たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

火災と日本人 糸魚川大火災を少し考えてみる

2016-12-24 | 災害と事前・事後

161224 火災と日本人 糸魚川大火災を少し考えてみる

 

方丈記には当時の災難のいくつかを取り上げており、時折読み返しています。むろん火災もリポーター風に次のように総括しつつ具体的な様子もリアルに表現し、治承3年(1179年)4月に発生し暴風に煽られて京の都の3分の1を灰燼にした大火災を取り上げています。

 

「風烈しく吹きて、靜かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、都の巽(たつみ)より、火出で來りて、乾(いぬい)に至る。はてには朱雀門・大極殿・大學寮・民部省まで移りて、一夜(ひとよ)が中(うち)に、塵灰(ぢんかい)となりにき。」

 

 興味深いのは、最後に、彼流の人生訓というか、皮肉というのか、述べていますね。木造で密集した京で家を建てるのに贅を尽くしたり悩むことを意味のないこととでもいうのでしょうか。

 

「人の營み、みな(皆)愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、寶を費し、心を悩ますことは、勝れてあぢきなくぞ侍る。」

 

といっても日本人は、その後もずっと密集した中でせっせと家を建て続けていますね。江戸時代は、「火事とケンカは江戸の花」と言われるほど、方丈記の指摘を無視するように、大名屋敷や町屋も競うように豪華なものを作り続けています。何度も大火にあいながらも。しかし庶民はどちらかというと鴨長明と似通った感覚で?、長屋暮らしで、家財道具もほとんどない状態の暮らしをしていたようです。

 

この点、なんども紹介する維新時に来日した異邦人の目では、あまりにみすぼらしい庶民の家、なにも家の中にはないことを憂いつつ、火災で灰になっても庶民が翌日にはあっけらかんとして廃材などを利用して、新たな生活を元気に始めている様子が驚きとともに、彼らの西洋人にとって家や家財道具を重要視する姿勢が精神の豊かさを損なっているのではないかといった、若干の思いを吐露する人もいました。

 

それはともかく木造住宅の密集性は、少なくとも維新までは当たり前のことだったのだと思います。それは地震というものに対する備えの一面もあっったでしょうし、徳川時代における建築規制も影響していた面もあったでしょう。都市計画が整備されないまま、都市の中に無秩序に流入する人々の住む場所が適切に提供されず、もっぱら大地主・大家の提供する長屋でしか暮らせない状態であったことも影響するのかもしれません。

 

そのような状態は、その後に成立した都市計画法でも、一応の対策は示されたものの、戦前、戦後、大きな改善はみられないまま、今日に到っていると思います。むろん行政は、都市再開発法やさまざまな事業を通じて危険な木造密集地帯の改善に取り組んできたことは確かです。しかし、再開発事業が住民から歓迎される形で完成された例はさほど多くないと思います。個々の所有権や所有者・居住者意識を変えることは容易でなく、現実には今なお各地にこのような危険地帯が残っています。

 

もう一つの改善というか、密集地帯がなくなった要因は、多くは民間デベロッパーによる地上げなどで高層化が進んだ、昭和40年代頃から何段階かを経て、高度利用の要請が高い、首都圏などでは進展したのではないかと思います。

 

さてだらだらと前置きがいつものように長くなりすぎ、このあたりで本論に入りたいと思います。

 

まず、毎日の記事で気になったのは、糸魚川の大火災があった地域が木造密集地という点です。古い町ですので、当然というか、古い町並みとして残されてきたのでしょう。ところが、その次の記事では、「国土交通省によると、各地の木造密集地について、燃え広がりやすさなどを基準に『地震時等に著しく危険な密集市街地』が指定されている。今年3月末時点で16都府県で約4400ヘクタールに上るが、東京都など大都市が中心で新潟県には指定地区はない。」というのに驚きました。

 

