たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

先憂後楽 <首都圏発生 建設残土が船で三重へ>と<プラスチック危機 国内受け入れ飽和状態>などを読みながら

2018-11-16 | 廃棄物の考え方

181116 先憂後楽 <首都圏発生 建設残土が船で三重へ>と<プラスチック危機 国内受け入れ飽和状態>などを読みながら

 

「トリクルダウン」という安倍首相の威勢のよい発言はいつの間にかロウソクの火のように消えてしまったような感じです。張り子の虎のように見栄えのよい姿形は、注意しないといけません。オレオレ詐欺や特殊詐欺なんかも電話口や会った雰囲気はとてもよいそうです。騙す方はことば巧みです。安倍首相のことばと怪しげな連中と一緒にするのは失礼な話で、玉石混交と言われてしまいそうです。

 

ただ、政治というものは先憂後楽という視点で国家・国民のことを考えてリードしてもらいたいと思うのです。今朝の毎日記事<論点中央銀行の役割 インタビュー 白川方明・日銀前総裁>は、安倍政権が唱えたデフレの定義、一蓮托生に打ち上げた黒田バズーカ砲について、直接言及しないものの、前日銀総裁として、金融政策のあり方を持続可能性の視点で、冷静に論じており、非常に参考になります。

 

同じような見方は、環境保全の点でもいえるように思うのです。90年代以降20年の空白みたいないい方で、強引な経済成長を目指す舵取りをしてきた政官財ですが、その結果、どうなったのか、大変なツケを将来に残してしまっていると思うのです。少子化や高齢化対応といった福祉の問題は少しずつ前進しているようです。しかし環境保全となるとトランプ政権なみに後退が続いているように思えます。

 

残土処理や廃プラ処理は、90年代には大きな問題として取り上げられていました。前者は首都圏内では各地で一応の残土条例が次第に整備されましたが、イタチごっこという感じは拭えません(モグラたたきともいえますか)。廃プラ処理は、一応は分別収集の制度ができあがったものの、循環処理・資源化への制度作りができておらず、尻抜けでした。

 

そのような環境保全への適切にできていない不完全な廃棄物処理(リサイクル処理)行政を前提に、安倍政権は経済成長まっしぐらにすすめてきたように思えます。

 

その結果首都圏では、一年どころか、半年で都市景観の様相が様変わりするほど、急ピッチに開発が進められてきたように思います。そのとき産廃はどう処理されたのか、建設残土という産廃除外物はどうなったか、誰からも意識されない状態が続いたのでしょう。

 

私自身、10数年前、神奈川県で残土条例違反の事例を告発というか、行政に摘発して対応を求めたことがありますが、当時の条例では適切な措置がなかなか迅速に採れず、地団駄を踏む印象でした。開発許可事案では、残土処分はきちんとその量と処分先、ルートなどの報告を求めていますが、最終的な残土の処理まで監督が行き届くかといえば、行政の立場としては難しい現状であったと思います。書面審理以上に、処理場での全量をチェックするだけの体制はなかったのですから。そもそも建設残土と産廃の仕切り・区別自体が現場では簡単でないことが少なくなく、産廃処理がすり抜けられることも当時は一定程度あったと聞いています(これはさらに15年くらい前の話)。

 

マイクロプラスチックによる海洋汚染問題で、スーパーのポリ袋などを有償化する対応を政府が検討していますが、これも今頃になってと思うのです。90年代か、遅くとも2000年代初頭頃には、少なくとも有償化が必要との意識が高まり、実施されつつあったと思うのですが、いつの間にかどこもどんどん無償配布が当たり前となりました。

 

消費税2%アップとの関係で、コンビニでは持ち帰りか、あるいは店で食べるかで、税率が違う扱いでどう対応しようかと全国で話題になっているようです。私からすると、ポリ袋を当然のように用意することの方が気になります。スーパーもコンビニも同じでしょうといいたいのです。有償化に区別する趣旨がわかりません。コンビニの便利さが失われるなんてことは考えにくいのです。むろん私もコンビニを利用しますが、買い物袋持参です。別にこれで快適さ・便利さを損ねることは考えられません。

 

それよりもプラスチックの適切処理がずっとうまくいっていないことの方が問題です。自分は便利でも、その結果悪影響が多大であったら、ちょっとくらいの不便さは受け持つくらい自由人としては当然ではないかと思うのですが。

 

プラスチックのリサイクルなんて形だけで、まともにリサイクル処理ができていないのを放置してきたツケは大きいでしょう。だいたいプラスチックの種類が年々歳々増える一方で、分別処理がそれに応じて進化せず、現在の分別収集では、適切なリサイクルができず、結局、焼却処理して熱源として使うことを「リサイクル」の一環と称するのは羊頭狗肉でしょう。

 

と今日は少し気持ちが入った感じで書きました。

 

ところで、毎日記事は丁寧に事実を取材しており、一面で、真ん中に北方領土問題を小さく囲み、右に首都圏残土が三重県にと、肥大に行き場失うプラごみと、大きく扱っています。安倍首相とプーチン大統領の先行きの見えない交渉より、両者に焦点を当てた毎日新聞に拍手したい気持ちです。

 

詳細は、残土処理については<首都圏発生建設残土が船で三重へ 事実上の「投棄」>を、プラゴミについては<プラスチック危機国内受け入れ飽和状態 廃プラ、処理法確立急務 焼却限界、コスト増>をご覧ください。

 

なお、現代日本人の特徴といってもよい、ヘビーユーザーの対象である包装袋の他に、弁当容器は意外とその処理上の問題に気づいていないかもしれませんので、参考に次の記事<質問なるほドリ弁当容器再利用できる? 複数素材使用 分別難しく=回答・岡礼子>を取り上げておきます。

 

今日はいろいろ文書を書くことが多かったためか、久しぶりに手が痺れています。書き始めに違和感があったので、やはりという感じです。要注意です。

 

ともかく中途半端ですが、これにておしまい。また明日。