☆ ブログ光のチャレンジ ★「魂の似顔絵」テレパスアートは「テレパスアート」のHPからお問い合わせ&お申し込み出来ます♪

1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

AZUMIC ART 15年間の軌跡

2013-12-22 | 「アズミックアート物語」21~ その後
ブログをご覧いただきありがとうございます。

2013年12月22日の冬至をもちまして、「アズミックアート」は終了致しました。
(「テレパスアート」およびブログはこれまで通りですのでどうぞご安心ください♪)

下記終了の挨拶文が掲載されていますので、もし宜しかったらご覧ください。
(☆ 宇宙画『マドンナ』のケーナ曲も聴けます♪)

http://www006.upp.so-net.ne.jp/azmixi/

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1998年からこれまでの15年にもわたる長期の皆様方のご支援とご愛顧に、そして大変お世話になりました「らく~ら」さんはじめ、「ネオデルフィ」さんや、ご縁のあった関係者の方々に心より深謝申し上げます。

下記、ささやかながら<アズミックアートの軌跡>を辿り、これまでの二人の想い出をシェアさせていただき、御礼に代えさせていただきます。




1995年1月17日の阪神淡路大震災の前後より突如として「自動書記」による「宇宙画」(線描画)を描き出す。
 
☆パート勤務だった 職場(神戸市東灘区)および一人暮らしだった自宅マンション(明石市)の被災をきっかけに退職、誰も知り合いのいない広島に転居
職業訓練校に入所して、1995年秋~1996年夏の終わりまで丸一年間広島に一人で暮らす。

★ この時期に初めて受けたたくさんのワークショップやセミナーなどで精神世界と出逢う☆

この間の1996年初夏にメキシコユカタン半島の遺跡を巡るツアー(霊能力者のレバナ女史同行)に、広島で知り合いになった知人と二人で参加。
その後一緒に暮らすことになる一正との出遇い♡

この時の「旅日誌」代わりに描いた「絵日記」(個人の絵の線描画)が、後に「ヒーリングアート」となる。
 
☆ 1996年秋、友人の紹介で再就職が決まり、関西へUターン。大阪の郊外に一人暮らし。

1996年12月 クリスマス直前に、実家で暮らしていた一正が職場を退職し、関西に来て私と同居
(本人の希望により彼自身の本名の苗字を変更。以後、私の苗字を非公式に共用する)
 ↓
その後「渡邊満喜子さんのボイスセミナー」に二人で参加。
現「らく~ら」店長のたまさんと出遇う♡
 ↓
1997年5月 たまさんの紹介で「ヒーリングアート」(現「テレパスアート」の前の呼称)を仕事として描き始める
 
1998年3月 京都寺町通り「ギャラリーヒルゲート」でのグループ展のため、
「ポストカード第1集」を制作。

この折りに正式に「AZUMIC ART」を発足させ、一正が「宇宙画」(線描画)を何点か「アクリル彩色」する。
(その前後には仲間の経営する大阪の喫茶店や、お寺などのフリースペース、牛窓のお店などでも小さな展示会を催す)
 
2000年秋~ 二人で東伊豆に転居する。
 (2001年春 古い母屋のリフォームと離れのログハウス一室が完成☆)
 
2001年1月~  その頃JR大阪駅構内にあった「旧セルヴィスギャラリー」にて3週間の個展
 それまでに一正が私の「線描画」を拡大トレースし、彩色して描きためていた作品とこの展覧会のために新しく制作した 作品を合わせて、「計40点」の「宇宙画」を展示販売する。
(この折りの作品は後に「らく~ら」さんに多数飾っていただき、一部非売品を除き、10年かけて全て完売される)

 またこの時に新たに「ポストカード第2集」も制作、発売する。
 
2004年9月~「ヒーリングアート」から「テレパスアート」に名称変更。(水彩画からアクリル画に変える)

