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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

オーリングテストの話(5)

2012-01-19 | シリーズ「オーリングテストの話」
今日は「家と自尊心」の話の続きを書く予定でしたが、なぜかオーリングテストの続きを書くことになりました。

毎日その日何を書くかについては、オーリングテストによって決めていますが、どうしてこんなふうに日によって違ったテーマになるのか?
オーリングテストというのは、一体どういう基準でものごとを選択したり、決定したりするのか?と言えば、たぶんそれは「総合的に見て」ということではないかと思います。

例えば自分の現在だけにとってよいことではなく、それが未来に及ぼす影響や、あるいは周囲の人や環境その他諸々、
全体的なことを全て判断した上でのことではないかなと思うのです。
そしてオーリングテストの奥深いところは、どんなよいことに見えることでも、それがその人をかえってダメにする場合はそういうことにならない(オッケーが出ない)ということではないかと思います。

だからオーリングテストで「宝くじ」を買うとか、あるいは「試験に通るかどうか?」などを判断しても、それがほんとうにその人にとって役に立ちみんなにとってもよいことであり、また将来的にも意味のあることであるならいいのですが、そうでない場合はわざと?違った結果を示すことによって、「番狂わせ」をすることによって「調整する」ということもある気がします。

すなわち、ある学校に通りますか?と聞いて、「通る」と言う答えを得た場合でも、「落ちる」こともあるし、実際に通ることもあると思います。それはその答えを「受け取る側の問題」でもあるかもしれません。

「通る」と聞いて安心して勉強しなくなってしまって落ちたり、あるいは逆にそれで難関を突破する元気や勇気をもらい、より一層頑張るということになれば、実際に通ることでしょう。。
ですから「通る」という答えが重要なのでは無く、それを聞く側の心構えとか、聞いた後の行動の仕方や「意識の持ち方」も、実際の結果に影響してくるのではないでしょうか?

それなら、オーリングテストなど必要ではないのでは?と思われるかもしれませんが、そうではありません。

ある時、我が家に初めて遊びに来る知人(男性)に何をごちそうするかについて事前にいろいろ考えて、もちろんオーリングテストもしていましたが、実際にはその人が私たちの予測していない日に突然にやって来たために、ひどい結果! になってしまいました。
でもそのひどい体験のおかげで、その後その人は私たちにあまり何も「期待」しなくなり、それが逆によかったのです。
そして今ではその時のことが「笑いぐさ」になるぐらい楽しい思い出になり、その時のことを思い出すだけでも笑えて来ます。

その人は私たちがその日だけでなく、毎日食べるものまでオーリングテストをしているのを見て、腹を抱えて大笑い。
あきれかえって「自分で食べたいものぐらい自分で決めろよ!」と言っていましたが、それも一理あります。
一時は私たちも「オーリングテストフェチ」になってしまっていたぐらいでしたから。

それから「オーリングテストのコツ」というものもあります。
「問いかけ」というか、答えよりもむしろ「質問の仕方」が大事なのです。

「OOはダメですか?」という否定的な聞き方ではなく「OOは大丈夫ですか?」と肯定的な聞き方の方がいいと思います。
ダメな場合でも「なぜダメなのか?」を聞いていくよりも、「何のために?」と聞く方がいい気がします。
なぜそういうことが起きたのか(その原因)を探るよりも、「何のためにそれが起きたのか?」ということを知れば、今後
どうすればいいのかということが見えて来るのではないでしょうか?

おそらく今日このブログが突然にこういう話を書くことになったのは、それこそ何のためなのか?それはきっとそれを知りたいひとがいて、この話を今必要としているからではないかと思います。
ちょうどこの時期は入試の真っ最中の人も多いことでしょうし、その家族の方でこのブログを愛読しておられる方もいるのかもしれませんね。

私は全く何をどう書くかについてもまるで「自動書記」のように?このブログも「おまかせ」で自然に書いています。
そういうわけで、読み直して校正するのは後で時間のある時にやっています。
今日はこれから出かけるために、見直す時間がありませんが、また後から読むと違っているところもあるかもしれません。
もし間違っているところがあればご海容ください。

とりあえず、今日はこれで。(オーリングテストでもオッケーが出ました) 
ご愛読に感謝です。










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オーリングテストの話(4)