それで実際、国交省の指定地域を確認すると、なんと和歌山県では橋本市とかつらぎ町の2市町しか指定されていないというのです。たしかに地震時等を一つのメルクマールにしていますが、この2市町では地震のおそれが高いとはいえないので、糸魚川の当該地域を含め新潟県に指定箇所が一つもないというのはどうしたことかと思ったのです。

 

橋本市は現在、当該指定地域を対象に都市再生整備計画を立てて実施していますが、その前提として、指定を受けたのかもしれません。

 

しかし、現在ある危機的状態という意味では、当該指定はできるだけ早期にすべきではないでしょうか。なぜか。

 

それは住民の意識の啓蒙に繋がるでしょうし、真剣に防災訓練や防災計画、まちづくりによる改善への検討がなされる共通の土壌になると思うのです。

 

次に、火災の原因は、「ラーメン店が火元と断定したと発表した。男性店主(72)が鍋を空だきしたことが原因とみられる。」ということのようですが、びっくりさせられたのは、その店主の発言では、「開店前、火をつけたコンロに鍋をかけたまま失念して近くの自宅に帰った。戻ってきたら炎が換気扇の高さまで上がっていた。」というのです。

 

もし店主が木造密集の危険地帯であること、それを近隣の住民間で常日頃話し合っていたら、このような事態を避けられた可能性があったのではないかと思うのです。

 

農村集落もまた、家々が密集していて、消防車などが入りにくい曲がりくねった狭い道路しかありません。その意味で、自然と住民間に防災意識があるように感じています。自分のところから発火すると、近隣に迷惑をかけるということが意識下に強くあるように思うのです。

 

その点、糸魚川の古い町並みは、雁木を残すなど町並みの保存には一定の配慮が見られるのに、長く商売してきたとみられる店主にその意識があまり強くなかったのか、残念に思います。あるいは高齢化の影響もあったのでしょうか。

 

この店主自体の問題よりも、私は消防体制がどうだったか気になっています。むろん報道だけでの判断では十分な裏付けを欠いていますので、ここではとりあえずの思いを述べておきます。

 

たしかTVニュースでちらっとだけ見たのですが、発火して間もなく、消防隊が駆けつけ、放水している様子が映像で流れました。まだ西側の道路沿いの建物(西側部分)には延焼していませんでした。東側や北側がどうだったかは分かりませんが、この初期段階では、さほど大きく延焼する様子はなかったようにも見えます。

 

そのためか、消防隊も放水器は一台だけだったように思います。それを見て、少しのんびりしているようにも思えました。

 

で、119番の一報があった後、消防署の指揮はどうだったのか、後日検証されることと思いますが、少なくとも次の点を検討すべきではないかと思うのです。当該発火場所が属する地域が木造密集地で延焼危険性の高い箇所であること、当日は午前5時過ぎから強風注意報が出ていたこと、南風であることも承知していたと思われること、そのような気象条件および延焼危険が高い地域への消防活動をどのように行うかについて、事前にどのような消防体制が必要かを検討していたか、その場合今回それにそって行われたのか、そうでなければなぜか、といったことです。

 

放水だけでは、道路側からだと、店の奥や裏側には届かない分けですから、高層ビル用放水車、あるいはヘリコプター放水などより有効な手法をとる可能性をも視野に検討する必要があったかもしれませんが、それはどこまでこれまで検討されてきたのかが気になります。

 

別の見方でいえば、江戸火消しは、放水で火事を消すのではなく、延焼のおそれのある建物等を壊して、延焼を防ぐ方法をとっていました。で、糸魚川の場合、そこまでの方法は事前に計画していたならば、選択手段として採用される可能性もあったと思いますが、現代ではそこまではなかなか無理かと思います。代替案として、たとえば延焼先を冷却する、放水して水浸しにすることも飛び火対策としては有効と思うのです。むろんこれも事前に計画して、所有者の承諾をとっていないと、その場ではなかなかできないでしょう。ただ、壊すよりはまだ水浸しなら、延焼防止の最後の手段としては理解される可能性があったように思うのです。