 同年10月「ポストカード第3集」を制作発行
 相前後して「らく~ら」さんにて、「宇宙画」作品を多数展示していただいたり、また年賀状などにも使っていただく。

『宇宙人遭遇への扉』(ネオデルフィ刊/星雲社発売)の表紙に『スペースフィッシュ』が採用され、本文挿絵に「線描画」も多数掲載される。

その他、あちこちの川柳誌や同人誌などの表紙、裏表紙、レイアウトなどにも「宇宙画」が採用される。

 
★ 伊豆で暮らして5年後ぐらいに、一正はそれまで続けていたアルバイトを辞める。
「宇宙画」の彩色制作を止めて、以後はそれまでぼちぼちやっていたケーナによる作曲や演奏の方へよりシフトする。

(この間に友人、知人含めたくさんの方々が個々伊豆まで訪ねて来てくださって愉しく交流。
ログでケーナ演奏を聴いていただいたり、また少人数でリゾートホテルに一泊しての「ヒーリングアート友の会」などを催し、「お・も・て・な・し」の日々を過ごす)
 
2010年春(平城京遷都1300年祭)に関西へUターン
 一正は実家へ戻り高齢の親と同居。私は京都府郊外にて一人で暮らすという別居生活が続く。
 ↓
2012年12月21日(マヤ暦最終日前日の冬至)「一日だけのアズミックアート展」を岐阜県恵那市にて開催。
 これが最後の展示会となる。

 遠くよりゲスト参加してくださった「たまさん」とも何年ぶりかの再会♡ 
 記念に 希少な手作り「石笛」を贈呈♪
(これは『植物さんとの共同研究』の故・三上晃先生にエネルギーを測定・鑑定していただいた、「宇宙からのメッセージ」!?に基づき制作されたものです)

 また、せっかくのこの機会に、一正はいよいよケーナ演奏「正式デビュー」!?の筈が、連日展示会の準備に追われていたためか、練習不足で当初のもくろみが外れ、残念ながら少々イマイチ!?の結果でした(汗)。

それにも関わらず、参加者の皆様からは心温まる感想を寄せていただき、ほんとうに嬉しい限りでした。
今でも深く印象に残り、私たちにとっては最初の個展と共に、一生忘れられない「感動的な集い」となりました。

 翌朝22日(日本時間で「マヤ暦最終日」と言われていた日)
恵那神社に記念参拝してささやかな寄進。 
娘と3人で山頂より「新しい大陽」を拝む。
 
☆ 2013年2月 一正は実家を処分。高齢の彼の父は兄夫婦の近くに転居。
 長年介護施設に入っていた彼の母が今夏に亡くなる。
 
2013年4月 今後は「それぞれ別々の道を行く」ことをお互いに選択、決意☆
一正は向後「元の本名に戻る」ことになり、
私の方はこれまで通りそのまま「テレパスアート」を継続☆
 

2013年12月22日冬至 「アズミックアート」終焉を迎え、お互いに新しいスタートを切る♪
 
……………………………………………………………………………………


以上です。

昨年の冬至、恵那での「宇宙画」展示会&ミニコンサート?の折りには、まさか、まさか1年後にこのようなことになろうとは、全く予想もしていませんでしたので、この春からの意外な急展開に、正直なところ未だ少々戸惑っている面もあります。
(引っ越し日まで決めて半分向こうに送った荷物も、実はまだ手元に引き取っていないのです)

けれども、つい最近たまたま手にした佳川奈未さんの『願いは宇宙が叶えてくれる』という本(PHP文庫)の中にこんな言葉を発見!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<宇宙はいつでも、あなたのためにならないものでない限り、あなたからなにも奪ったり、去らせたり、失わせたりしないのです。>

「宇宙はあなたの意図するものや、魂に必要なものを知っていて、最もあなたのためになるようなものを、あなたにとって一番いいときに、一番いい形で与えようとしている愛に満ちた存在だからです。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この言葉を見つけて、「そうか、もしかしたら、突然に、このような終わり方や別れ方になったことも、全て自分自身のためになり、後になってみれば『その方が好かったのだ』と悟るのかもしれないな♪」と感じたのです。

