本日(2月27日)より開催されている「井上雅史写真展」のご案内です。
続・海沿いに ー 井上雅史写真展
「 オリンパスギャラリー大阪 」にて3月5日(木)まで。
10時~18:00(最終日は15:00まで) 日曜日休館 入場無料
「オリンパスギャラリー大阪」は地下鉄四ツ橋線本町駅下車 22、23番出口すぐ。
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ここに私の好きな彼の作品を掲載出来ないのが残念ですが、ぜひ皆さまに観ていただきたい写真展です♪
私が井上さんの写真に出会ったのは彼がまだ20代初めの頃。
今から30年以上も前の、ふるさと姫路でのことでした。
その頃の私は写真の見方など全くわからず、どこがいいのか、何が面白いのか、写真には特に興味も無かったのです。
が、その時に彼から見せられた大量の写真によって、「洗脳された」!?というか、ともかくたくさん観ることで、何となくですが、写真音痴だった自分にも写真の面白さが感じられて来た氣がします。
特にグループ展でいろんな人の写真を同時に観ると、その個性の違いなどが興味深く、また、自分自身にとって好きだな、いいなと感じられる忘れられない作品も中にはあったりして、「自分がどういう傾向の写真に惹かれるのか」ということを通して、自分という人間についての氣付きもありました。
そしてまた、長年その写真家グループの作品展や、ある個人の作品などを見続けていると、時間軸での変化も感じられ、年と共に写真が好きになっていきました。
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ある時、井上さんの個展「海沿いにー」の案内状に掲載されていた写真がとても好くて、他の写真も観たくなって、宇都宮まで出かけたことがあります。
その頃は伊豆に住んでいたのですが、埼玉県?の宇都宮まではかな~り遠くて、あまりの遠さに途中でへこたれそうになりましたが(笑)、それでも「来てよかったな」「この作品に出会えてよかったな」という静かな感動を覚えました。
今回の写真展は私はまだ観ていませんが、案内状に掲載されていた写真がとても氣に入り、「きっと他の作品も好い感じだろうな~♪」と思って、大変楽しみにしています。
それにタイトルも「続・海沿いにー」となっているので、自分の中で何か「これはぜひとも観なければー 」という、不思議な衝動に駆られています。
この写真展を観ることで、今の自分を知るというか、これからの私自身の方向性も含めての「未来予測」!?をしてみたいのです。
彼の作品が特に何かを暗示しているとか、示唆しているとか、というわけでは無く、ただ今の自分自身が彼の写真から「何を感じるかを感じること」によって、まっすぐに自分に向い合える、言わばそれが私にとっての「鏡」のような役目を果たしてくれるからかも?しれません。
そういう「静けさ」が彼の写真にはあるのです。
その写真に向き合うことでなぜか自分自身の心も自然に鎮まるというか・・・。
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世の中には賑やかで大音響の写真はいっぱい溢れかえっているけれど、例えばその作品が特に衝撃的とか、何かを強く訴えているとか、誰が見てもいわゆる「わかりやすい」写真がほとんどで、また美しさや感動を狙った作品もたくさんあります。
井上さんの写真はそういう感じでは無く、かと言って何か「詩情を感じさせる」というほどの密度の濃さでも無く、、ただ私自身は彼の作品の前で足を止めてその写真の中の世界に浸れる時間が、年々長くなっていってるように思えます。
彼の写真が年月を経てどう変化したのかはわかりませんが、私はいつからか吸い込まれるように写真の中に入っていけるようになりました。
「癒される」という言葉は井上さんの写真には決してふさわしくなく、彼もそういう言葉はあまり好きでは無いとは思いますが、それでも私はなぜか彼の作品に深く慰められるのです。
そしてそのことが私にはとても嬉しく、うまく言葉では伝えきれませんが、ぜひ皆さんに「こういう写真もある」ということをお知らせしたくなりました。
人それぞれ感性は違うので、どこまで私のこの感覚を(私が彼の写真のどこに、何に惹かれているのか)理解してもらえるかどうかはわかりませんが、もしも一人でも共感してもらえたら本当に嬉しいです。