2012-01-11 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストの話題が続きます。(この話題を続けるかどうかもオーリングテストで決めています)
今日はオーリングテストが当たらなかった話です。

ある時、裁判を闘っている仲間の一人からオーリングテストを頼まれました。
頼まれたといってもたぶんその人は軽い好奇心があっただけと思うのですが、その人と二人でオーリングテストをしてみると、「十年闘って負ける!」という結果が出て、その人はがっかりしていました。(この話をその人は誰にも伝えずその後も仲間と共に闘い続けました)

それから何年も経って、実際はどうなったかと言うと、実は勝訴したのです。
もともと誰もが負けるだろうと覚悟していた不利な裁判でしたが、ある時から急に流れが変わったのです。
それはある人が「いのちを賭けて」取り組むことでその流れを変えたのです
けれどもその人はまさにその「いのちを投げ打って」、残念ながら裁判の途中で(病気で)急逝してしまったのです。
この裁判のためにいのちを捧げたといっていいぐらいに、その存在は闘いの中で欠かすことの出来ない大事な人だったのです。

その最初のオーリングテストの結果が「間違っていた」とは私は思っていません。
たぶんその時点では、そういう結果になるということが予測されていたのでは!?と思います。
でも人の強い意志はそれを上回り、文字通りいのちを賭けての闘いによって、勝利することが出来たのではないでしょうか!?
そのいのちを賭けた人は裁判が負けるとは決して思っていませんでした。
もちろん彼女はオーリングテストのことも全く知らず、ただただ勝利を誰よりも信じ続けていたのでした。

ところで、今日はこれから出かけます。
ある友達が引っ越したので、彼女のその新しい家を初めて訪問するのですが、「手みやげ」を何にしようか?とか、引っ越しのお祝いはどうしたらいいだろうか?ということについても、もちろんオーリングテストで決めました。
こういう時、ほんとうにオーリングテストは便利です。

では、時間が無いのでこの辺で。。 明日もこの話題が続くのでしょうか?? 

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オーリングテストの不思議(3)

2012-01-10 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストの「奥深さ」については数々の体験があります。
その中からまず軽いものからご紹介すると、例えばこんなことがありました。

ランチなど外食をする機会があった時(お客さんが来た時など)に、どの店にするか、いつもよく行く美味しい店をいくつかピックアップして(もちろん営業日時をチェックした上で)、オーリングテストをしてみます。
それはたいがいぴったりと決まって、ゲストにも喜ばれるのですが、ある日、私たちがもっともお薦めと思われる店がなぜかオッケーが出ませんでした。「おかしいなぁ~」と思いながら、まあ、何もオーリングテストの結果通りにしなくてもいいから。。と、とりあえずその店に出かけてみました。そしたら何とその日に限って「臨時休業」だったのです。

またある時、家を出て車でどこかに行く時、どの道で行くか(いくつかのルート)をテストしてみました。
いつも使う道では無く思いがけない道がその日はオッケーだったのです。その道は他の道より遠回りのようだし、初めて通るでこぼこの田舎道なのでどうしてこの道なのだろう?と思いながらも、とりあえずそちらに曲がって行きました。

そしたら、その道は途中が道路工事中だったり、またその先はなぜか「行き止まり」になっていた!のです。
そんなことはこれまで無かった(すなわちオーリングテストで選んだ結果、渋滞も無くスムーズに早く行けたということがほとんどだった)ので、これは一体どういうことだろう??と疑問に思いながら、「オーリングテストで当たらないこともあるんだね~」なんて運転してくれていた人と話ながら、元の道に引き返し、結局普段使う道の方へハンドルを切り直したのです。

するとそちらの道では直前に交通事故があったらしく、警察官が来て事後処理や検査をしているところでした。
もし普段通りにその道を行っていたとしたら、事故に遭っていたか、あるいはその直後にぶつかって、通行止めで長く待たされていたかもしれません。それにもしかしたら悲惨な交通事故を目撃してしまうことになったかもしれません。

つまりそんなふうにして、オーリングテストによってうまく「時間調整」されていた!?のだということがわかりました。

よく「人生に無駄は無い」と言いますが、まさにその通り。というか、「無駄が必要な時がある」のではないでしょうか?
だから「どうしてこんな結果が出るのだろう?」と思える時にも、その意味は今はわからないけれどとりあえず私はオーリングテストを信頼して、一応その結果を尊重して行動するように心がけています。