『 一つの扉が閉まるとき、また別の扉が開く☆ 』のかもしれません。


それで、何だかアズミックアートの「活動記録」というよりも、個人的な経歴披露!?のようで少々面映い(恥)ですが、この際に簡単ですが(現況と合わせて)「終了のご挨拶」と皆様方への「感謝」♡ をお伝えしたくなりました。


また、これは自分たちの記録にもなりますし、いつか必ず私の念願である「アズミックアート物語」がマンガになって出版される♡ 時のためにも(笑)、ここに書いて残しておきます♪

また夢が実現した折りにはお知らせしますね! そのためにもブログは続けなくっちゃ(笑)。


おかげさまで2012年よりスタートしましたブログも、最近は訪問者数が日々約100人前後ぐらいになりました。
これまでのトータル訪問者数は2年間で延べ5万人を越えました。

これもひとえに皆様方の心からのご支援とご愛読のおかげと心から感謝しています。
もちろん、陰になり日向になりしながらいつもあたたかい声援を送ってくれるたまさんのおかげでもあります。

「アズミックアート」のHPを訪れる方は、ブログほど多くはないのですが、たまさんが何か書いてくださった時はなぜか急に増えて、HPを管理してくれている彼も驚いておりました(笑)。
たまさん、ほんとうにありがとうございます!!!

たまさんのブログも来春にはきっと復活!? と信じて、今からとっても楽しみです♪


「アズミックアート」は終わっても、私たちはこれからも協力仕合い、何かあった時には助け合って、それぞれ切磋琢磨しながらこれからも「魂を輝かせる道」☆ を進んで行きます。
どうぞ向後もあたたかい目で見守っていただけましたら幸いです。

これまで本当に長い間「アズミックアート」へのご支援、ご愛顧をありがとうございました!!!

これからも皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈りしています。
2014年もどうぞお元気で、益々ご活躍くださいますように♪


なお、「テレパスアート」および「ブログ」はこれまで通り
続けていきますので、向後も引き続きどうぞよろしくお願い致します。



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★ なお、アズミックアートの「宇宙画」原画はすでに完売しておりますが、
「ポストカード」第2集、第3集はまだ在庫が若干ございますので、
もしご希望の方がおられましたら、お手数ですが「テレパスアート」の方へアクセスして
お申し込みいただけましたら助かります。

(第2集は8枚入 ¥1000/第3集は10枚入 ¥1200)いつでも送料無料でお届け致します。
年賀状の返信などにもお使いいただけましたら嬉しいです。

1冊からでもどうぞお気軽にお申し込みください。
心より楽しみにお待ちしています♪




下記の絵は『セブンバウズ』です。





無断転載およびコピーはご遠慮ください。



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桜島噴煙とおへその渇き

2013-08-19 | 「アズミックアート物語」21~ その後
連日のあまりの暑さ(異常気象)に何かあるのでは?と気になっていたら、何と桜島の5千メートルの高さにも及ぶ噴煙!

そしてそれとは全く何の関係も無い?筈なのだが、突然におへそが痒くなり、見てみるとなぜかカサカサに乾いて(渇いて)いる。

人のからだは「小宇宙」とも言われるし、また「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもある。

外側の世界で何かがある時は、まず私はそれは「自分自身のこと」として、自分の「内側」(内面)を見直すことにしている。
自分の周囲に起きることの全ては「自分の内側の世界の反映」でもあると思うので、、。

それで、まずは自分の内面を見ること(瞑想等)の前に、久しぶりに「おへそのごま取り」をした。
普通はどのぐらいの間隔でおへそのそうじや手入れをするものなのか?はわからないけれど、私はふと気が付いた時にすることにしている。


そう言えばここしばらくというか、長い間「おへその存在」自体を忘れていた気がする。
こんな大事な場所なのに! 
おへそさん、放ったらかしていてごめんなさい!!