 

というのは、私自身、野焼きをやっていて、飛び火は遠くまで飛びますが、それが延焼する危険はありません。単なる火の粉は、飛んでいっても落ちる先がよほど燃えやすい状態出ない限り燃え移りません。野焼きの周りは田畑なので、その点、冬は凍結とまでいかなくても湿っています。昔、鎌倉に居住していたとき、隣家の豪邸跡が燃えて炎上し、高さ10数メートルまで火炎が上がっていました。広い庭には楓など広葉樹が一杯で燃え移ると大変だと思っていたのですが、樹木は水分が豊富なため、意外と燃えないもので、結局、建物だけ燃えたことを思い出しました。

 

ところで、糸魚川の場合は飛び火というか、燃えた木片といった燃える媒体自体が飛んでいったようですので、強風が大きな燃える媒体を飛ばしたことが延焼の要因でしょう。

 

あちこち話題が言ってしまいましたが、こういった木造密集地は、古い町並みとして、一方で歴史的景観価値があり、住民の連帯や絆もあり、それ自体、一方的に解消すべきとの論は必ずしも当てはまるとは思えません。他方で、今回のような延焼の危険が極めて高いので、その防災対策こそ、当該地域住民を中心に、市だけでなく県、場合によって自衛隊の助力を得てきちんとした体制づくりをすべきではないかと思うのです。


予算(とくに農業分野)について 17年度予算案を一瞥して

2016-12-23 | 農林業のあり方

161223 予算(とくに農業分野)について 17年度予算案を一瞥して

 

今朝は雨模様。と思っていたら、しばらく雨が止み強風が吹いています。庭の枯れ葉が貯まっているので焼こうかと思ったのですが、あまりに風が強いので、今日は遠慮しました。

 

代わりに、柿畑のセイタカアワダチソウを一枚全部、刈りきろうと気合いを入れて始めました。ところが途中から小雨が降り出してきました。こういうことはしょっちゅうなので、いずれは上がるだろうと高をくくって、次々と切り倒していきました。でも雨が一向に収まらないどころか本格的になってきて、作業着が完全に濡れてしまい、体の中に雨がしみ込んできました。風邪でも引いたら大変と、途中で断念、引き上げてしまいました。

 

それでゆっくりと毎日の朝刊をなめるように見てしまいました。いろいろな情報が入ってきますが、やはりメインは17年度予算案の閣議決定について、多くの紙面がさかれていたので、ついつい読んでしまいました。

 

毎日は批判的な論調を多面的な切り口で展開しています。やはり一番は予算規模が最大となり、しかも「歳入の4割近くを借金に頼る構造は変わっていない。」と収支バランスの改善がなされていない状況が問題となっています。

 

わかりやすいのは、いつもように予算を家計の収支で説明するものですが、上記の借金依存構造が年収630万円で、累積借金が8650万円と、年収の約14倍となっている指摘ですね。いつもいわれることですが、家計なら破綻ですし、容易に破産が認められるでしょう。いや国家であっても、国際的な信用からいえば、とても覚束ない状態ではないでしょうか。

 

たしかに予算案は、さまざまな各方面からの要望をそれなりに取り入れ配分しており、収支のバランス、収入相互、支出相互のバランスなど、いろいろ調整して微妙な均衡の中にかろうじて成立しているのかな、とこれまでの政府・各省庁間の調整を垣間見せているようにも思えます。

 

しかし、毎日も指摘しているように、安倍政権は将来的な社会像をどのように描いて、その方向に向かって具体的な手法を示し、それに注力するように、メリハリのきいた予算構造にしたのか、わかりにくいように思うのです。

 

たとえば、農業を取り上げてみたいと思います。

 