また、もう一つの小さな例としては、遠くに住んでいる昔の同僚が我が家に泊まり、翌朝彼女を近くの観光地に案内しようとした時のこと。いくつか有名なスポットやお薦めの景色のよいところなどがあるのですが、家を出る前に彼女とオーリングテストをするとなぜかどこにも決まらず、「とりあえず車を走らせてみて。。」と彼女が言うので、その通りにしながら車中でも、ずっとオーリングテストをしながら進んで行きました。

けれどもどこもなかなかオーケーが出ないで、ノンストップでどんどん車が進んで行ってほんとうにどこまで行けばいいのか?この先には何も無いし、こんなに遠くまで来てしまったのに??と困ってしまったことがありました。
彼女は「超自由人」なので、もしかしたらこの「ワガママ」?をゲームのようにただ経験してみたいだけ(すなわち、オーリングテストで決めたくないとか?あるいは何も決めないことで優越感を感じたり、リードすることを楽しんでいる?)かもと、少々私も疑い始めたり、「もういいかげんにして欲しいなぁ~」とうんざりし始めたその時、やっとオッケーが出たのです。

そしてある道を曲がってようやく車を降りた行き止まりのそこには、ほんとに何も無く、ただ海が広がっていたのです。
その時初めて彼女は感激したようにこう言ったのです!「ここよ、ここ。来てみたかったのはこういうところよ!」と自分の遠いふるさとの海の話をなつかしそうに語ってくれたのです。都会暮らしで見る近くの海は「あれは海なんかでは無い!」と叫んで。

そんなふうに本人が心の中で「秘かに」望んでいることがあった場合、それがその本人も顕在意識ではあまりわかっていず、「どこへ行ってみたいのか?」自分でもよくわかっていない時でも、その本人の魂はちゃんと知っているということを、この体験から私は知りました。そしてそれを「からだ」(オーリングテスト)を通して知ることが出来るということも。

そういう数々の経験から私はどんどんオーリングテストにのめり込んでいったのです
さらにもっと「奥の深い話」もあるのですが、明日はどんな話を書くかはわかりません。
何を書くか?も日々オーリングテストしていますので

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オーリングテストの効かない人(2)

2012-01-09 | シリーズ「オーリングテストの話」
昨日の話題の続きです。
船井幸雄さんのHPで読んで初めて知ったのですが、例えば頭頂チャクラの開いている人は、オーリングテストが効かないそうです。
それはどうしてなのか?その理由はよくわかりませんが、確かに私も十年以上、毎日何をするのもほとんどこのオーリングテストでやっていますが、一人でテストする場合と誰かと一緒にやる場合では、出てくる結果が違う場合があったりします。

一人でするオーリングテストは(私の経験では)よほど慣れないと難しいと思います。
二人でやる方がやりやすいと思いますが、その相手にもよるかもしれません。
ほんとはこのオーリングテストは「科学的」なものでもあると思うので、同じ結果が何度でも繰り返し再現可能でなければ科学的とは言えないのかもしれませんが。。

私が思うには、例えば「就活」や「婚活」にもこのオーリングテストはとても役立つのでは?と感じます。
ただし、その最終段階になったら、最後の最後の決断はオーリングテストに頼らないで、「自分で決める!」ことが肝心と思います。
離婚するかどうかでオーリングテストをしてみて、もしその方がいいという結果が出たとしても、その通りにする必要も無いと思います。なぜならもし、大事な結婚や就職などで、オーリングテストで全部を決めた場合、その責任を「オーリングテストで決めたから」ということで、自分に責任は無いかのように?「責任転嫁」してしまいがちだからです。

そして何より大事なことは、どんなことにおいても「自分の自由意志というものは宇宙全体より何より強い!」ということです。
だからこそ奇跡もあり得るし、観測することによって観測される対象が変化してしまうという、量子物理学も成り立つのでは?と思います。(なんて、エラソ~なことを書いていますが、科学にはからきし弱い私です
光より速いものが発見された!?現在、これからがいよいよこういったことも実証されていくのではないかという気がします。

さて、オーリングテストが奥が深いというのは、どういう意味かというと。。
(このつづきはまた明日。今日はこれから出かけます)

