161223 予算(とくに農業分野)について 17年度予算案を一瞥して
今朝は雨模様。と思っていたら、しばらく雨が止み強風が吹いています。庭の枯れ葉が貯まっているので焼こうかと思ったのですが、あまりに風が強いので、今日は遠慮しました。
代わりに、柿畑のセイタカアワダチソウを一枚全部、刈りきろうと気合いを入れて始めました。ところが途中から小雨が降り出してきました。こういうことはしょっちゅうなので、いずれは上がるだろうと高をくくって、次々と切り倒していきました。でも雨が一向に収まらないどころか本格的になってきて、作業着が完全に濡れてしまい、体の中に雨がしみ込んできました。風邪でも引いたら大変と、途中で断念、引き上げてしまいました。
それでゆっくりと毎日の朝刊をなめるように見てしまいました。いろいろな情報が入ってきますが、やはりメインは17年度予算案の閣議決定について、多くの紙面がさかれていたので、ついつい読んでしまいました。
毎日は批判的な論調を多面的な切り口で展開しています。やはり一番は予算規模が最大となり、しかも「歳入の4割近くを借金に頼る構造は変わっていない。」と収支バランスの改善がなされていない状況が問題となっています。
わかりやすいのは、いつもように予算を家計の収支で説明するものですが、上記の借金依存構造が年収630万円で、累積借金が8650万円と、年収の約14倍となっている指摘ですね。いつもいわれることですが、家計なら破綻ですし、容易に破産が認められるでしょう。いや国家であっても、国際的な信用からいえば、とても覚束ない状態ではないでしょうか。
たしかに予算案は、さまざまな各方面からの要望をそれなりに取り入れ配分しており、収支のバランス、収入相互、支出相互のバランスなど、いろいろ調整して微妙な均衡の中にかろうじて成立しているのかな、とこれまでの政府・各省庁間の調整を垣間見せているようにも思えます。
しかし、毎日も指摘しているように、安倍政権は将来的な社会像をどのように描いて、その方向に向かって具体的な手法を示し、それに注力するように、メリハリのきいた予算構造にしたのか、わかりにくいように思うのです。
たとえば、農業を取り上げてみたいと思います。
記事では、農業の成長産業化の見出しで、次のように指摘しています。
「貿易自由化で農業分野の市場開放が迫られるなか、農家は生産コスト削減による所得の向上や高収益作物への転換、輸出力の強化が課題となっている。政府は農地中間管理機構(農地バンク)を活用して廃業を検討する中小農家の農地を集約したり、需要減少が続くコメから野菜への転換を後押ししたりしている。また2015年は7452億円だった農林水産物・食品の輸出額を、19年までに1兆円に引き上げる目標を掲げており、日本産品のブランド化による輸出促進や、海外で日本食の普及を担う人材の育成を進めている。17年度当初予算案でも、こうした事業に重点的に予算が割り当てられた。」とされています。
ところで、農地バンクが14年開始して以来、一定の農地集約化が進んだことは確かだと思いますが、休耕田・遊休農地の増大が止まったわけではないと思います。それよりも、農地集約化が単に面積規模が拡大しただけのものも少なくないと思われます。わが国の零細錯圃という農地状態は、容易に農地をひとまとまりで集約化できる状態にはないところが通常です。
認定農業者など農業技術があり能力があっても、利用できる農地が面積的に増えても、あちこちに散在していると、当該農地まで行く時間・費用だけでも多大な負担になりかねません。真の意味で集約化するだけのノウハウ、法的技術、農地所有者の意識改革がない限り、農地バンクという名前だけでは、いくら予算を投じても、実績を上げることが容易でないと思われます。それを農家という大きな票田をバックにした圧力が、名目を変えながら予算取りをしていると批判されても、無視できる力をもっているということでしょうか。
他方で、私は零細錯圃の小規模農家が、予算や政策の面で、無視されつつある現状を危惧しています。たしかに彼らの少なくない人が兼業農家で、別の収入で生計を成り立たせていることもあり、米価や農産物価格の下落にも、TPPの圧力?にも、特段の影響を感じていないようにも思えます。しかし、そのような農家の中には、安定的に農地を維持し、また、手退職後は農作業をして、健康生活を送っている人も少なくないのではと思っています。