記事では、農業の成長産業化の見出しで、次のように指摘しています。

「貿易自由化で農業分野の市場開放が迫られるなか、農家は生産コスト削減による所得の向上や高収益作物への転換、輸出力の強化が課題となっている。政府は農地中間管理機構(農地バンク)を活用して廃業を検討する中小農家の農地を集約したり、需要減少が続くコメから野菜への転換を後押ししたりしている。また2015年は7452億円だった農林水産物・食品の輸出額を、19年までに1兆円に引き上げる目標を掲げており、日本産品のブランド化による輸出促進や、海外で日本食の普及を担う人材の育成を進めている。17年度当初予算案でも、こうした事業に重点的に予算が割り当てられた。」とされています。

 

ところで、農地バンク14年開始して以来、一定の農地集約化が進んだことは確かだと思いますが、休耕田・遊休農地の増大が止まったわけではないと思います。それよりも、農地集約化が単に面積規模が拡大しただけのものも少なくないと思われます。わが国の零細錯圃という農地状態は、容易に農地をひとまとまりで集約化できる状態にはないところが通常です。

 

認定農業者など農業技術があり能力があっても、利用できる農地が面積的に増えても、あちこちに散在していると、当該農地まで行く時間・費用だけでも多大な負担になりかねません。真の意味で集約化するだけのノウハウ、法的技術、農地所有者の意識改革がない限り、農地バンクという名前だけでは、いくら予算を投じても、実績を上げることが容易でないと思われます。それを農家という大きな票田をバックにした圧力が、名目を変えながら予算取りをしていると批判されても、無視できる力をもっているということでしょうか。

 

他方で、私は零細錯圃の小規模農家が、予算や政策の面で、無視されつつある現状を危惧しています。たしかに彼らの少なくない人が兼業農家で、別の収入で生計を成り立たせていることもあり、米価や農産物価格の下落にも、TPPの圧力?にも、特段の影響を感じていないようにも思えます。しかし、そのような農家の中には、安定的に農地を維持し、また、手退職後は農作業をして、健康生活を送っている人も少なくないのではと思っています。

 

ドイツでは、都市内に小規模農地(クラインガルテン、一区画100㎡を超え場合によって1000㎡くらいあると記憶?)が各地にあり、都市住民にとって仕事と自然の中で基本的な生産活動を行う貴重な場となっています。

 

わが国の市民農園法上の一区画はあまりに狭いですし、小屋も建てられません。その他任意な土地利用で都市住民が週末農家として遠く離れた農地に通う、その人口はすでに200万人を超えたと言われています。そういう都市住民がより利用しやすい場所として、こういった零細錯圃の一画を提供する施策も重要だと思うのですが、農地バンクの発想は、あくまで「農業」の生産性向上です。時代遅れとは言いませんが、それだけでない多様な要望に応えることが現代の農業のあり方ではないかと愚考しています。

 

それはよく例にあげますが、維新の折、日本を訪れた異邦人が驚嘆した一つ、日本の里山、田畑のたぐいまれな美しさだったのではないかと思うのです。それを担ったのは日本の人口のほとんどをしめた百姓だったわけです。私たち日本人の精神的基底には、土とともに生き働き、誠実に生き物とつきあい、慈しみ、礼節を大事にする、それを農地とともに体得してきたのではないかと、勝手な解釈をしています。

 

その農地を農家だけに現代社会は委ねていますが、すべての国民にその農地、農業のあり方を提供して、見直してもらう時代になっているように思うのは私一人でしょうか。だいぶ脱線してきたようです。再び予算案について触れてみます。

 

政府は、生産コスト削減策として、農地集約の加速化を図り、次のように巨額予算を配分しています。結局、現在の巨大赤字を導いた公共事業の復活が図られているのです。

 

「焦点の一つだった農地の大区画化や水路整備に使う土地改良予算は200億円増の4020億円となり、16年度第2次補正予算と合わせた額は、自民党の野党転落前の09年度予算と同額の5772億円に回復した。また農地中間管理機構(農地バンク)運営には74億円増の155億円を充て、担い手への農地集約を加速させることで、生産コストの削減を図る。」

 

