161208 タクシー事故について 2つの事故を少し考える
今日は仕事で結構疲れてしまって、ただぼっと疲れている状態です。それで疲れについて昔の高僧の人たちはどのように対処したのかなどと冥想というか、迷走の中で何も考えたくないと思いつつ、このブログをやはり今日も書いてみようかとタイピングを始めました。
人は誰でも疲れるでしょう。空海のように若いときから山河を渉猟し、唐の国に渡り筆づくり、お茶、土木など各方面に力を注ぎ、当時最先端の密教の伝授を受けて帰国し、さらに嵯峨天皇、淳和天皇などから頼られつつも、都で東寺をはじめいくつもの大寺を治め、その上都から遠く離れた高野山で開山するわけで、とても人の能力ではなせないことをやりとげた、そこには疲れというのはなかったのかと思うこともあります。それでも最後の2年くらいは静寂そのものだったのではないかと思ったりします。すべての疲れはここで安らぎをえたのかしらなんて。
西行もほんとに動いていますね。北面の武士だったから、体力には自信があったのかもしれませんが、東奔西走しています。高野山での30年はよくわかりませんが、高野山を下りて都を往復していたこともあり、紀ノ川を何度も渡ったと思われるのですが、一つも歌に残していません。私のような凡人には、紀ノ川の河畔から見上げた、高野の山々、反対の和泉山系、そして当時は荒れ狂ったこともある自然の河川景観、いずれも感慨深いものではないかと思うのですが、疲れを知らない西行はあまり休みもせずに、歩き続けたのでしょうか。
道元はとか、それを慕った良寛はとか、いろいろ書いてみたくなってきましたが、本題と離れてしまいそうで、ここまでとします。
ところで、最近の報道で、60代のタクシー運転手、しかも模範的なドライバーが、死傷事故を起こしたことが続けて取り上げられています。私も同じ年代の運転手で、しかも運転がとても上手とは言えない身ですので、気になります。
いま記事を見る余裕がないので、記憶だけで書いてみます。たしか一つは、病院の一階ロビーに突っ込んだ事故でした。事故前に用足しして、たしか200m近い直線の一方通行の道を走り、途中に交差する道路が2つ一時停止の標識があるのにいずれも停まらず、そのまま進んで、ロビーのガラスを割って、病院内の壁にぶつかってようやく停まったかと思います。運転手は、ブレーキを踏んだのに、きかなかったという弁解していたかと思います。
しかし、おかしいですね。一時停止を2回もそのまま進行し、さらに病院の建物の前では、直進しないで、庭石と建物の柱の間を少し右にハンドルを切って進行したようでした。その結果、建物の外にいた患者と見舞客がぶつかり亡くなったようでした。その位置関係は、はっきりした情報がなかった記憶です。プロの運転手であれば、ブレーキがきかないことがわかれば、進行途中で周辺に停まっている車や、壁にぶつけてでも、人に当たらないようにするぐらいはそれほど難しいことではないかと思います。だいたい、病院の建物の庭先ではちゃんとハンドルを切っているわけですから、ハンドル操作もおかしいですね。
模範運転手と言われている人ですが、用足しをした後、なにか異変があったのか、疲れがでたのか、やはり運転に問題があったように思えるのです。むろん事実関係がまだはっきりしないので、予断は禁物ですが、いままで分かっている情報からすると、そのように思えるのです。用足しした後、運転を開始した直後に起こっているところが気になります。高齢に也疲れがたまると、用足しによる体調変化もあり得るのではないかと思ったりします。
もう一つの事故は、たしか片側3車線の大通りを走っていて、一旦左端のレーンで停止して、お客を降ろし、再び運転して、右のレーンに入ろうとして、後方から来た車に追突され、ブレーキやハンドル操作が適切にできないまま、歩道に乗り上げ、そこにいた歩行者を死傷させた事故だった記憶です。
これは一応、無理な車線変更という最初のミスがきっかけですが、追突された後の制御不能の状態に近いことがうかがえる点が問題ではないかと思うのです。私も雪道でまったくハンドルが取られて制御不能となって、停まっている車に追突したことがあります。スピードがほとんどでていないときなのでスローモーションのような不気味な感じで、当たると思っても避けようがありませんでした。そのときは長いドライブでとても疲れていて、ハンドル操作も気持ちも鈍っていたかもしれません。
で、このタクシー運転手も結構疲れていたのではないかと勝手に推測してしまいました。あるいは油断があって無理な車線変更したが、ぶつけられ、当惑仰天して、的確な判断というか、ハンドル操作ができなかったのかもしれません。疲れと断定はできませんが、優秀なドライバーも、疲れを適宜適切にとらないと、悲惨な事故になるように思う次第です。
駄文を書き続けてしまいましたが、この辺で終わりにします。これは休めという警告かもしれません。