ちょっと待って!

見たこと聞いたこと、すんなり納得できません。あ、それ、ちょっと待って。ヘンじゃありません?  ヘンです。

おばあさんの簪

2010-12-07 22:54:04 | 雑記・エッセイ
 子供の頃、裏通りに小さなお店がありました。
 一戸建ちだったか二戸建ちだったかはわかりません。
 入口を入ると土間で、正面の格子戸の向こうは炊事場。土間続きです。
 左側に三畳の板の間。襖の奥は六畳と押し入れ。縁があって、小さな庭、トイレ。それだけの家でした。
 おばあさんが一人で住んでいました。その板の間の端っこに洋食焼きの材料を並べて、子供たちに一銭の洋食焼きを作って売っていました。練炭火鉢を二つ置いて、小さな鉄板を渡して、三つか四つ焼くのです。仕切りのある木の箱に、細かく刻んだ沢庵、ネギ、天かす、紅生姜、のり、薄く切った竹輪などが入っていました。その横に、溶いたメリケン粉と刻んだキャベツの入った鍋。
 いま考えたら、六十歳ぐらいだったでしょう。歯が無くて、その代わり皺があって、いつも縞の木綿の着物を着ていました。厚手木綿の割烹着を着て、その上からやっぱり木綿の紺の前掛けをしていました。割烹着は茶色というより、いつ洗ったか判らない色合いでした。八割白くなった髪を後ろで纏め、小さな髷を作っていました。その髷に、赤い珊瑚の簪を挿していました。
「これはお父んが買うてくれた簪やで。お嫁入りの時にな。いっつもいっつもこれを挿してた。ヨソへ行く時も、何処へも行かん時も。とうちゃんが、よう言うてた。『もっと上等の綺麗な簪買うたろな。それもよう似合うけど、一つきりやさかいな』て……」
 父ちゃんというのはおばあさんの連れ合いで、オトンはおばあさんのお父さんのことです。息子さん二人は「兵隊に持って行かれた」ということでした。夏は襖も縁のガラス戸も開けっ放しなので、奥の間に敷きっぱなしの万年床が見えました。
「おばあさんでもお嫁に来たん?」
 子供たちは、おばあさんの顔を眺めてみんな不思議そうでした。シワがあって歯の無い花嫁さんを想像して、クスクスげらげら笑いました。戦争が厳しくなって材料が手に入らなかったのか、昭和十九年の春ごろ、おばあさんは店をやめました。店をやめる少し前、おばあさんの簪は古くなった珊瑚がポロンと足から抜けて、足だけを髷に挿していました。
 大阪が空襲で丸焼けになったとき、おばあさんがどうなったか、誰も知りません。
 おばあさんの家にはラジオもありませんでした。