ドイツでは、都市内に小規模農地(クラインガルテン、一区画100㎡を超え場合によって1000㎡くらいあると記憶?)が各地にあり、都市住民にとって仕事と自然の中で基本的な生産活動を行う貴重な場となっています。
わが国の市民農園法上の一区画はあまりに狭いですし、小屋も建てられません。その他任意な土地利用で都市住民が週末農家として遠く離れた農地に通う、その人口はすでに200万人を超えたと言われています。そういう都市住民がより利用しやすい場所として、こういった零細錯圃の一画を提供する施策も重要だと思うのですが、農地バンクの発想は、あくまで「農業」の生産性向上です。時代遅れとは言いませんが、それだけでない多様な要望に応えることが現代の農業のあり方ではないかと愚考しています。
それはよく例にあげますが、維新の折、日本を訪れた異邦人が驚嘆した一つ、日本の里山、田畑のたぐいまれな美しさだったのではないかと思うのです。それを担ったのは日本の人口のほとんどをしめた百姓だったわけです。私たち日本人の精神的基底には、土とともに生き働き、誠実に生き物とつきあい、慈しみ、礼節を大事にする、それを農地とともに体得してきたのではないかと、勝手な解釈をしています。
その農地を農家だけに現代社会は委ねていますが、すべての国民にその農地、農業のあり方を提供して、見直してもらう時代になっているように思うのは私一人でしょうか。だいぶ脱線してきたようです。再び予算案について触れてみます。
政府は、生産コスト削減策として、農地集約の加速化を図り、次のように巨額予算を配分しています。結局、現在の巨大赤字を導いた公共事業の復活が図られているのです。
「焦点の一つだった農地の大区画化や水路整備に使う土地改良予算は200億円増の4020億円となり、16年度第2次補正予算と合わせた額は、自民党の野党転落前の09年度予算と同額の5772億円に回復した。また農地中間管理機構(農地バンク)運営には74億円増の155億円を充て、担い手への農地集約を加速させることで、生産コストの削減を図る。」
土地改良予算について、一言触れますと、これまでの土地改良は、既存の零細錯圃の農地を多少、配置を入れ替える程度で、集約化にはさほど実効性がなかったのではないかと思います。その点、どのような配慮がされるのか具体策に注目したいと思います。
それと土地改良事業として、大規模潅漑事業が行われますが、最近の米生産の減少傾向を前提にすると、本来的には農業用水としては水余り状態で、そのためときには景観用水とか環境用水として、費用対効果を裏付けようと試みているように思います。しかしながら、景観価値や環境価値について、十分で合理的な裏付けがあるか疑問が残ります。景観価値といったものについては、すでに北米などで多くの実施例がありますが、市場価値に委ねることができないことから、国民・住民の意見反映を価値評価に結びつける手法が多いのではないかと思います。しかし、適切な評価要素・評価方法・評価参加者の選出などがなされていないと、絵に描いた餅にすぎません。手前味噌といわれるか、自画自賛のための評価になりかねません。
そもそも農業だけではありませんが、こういった公共事業について、市民意見の反映が適切になされていない現状をいかに是正するかがないと、農業予算を含め公共事業予算は国民の支持をえら得ないと思うのです。
もう一つの農業支援は、以下のように批判の多かった減反の廃止から転作奨励策ですが、これでは農家の票を得るための利益誘導以上の意味があるか疑問です。
「コメの需要減に対応した水田の転作助成は72億円増の3150億円を計上した。18年度から国による生産調整(減反)が廃止されることが決まっており、飼料用米や麦、大豆などへの転作を促す。森林整備などの林業関係予算は2956億円、漁業などの水産関係予算は1784億円となり、いずれもほぼ横ばいとなった。」
整理しないまま、今日も書き綴ってしまいました。毎日なにかを書くというだけの自分への課題ですが、おつきあいいただいている方には恐縮しています。