土地改良予算について、一言触れますと、これまでの土地改良は、既存の零細錯圃の農地を多少、配置を入れ替える程度で、集約化にはさほど実効性がなかったのではないかと思います。その点、どのような配慮がされるのか具体策に注目したいと思います。

 

それと土地改良事業として、大規模潅漑事業が行われますが、最近の米生産の減少傾向を前提にすると、本来的には農業用水としては水余り状態で、そのためときには景観用水とか環境用水として、費用対効果を裏付けようと試みているように思います。しかしながら、景観価値や環境価値について、十分で合理的な裏付けがあるか疑問が残ります。景観価値といったものについては、すでに北米などで多くの実施例がありますが、市場価値に委ねることができないことから、国民・住民の意見反映を価値評価に結びつける手法が多いのではないかと思います。しかし、適切な評価要素・評価方法・評価参加者の選出などがなされていないと、絵に描いた餅にすぎません。手前味噌といわれるか、自画自賛のための評価になりかねません。

 

そもそも農業だけではありませんが、こういった公共事業について、市民意見の反映が適切になされていない現状をいかに是正するかがないと、農業予算を含め公共事業予算は国民の支持をえら得ないと思うのです。

 

もう一つの農業支援は、以下のように批判の多かった減反の廃止から転作奨励策ですが、これでは農家の票を得るための利益誘導以上の意味があるか疑問です。

 

 「コメの需要減に対応した水田の転作助成は72億円増の3150億円を計上した。18年度から国による生産調整(減反)が廃止されることが決まっており、飼料用米や麦、大豆などへの転作を促す。森林整備などの林業関係予算は2956億円、漁業などの水産関係予算は1784億円となり、いずれもほぼ横ばいとなった。」

 

整理しないまま、今日も書き綴ってしまいました。毎日なにかを書くというだけの自分への課題ですが、おつきあいいただいている方には恐縮しています。


子どもの未来 シングルマザーの権利擁護・新養育費算定

2016-12-22 | 家族・親子

161222 子どもの未来 シングルマザーの権利擁護・新養育費算定

 

12月3日、和歌山弁護士会主催で、シンポジウム「シングルマザーの権利擁護」が開催されました。この内容概要や関連事項について、同会の金原弁護士のブログで紹介されていますので、参考にしていただければと思います。

http://kimbara.hatenablog.com/entry/2016/10/19/224214 

 

残念ながら参加できませんでしたが、そのとき配布された資料が参考になるものでしたので、PDFでアップしようかと考えましたが、やり方がよく分からなかったので、ウェブ情報で入手できるものが大半でしたから、以下ではウェブ情報の関係URLを取り上げておきます。

 

先に日弁連提言の新養育費等の算定方式について触れましたが、その提言そのものや「新算定表」もあるので、これをみれば一般の方も大筋では理解できると思います。これを今後は利用しながら、相手配偶者と協議したり、調停になれば調停委員に示して、子どものために合理的に必要な養育費額として検討してもらうよう働きかけが全国各地で進められるよう期待したいところです。

 

1 養育費・婚姻費用の新しい簡易な算定方式・算定表に関する日弁連提言

  http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion.html 

2 和歌山のシングルマザーの現況について

  和歌山県作成のパンフがありますが、アップできないため、代わりにNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ 赤石千衣子氏作成の下記のリポートを参照ください(少し古いですが)。

  「日本の母子家庭の現状と現在の問題点―当事者団体の視点から」

  http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/zero_pro/k_6/pdf/s5.pdf 

 

3 法務省「「子どもの養育に関する合意書作成の手引きとQ&A」について」

 ここには合意書のひな形もついているので、利用しやすいようになっています。

○ パンフレット【PDF】
○ 合意書のひな形【PDF】
○ 合意書のひな形の記入例【PDF】

4 履行確保に必要な財産開示制度

  http://www.courts.go.jp/tokyo/saiban/minzi_section21/zaisankaizi/index.html

 