というわけで、まずはいつも使っている「健生会」のエドガー・ケーシーのオイルを何滴かおへそに垂らし、しばらくおいてから綿棒でそっと中を拭ってそうじをしたのである。
(念には念を入れて私は綿棒にも少しオイルを染み込ませるようにしている)

この方法はとても簡単で、安全。
しかもすぐにきれいになり、おまけにおへそを通してオイルがからだの中心に吸い込まれていくような感じがして、とても気持ちがいい。
おへそのそうじと手入れが終わったあとは、何だか気持ちも柔軟に「うるおい」が出る?ように感じる。

まさか、こんな方法で桜島の噴煙が収まるなんてことは無いだろうけれど!?


そしてその後、この突然の「おへその渇き」というのは、一体何だろう?と、(生理的、科学的なことはよくわからないので)ふと「哲学的」?思考をしたのだった。


おへそは「へその緒」の痕跡ということは誰でも知っていると思うが、ここは「母子」の繋がりを感じさせるところでもある。
そして「生と死」も連想させる。
昔からの言い伝えとして、もしもほんとうにいのちの危機を迎えた時は、「へその緒を煎じて呑ませる」といいと聞く。
それがどこまで効果があるのかはわからないけれど、その深い意味は人と人との「絆」や、つながりということでもあるのだろうか?


ところで「日本のへそ」は兵庫県の西脇市にあたるらしいが、「世界のへそ」というのはどこだろう?と、ついでにネット検索してみると、
アボリジニーの聖地「ウルル」(エアーズロック)だった☆

ここはかつては8千m級の高山が連なっていたところだと知ってびっくりした。
雨や風の浸食、大地の変動によって今のような一枚岩の形状のウルルになったらしいのだが、思わずウ~ムと唸ってしまった。


というのも、宇宙画(線描画)『アトラス』(この題は後で付けたのだが)を描いた時、「ここから人類のいのちが生まれた」場所として、その絵では(かつての)オーストラリア大陸一帯の海の中に、まるで「胎児」のようなかたち?の(鳴門の渦巻きのような?)「おへそ」!?を描いているからである。
そしてそれは例えば淡路島の「国生み神話」も思い出させるが、要するに地球の?エネルギーの誕生した場所ということかもしれない。


さらに偶然にも、今度その『アトラス』の曲をアズミックアートのHPに掲載する予定で現在準備中だったので、特にそれを意図したのでは無いけれど、もしかしたら、この桜島の噴煙も「出来るだけ強い『風』で高く遠くへ吹き飛ばして、その濃度が薄まるようにする」ということを意味しているのかもしれない!?と直観的に感じたのだ。

なぜなら、この曲は風がメインテーマになっていて、『アトラス』の絵そのものも、「草原に風が吹いている」イメージでもあるからだ。

そんな「草の波」の彼方から「宇宙の記憶を運んで来た白い船」がやって来るという、、そして私たちを乗せてほんとうの魂のふるさとへと連れて行ってくれる♪ というそんな風景が歌になっている。


私たちの地球は今やどんどん緑が失われ、容赦の無い強い太陽光線が降り注ぎ、大地はカラカラにひび割れて乾き、人々のこころもからだもカサカサに渇き切り、家族関係も民族間もうるおいが失くなり、ギスギス、ギクシャクとして、あっちでもこっちでも紛争だらけ、、。

そして先行きの見えない、まるで「濃霧」の中に入ったようなそんな世界の中で、みんなどうしていいのか? 不安に駆られ、また溜まった「憤まん」が爆発的な「噴煙」となり、空高く噴き上げられ、火口(おへそ)に詰まったゴミも巻き上げられているのかもしれない。


清らかな風がそのような汚れや溜まったゴミを吹き飛ばして、さわやかに浄化してくれますように!

