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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

外国人と文化の違い <インド人の町の現実>を見ながら

2018-11-25 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

181125 外国人と文化の違い <インド人の町の現実>を見ながら

 

一昨日、<外国人とのおつきあい>のテーマで移住を前提とした統合的な政策をとの意見に賛同する趣旨で書きました。といっても外国人もいろいろですし、それぞれ多様な独自の文化を抱えてやってきますから、文化・風俗をめぐる軋轢は起こることは確かです。

 

そんなことを取り上げたのは今朝の<報道プライムニュース>でした。ゴーンさんの話題の終わり頃から見ましたが、次のテーマが<インド人の町の現実>でした。東京江戸川区の西葛西周辺が最近、インド人が大勢住むようになったとのこと。

 

東京に住むインド人の大半が住んでいるというのです。といっても中国人街という各地の繁華街であるような形で町を形成しているまでには至っていないようです(そういった画像はなかったと思います)。

 

でもインド関係専門の食材店とかカレー専門店が目立つようです。なぜ西葛西に集まるかの問いに、荒川というのに驚きつつも、ガンジス川のような流れを感じることができるからというのは腑に落ちます。

 

私も四半世紀以上前、カヌーでよく荒川下りして、東京湾に出て、東京港まで出て、時折、空き地だらけの埋め立て地周辺を遊覧しますが、たいていは西葛西の海浜公園で上がって、造成中の公園を見ながら、西葛西駅に向かっていました。懐かしい場所です。

 

当時は荒川を下ったりしているのは私くらいでしたか、大空と水の流れとが一体となって気分は最高でした。とりわけ東京湾に出る河口付近は海流とのせめぎ合いで三角波が立ち、ちょっと大海にでる気分?になれたかなと思います。

 

ですのでインド人がガンジス川とは比べようもないですが、東京近郊で割合アクセスしやすい荒川河口付近の西葛西を選ぶ気持ちはなんとなく分かります。

 

ところで、番組は文化の違いをクローズアップさせていました。インド人はベジタリアンが90%ととか?その割合がどの程度正確かは分かりませんが、かなりの比率を占めることは確かなのでしょう。そのこともあり、インド人の人たちは日本人との交際をほとんどしていないというのです。男性同士、女性同士、異性間、いずれの場合も、ちょっと親しくなればどこか食べに行こうといっても、わが国は食天国といってもベジタリアン向けのお店は極めて希でしょう。それはイスラム教徒が遵守すべきハラールの場合も少し増えたとは言えまだまだ希少ではないでしょうか。

 

そのためかインド人は同じ国の人同士としか付き合わない、集団にならないというのです。そして番組でとりあげたのは、夜、インド人が集まって独自の祭りを開催していて、当然、見たことがないような催しであり、インド人以外はほとんどいない、奇妙な風景となっていました。

 

ますます孤立化する可能性をインド人の町での光景が示しているかのようです。それは日本での例が特別かと言うこと、おそらく他の国でも同様のことが起こっているのではないかと思います。

 

私がカナダで経験したのは、タクシーの運転手にインド人が多く、ある地域にはインド人が多く住み街区を形成していました。実際の風習は見ていませんが、おそらく番組で取り上げられたようなことは行われていたのではないかと思います。

 

それはインド人だけが例外ではないと思うのです。北米では韓国人街、中国人街、メキシコ人街など、それぞれの出身国の人たちが集団で暮らすのは普通のように思えます。

 

そのような人の動き自体は、それなりの合理性があり、ベジタリアンであることにより周辺になんらかな悪影響を与える分けではないので、問題とすることではないように思うのです。かえって日本人の中には江戸期以前のようにベジタリアンに戻るかもしれません。

 

ただ、インド人のことが取り上げられたので、ある事件のことを思い出しました。それは20年くらい前のイギリスでの出来事でした。イギリスには驚くほど水路が入り組んで田園地帯を流れています。そこに結構なボートが乗客を乗せて(多くは観光客)行き交っています。

 

事件は、インド人が集団で行った散骨を問題にしたことで大きく取り上げられたのです。私は報道をTVで見たのかどうかはっきり覚えていませんが、少なくともウェブ記事でしばらく取り上げていましたので注目してみていました。

 

インド人にとって母なるガンジス川のそばで遺体を焼き、船に乗って踵骨を撒くことが悲願なのですが、異国の地ではそれに代わるものとして、近くの川に散骨することで希望が満たされるようなのです。

 

その散骨が、わが国のように、静寂の中しめやかにおこなわれるのではなく、楽団がけたたましく鳴り響き、手向ける花なども膨大な数を川に流すようで、とても豪華絢爛さを誇るというか、大事にするようです。

 

その結果、さまざまな苦情が当局に訴えられ、話題になったのですが、その結末は仕事にかまけてフォローできず、どうなったかと思っています。

 

私がイギリスの散骨事情を調べたのが90年代初頭でしたが、そのとき散骨場所については制限がなかったと記憶しています。テムズ川に撒くことも問題ないということでした。たしかにテムズ川もロンドン市域だとその水質は決して褒められたものでなかったですね。ただ、少し上流に行けば清浄な流れになっていますが。

 

ともかく散骨におおらかなイギリスというのも、イギリス人の葬送の個人主義というか、清楚で静寂さを前提にしているように思えます。インド人を含め東南アジアの国々のように豪華(国・地域によって違うでしょうけど)に行う場合、散骨のイメージも違ってきますので、川の清浄さや静謐さに配慮した保全策を講じたのかもしれません。

 

そんな具合に、外国人が同じ地域に住むとなれば、衣食住はもちろん、生死という一生を通じてさまざまな文化の衝突があるのは当たり前でしょう。それをはじめからダメというのではなく、わが国の法制度・慣習との折り合いをつけながら、工夫してやっていくことが求められるのではないでしょうか。

 

今日はこれにておしまい。また明日。