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オーリングテストとの出会い(1)

2012-01-08 | シリーズ「オーリングテストの話」
私が初めて「オーリングテスト」を知ったのは、「パンタ笛吹」さんを通してです。
パンタさんはオカリナを吹いておられ、私が彼に出会ったのはもう十年以上も前のことで記憶もおぼろですが、たぶんオカリナに興味を持ったのがそのきっかけではなかったかと思います。広島で会ったのが先か、あるいは大阪で会ったのが先かは忘れましたが、その頃パンタさんはあちこちで講演とオカリナの演奏をしておられ、私は一時彼の「追っかけ」をしていました。

そしてある時、その会場で、参加者にいろいろな実験をしてみせてくれながら「オーリングテスト」のやり方を教えてくれたのです。
それまでオーリングテストというのは、ある人が片方の指で輪を作ってその輪をもう一人の人が開こうとするやり方だけと思っていました。知識としてそういうことを本か何かで読んで知ってはいましたが、実際にそれを自分が使うということはしていませんでした。

その時たまたまパンタさんが私を壇上に呼んで、私が実験台に選ばれ、私の片腕を肩の高さに上げてしっかり伸ばすように言って、それから私の名前を聞き出し、別の名前で私を呼んだ時と、正しい名前で呼んだ時の違いを、(彼が同じ強さで私のその腕をおろそうとするのに対し、私も精一杯の力でそれに抵抗し腕を下げられないようにするというやり方で)実際に目の前で見せてくれたのです。

それから私に「おすし、好きですか?」と聞いたのですが、私は自分がおすしが好きかどうか?(嫌いではないけれども?)自分でもよくわかっていませんでしたが、その腕の上げ下げの実験によれば、私はどうもおすしが好きだったようです。
(なぜならおすしが好きな場合の方が私の腕の力が強くなり、嫌いとした場合は腕がどうしても下がってしまったからです)
自分の顕在意識ではわかっていないこと(あるいは他人が知り得ないこと)も私の体は知っていて、しかも体はなぜか嘘を見破る!?のだと知って、びっくりしました。

ほんとに不思議なことですが、その時私だけではなく別の参加者も同じような体験をして、誰もが同じ結果だったのです。
すなわち、自分のからだに合うものや、よいものや、好きなものなどに対しては筋力が強くなり、その反対のものに対しては力が弱くなるということが、オーリングテストによってわかったのです。

それから、ある人に会場から出てもらい、その人のことを会場の参加者が悪いイメージで思った場合と、良い感じに思った場合の、集団の意識の力の凄さの実験もありました。パンタさんと会場にいるみんなとの間である合図を決めてから(その人にはもちろんその実験のことは一切伝えないで)その人に戻って来てもらい、その人にわからないように合図をしながら、その人がどんなふうに変化するかを垣間見せてもらいました。

私たちのその人に向ける思いによって、かなりの影響度が出ることが解り、集団意識の力とそのコワサも知りました。またそういった自分に向けられる思いを断ち切って身を守る方法や、自分に対して攻撃してくる相手の力を瞬時にして弱める(例えば電車の中などで誰かにからまれたりした場合などに使う)方法も習いました。

そういうわけで、それからずっとオーリングテストを使い続けています。
実はこのブログを始めるかどうかについてもオーリングテストをして決めました。
また何を書くかについても毎日オーリングテストをしています

オーリングテストについては、2011年12月8日付けの船井幸雄さんのHPにも、<われわれの心体は「本物」か「ニセ物」かを見分けられる>というタイトルで掲載されていて、科学的根拠や裏付けなどの詳細も書かれています。またそれに関する本や、現在このオーリングテストを実際に使っている病院や医者の話も紹介されています。
たくさんの人がすでにこのようなオーリングテストを現実生活に活かしておられるようです。
船井さんのやり方は私の習った方法とは少し違うようですが、いろいろなやり方があってもいいと思いますし、原理は同じと思いますので、興味があれば実験してみて、それぞれに合う方法でやってみられるといいのでは?と思います。

私は、家を建てたりリフォームしたりした時にも、「全てをこのオーリングテストに基づいて」やったのですが この話については、また今度書きます。
ともかく長年使ってみて、「やればやる程オーリングテストは奥が深い」ということを実感しています。







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