たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

心の安らぎ 小池都政のこれからと電通問題を触れながら

2016-12-25 | 心のやすらぎ・豊かさ

161225 心の安らぎ 小池都政のこれからと電通問題を触れながら

 

今朝は冬晴れ?のぽかぽか陽気。新報道2000を横目に見ながら、毎日朝刊をざっと見て、柿畑に向かいました。昨日は一枚の畑の草刈をやりとげ、今日は別の一枚をと思っていましたが、いろいろやることがあり、途中で切り上げました。それでも柿の木の一列は、ツルがまきつき、セイタカアワダチソウなどの雑草に覆われていたのを、刈り取り、その後、かなり剪定したので、坊主頭とまでいかなくても割合、きれいな枝振りになったと自画自賛です。

 

その後、前庭の竹垣が枯れて壊れそうな状態だったので、以前に伐採した竹や新たに幹のできるだけまっすぐなのを切り、シュロの縄で結んで、簡易な竹垣を新しく作りました。わが国の先祖の皆さんは、竹だけではないですが、とりわけ竹は見事に使い切り、たとえば竹垣はほんとに素晴らしい工芸品としても立派なものを作ってきたと思います。素人が適当につくっても、まともな物はできません。じっくりと時間をかけ、自分が「気に入る」ものになるまで形状も、個々の竹の細工もしっかりやり遂げた結果なのですね。

 

今日はクリスマスですか、あまり意識もなく、草刈、竹垣づくりに専念し、その後、囲碁番組を見で井口名人の見事な打ち回しについて行けないものの見事な勝ちっぷりに気持ちよくした後、懸案の問題についてなんとか穏やかな着地点を見いだす状態になったと心の安念を感じています。

 

で、新報道2000で今日取り上げた、小池都政のバトルについて、小池都知事のコメンテーターとの間でのやりとりを見ながら、小池都政に改めて期待をしたいという思いになりました。たしかにこれまでのさまざまな問題について、小池都政がやってきたことは、満点とは言いがたいのは当然です。小池流の、問題提起や議論のやり方、小池氏自身の手法もそういった方向性があったかもしれませんが、マスコミが小池劇場とはやし立てて、番組の視聴率をかせぐかのようなあり方も問題なしとはいえません。

 

しかし、小池氏の主張は、常にぶれない軸があるように思えるのです。たしかに表現方法は、昔の番組で見せたように見事です。東京五輪施設の問題について、「大山鳴動して鼠一匹」ではないかと言った疑義があれば即座に、「大きな黒い頭のネズミがいっぱいいることが分かったじゃないですか。入札の方式はどうなんですか。これから頭の黒いネズミをドンドン探したい。」と見事に切り返しています。この黒い頭のネズミこそ、闇を作り上げ潜んでいるアンシャンレジームであり、その改革の必要を的確に指摘しています。

 

さまざまな批判に対して、怒りを抑えつつ、巧妙に、かつ、問題の本質を捉える発言は、期待されてよいと思うのです。と同時に、小池氏は、都庁職員について、しっかりやっていることを強調し、これから彼らを改革の手足として率先して働いてもらうことを示唆する発言も忘れていません。この点は、たしかに都庁職員は優秀ですし、まじめであることは確かです。しかし、批判精神が、また、縦割り的な意識が、かなり強いようにも思っています。そのような都庁職員、とりわけ幹部クラスは、ある意味エリート意識も高いので、従来のアンシャンレジームを構成した一角ではないかとも思える部分があります。当然、小池氏はそのことを承知しながら、たとえば幹部女性を集めて女性だけの会合を開いたり、新たな旋風や、見える化を進めて言っているように見えます。

 

オリンピック会場、豊洲問題に加えて、さまざまな問題を東京都は抱えています。全国の先進モデルになるよう小池氏は意識しているようにも見えます。たとえば、広尾病院移転計画について、白紙で対処すると明言しました。これは番組参加者にも驚きだったように思えます。私自身、すでに指摘されている移転先の現子どもの館周辺の地域性・道路環境など、将来の救急医療の中核場所としては疑義があるにもかかわらず、もう予算がついていたと言われていました。たしか猪瀬氏のときも、医療施設の拡大を図る徳洲会から資金提供されたことが問題となりましたが、東電病院入札をめぐり話題となっていました。舛添氏もこの広尾病院移設について、どの程度議論が公開され、適切になされたか、大きな疑問が出ています。これらも氷山の一角と思います。小池氏が情報公開の徹底を強調していますが、それだけで十分か、今後の対応を注視したいと思っています。

 

話変わって、毎日一面の記事、「電通過労自殺1年『働く人全ての意識変わって』母が手記」に注目しました。すでにこのブログでも触れた事件ですが、今回は少し見方を変えてみたいと思っています。

