行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

何を隠そう。。

2009年09月26日 09時55分46秒 | 日記

って、隠すわけでは無いですが。。^^

三男が、水曜日の晩から腹痛を訴えはじめ・・・
次の日、仕事に行くって頑張って行きました。なんといっても皆勤賞の1万円が魅力だし、まだ有給休暇をもらえない身、踏ん張らねば~と行ったけど、定時上がり。
とても、痛みがあり、良く仕事したと思うという。
帰りに町のクリニックに寄ったら閉まっている・・・・往診にでも行っているのか。
じゃあということで、私の車で県外の病院へ行く。
そこでギリギリ受付6時に間に合い、レントゲンを撮って診てもらうと、右側に炎症が見られる。
血液検査・尿検査で顕著にここっ! という診断が出ない。って。
痛み止めと、水分補給のような点滴をして、夜8時頃帰宅。
その後、10時には、義父も戻ってくる。こちらは相変わらず。。。

朝(金曜日)になっても、痛みが引かず、昨夜かかった病院にその旨伝え、やっとこ身体を起こして受診。紹介状を書いていただき、大きな病院へと行く。
結局、大腸に炎症を起こしていて右側がむくんでいる。
これでは食事を取るたびに痛む。なるほど。。

何か悪いもの・もしくは、魚介類の生を食べなかったか?
の問に、何もない・と。
3、4日の入院をして、断食。。点滴で水分・抗生物質の点滴をする。
食事がとれるようになったら退院を。ということになりました。

本当なら、みっちり細かく色んなことを書きたいのに。。
やっぱり、子供の具合が悪いという時は、私は動けないですね・・・
もうじぃ・・・っとしてしまう。
具合の悪そうな顔を見ては、じーっと。
様子を伺っては、じぃぃぃっと。。
ブログに書きたいという意欲がなくなっちゃう。

それに加えて、朝義父が動き出すとそれについて歩き。
ここでカタカタしているのは、主人に見られたくない。
ついつい、細切れに書いて、保存している感じで、間が空いてしまった。

シュウメイ菊の写真もとったけど、リアルタイムのじゃなくて・・・
でも、載せようっと、せっかくだから。。

夕焼けを背にしていたものです。。

仏様に、金木犀が上がり、今は、シュウメイ菊が。。

 

私の本音。
息子の入院は、私が大手を振って、義父の病院へ行かなくて良い口実になったと。。
すっごく意地悪な気持ちです。
でも、息子の方が大事。。
接しても接しても、感謝されない人たちに時間を作るのは嫌だし。
実際、息子の様態が心配。
義父については、これからまだまだ、始まったばかり。
全部飲み込む器量なんて私には無いもん。

でも、ね。こういうことはおくびにも出さないで、ちゃんとやりますょ。。
今朝も、白菜や大根の肥料と水を義父と一緒にしたし。。
茄子だって獲った。けど、それを私の妹のところへ持って行っていいぞとは言わない。
だから、取れたら取りっぱなし。。主人がどうにかするでしょう。

介護保険の話も、全部主人に聞かせる。
私が母のときの経験を少しだけ言っても、そうじゃない、今日はこういう話だったと言うのだから、余計なことは言わない。
自分の耳で聞いて、口で話して、行動すれば良い。
私は、言われたらしようか・・・・

でもなぁ・・・
義母の告別式でも、それぐらいはしても良いっ! ってこと言われたしなぁ・・・

ああ・・面倒な私の感情。。。

さぁて。投稿~

皆さんのコメント、とっても嬉しいです。
やっぱりこれよね~♡
ご訪問してはいますが、素通りしちゃうかもしれません。。
絶対時間作って、遊びにいきますから。。

 


母との時間~♪

2009年09月23日 20時43分02秒 | 日記

今日は前々からの予定で、母の施設へ行きました。

「敬老の日の集い」 PM13:00からの開催。。
ホールに皆さんと家族の方達が揃い、初めに今月生まれの方達のお誕生会がありました。
東西に分かれて、横綱・関取と2名づつ高齢者の名前と年齢が書き出されていました。
最高齢者は、女性103歳。ついで、98歳。
その後には全ての利用者の名前と年齢が貼られていました。
合計59名。母も78歳で中間より上でした。

その後、夏祭りの時と同じ、和太鼓の皆さんが迫力あるバチさばきを見せてくださいました。
近くで奏でる太鼓の音に胸に響き、大迫力で終りました。

各ユニットに戻り、お茶とケーキでおやつの時間です。
いつもより母もお茶の量が多く、ケーキも美味しく頂きました。
私も頂きました。

外は、穏やかに晴れていて、チョットの時間お散歩へと車椅子で出ました。

そよそよと風がとーーっても気持ち良くて、母も優しい表情一杯。
目の前の稲刈りを見ていて、白鷺がこぼれた米を食べようとその場を離れずにいます。母は、何羽いるかと、何度も数えていました。