これまでの記録に無いような豪雨の次は「風」なのか!?と、どうか決して心配をされませんように、、。
これも地球にとっては「必要なそうじ(浄化)」なのかもしれないのですから。

自然は「五風十雨」というように、五日に一度の風、十日に一度の雨で、これまでうまくバランスを取っていたのかもしれません。
もしかしたら今はその「崩れたバランスを回復する途上」なのかもしれないですね。

日本も世界も、、。地球自身も今や何万年に一度の?「遷宮」(アセンション)の時を迎えているのでしょうか!?


むしろ宇宙のひな形でもある私たち自身(小宇宙)の方も、身辺の整理や浄化をし、そして「禊」をする時なのかも?


自分自身にとっての「へそ」にあたるものは何なのか?
もっとも大切なものとは何なのか、、。

そんなことを思いながら、桜島の噴煙が収まるのを心から祈っています。



下記の絵は『アトラス』です。
この絵は未だポストカードにはなっていません。






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奇跡の朝

2013-06-21 | 「アズミックアート物語」21~ その後
「奇跡のりんご」という映画が現在全国上映中ですが、これはもう奇跡の、、というよりも私からすれば「努力のりんご」と言っていいぐらいな気がします。

私は映画はまだ見ていないのですが、ずっと以前に木村秋則さんの書かれた本を読んで以来の彼のファンです。

ところで、今日は「夏至」ですね!
伊豆に住んでいた頃はいつもこの日には平和を祈る儀式を二人でやっていました。
ケーナーを吹いたり歌を歌ったり、、。

ログをオーリングテストをしながら建てた話は以前書きましたが、そんなふうにして建てたら全く意図せずに(出来上がってみて初めてわかったのですが)建物の四面がほぼ東西南北にきっちり合っていたのです。
それで、夏至の日にはちょうど朝日がまっすぐにログの入り口(東)から入って来たのです。


さて、昨年末12月21日の冬至にはやはり木造りのアークエンジェルのイネリムホールで、アズミックアートの展示会をさせていただきました。日本時間では22日になるそうですが、その日が「マヤ暦最終日」ということで、、。

それでもその後特に何もなかったじゃないか!?
「何も起こってないよね」と思われている方も多いことでしょう、、。
実は私も半信半疑のままでした。


先日参加したTHD主催の「奇跡とコンタクトする時代」と題するセミナーの中で、近藤洋一氏がそのことについて、
少し触れておられたので、ついでながらお伝えします。

コールマン博士によりますと、実は正確には「マヤ暦最終日」はその前年の秋、2011・10・28だったそうです。
が、いずれにしてもその日の手帳を見てスケジュールなどを見直してみても、私には特に印象に残るような出来事も起きていませんでした。

ただ、その日からやはり(目に見えない)変化が起きているそうで、それは下記の3つの点においてだそうです。

① 「宇宙計画」に地球人類が「共同参画」するようになる
② 右脳と左脳が統合されていく
③ 時間が変わる

そして、近藤洋一氏は「イヤシロチ」についても話されていました。
例えばある場をよくするためにはそこのウイルスを殺すのでは無く、その場をイヤシロチ化するということです。

そのことに関してふと思い出したのは、たまさんの言葉です。

たまさんは(伊豆に行く前に私たちが住んでいた)大阪の郊外の狭いアパートにも訪ねて来てくれたことがあり、また恵那にも来て下さったのですが、その時その「空間」がとても澄んでいて、まるで森の中に入って行くような不思議な感覚がしたそうなのです。

そんなふうに言っていただいてとても嬉しかったのですが、私はそれまでも15回以上もの転居をしていて、その中でもとてもヒドイ劣悪な最低の(今思い出してもゾッとするような)環境にも暮らしたことがあります。
けれどもいつもその中でも精一杯そこをきれいにしようと自分なりによくやったと思います。

どこのどういうところで暮らそうともそういうふうにしなければ、自分自身が苦しくてその場に居られないからです。
そういうことを振り返った時に、「あぁ、もしかしたら(無意識的に)自分がやろうとしていたのは、その場の『イヤシロチ化』だったのかも?」ということに気付きました。

