たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人が自由に生きるとは 後期難波宮跡発見から思う

2016-12-01 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

161201 人が自由に生きるとは 後期難波宮跡発見から思う

 

今日は和歌山まで出かけ、ピストンで帰ってきて、あるマンション事件の現場に行ってようやく帰ってきました。風景を楽しむ余裕もなく、ただただドライブするのは疲れますね。

 

ところで、今朝のニュースの中で、少し心に残ったのが後期難波宮跡発見の記事です。前期は孝徳天皇の時代、後期が聖武天皇の時代と言われています。でも仁徳天皇(仮に実在したとして)とか、それ以前にも上町台地にお宮があったはずですね。難波宮とは言わないのかもしれませんが。上町台地は古くから存在しますが、背後は河内湖、河内湾、汽水湖、湿地帯など、いろいろ変遷していますね。難波宮が作られた7世紀や8世紀の地形はどうだったんでしょう。そこまで言及したのがあまりないように思うのですが。

 

ともかく後期難波宮は、聖武天皇が、九州で行った反乱の後、遷都を繰り返し、元の奈良の都に戻る前に、なぜか難波宮を作ったのですね。いずれも仮設に近い建物かと思ったら、立派なものですね。

 

この聖武天皇の放浪?のような遷都、歴史の不思議の一つで、理由はあまり解明されていないように思います。聖武天皇は、とても仏教を大切に考え、あの盧舎那仏まで作ってしまったわけですね。これらの行為が民衆のため、国家のためとも言われる分けですが、どうなんでしょう。

 

一体、どのくらいの人がどのくらい長い期間、聖武天皇のそれぞれの思いを実現するために、この労働に従事したのでしょう。それは大仙陵古墳や誉田御廟山古墳といった世界最大級の前方後円墳に匹敵する、いやそれ以上だったかもしれません。

 

誰がそのような労働にどのような気持ちで従事したのでしょう。それは明確な資料がないため、なんともいえませんが、それを小説という形で示してくれたのが帚木蓬生著『国銅』ではないかと思うのです。的地位にある主人公が、地方からかり出され、大仏造立の末端の仕事という厳しく、危険な肉体労働を一定期間休み無く成し遂げ、その後故郷に帰る途中で力尽きる内容で、こう書けばなんとも悲劇的な話しと思うかもしれません。しかし、そのような奴隷的苦役にもかかわらず、主人公の人間的魅力を見事に輝かさせた作者にはどのような思いがあったのか、何かそこに人が本来もっている潜在的な力というか魅力を引き出しているように思えます。どのような条件であっても人は自由に生きられるとでもいえるのか、あの:ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧ドイツ強制収容所の体験記録』のように・・・

 

といって、奴隷的身分制は、聖武天皇も、いやそれ以前のあの聖徳太子(厩戸皇子が正しいですか、いやその存在も疑問視されていますが)ですら、前提にした政治を行っていたことは日本書紀も触れていますし、古墳時代も当然、奴隷制を前提に、巨大構造物という前方後円墳を作ったわけでしょうね。

 

そのような奴隷制は、江戸時代も残っていた記録がありますが、遅くとも室町時代からは・やなど、さまざまな名称で呼ばれるようになっていたか、併存して社会の中に組み込まれていたのではないかと思います。

 

明治政府が、諸外国からの圧力もあり、1871年「ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」と太政官布告で、外見的・制度的には廃止ししたわけですが、現実にはその後も戦後に至るまで差別的取扱が残されてきたのですね。

 

日本国憲法は18条で、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」とし、14条で、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と高らかに宣言したわけですが、果たして現実はそうなっているのでしょうか。

 

私たちは理由のない差別的取扱を許してはいけないはずですが、いつの間にか、競争社会と言った暗黙のルール・規範の下、多くの差別を容認してきてはいないでしょうか。

 

聖武天皇があのように立派な朝堂院や大極殿、さらには大仏を建立しています、それは見事ですし、世界に誇る素晴らしいものかもしれません。しかし、それによって犠牲になった、奴隷的拘束や、地獄のような苦役をうけていた人が無数にいたことを考える必要があると思うのです。

 

そういう人の中には、すばらしい技術を生み出したり、豊かで肝要な心を磨いた人もいたかもしれません。でも多くは辛酸な一生を送ったのではないでしょうか。

 

現代日本においてそんなことはないといえるでしょうか。たとえば今話題の東京オリンピック、その費用は運営費も入れると2兆円とも3兆円とも言われています。その一方で、すでに後期高齢者の医療費負担増加や年金支給額の減額、子育てできない環境、非正規雇用の一般化、過労死の増大など、挙げれば切りが無いほど問題が山積みです。

 

聖武天皇の遷都や大仏とはまったく違うと断言できるでしょうか。美しいもの、立派なもの、その影には必ず影が宿っているように思います。その影が人の自由を実質的に奪うものであれば、それを暴いて、外見的な美の本質を見る必要があるように思うのです。

 

また脈略のない話になってしまいました。少し休めという警告かもしれません。タイピングの練習のつもりでやっているので、内容のない点はご寛容ください。