた時には、心底ゾクゾクッとしてしまった。
(今思い出しても寒気がするぐらいだ)
しかもその後ろ姿や雰囲気があまりにも吉本先生にそっくり!で、その顔がまるで血の気が無く真っ青だったのだ。

ひえぇ~、きっとこの人は「ヒョウイ」されていると直観した私は、もうこんなところは何が何でも一刻も早く逃げ出そうと決心して、すぐに荷物をまとめて悟られないようにこっそりと階下に降りた。
すると事務所で(モニターで?)すでに察知していたらしい先生がすぐに出て来られ、私はその場で掴まってしまった。
けれども私の決心が固かったので、(普通は途中退所は許されていないのだが)向こうもそれ以上は引き止めることを諦められたようだった。

そういうわけで、(まるで脱獄囚?のような気持ちでいのちからがら)何とか無事帰宅出来たのだ。ほっ。
(その後頭痛はまだしばらく続いたが、そのうち自然に治まった)


このコワイ経験から私が学んだことは、何事も「凝り固まる」のはよくないということだった。
あの先生もあまりにも熱心で吉本先生に全身全霊をあげて心酔するあまり、自分自身の固有の(個性的な)人生を見失い、その悲しみがHPを通じて私を捉えて離さず、つい私も引き寄せられてしまったのかもしれない。
もしも凝り=狐狸だとすれば、彼にヒョウイしていたのは、決して吉本先生の霊などではなく偽物の、低次元の低級なものではないかと思う。

いずれにしても、何かを信奉し過ぎることは危険だ。オウムのような新興宗教にも気を付ける必要があるが、その先生のような立派なお仕事をされていても、そういうことに気づかない(自覚出来ない)のは、彼こそまさに自分自身の心に(魂に)「正直に」生きていないからではないだろうか?
(自分自身を信じることが出来ないから、人にも不信感を抱くのかもしれない)

例えば吉本先生は、(内観で)ただ泣いているだけの私に向かって、『何か私があなたにして差し上げられることがあるでしょうか?』と尋ねてくださった。また、お風呂に入る順番が来る前に(遅れては次の人に申し訳ないと思って)早めに廊下に並んでいた私に対して、『時間が気になるのですか?』と問いかけてくださったりした。(てっきり叱られると思っていたのに、、)

もしも疑問に感じることがあれば、直接その本人に訊いてみればすぐわかることなのに、それを聞くことをしないで、「君は嘘つきだ」などと人を(自分の思い込みで)決めつけるのはほんとうにおかしなことだ。
その人の口からいきなりそのような言葉が出た時点で、「これは何かちょっと違うのでは!?」と違和感があった。
(きっとそれはこの人本来の姿とは違っていて、たぶん何かにヒョウイされて?本人も知らないうちにいつのまにか魂の本質からずれていたのかもしれない)

この豪華な新築の?内観研修所には皇族の方も内観に来られることがあるらしい。そうか、だからあんなに立派な施設なのだと納得がいき、大都会のしかも凄い一等地であのような広い敷地と最新の設備を備えた建物を日々維持していくためには、一体どのぐらいの膨大な費用とエネルギーがかかることだろうと内心心配になった。

もしも吉本伊信先生が生きておられたら、果たしてどう思われたことだろうか。
私がそこに行ったのは、もしかしたら吉本先生がその方のことを心配されたからかもしれないという気もする。
私が内観の途中で逃げ出した!?(笑)ことはその人にとってはショックだったかもしれないが、もしもそのことで何かに気づいて
自分自身を取り戻し「正気に」なっていただけたとしたら幸いだ。

もちろん私にとってもこれは貴重な体験だった。
頭より体の方が正直だということ。自分の感覚や直観を信じるということ。どんな偉い人の言うことであっても相手の言うことを鵜呑みにしないこと。外見の立派な建物よりも中身の人間の方がずっと大事だということ。時には途中で止めても(逃げても)いいこと。等々。
たくさんのことを学べたので、今ではその先生にも(親切にお世話して下さった奥さまにも)とても感謝している。







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阪神淡路大震災で授かった能力(18)

2012-02-16 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
私のように突然に「自動書記」が始まったという人は他にもたくさんいることだろう。
自動書記ではなくても、例えば「臨死体験」や何かのきっかけで急に意識が覚醒したり、さまざまな能力が発現したりといったこともよくあると思う。