そういう意味では唯一自慢出来ることがあるとすれば、「努力のりんご」では無いですが、「努力の家」!?だったかもしれません。
ただ、私の場合、とても残念なのは、そこが居心地好く気持ち好くなってきた頃には、なぜか宇宙からの?「転居命令」の辞令!?が降りて来て?どうしてもそこに居られなくなり、また、次へ移ってはせっせっせとそこを磨くというような運命(宿命!?)のようなのです。

それでもさすがにもう還暦も過ぎて今は「大還暦」(120歳)へ向けての旅の途上なので、これ以上の「転勤命令」は受けられないな~と思っています(笑)。
その最後の幸せな「終生の住まい」が何処になるのかは未だわかりませんが、これまで以上の最高に素晴らしい☆さわやかな自然に囲まれたところがいいなと願っています。


他のことには何の欲も無い私ですが、これまで住むところや家にこだわってきたのは、決してぜいたくとか、ワガママからではなく、ちゃんとしたそういう理由があったのだということに、近藤洋一氏やたまさんの言葉から気付かされました。
そしてそういう自分なりの、どうしても譲れない「こだわり」もあっていいのだな~と思えて、ほっとしました。


また、同じセミナーで「夢を叶える時代」と題して講演された武田葉子さんは、どうやら関西出身?らしく、とても気さくなお人柄で、言葉もところどころ関西弁でとっても楽しく、私は不思議な話の連続にびっくりしたり、笑ってばかりいました。

彼女は「奇跡あたり」(食中毒では無く、奇跡あたり♪)と、周囲の人に言われるぐらい、まさに奇跡の連続の日々を送っておられるようですが、そんなふうに「夢を叶えるコツ」は

① 人の奇跡の話を聞いた時、そんなことは自分にはあり得ないと思わず、「私にも起きるかも?」 と信じること
② 生まれて来たことがもうすでに「奇跡」であり、そのことに感謝する
③ 「魂からの夢」(ほんとうの願い)に気付く

そして、「自分が自分を信じられるような自分になる」ということだそうです。

思い、言うこと、そして行動が一致するということ。
ほんとうはどうしたいのか?どうなって欲しいのか?を深く考え、意識する。

例えば彼女は具体的な(「一人コーチング」の)方法として、ルーズリーフ(ノート)に、自分の悩みや課題、問題、「プチムカ」(ちょっぴりムカッとしたこと)について書き出し、まずそれを「認める」。
自分がそのような気持ちを持っていることや、その時のうまくいっていない状況や事態を客観的に事実として認めること。

そして次に、それを流す。「ストッパーを外す」のだそうです。
それは、「ほんとうはどうなりたいの?」と自分自身に聞いていくということです。

最後にどんな絶望的な状況の中でも最後の最後まであきらめないで希望を持ち続けること。
彼女は自分自身の介護体験を話してくれましたが、本当にそれはまさに「奇跡」としかいいようのない出来事でした。

それでもやはりそこには凄い「努力」もあり、決して自分は一切何もしないで、「ただ奇跡が起きるのを待つ」だけとか、何かが突然天から降って来るというような、そういう丸投げの「依存」では無いのです。
最後まであきらめないで信じ続けるにもエネルギーが要り、それも「努力」の一つではないか、と私は思うのですが、皆さんはどう感じられるでしょうか。


そして、彼女の話の中で最も面白かったのは、「幸せは伝染する」ということです。
幸せな友人を持つと、自分の奇跡率!?も15%ぐらいUPするそうです。
また、全く知らない人にも自分が幸せであることは影響を及ぼすということを知って、ほんとうにそれは素晴らしいなと思いました。