◇  以下では東京地裁が紹介する申立書の書式の部分だけ引用します。

  財産開示手続申立書

  (1)  執行力のある債務名義の正本を有する債権者
  (a)  財産開示手続申立書(頭書)
    【書式】財産開示手続申立書  PDFファイル(PDF:92KB)  Wordファイル(ワード:22KB)
  (b)  当事者目録
    【書式】当事者目録  PDFファイル(PDF:76KB)  Wordファイル(ワード:21KB)
  (c)  請求債権目録
    【書式】請求債権目録  PDFファイル(PDF:79KB)  Wordファイル(ワード:23KB)
  (d)  財産調査結果報告書
    【書式】財産調査結果報告書(個人用・法人用)  PDFファイル(PDF:69KB)  Wordファイル(ワード:20KB)

  (2)  一般の先取特権を有する債権者(省略) 

 

5 諸外国の例「離婚後面会交流及び養育費に係る法制度」 

 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9532035_po_0882.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 

 

6 児童虐待を防ぐために 民法等の一部改正と 新しい親権制限の制度

 上記のシンポとは直接関係ありませんが、養育費問題は、基本的には子どもの権利擁護です。子どもへの虐待を防ぐための新たな制度も少し取り上げておきます。

(1)  裁判所の広報・平成23年民法一部改正

http://www.courts.go.jp/vcms_lf/313002.pdf 

(2)  法務省の広報 民法等の一部を改正する法律の概要について

■ 政府広報オンライン「児童虐待から子どもを守るために民法の『親権制限制度』が見直されました」はこちら

■ 養育費・面会交流のリーフレットについてはこちら

■ 児童虐待防止のための親権制度研究会報告書等の公表についてはこちら

■ 親子の面会交流を実現するための制度等に関する調査研究報告書の公表についてはこちら

 

7 DV(ドメスティック・バイオレンス)被害者支援情報(和歌山県)

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/040200/dvhigaisyasien/dvhigaisyasienjyouhou.html

 

あまりいろいろ加えると、盛りだくさんというより、情報過多で欲しいものが分からない、アメリカの映画でもありましたが、証拠開示を無意味にする戦略の一つに、無意味で関係のない情報を一杯詰め込み「開示」として提供して、必要な情報を実質的に隠匿する手法との批判にさらされそうですので、この程度にしておきます。

 

これは日々のブログの番外編です。


高齢者のこれから 成年後見の見直しなど最近の状況を考える

2016-12-21 | 心のやすらぎ・豊かさ

161221 高齢者のこれから 成年後見の見直しなど最近の状況を考える

 

今朝の毎日も、気になる記事が多くてどれを取り上げるのか悩みながら、時間がないため割と書きやすい?高齢者について、とくに成年後見を中心に書いてみようかと思います。書き始めの大まかな意図はあるものの、書いていくうちに軌道が外れることもあるでしょうが、ご勘弁を。

 

私も高齢者の一人ですが、あまり意識していません。とはいえ最近の報道を見ていると、次々と襲ってくる大波にいまにも大破するか座礁しそうな時代遅れの帆船のような状態にあるというのが実態かもしれないと、時折思ったりします。コロンブスのように野心を抱いてサンタ・マリア号の指揮をしている気持ちにいつでもなりうるのも高齢者ゆえの自由な心持ちかもしれません。

 

さて、最近の高齢者を取り巻く状況は、年金額の引き下げという収入減が現実化しつつ、ストックである預貯金は低金利で実質目減りする状態が長期化しています。では支出面はというと、介護費用・健康保険料の値上げ、いずれは消費税もアップするということで、増大する一方です。そして、政府はと言うと、預貯金から投資への誘導を働きかけ、取引経験の乏しい、あるいは判断能力の劣る高齢者に対して、無茶な注文をしているようにも見えます。社会は、オレオレ詐欺に限らず次々とあの手この手の詐欺商法が跋扈し、高齢者を餌食にする状況が蔓延しているというといいすぎですが、油断も隙もないといってよいでしょう。