これが「うめちゃん」です。
名前を呼ぶと、めぇぇぇ~ってなきながら芝を食んでいました。

ここの施設には、そこかしこに花壇があって季節ごとの花が植え替えられています。

携帯で写真を撮っては、母に、「どう? 綺麗?」と聞くと、もう少し花数が多い方が良いとか、暗いね~とか、これは良い! とか、色々と言ってくれました。
暫く遊んでいると、透析室の送迎の方に行き会いました。

去年3月。家を引き払い入所するまでは、月曜・水曜・金曜と週3回の透析でお世話になっていました。
玄関先まで送り迎えに来てもらいました。帰りのマイクロバスの中で具合が悪くなるようになってから、私が仕事帰りに迎えに行くという生活が続きました。
透析後の母は、血圧が計測不能になるまで下がり、意識朦朧の中食事をとるので、気持ち悪くなってしまう。
私の車でなら、充分休息させて時間を見ながら帰ることができる。
そして、できる限り母の頭が動かないように慎重に低速で運転して帰ってきていました。
月日が経つうちに、玄関も上がれなくなり、スロープを介護保険で借りて車椅子ごと家に上がるという形になりました。
母をベットに寝かせ、落ち着くのを確認してから家に帰る。
ある日、吐き気がどうしても治まらない・・・
救急車にてかかり付けの病院に入院。そこから自宅の引き払い入所の契約・・・・と母と私達姉妹の葛藤が始まり・今はその延長線にいます。

母が家を失くすことを許してくれたこと、家財道具を処分してしまうこと。
全て、私達姉妹に分け与えようと取っといてくれた全ての物を処分したことを諦めと許可してくれなければ今はありません。感謝です。
小学校の遠足で使ったリュックサックが、ポケットにその時のちりがみとともに出てきたり、セイラー服やら・・何やら・・・・・たくさんの思い出をも捨て去りました。
それを3人して乗り越えてきました。

スロープで車椅子を押して玄関を上がっているのを、通りかかった主人は目に入ったにもかかわらず、素通りしたことは忘れません。
見舞いには、1度だけ次男が連れてきた・という感じで、義理だけの見舞いは要らない。何も相談することもなく私は私の母を自分で支えると決めました。

今、自分の父親が施設を利用するかどうかの状況になり、何がどう分かるのか・・・分からないのか。
もっとより良い手段を見つけ出すことができるのか。
私は、見ています。

 

おまけ。。。
秋にも、たんぽぽってあるのね。。


秋の遊びに。

2009年09月23日 08時31分53秒 | 日記

  このチクチクとした実。よく遊びました。

  地味な花が終ると。

  オナモミの実が付きます。

ポロリと取れて、友達に投げつけるとセーターなどにくっ付いた。
また、胸にブローチ代わりに飾って学校へ登校したっけ。。
最近見ないなぁ・なんて思っていたけど、なんのなんの、家の裏の道端になっていました。
散歩時に、元気な葉っぱが気になっていて、何が咲く? 何が生る? と思っていたら~♪  これでした。。

 

今朝は、大きくなりすぎないうちに、茄子を収穫しました。
義父。。楽しみに毎日手を添えていた作物への意欲が減っていることが、何よりの悪い症状だと思う。
冷蔵庫の中の野菜室に、買ってきた大根や人参、牛乳が1本や2本じゃなくある。
その頃から症状は出ていたんだなぁって、主人が言う。
我が家は、冷蔵庫は1つであれ、ソース・マヨネーズにいたるまで全て分かれている。
義父は自分のお金で自分のものは買う。
お互いの食材には手を出さない・・というのが長年の口に出さないルールになっている。
主人は、私達親子のくくりの中ではなく、義父との共有を選んでいる。
そんな中で増えていく食材、誰が買ってきたのか分かるのは主人でしょう。
私は、生ものや野菜はその日のうちに食べきれる量を買ってくる。
冷蔵庫に残るものは、冷凍食品と調味料(ソース・マヨネーズ・ドレッシング・バター・梅干・牛乳・豆乳・・など)、観音開きになる扉の左側と決まっている。
開いたままのゴミ袋。あくの付いたままの湯飲み茶碗が溢れている。
これから私のルールで片付けることができる。
そんなことを、嫁いできて19年にもならなくちゃ出来ないなんて・・・
その反面。やっと、綺麗に片付く・・なんていうふうにも思える。

義父を主人が病院へと連れて行った。
頭上を、気球がゴーっと音をたてて過ぎていく。
近くの遊水地から飛び立ったもの。
今年の春に見たバルーンフェスティバル。また、12月にもあるらしいけど、見にいけるかな~

 

今日は、母の施設の「敬老の日」の催し物に出かけます。
母も楽しみにしている。
しばらく母の顔を見て居ない。。元気でいるだろうか・・・

さあて。シャキッと行こう~~


やっぱり、楽しい。

2009年09月22日 19時12分11秒 | 日記

こうして、ブログを書くことが楽しいですね~

読んでくださる方、親身になってコメントくださる方がいて、本当に嬉しいです。

そして、また、写真を撮る。それが楽しい。
自分の心の捌け口になっているし、文字で気持ちの整理をしていくことはとっても大切です。
感情のままに書きなぐって、次の日に読んでみて、冷静になれる。
自分を客観的に見られるっていうことが、ブログの利点!