武田葉子さんは、これまで無料で「夢を叶える学校」をやっておられたそうですが、これからは有料になるということでした。それでも年間¥12000でその学校に通えて、幸せ力や奇跡力がUPして、もしも自分の長年の夢が叶うとしたら、例えば「婚活」に払う活動費よりはずっとラッキーかも!?
(詳細は彼女のブログや「夢を叶える学校」のHPをご参照ください)


私の場合、武田さんと同じか、それ以上の?「奇跡力」を持ったとても幸せな友人たちが側に何人もいてくれているので、おかげさまで「奇跡の学校」にもうすでに毎日通っているかのようです(笑)。本当に感謝です。

そして私自身も、テレパスアートのお客様がそんなふうに、(例えば絵を手にされることで)幸せ力や「奇跡力」が少しでもUPするお手伝いが出来ればいいなと心から願っています。

決して「霊感商法」ではありません(笑)ので、科学的な効果の証明や再現の出来ないことは、大きな声では「効能」は言えませんが、出来れば海外のお客様にももっと広くご利用いただけたらいいなという夢☆ もあります。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。


いつもご愛読ありがとうございます♪


下記の絵は『マドンナ』です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。




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瞑想

2013-01-25 | 「アズミックアート物語」21~ その後
1983,4年頃、私はまだ30代の半ばだったが、その頃が一番よく瞑想していたと思う。
一人暮らしだったので、休日はほとんど一日中瞑想していたぐらい、「瞑想おたく」?だったこともある。

その時に全身を貫くエネルギーの衝撃的な上昇(今から思えばそれは「クンダリーニ」の上昇だった気がするが)を経験したり、周囲が急に黄金色に輝き出すような不思議な体験もあった。
尾てい骨が熱くなって困ったこともある。

けれどもそういう「指導者無しの瞑想は危険を伴うこともある」とある方から教えられ、それ以後はあまり凝り過ぎないように気を付けるようになった。
そういうわけで私の瞑想は未だに我流のままで、ちゃんとした瞑想になっているのか?どうかは今もわからない。

テレパスアート(以前はヒーリングアートと呼称していたが)を描くようになってからは、なぜかあまり深い瞑想が出来なくなってしまった。
それはどうやら絵を描いている間はすでに「瞑想状態」に入っている?らしいこととも関係しているのかもしれない。

もちろんそうは言っても例えばその途中で宅配便が届いたりといった時には、ちゃんとドアを開けて対応することも出来るので、意識がぶっ飛び過ぎてどこか異次元?や別世界を彷徨っているというわけではない。
半分の自分はちゃんと覚醒?していて、意識的に画面に向かっている部分ももちろんあると思う。

そして絵を描き出しての変化といえば、もう一つある。
自分のことについてはなかなか描けなくなってしまったことである。
その理由についてはわからないのだが、例えば描いてみても絵の中に自分が登場しないのである。

その代わりというわけでは無いが、他の人の絵を描きながら、その人のことがまるで自分のことのように思えたり、共時性というか、相前後してその絵と同じような体験をしたりといったことも多い。
例えば俳優さんたちがある鬱の人を演じているうちに、自分も鬱っぽくなってしまう?ということもあると聞いたことがあるが、こういうのを「イタコ体質」というのだろうか?

そういえば、恐山のある若いイタコさんが、その仕事を始めて間もなくの修行時代に(経験が足りなかったためか?)救急車で運ばれたこともあったという笑えない話も、どこかの雑誌記事で読んだことがある。

鮭が産卵のためにふるさとの川の上流を目差して遡っていく時、その身もぼろぼろになりながら泳いでいくように、こういう仕事をするものは誰も皆そのからだを(こころも)遣って、「真実」を得ようと真剣に努めていると思う。

それでも時にはうまく産卵場所まで辿り着くことが出来ずに、その一歩手前でダウンしてしまうこともあるだろう。
それは決してその固体の能力だけの責任というわけでは無く、その環境に阻まれたためということもあり得る。