 

電通は博報堂を凌駕して広告業界の第一位の地位を長く独占してきたのではないかと思います。もう四半世紀前でしたか、東京弁護士会で広報を担当していた頃、当時、コーポレート・アイデンティティ(CI)というのどこもかしこもはやりでやっていました。東京都なんかは膨大な費用をかけて鈴木都政が東京都を変えると囃し立てていたと思います。で、私自身は、それ自体のコンセプトは悪くないと思っていて、弁護士、弁護士会も意識・体制をチェンジしないといけないと考え、電通のこの分野の専門家に来ていただき、講演してもらったり、アドバイスを受けて、東京弁護士会のCIを検討していました。もう昔のことなので、どういうことで挫折したかは記憶が定かではありません。ただ、その担当者の熱意や思いは、CIのやり方次第で、弁護士会という古い体質(表現は悪いですが小池流に言えばアンシャンレジーム)を変えうるのではないかと思っていました。

 

なぜかそのときの担当者のことを思い出しました。世評では、個性豊かなクリエーターの博報堂、集団行動で力業で邁進する電通とも言われるかと思いますが、私が受けた印象は、クリエーター的存在感でした。だいたい、昭和40年代くらいまでは、広告業界は社会的にはあまり高い位置ではなかったと思います。さほど広告価値を評価されておらず、取引においても当時は、社交界というか夜の世界での接待がかなりの比率で、交渉や締結に結びついていたのではないかと思います。そしてこういった交際費の経費計上が大きく税務上も許容されていて、銀座・赤坂など最もお金が落ちていたのではないかと思います。

 

それがTVなどの広告が洗練され、広告技術の高度化が電通・博報堂を中心に進み、商品も取引も広告を通じて行われる比率が格段に高まったのではないかと思うのです。それはIT時代に入っても、競争相手が増えたことはあっても、広告・広報が格段に重視される時代になっているかと思います。

 

それは単に商取引の増大と言った面に限らず、リスク管理においてとりわけ重大になってきていると思うのです。はたして電通・博報堂が、多様なリスクについて適切に広報対応できるかは、私自身よくわかりませんが、すくなくともリスクコミュニケーションの分野では相当活躍しているのではないかと思うのです。

 

長々と書いてしまいましたが、要は、現代の情報化の時代、トップの電通は、業務の拡大がとどまらず、当然、社員は、会社の中に適切なコンプライアンスのシステムが確立し、実効性が伴っていないとき、違法残業や過労自殺は必然となり得るのではないかと思うのです。

 

母親の手記は、子を持つ親なら誰もが抱く考えではないかと思います。企業は、いくらいい商品を世に提供しても、それを作り出す社員、メンバーが精神をすり減らし、病気になるような事態を招くこと自体、社会的存在として失格だと思います。どんなに感動的な広告や広報をしていたとしても、それは感動に値しない、非難されるべきものではないかと思うのです。

 

北斎が、広重が、いや芭蕉が、一茶が、個人として無茶苦茶な生活を送ったとしても、それは彼個人が自分で覚悟を引き受けたのであり、その作品の価値も決して評価を下げるものではないと思います。しかし、企業という組織の場合、企業を構成するメンバーに長時間労働を強いたり、差別的扱いをするようなことは許容されるべきではないと思うのです。

 

最後に、これまで書いたこととは趣旨が異なるかもしれませんが、生き方として、私自身、救われるというか、現代の不条理をみるにつけ、心のやすらぎを感じさせてくれる文を引用したいと思います。

 

千日回峰行は、私が京都北白川で暮らしていた頃、酒井阿闍梨がちょうどその途中でした。実際の行程はよく知りませんでしたが、私が住んでいた家の前の通りを通るとか聞いたことがあり、一度お顔を拝見したいと思っていましたが、それもできず、結局、酒井大阿闍梨は、2度も比叡山延暦寺の千日回峰行を行っています。テレビで拝見すると、ほんわかしたお坊さんという感じですが、すごいですね。

 

で、私がいま注目しているのは、吉野山金峰山寺で得度し、大峰千日回峰行など数々の苦行を成し遂げた、まだ若き大阿闍梨、塩沼亮潤さんの言葉です。

 

『人を相手にせず、天を相手にせよ』という言葉をあげて、これは「『人を相手にすることではなく、自分自身を相手にせよ。』ということで、「忘れて、捨てて、許して、そして人には微笑みをもって生活する。些細なことでも情熱をもって、こつこつ努力する。」だと言っています。

 

今日の話題とはまったく違うのかもしれません。でもどこかで通じるものがあると思うのが、今の私には心の安らぎとなっているのです。