たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

高齢者のこれから 成年後見の見直しなど最近の状況を考える

2016-12-21 | 心のやすらぎ・豊かさ

161221 高齢者のこれから 成年後見の見直しなど最近の状況を考える

 

今朝の毎日も、気になる記事が多くてどれを取り上げるのか悩みながら、時間がないため割と書きやすい?高齢者について、とくに成年後見を中心に書いてみようかと思います。書き始めの大まかな意図はあるものの、書いていくうちに軌道が外れることもあるでしょうが、ご勘弁を。

 

私も高齢者の一人ですが、あまり意識していません。とはいえ最近の報道を見ていると、次々と襲ってくる大波にいまにも大破するか座礁しそうな時代遅れの帆船のような状態にあるというのが実態かもしれないと、時折思ったりします。コロンブスのように野心を抱いてサンタ・マリア号の指揮をしている気持ちにいつでもなりうるのも高齢者ゆえの自由な心持ちかもしれません。

 

さて、最近の高齢者を取り巻く状況は、年金額の引き下げという収入減が現実化しつつ、ストックである預貯金は低金利で実質目減りする状態が長期化しています。では支出面はというと、介護費用・健康保険料の値上げ、いずれは消費税もアップするということで、増大する一方です。そして、政府はと言うと、預貯金から投資への誘導を働きかけ、取引経験の乏しい、あるいは判断能力の劣る高齢者に対して、無茶な注文をしているようにも見えます。社会は、オレオレ詐欺に限らず次々とあの手この手の詐欺商法が跋扈し、高齢者を餌食にする状況が蔓延しているというといいすぎですが、油断も隙もないといってよいでしょう。

 

高齢者自身は、健康な人でもいつなんどき認知症状が発現したり、それが悪化する状況にあることはまちがいありません。長寿社会というけれど、がんや心臓疾患など多くの重症患者には、手厚い医療が施される傾向が進んでいる一方、超高額薬も使われ、将来の世代に負担をつけ回すと潜在的な非難の目にさらされるおそれも深刻かもしれません。高度の医療技術のおかげで、命を取り留めても、意識のない状態で、ただ生かされることも現在の医療水準や医療者側・患者の親族側の意思としては当然のこととされているかもしれません。

 

高齢者の問題は、それだけに止まらず、さまざまな虐待が見過ごされています。単に暴力的な虐待以上に、経済的・精神的虐待は容易には分からないため、相当広範囲にあると思います。施設入所の場合における規制なり措置は、法制度の導入や改正である程度改善しつつあると思います。しかし、同居ないしは近隣にいる身内が世話をしている場合は、非常に難しいと思われます。訪問ヘルパーなど介護サービスの中で発見されればともかく、そのサービスは生活のほんの一時的な時間に限られ、終日の生活全般の中で、巧妙になされる虐待の場合、発見は困難でしょう。高齢者自身は自ら事実を告白することは普通しません。身内を非難すると、身内を糾弾すること自体恥として控えられるでしょうし、他に告白した場合の後の仕返しもおそれるでしょう。

 

とはいえ、こういう問題のある状況が一般的であるわけでなく、多くは愛情豊かな親子関係や身内とのつきあいをしていると思っています。そうでないとさみしいことですし、美しい日本人の心と言ったことを世界に自負することも控えないといけないことになるでしょう。

 

さて、『草枕』を書いた漱石は、明治時代を生き抜き49歳で永眠ですから、(もしかしたら維新前に比べて)住みにくい世の中を極めて鋭敏で繊細な意識の中で世を去っています。漱石は自分が高齢化した後もよく理解できていたのかもしれません。彼のように人間関係、社会、そして国家のあり方について、深く体験し、感応した人には、現代のような社会は息苦しいことこの上ないかもしれません。それはあまりに飛躍がありすぎると言われそうなので、この程度にします。

 