手渡したかったもの(次世代へのいのちのメッセージ)をバトンタッチ出来なかったその無念を思う時、遺された者たちはそれをしっかりと引き継ぎ、伝えていく責任があると感じる。

………………………………………………………………………

アルジェリア人質事件で身代わりとして犠牲になられた十名の尊いいのちに、深い畏敬の念を持って心からご冥福をお祈り申し上げます。


下記の『メディテーション』の絵を追悼に代えて掲げ、
地球だけではなく「宇宙」の平和も心より祈りつつ。




(無断転載、コピー等はご遠慮ください)


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アトラス

2013-01-24 | 「アズミックアート物語」21~ その後
「アトラス」とはギリシャ神話に出て来る巨人という意味もあるらしいが、私たちの絵では「地図」。
この絵はポストカードに入っていないので、今回このブログで初めて目にするという人もおられるかも、、。

下記がその『アトラス』。




この絵の背景は(未彩色の線描画においては)ほんとうは「空」で、そこにエネルギーの波というか、「波動」がまさに波マーク~~~~~で一面に描かれているのだが、相棒が彩色するとなぜかまるで赤い大地のようになって、その出来上がりにびっくりした想い出がある。

基本的に私は彩色のことは彼にまかせきっているので、そういう場合でもほとんど何も言わず、むしろその発想のユニークさというか、面白さに、完成後にハッと気付くことも多く、そして絵の深い意味やメッセージを改めて受け取ることもあって、とても感謝している。

それからこの絵には音楽も付いていて、この曲がまた何とも言えないぐらいこの絵にぴったりで、この曲によって初めてこの波線~~~~~が実は「草の波」であったこと、ここは実は「草原」でもあるのか!?と知って驚いたのである。

こういうことが後から後からわかってきて、もう手元には無い絵なのに、思い出す度にもう一度原画を観てみたくなり、ふと絵に逢いに行きたくなる。
(この絵はたぶん今も津山にある筈)

またこの絵の四隅は宝石の色になっていて、(東西南北や五行の色にも対応するように)それぞれ違った色で塗り分けられている。

この中央のちょっと左下あたりに描かれている「赤ちゃん」のような島?は、ここからいのちが産み出されたかのような、(まるでイザナギ、イザナミのオノコロ神話のように?)掻き混ぜられている感じで、ふつふつと沸き立つような熱いエネルギーがある気がする。
言わば大地の「胎児」のような?

現在の地球とは違った地図(アトラス)だが、古代地図ともまた違っていて、もしかしたら違う次元に存在しているのだろうか?

この赤ちゃんのような小さな島?は、もしも今の地球に当てはめて言うなら、私にはなぜかオーストラリア大陸あたりの海域のように思えるのだが、果たしてどうだろうか。
もしかしたらこれはあのかつて沈んだと言われている「アトランティス」の一部の再現なのだろうか?

科学的にはあり得ないことかもしれないが、そんなあれこれを想像して、壮大なロマンに浸っている。
そしてこの世の憂さ晴らしというか、ここにさわやかな風が吹いて、滞ったものを吹き飛ばし、地球を浄化して欲しいと願う。


下記はその「アトラス」の歌です。

1番と2番の間にはピアノ曲で「間奏」が入るのですが、
それがちょっと不思議な?コード進行で、まるでほんとうに
風が草原を吹き渡ってゆくかのような、とても魅力的な流れです。

いつかぜひ皆さんにも聴いてもらいたいです♪


ーーーーー 『 アトラス 』ーーーーー by AZUMIC ART

1)はるかな草の波の彼方に
  白く輝く小さな船よ
  旅人を乗せて 遠い宇宙の
  記憶を運んで来た この船は
  どこへゆくのか 私を乗せて

2)はるか彼方のふるさと目差し
  私を乗せて帰りゆく船よ
  朝露に濡れて 光る草原
  なつかしい想い出の この地球(ほし)に
  いつか再び 旅する日まで

  草原に 風吹け~~~~~


(無断転載およびコピー等はご遠慮ください)



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