さぁ、10時過ぎに主人が義父を連れて帰ってきたら、何が起こるか分かりません。
今の内に楽しいブログを更新して、エネルギーを蓄えておきましょ。。

 

で。

今の思いを写真で表すとしたら・・・こんな?

 

 

灯り・・・・

あの家の灯りを頼りに帰ってくる人は、「お帰り~」の声を聞けるのかな

自分の家じゃないけど、真っ暗な道にポツンとある灯り

それが、お菓子屋さんでも自転車屋さんでも、灯りが付いているだけで嬉しい

帰ってくる家族を迎えるために灯す玄関の灯り

「只今~」の元気な声が聞きたい

外は真っ暗

月も星もない夜は、自分が明かりになろう

綺麗な明りじゃなけれど、瞬く明りじゃないけれど

帰れる家に帰れるように・・・・

ゆっくりできる家にたどり着くように・・・・・・

 


金木犀。

2009年09月22日 08時14分08秒 | 日記

義父の病院への道すがら、ふんわり香るのに姿見えず・・・の金木犀。
我が家の庭で咲いていました。。
大きな木の方はまだ蕾も見えなかったので全く気が付きませんでした・・・
小さい木の方はもうすっかり、花も開いていました。

 

昨夜、主人が帰ると同時に私は買い物へ。
遅い夕食を息子たちととりました。
こんなとき、娘だったら・・? 夕飯の用意なんかしといてくれるのかな~
なんてくだらないことを思って見たり。
息子たちにもそれぞれの用事がある。私の都合だけで、あれせいこれせいとは言いたくないから、苦虫を噛んだ思いは飲み込んだ。

出来合いというか冷凍食品とか、チンで済むピザなどで食事を終えた。

紙おむつの中を主人にも確認してもらおうと、義父がトイレに行った時に見てもらった。
義父が本当におかしくなっていくのを、理解したようだった。
下の部屋、客間に主人は寝ることに。それで良い。これで2階の自室に寝るなんていうことをしたら、呆れちゃうけどさすがに無かった・・
けど、毎晩だからね、というと、返事は無く、みんなこうして介護しているんだぞ、と思った。
だからといって、母のことを気にかけて問うこともなし。別に良いけどね。

いよいよ、介護保険の適用を進めなければいけない。
義父の理解力のあるうちにと、朝から、介護保険証がどこにあるか一緒に探した。
ついつい大切と思うものはしまい忘れるもの。なんとか見つけ出しこれで役場へ行ける。

主人は、施設に入れるしかないなぁと言った。
家で見る、お前に仕事を辞めてもらって看て欲しいとは言わなかった。
親戚でつい最近施設入りした伯父がいるらしいが、お金が底をつき今では自宅介護になったのも見て、一通りマネをしたいのか? と思う。

私は、介護保険の申請をして、審査があって、始められること、すぐに入所なんてできないことをチラッと言ってみた。
だけど、この時も、お前の母親が入るまでにどれだけの苦労があったか・なんて問うてはこない。

母は、父の遺族年金のおかげで今金銭面では余裕がある。これは父に感謝。
そして、身体障害者1級(人工透析患者)ということで入所・入院の最低限度額というので守られている。
だが、義父の場合は、国民年金の微々たるもの。果たして、金額的に間に合うのか? と今から不安。
介護度にもよるし、そんなにたくさんのサービスをうけられるとは思えない。
週に何日か、時間も少なく、実際家族がどうにかするしかないのは
見えてる。

明日は、母の施設の「敬老の日」祭り。
これには行く。
主人には、明日は母のところに行くから、呼び出されても義父の病院にはいけないと伝えた。
「そしたら、俺がいくしかないだろ。」
へ?
そういう言い方じゃなくて
、「ああ大丈夫だ、俺が行くようにする。」じゃないのかな。
小さなことだけど、さ。

今朝。食事をとって、病院に8:30に着くように主人が送っていった。
途中、気にしていてくれている義父の兄弟宅2軒を回るのだそうだ。
具合の悪い人を車に乗せて、回る・・というのがどうも私の理解できないこと。
すぐに戻る予定なんだから、帰ってきた時に見舞ってもらえばいいのに・・と思う。
まぁ、自分の親のこと、私はとやかく言わない。

 

そんな朝。
出かけた車を見送り、庭を一回りして、みつけたのが、金木犀。
良い香りに、ほっとする。
今日も10時出勤で行こうか。。