で、今朝の毎日の話に戻します。成年後見について、二つの記事がありました。一つは、政府が後見制度の利用について、従来財産管理に中心にしていたのを、「本人の意思決定支援や見守りの重視へと転換を図る。」という方針変更です。もう一つは、利用促進の具体的な策としての、人材育成を含む地域的取り組みについての記事です。

 

二つの記事は、おおむね共通するテーマかと思いますが、前者は政府の地域主導で連携することによる利用促進という方針案を示しています。後者はそのような方針案が利用の少ない成年後継制度の改善を目指しているものの、その担い手である地域の実情はかなり温度差があるというか、多くは対応できる状況にないことを示しています。

 

たしかに認知症状が進む高齢者が増大していることは、介護制度の運用の中で明確な数字として表れている一方、本来必要とされている成年後見制度の利用は進んでいません。その点介護・医療の分野が契約により利用になっているのに、意思能力の問題の解決が図られていない実情です。それだけでなく、先述したように、多くの詐欺商法が跋扈しているのに対応する確固とした仕組みがありません。さらにいろいろなハラスメントにもさらされていますが、これへの対応も不十分です。

 

それでもう一つの記事、地域の実情をさぐったものは、品川区の社協による連携した活動を紹介しています。いわゆる法人後見で、私も横須賀市ですが、その準備段階から実際の運用まで経験したことがあり、その職員の大変な努力について、審査会という会議を通じて、知りました。報告書は活動の詳細を記述しており、被後見人に対してここまで見守り、世話をするのかと驚きましたが、報告書自体はプライバシーに渡るので、すべて回収されるため、詳細はおぼろげながらの記憶しか残っていません。

 

で、このような法人後見は、記事にもあるように、身内の方がいないか、世話を拒否しているような場合で、経済的にも余裕のない方が対象だったと記憶しています。後見費用が月2万円と記事にはありますが、それと同等か低かったかと思いますが、職員がボランティア的にやらないとできません。しかも市の他の社会福祉関係の部署との連携が相当あり、業務内容はネットワークの構築なしにはできないと思います。

 

このような業務を、専門家と言われている弁護士や司法書士が、担うかというと、とてもできないと思いますし、費用対効果の関係でも二の足どころか三の足?もひいてしまうのではないかと思います。

 

そのようなこともあり、市民後見人という制度は、横須賀市でも法人後見制度を開始して間もなく始めています。私は、この制度に関わる前に、当地に移ってきたので、どのようになっているか分かりませんが、希望者は割合多かったかと思います。専門家と社協や社会福祉の部署がうまくサポートすれば、実効性あるものになると期待しています。

 

で、法人後見制度も市民後見人制度も、おそらくほとんどの自治体がまだ検討もしていないというのが実情ではないでしょうか。相当に手間がかかり、まして最近の高齢者の見守りへの要請は多様な面があり、一旦、引き受けると大きな負担になるとおそれているのかもしれません。

 

しかし、繰り返しになりますが、高齢者は判断能力が次第に衰え、中には認知症状が次第にでてきます。お金に余裕のある人は、任意後見などで事前に弁護士や司法書士の手厚いサポートを得ることが可能ですが、一般の方にはまだ敷居が高いかもしれません。そういう現状からいえば、むろん専門家の方からも廉価なサービスの提供も必要ですが、費用対効果や日常的なケアという意味で実効性の高いのは介護・福祉サービスとの連携をした法人後見や市民後見人のより一層使いやすい制度作りではないかと考えています。

 

とはいえ、高齢者が直面している課題は広範です。しかも昔ながら家族意識が離れません。法制度は次第に個人による選択を求める方向にありますが、身内が場合によっては高齢者の意思を支配している場合もあるかもしれません。身寄りのない方は上記のような制度の拡充で救われる可能性が広がるかもしれませんが、身内がいるためかえって不満足な状態に強いられるおそれもないわけではないと思います。これは一面的な見方、皮相的な見方かもしれません。でもそういう危険が残念ながら家族という古い殻に隠されていることを忘れてはならないと思っています。