『ヘミシンクで起きた驚愕の前世体験』という本を書かれた鈴木啓介さんもその一人だ。彼の主催するある会に出たことがあるが、彼はエネルギーのわかる人のようで、私のプレゼントした宇宙画ポストカードについて「これにはエネルギーがあります」と顔を合わせる度に言ってくれた。(絵を描いた私自身はそのようなことがわかる人間ではないので)鈴木さんにはとても感謝している。

その本は本屋で注文しても在庫切れで出版社の方にも無く、残念ながらまだ読んでいないのだが、その次に出た『はじめてのチャネリング』という本(ビジネス社)は非常に面白く、かつ参考になった。鈴木さんのHPもとてもきれいで見易い。

それから、「うさ」さんという人が書かれた「『フツーの主婦がチャネラーになっちゃった!』(きこ書房)という本も、挿絵のマンガがぴったりで、内容がメッチャ面白く、しかも深いメッセージも多くて本当に素晴らしかった。
うささんは現在「チャネリング アーティスト」やヒーラーとしても活躍されているようで、この本の元になった彼女のブログもとても人気があるようだ。

そんなふうに自分に起こったことをきちんと整理して客観的に眺めることはとても大事なことだと思う。私がこのブログを始めようと思ったのも、そういう理由からだ。
そしてそれが誰かの参考になり、少しでも役に立てばなお嬉しい。

さて、有名なチャネラーのダリル・アンカさんがチャネルする「BASYHAR」の本『BASYAR GOLD』(関野直行 通訳/VOICE )という本を読んだので、ここで少し紹介したい。
私はバシャールの個人セッションを受けたことは無いが、阪神淡路大震災の前年だったか、関野あやこさんの主催された「グループセッション」に知人に誘われて参加したことがある。(その知人は関野あやこさんに瓜二つで、そのせいもあってかどうか、彼女の大ファンだったのだ)

その時の詳しい内容は忘れたが、知的で美しく、とても可憐で繊細にさえ見えるあやこさんが、バシャールと繋がってチャネルを始めたとたんに、なぜかエネルギーがすっかり変貌?して、荒々しいというか、男性的で大胆な態度になり、大きな力強い声で話し始めたのが強烈な印象として残っている。
そして正直な話、私はその変化についていけず、どちらかと言えばバシャールよりもエクトン(リチャード・ラビンさんがチャネルされ、チャンパックさんが通訳をされている)の方が安心出来て好きだったので、その後バシャールの本は何冊か読んだが、実際に個人セッションを何度も受けたのはエクトンの方だった。
(このエクトンのセッションの体験談についてはいずれまた紹介したい)

今回久しぶりにこの「バシャール」の集大成とも言うべき本を読んで、改めてバシャールを見直し、書かれてあることがとてもよく理解出来たのだ。その頃の私にはバシャールのエネルギーは強過ぎて、はじかれてしまうような感覚があったが、ようやく少し受け容れることが出来るようになったのかもしれない。

そして自分のこれまでの人生と照らし合わせてみても、「ワクワクすること」をやっている時やそういう方向を目指していた時はなぜかとても人生がスムーズにいっていた気がする。多少の困難や苦労はもちろんあったとしても、イキイキとして元気だったのだ。
反対になかなかうまくいかなった時のことを振り返ってみると、(この本を読んで気が付いたのだが)自分自身を疑っていたり、目標(ワクワクする夢など)を見失っていたように思える。

この本にはバシャールと出逢って大きく人生の方向転換をした人たち(自分の天命、使命を見い出し、ワクワクする目標を見つけそれを仕事として人生を楽しんでいる人たち)の体験談がたくさん載っている。
彼らによって語られているその歩みの実話(この20年間の軌跡!)を読むだけでもとても勇気付けられるが、その他にも誘導瞑想、実際のセッション(オープンチャネリング)の記録等々もあり、盛りだくさんの内容で誰にとってもかなり役立つと思う。

これまで誤解していたようなことについても新しい発見があり、私自身の認識を変えるのに大いに参考になった。
特に「自分の願う現実を創造する」ためのコンテンツ「1-3-5-7 現実創造法則」は、新しい現実を創造したい人にとって、本当に使えるツールとなることだろう。
もちろんそれを選択するかどうかは個人にまかせられているが、私はさっそくにこの方法を試している。
「この現実を変えることが出来る」(そういう選択をする)ということが、私にとって今一番ワクワクすることだからである。


