これは私だけの印象かもしれないが、今年の蝉の鳴き声は少し例年と違う感じがする。
私の住んでいるあたりでは、特に大きな森も無いのにびっくりする程の蝉時雨で、毎朝それがなぜか「秋の虫の音色」そっくりに聞こえるのである。
それで、毎朝のことなのに、「あぁ、もう秋だなぁ~」と感じて、ふと我に返って「そうだった、今は夏で、これは蝉の声なんだ」と意識的に思い直すのである。
蝉というのは地中に長く居て、何年も経ってから地表に出て来て羽化するので、今鳴いている蝉が生まれたのはもう何年も前のことなのだ。
だからそれが例えば7年前のことだとすると、今鳴いている蝉は2006年頃の「情報」を持っているということになるのかも?しれない。
私たちが今見ている星の光が、実はもうはるか昔にその星を出発した光で、もしかしたらもうその元の星は消滅してしまっているかもしれないのに、私たちの目には「現在」のこととして、その星が存在しているかのように見えるのも不思議だ。
それで、話は元に戻るが、私の感じた今年の蝉の声の特徴は、一言で言うならとても「優しい」ということだ。
全くうるさく感じないのである。
そしてもう一つは、「いろんな種類の鳴き声が合わさって一つに聞こえる」ということ。
そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、私にはそれが例えばみんなが調和しようと一緒に声をそろえ、調子を合わせているように感じられるのである。
ネット検索で調べてみたら朝、夕、とか、蝉は鳴く時間帯によってもその種類を区別出来るらしいのだが、今年の蝉は私には(全種類が朝も夕も)「みんな一斉に鳴いている」かのように思えるのだ。
伊豆に十年暮らしていた時は、特にひぐらしの声が素晴らしくて、いつも聞き惚れていたものだったが、ここではほとんど聞いたことが無い。
もう何十年も昔、蝉が羽化するところを見に出かけたことがあり、その翅の色の美しさにほんとうに感動したものだった。
あのきれいな透き通るような「翠」(みどり)の色は今も忘れられない。
話が横道にそれてしまったが、それで何が言いたいかというと、今の世の中で起きていることのほとんどはずっと前から準備され、予測されていたのでは無いかということだ。
蝉がその何年も前から羽化の準備をし、暗い地中に潜んでその時期を待っているように、、。
そんなふうに思うと、今は「新しい光」などどこにも見えないように感じられても、もうすでにそれは始まっていて、あと何年か先になれば、その変化が誰の目にもはっきりと見えるようになるのではないだろうか。
今年の蝉は今年の「情報」や「波動」を感じ取って「卵」にして木に産みつけ、それが何年か先にふと現れるのだと思うと、本当に楽しみだ。
そしてまた、今年の蝉の声を聴いていると、あの頃(2005、6年頃~2009年頃)が一つの「分岐点」だったようにも私には思えるのである。
あの頃にはまだ世の中に「優しさ」が残っていたのだなぁ~と。
だからいつもの年よりは今年の蝉の鳴き声やその波動が自分には心地好く聞こえるのかもしれない。
もちろんこれは、私だけの個人的な「体感」に過ぎないと思うが、、。
ついでながら、最近の私の感じる「不思議な感覚」は、(個人的なことだが)「スケジュールが埋まるのが異常なぐらい早い」ということである。
有名人なら何年も先まで予定が決まっているということはよくあることで、全く不思議でも何でも無いと思うのだが、(私の場合はたかだか今年後半の予定に過ぎないのだが)次々に予定が決まっていくので、テレビの生番組のように、「巻(マキ)が入って(時間が)押している」ような、そんな感じを受ける。
みんなが何かとても「急いでいる」?
あるいは誰かに?なぜか理由はわからないが、まさに「加速」させられている?かのような、そんな印象を受ける。
そして物理的、空間的感覚としては、ギュっと圧縮されて、密度の濃いところと、薄いところとがだんだんに分かれて来ているようでもあり、またあるところでは、それらが混じり合ってぶつかり合いながらまるで大音量で軋んでいるかのように感じる。
まさに今は「曲り角」なのかもしれない、、。
なぜか理由もわからずみんなが大声で叫び声を上げながら、行く先もわからないまま無我夢中で走り廻っているような、、。
そして現在の世の中全体が、そのような「二極分離」のはざまで引き裂かれて振り回されているような、まるで「遠心分離器」の中に入れられて、「自動洗濯(選択)機」にかけられ、人々がどんどん追い詰められているような、そんな「危機感」と不安を感じさせられる。
心身共に余裕が無いというか、みんなほんとうに「どうしていいのかわからない」ぐらい、「切羽詰まっている」のではないだろうか?
そのような混乱したエネルギーを発散し、心に平安と静けさを取り戻すためにはどうしたらいいのか、、。
こういう時こそ蝉時雨でも聞きながら、座禅したり、瞑想したりするのがいいのかもしれない。
私にとってはどんな音楽よりも蝉の声の方がよほど「優しい」し、癒される。
と、いうわけで、今日も朝から蝉しぐれに包まれながら、集中して仕事に打ち込めるのは本当に仕合せだ。
天の恵みに心から感謝しつつ、、。
いつもご愛読いただきありがとうございます!
