たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

外国人とのおつきあい <論点 「移民社会」 入管政策のあり方>を読みながら

2018-11-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

181123 外国人とのおつきあい <論点 「移民社会」 入管政策のあり方>を読みながら

 

今回の臨時国会では、入管法改正案をめぐって与野党が大きく対立し、他方で議論が深まっていない印象です。政府与党は、人手不足に対応すべく外国人労働者の受け入れ拡大に向けて、新しい在留資格を設けようと提案していますが、移民政策かどうかといった名前と本質論からはじまり、将来を見据えた議論が煮詰まっていない感じを受けます。

 

そんなとき毎日新聞は、<縮む日本の先に「移民社会」の足音/7 壁なくす支援模索>などの記事で、日本の現状を掘り下げています。そして今朝の記事<論点「移民社会」 入管政策のあり方>では、3人の論者が異なる立場で、入国管理と移民政策について議論していて、参考になります。

 

高宅茂・元法務省入国管理局長は、自身の経歴もあるでしょうけど、独立国としての入国管理の必要性を説いています。

 

<世界に独立国家が併存している以上、国家が無条件・無制限に外国人を受け入れることはあり得ない。通常は自国の経済・社会の発展を考え、政策として受け入れ範囲を決めている。我が国の場合は在留資格によって範囲を限定し、不法滞在や不法就労などで在留する範囲外の外国人は強制退去としている。>

 

私が仕事で、外国人の刑事事件や、在留資格の問題を取り扱っていたのは30年くらい前でしたが、一定の刑事犯で在留資格がなければ強制退去が普通でした。大使館の職員が傍聴にしていました。東南アジアや中南米だと中に、通訳も当時さほど能力が高くない人も登用されていましたので、意思疎通が大変でした。

 

他方で、不法滞在や不法就労が発覚することもさほど多くなかった(摘発も厳しくなかったと思うのです)ので、強制退去がそれほどあったかなと思うのです。

 

ところが、<近年、日本国内に生活基盤があることなどを理由とする本人の送還忌避や、母国の引き取り拒否により、送還できないケースも増えている。出入国管理政策が確実に実施されていないという点で問題と言えるだろう。>

 

たしかに外国人労働者が急速に増えている中で、上記のような事例は当然増えるでしょうし、それまでの出入国管理制度で対応できるかは問題でしょう。

 

高宅氏は<近年増加傾向にあるのが不法就労だ。>であり、在留資格外での就労が主要因として、これに対応するため、<新たな在留資格では、受け入れ企業などが日本人と同等以上の報酬を支払うなど一定の労働条件を確保しなければならない。不法就労者を雇用する企業には「負担増」になるため、新資格導入だけで不法就労が目に見えて減ることはないだろう。>と改正案の意義を指摘しています。

 

<新資格導入が「移民政策か否か」との議論>については<在留期間の更新などを重ね、結果的に一定の要件を満たした際に永住を認めることはあっても、最初から日本人にするつもりで受け入れているわけではない。>として、<ただ、「特定技能2号」(在留期間更新可、配偶者と子の帯同可)によって将来的に永住者が増える可能性はある。今後受け入れる外国人の処遇が重要であり、最初から移民か否かを議論しても空回りするだけだ。>と野党の議論に批判的です。

 

しかし、高宅氏が指摘するとおり<これまで出入国管理政策の基本は「受け入れるべきではない人の受け入れを防止し、そうでない人は円滑に受け入れて活躍してもらい、違反した場合には強制退去にする」>というこれまでの政策が今、問題となっているわけですね。

 

それをこの改正法案について、本質の議論をしないでいて、<今後はより中長期的な視点から外国人と日本人が分裂・対立することのないようにすることが重要だ。社会保障も含めてきちんとフォローする必要がある。【聞き手・和田武士】>ということでよいのか、しかも出入国管理だけを担当する部署の格上げをしても、外国人と日本人の間ですでに発生している問題を今後も自治体に丸投げするようなことにならないでしょうか。

 

日本はすでに日本人だけではやっていけなくなっていることもあるでしょう。また、元々、日本人自身が多元的な由来をもつのではないかと思いますし、縄文以前、弥生期や古墳時代の渡来、あるいは百済滅亡時の渡来などなんども繰り返されてきたのではないかと思うのです。

 

次の藤巻秀樹・北海道教育大教授が指摘するように、過去の外国人労働者政策の場当たり的な対応を反省すべきだと思うのです。すでに入管法改正案だけで対応するのは不適当な時代に直面しているのではないかと思うのです。

 

そういえば弁護士の場合も外国人弁護士が一定の職務制限で門戸が開かれ、20年くらい前でしたか、結構な数が入ってきたように思います。その中でドイツ人弁護士と意気投合して、飲食を供にしましたが、弁護士業界としてはさほど影響がなかったのではないかと今思っています。むしろその後の法曹改革でどっと弁護士の数が増えた影響は甚大でしょうね(余分な話ですが)。

 

<移民政策の両輪は「どういう外国人を受け入れるか」という出入国管理政策と、「外国人をいかに日本社会に迎え入れるか」の社会統合政策だ。>

 

<外国人に納税者、消費者、そして社会保障の負担者になってもらうには、彼らを豊かにすることも大切だ。「出稼ぎ留学生」や、就労目的の「偽装難民」が多いのは事実だが、彼らは働く意欲を持った人たちだ。不法だからといって全て排除するのではなく、労働者として受け入れるよう留学生や難民はきちんと審査した方がいい。>

 

年金・医療・介護を支える若い労働者がどんどん少なくなっていて、回復の見込みが少ない現実を受け止める必要があるでしょう。いや外国人を労働力という片面的な見方をすること自体疑問です。日本という国、環境を誇るのであれば、もっと外国人を受け入れ、単に観光インバウンドだけでなく、一緒に働き生活する場を提供することこそ、平和国家日本の生き方ではないでしょうか。

 

私はドイツなど西欧諸国で、あるいはカナダ・アメリカという北米でさえ、移民の人たちが特定の職に偏って配置されていることの問題も気になっています。むろんITなど最先端で働いている人も少なくないのですが、多くは清掃・土木とか、タクシードライバーとか限定されているように思えます。

 

ガブリエレ・フォークト 独ハンブルク大教授は、さらに至言ともいうべき<「未来の市民」か「客」か>と問いかけます。

 

<国際的な労働力に門戸を開放することは、多様な文化の人々に社会を開くことだ。そうでなければ、外国人労働者の社会統合は進まず、摩擦を引き起こしかねない。外国人との触れ合いが少ないためか、外国人に対する日本人の不安感は大きい。この不安にきちんと対処することが、日本社会への外国人統合の最初の一歩になる。【聞き手・念佛明奈】>

 

私たちは今、多元的な文化を受け入れる時代にあると思うのです。フォークト氏の言葉は当然ながら、私たちは本気で覚悟して受容することが求められているように思います。日本の文化はそれによって新たな脱皮が可能になり、日本文化がより輝きを増すように思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。