下記の絵は『チャネル』です(まだポストカードにはなっていません)。




(無断転載、および許可無しのコピー等はご遠慮ください)

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阪神淡路大震災で授かった能力(17)

2012-02-13 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
太陽のフレア活動が活発になるとオーロラが増えるそうで、昨日もニュースで話題になっていました。
また別のニュースでは『 宇宙の地図 Cosmic Atlas 』(朝日新聞出版/2100 円)という写真集が紹介されていましたが、これはぜひとも手元に置いて眺めたいと思いました。

私は科学的知識には弱く、子供の頃から理科系は苦手で、今でもさっぱりわかりません。わからないながらも興味だけはいつもあって、11日に封切りされた映画「はやぶさ はるかなる帰還」もさっそく観てきました。

はやぶさは物体であるにも関わらず、映画を観ているとそれがほんとに意識のある、心を持った存在(生き物)であるかのように、(まるで我が子のような?)愛おしさがこみあげてきます。そしてイオンエンジンの開発者たちが神社へお詣りする場面にも自然に共感してしまいました。(アメリカでもたぶん教会でお祈りを捧げるのだと思いますが)そこには何か「理屈を超えた」ものがあるような気がします。

昨年読んだ本の中では、筑波大学名誉教授の村上和雄氏が書かれた『人を幸せにする 魂と遺伝子の法則』(致知出版社)が印象に残っています。とても読み易くわかりやすく書かれていますが、その内容は深くて感動させられました。

話があちこち飛びますが、「宇宙は人体と同じかたち」をしていて、その子宮の位置に地球があるから、地球にはこのような生命(いのち)が宿っているのだということを、ずっと昔に夢で見ました。それからもう何十年も経ちますが、今でもありありと記憶に残っています。

そして同じ頃に見た夢の中で、「あれが私の生まれた星だ!」と、なつかしいふるさとの星を目差して(意識だけが)飛んでいくという体験?をしたこともあります。
それがほんとうかどうかはわかりませんが、この地上からはるか彼方の夜空に輝くその星を見上げる度に、何となく勇気付けられます。

阪神淡路大震災がきっかけで始まった「自動書記」の線描画の中には、いろいろなかたちをしたUFO?だけではなく、人体実験の図や地図(アトラス)、その他何かの工作図?や記号、電気配線図?のようなもの、潜水艦?あるいは人体のチャクラ図形など、さまざまなものが描かれています。またなぜかピラミッドの構図も多いのです。

自分で描いておきながら自分自身では解明出来ないというのは残念ですが、これらの持つ意味がいつ証されるのか?とても楽しみです。

下記の絵は『メディテーション(瞑想)』という題です。これは私のとても好きな絵で、いつだったかこの構図とそっくりの写真をNASAの発表している宇宙写真の中に見つけてびっくりしたことがあります。
(もしかして今回発売された『宇宙の地図』という写真集の中にも載っているのでは!?とワクワクしているところです)




(許可無しに転載およびコピーすることはご遠慮ください)




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阪神淡路大震災で授かった能力(16)

2012-02-11 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
自慢するわけではありませんが、私には30代の後半頃から始まった不思議な癖?があります。

最初の頃は寝ている時に足をバタンとさせるぐらいだったのが、次第に進化して?そのうちどこの言葉かわからないような「異言」を唱えたり、またパンパンと「柏手」を打ったりするようになりました。

ある時知人のアパートに泊めてもらった時、そういう「霊動」?が激し過ぎて、夜中に下の階(他所の家)の赤ちゃんが泣き出し、知人はびっくりして目を覚ましたそうです。私の方はその瞬間には「あっ、またやってしまった!」と一瞬目が覚めるものの、半覚醒状態からすぐまた眠りに入ってしまうのですが、知人はその後も気になって眠れず私の様子をじっと眺めていたそうです。

そして翌朝、さも気味悪そうに「身体から白いものが出かかっていた」と私に告げたので、我が身のことながらとても不気味な気がしました。(たぶんそれは「幽体離脱」しかかっていたのではないか?と思うのですが、その頃は私にそういう知識が無く、まだ今のようにインターネットも普及していない時代で情報も得られず、その意味がわからなかったのです)

また別の折には、ある友人の家で、私が夜中にガバッと半身を起こして突然にお経を唱え出したりしたこともありました。
自分の口から「お墓に参ってください」などという言葉が飛び出して、手をついて頭を下げたり、両手を合わせて拝み出すのです!
姿の見えない誰かがそこに訪ねて来ていて、その人の供養と墓参りをなぜか私に頼んでいるように感じられました。