どうか皆さまも暑さに負けず、自分なりの方法と感性でこの夏を味わい、楽しんで下さいね。
下記の絵は『チャネル』です。
無断転載やコピーはご遠慮ください。
私の住んでいるあたりでは、特に大きな森も無いのにびっくりする程の蝉時雨で、毎朝それがなぜか「秋の虫の音色」そっくりに聞こえるのである。
それで、毎朝のことなのに、「あぁ、もう秋だなぁ~」と感じて、ふと我に返って「そうだった、今は夏で、これは蝉の声なんだ」と意識的に思い直すのである。
蝉というのは地中に長く居て、何年も経ってから地表に出て来て羽化するので、今鳴いている蝉が生まれたのはもう何年も前のことなのだ。
だからそれが例えば7年前のことだとすると、今鳴いている蝉は2006年頃の「情報」を持っているということになるのかも?しれない。
私たちが今見ている星の光が、実はもうはるか昔にその星を出発した光で、もしかしたらもうその元の星は消滅してしまっているかもしれないのに、私たちの目には「現在」のこととして、その星が存在しているかのように見えるのも不思議だ。
それで、話は元に戻るが、私の感じた今年の蝉の声の特徴は、一言で言うならとても「優しい」ということだ。
全くうるさく感じないのである。
そしてもう一つは、「いろんな種類の鳴き声が合わさって一つに聞こえる」ということ。
そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、私にはそれが例えばみんなが調和しようと一緒に声をそろえ、調子を合わせているように感じられるのである。
ネット検索で調べてみたら朝、夕、とか、蝉は鳴く時間帯によってもその種類を区別出来るらしいのだが、今年の蝉は私には(全種類が朝も夕も)「みんな一斉に鳴いている」かのように思えるのだ。
伊豆に十年暮らしていた時は、特にひぐらしの声が素晴らしくて、いつも聞き惚れていたものだったが、ここではほとんど聞いたことが無い。
もう何十年も昔、蝉が羽化するところを見に出かけたことがあり、その翅の色の美しさにほんとうに感動したものだった。
あのきれいな透き通るような「翠」(みどり)の色は今も忘れられない。
話が横道にそれてしまったが、それで何が言いたいかというと、今の世の中で起きていることのほとんどはずっと前から準備され、予測されていたのでは無いかということだ。
蝉がその何年も前から羽化の準備をし、暗い地中に潜んでその時期を待っているように、、。
そんなふうに思うと、今は「新しい光」などどこにも見えないように感じられても、もうすでにそれは始まっていて、あと何年か先になれば、その変化が誰の目にもはっきりと見えるようになるのではないだろうか。
今年の蝉は今年の「情報」や「波動」を感じ取って「卵」にして木に産みつけ、それが何年か先にふと現れるのだと思うと、本当に楽しみだ。
そしてまた、今年の蝉の声を聴いていると、あの頃(2005、6年頃~2009年頃)が一つの「分岐点」だったようにも私には思えるのである。
あの頃にはまだ世の中に「優しさ」が残っていたのだなぁ~と。
だからいつもの年よりは今年の蝉の鳴き声やその波動が自分には心地好く聞こえるのかもしれない。
もちろんこれは、私だけの個人的な「体感」に過ぎないと思うが、、。
ついでながら、最近の私の感じる「不思議な感覚」は、(個人的なことだが)「スケジュールが埋まるのが異常なぐらい早い」ということである。
有名人なら何年も先まで予定が決まっているということはよくあることで、全く不思議でも何でも無いと思うのだが、(私の場合はたかだか今年後半の予定に過ぎないのだが)次々に予定が決まっていくので、テレビの生番組のように、「巻(マキ)が入って(時間が)押している」ような、そんな感じを受ける。
みんなが何かとても「急いでいる」?
あるいは誰かに?なぜか理由はわからないが、まさに「加速」させられている?かのような、そんな印象を受ける。
そして物理的、空間的感覚としては、ギュっと圧縮されて、密度の濃いところと、薄いところとがだんだんに分かれて来ているようでもあり、またあるところでは、それらが混じり合ってぶつかり合いながらまるで大音量で軋んでいるかのように感じる。
まさに今は「曲り角」なのかもしれない、、。
なぜか理由もわからずみんなが大声で叫び声を上げながら、行く先もわからないまま無我夢中で走り廻っているような、、。
そして現在の世の中全体が、そのような「二極分離」のはざまで引き裂かれて振り回されているような、まるで「遠心分離器」の中に入れられて、「自動洗濯(選択)機」にかけられ、人々がどんどん追い詰められているような、そんな「危機感」と不安を感じさせられる。
心身共に余裕が無いというか、みんなほんとうに「どうしていいのかわからない」ぐらい、「切羽詰まっている」のではないだろうか?
そのような混乱したエネルギーを発散し、心に平安と静けさを取り戻すためにはどうしたらいいのか、、。
こういう時こそ蝉時雨でも聞きながら、座禅したり、瞑想したりするのがいいのかもしれない。
私にとってはどんな音楽よりも蝉の声の方がよほど「優しい」し、癒される。
と、いうわけで、今日も朝から蝉しぐれに包まれながら、集中して仕事に打ち込めるのは本当に仕合せだ。
天の恵みに心から感謝しつつ、、。
いつもご愛読いただきありがとうございます!
どうか皆さまも暑さに負けず、自分なりの方法と感性でこの夏を味わい、楽しんで下さいね。
下記の絵は『チャネル』です。
無断転載やコピーはご遠慮ください。