続・海沿いに ー 井上雅史写真展
「 オリンパスギャラリー大阪 」にて3月5日(木)まで。
10時~18:00(最終日は15:00まで) 日曜日休館 入場無料
「オリンパスギャラリー大阪」は地下鉄四ツ橋線本町駅下車 22、23番出口すぐ。
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ここに私の好きな彼の作品を掲載出来ないのが残念ですが、ぜひ皆さまに観ていただきたい写真展です♪
私が井上さんの写真に出会ったのは彼がまだ20代初めの頃。
今から30年以上も前の、ふるさと姫路でのことでした。
その頃の私は写真の見方など全くわからず、どこがいいのか、何が面白いのか、写真には特に興味も無かったのです。
が、その時に彼から見せられた大量の写真によって、「洗脳された」!?というか、ともかくたくさん観ることで、何となくですが、写真音痴だった自分にも写真の面白さが感じられて来た氣がします。
特にグループ展でいろんな人の写真を同時に観ると、その個性の違いなどが興味深く、また、自分自身にとって好きだな、いいなと感じられる忘れられない作品も中にはあったりして、「自分がどういう傾向の写真に惹かれるのか」ということを通して、自分という人間についての氣付きもありました。
そしてまた、長年その写真家グループの作品展や、ある個人の作品などを見続けていると、時間軸での変化も感じられ、年と共に写真が好きになっていきました。
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ある時、井上さんの個展「海沿いにー」の案内状に掲載されていた写真がとても好くて、他の写真も観たくなって、宇都宮まで出かけたことがあります。
その頃は伊豆に住んでいたのですが、埼玉県?の宇都宮まではかな~り遠くて、あまりの遠さに途中でへこたれそうになりましたが(笑)、それでも「来てよかったな」「この作品に出会えてよかったな」という静かな感動を覚えました。
今回の写真展は私はまだ観ていませんが、案内状に掲載されていた写真がとても氣に入り、「きっと他の作品も好い感じだろうな~♪」と思って、大変楽しみにしています。
それにタイトルも「続・海沿いにー」となっているので、自分の中で何か「これはぜひとも観なければー 」という、不思議な衝動に駆られています。
この写真展を観ることで、今の自分を知るというか、これからの私自身の方向性も含めての「未来予測」!?をしてみたいのです。
彼の作品が特に何かを暗示しているとか、示唆しているとか、というわけでは無く、ただ今の自分自身が彼の写真から「何を感じるかを感じること」によって、まっすぐに自分に向い合える、言わばそれが私にとっての「鏡」のような役目を果たしてくれるからかも?しれません。
そういう「静けさ」が彼の写真にはあるのです。
その写真に向き合うことでなぜか自分自身の心も自然に鎮まるというか・・・。
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世の中には賑やかで大音響の写真はいっぱい溢れかえっているけれど、例えばその作品が特に衝撃的とか、何かを強く訴えているとか、誰が見てもいわゆる「わかりやすい」写真がほとんどで、また美しさや感動を狙った作品もたくさんあります。
井上さんの写真はそういう感じでは無く、かと言って何か「詩情を感じさせる」というほどの密度の濃さでも無く、、ただ私自身は彼の作品の前で足を止めてその写真の中の世界に浸れる時間が、年々長くなっていってるように思えます。
彼の写真が年月を経てどう変化したのかはわかりませんが、私はいつからか吸い込まれるように写真の中に入っていけるようになりました。
「癒される」という言葉は井上さんの写真には決してふさわしくなく、彼もそういう言葉はあまり好きでは無いとは思いますが、それでも私はなぜか彼の作品に深く慰められるのです。
そしてそのことが私にはとても嬉しく、うまく言葉では伝えきれませんが、ぜひ皆さんに「こういう写真もある」ということをお知らせしたくなりました。
人それぞれ感性は違うので、どこまで私のこの感覚を(私が彼の写真のどこに、何に惹かれているのか)理解してもらえるかどうかはわかりませんが、もしも一人でも共感してもらえたら本当に嬉しいです。