まるで「キツネ憑き」のような?そんな経験は全く初めてでしたが、その時はコワイと感じる前に、むしろその依頼を「断ってはいけないのでは?」などと思って、律儀にもどこの誰なのかを確かめて(頼まれたお墓にお参りしてあげねば)と思うぐらいに、「お人好し」の私でした。

友人はそんな私に「親切の度が過ぎる!!死んだ人も生きてる人も同じだよ。相手は、この人なら自分の願いを叶えてくれそうと思う人のところにすがってくるんだから!」とあきれかえっていました。
彼女の説得力ある一言に、「なるほど」と初めて「目が覚めた」私でした。

私の父が亡くなった通夜の折にも、この癖で本当に困りました。仮眠したり、うとうとした入眠時に特にひどくなるからです。
疲れている時や新しい場所に行った時などにも多い気がします。
また電車の中でも眠りかけるとひとりでに身震いしたり、奇声を発したり、足をドスンと鳴らしたりして、赤面してしまうこともあります。

それで知人の紹介やツテで、私のこの奇癖を直すために、「霊能力者」とか、チャネラー、ヨガの先生などを訪ねて廻ることもしました。

この詳細についてはまたいつか書くつもりですが、ともかくそういう癖が(いろいろバターンは変わっても)今もまだ続いていて、最新バージョンは「自分で自分の名前を呼ぶ」という、けったいなものです。

この癖があるために、どこかに団体旅行する場合は必ずシングル部屋を予約するようにしています。
でもある時、「趣味のグループ」の旅行で、どうしても部屋が取れずに大広間でみんな一緒に雑魚寝という羽目になり、その夜は特にこの癖が激しくて、もう自分でもどうしていいかわからないぐらい凄まじい状態になってしまったのです。

もちろん眠る前に私のそういう癖については説明していたのですが、みんなは気にも止めず「あら、そんなの、大したこと無いわよ。私だって歯ぎしりもするし、寝言も言うし、、」なんて口々に言って、それがどれほどひどい状態なのか想像だにぜず、誰一人何の興味も持っていませんでした。

ところが朝になってみると、もうみんなの私を見る目がすっかり変わっていて、それ以来そこのグループの中ではその話がおひれがついて広まり、まるで伝説か神話のように!?すっかり後々の「語りぐさ」になってしまったのです。嗚呼!

私も自分に出来る対策として、例えば手袋をはめて寝たり、マスクをしたり、足の下に座布団を敷いて出来るだけ音を立てないように工夫をしたり、これまでもいろいろやってみたのです。でもダメでした。寝ている間にいつのまにか全部外してしまうからです。

ところで説明が遅れましたが、この癖は「阪神淡路大震災」がきっかけで始まったというわけでは無く、その頃の私は自己流で瞑想三昧の日々を送っていたので、もしかしたらそれが原因では無いかな?という気がしています。
それまでの私にはそういう癖は全く無かったのですから。

それにしても(この癖のおかげで途中で縁が切れてしまった人もいる中で)こういう私でも今も変わらずに付き合ってくれる友人、知人、そして家族には本当に感謝です。

「線描画を描くようになったこと」と、このこととは何か関連があるのかどうか?は今はまだわかりませんが、いつかこの真相が証される時が来るといいなと願っています。

つらかったのは、こういう「霊動」?を「ヒョウイ現象」?だと見られたり、霊的修行が足り無い?とか、足が地に着いていないせい?などと「上から目線で」アドバイスされたりして、なかなか「共感」や理解をしてもらいにくいことでした。

その反対に友人の中には面白がる人もいて、ぜひ私のその寝言!?を聞いてみたいと、わざわざ私の側近くに並んで寝る機会を持った人もいたのです。そしてその時を楽しみにワクワクしつつ、起きて待っていたらしいのですが、いつのまにか眠ってしまって、彼女は朝まで何も知ることが出来ず、大いに残念がっていました。

またある時はこの現象に興味を持ってくれた友人が私に協力してくれて、彼女の家に泊めてもらった機会に(「異言」を録音してみては?と提案してくれたので)枕元に録音器を置いて寝たこともあります。

朝になって二人でその録音を楽しみに聞いてみると、そこに入っていたのはきれいな口笛の音とさわやかな小鳥の声だけでした!





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