 

高齢者自身は、健康な人でもいつなんどき認知症状が発現したり、それが悪化する状況にあることはまちがいありません。長寿社会というけれど、がんや心臓疾患など多くの重症患者には、手厚い医療が施される傾向が進んでいる一方、超高額薬も使われ、将来の世代に負担をつけ回すと潜在的な非難の目にさらされるおそれも深刻かもしれません。高度の医療技術のおかげで、命を取り留めても、意識のない状態で、ただ生かされることも現在の医療水準や医療者側・患者の親族側の意思としては当然のこととされているかもしれません。

 

高齢者の問題は、それだけに止まらず、さまざまな虐待が見過ごされています。単に暴力的な虐待以上に、経済的・精神的虐待は容易には分からないため、相当広範囲にあると思います。施設入所の場合における規制なり措置は、法制度の導入や改正である程度改善しつつあると思います。しかし、同居ないしは近隣にいる身内が世話をしている場合は、非常に難しいと思われます。訪問ヘルパーなど介護サービスの中で発見されればともかく、そのサービスは生活のほんの一時的な時間に限られ、終日の生活全般の中で、巧妙になされる虐待の場合、発見は困難でしょう。高齢者自身は自ら事実を告白することは普通しません。身内を非難すると、身内を糾弾すること自体恥として控えられるでしょうし、他に告白した場合の後の仕返しもおそれるでしょう。

 

とはいえ、こういう問題のある状況が一般的であるわけでなく、多くは愛情豊かな親子関係や身内とのつきあいをしていると思っています。そうでないとさみしいことですし、美しい日本人の心と言ったことを世界に自負することも控えないといけないことになるでしょう。

 

さて、『草枕』を書いた漱石は、明治時代を生き抜き49歳で永眠ですから、(もしかしたら維新前に比べて)住みにくい世の中を極めて鋭敏で繊細な意識の中で世を去っています。漱石は自分が高齢化した後もよく理解できていたのかもしれません。彼のように人間関係、社会、そして国家のあり方について、深く体験し、感応した人には、現代のような社会は息苦しいことこの上ないかもしれません。それはあまりに飛躍がありすぎると言われそうなので、この程度にします。

 

で、今朝の毎日の話に戻します。成年後見について、二つの記事がありました。一つは、政府が後見制度の利用について、従来財産管理に中心にしていたのを、「本人の意思決定支援や見守りの重視へと転換を図る。」という方針変更です。もう一つは、利用促進の具体的な策としての、人材育成を含む地域的取り組みについての記事です。

 

二つの記事は、おおむね共通するテーマかと思いますが、前者は政府の地域主導で連携することによる利用促進という方針案を示しています。後者はそのような方針案が利用の少ない成年後継制度の改善を目指しているものの、その担い手である地域の実情はかなり温度差があるというか、多くは対応できる状況にないことを示しています。

 

たしかに認知症状が進む高齢者が増大していることは、介護制度の運用の中で明確な数字として表れている一方、本来必要とされている成年後見制度の利用は進んでいません。その点介護・医療の分野が契約により利用になっているのに、意思能力の問題の解決が図られていない実情です。それだけでなく、先述したように、多くの詐欺商法が跋扈しているのに対応する確固とした仕組みがありません。さらにいろいろなハラスメントにもさらされていますが、これへの対応も不十分です。

 

それでもう一つの記事、地域の実情をさぐったものは、品川区の社協による連携した活動を紹介しています。いわゆる法人後見で、私も横須賀市ですが、その準備段階から実際の運用まで経験したことがあり、その職員の大変な努力について、審査会という会議を通じて、知りました。報告書は活動の詳細を記述しており、被後見人に対してここまで見守り、世話をするのかと驚きましたが、報告書自体はプライバシーに渡るので、すべて回収されるため、詳細はおぼろげながらの記憶しか残っていません。

 

で、このような法人後見は、記事にもあるように、身内の方がいないか、世話を拒否しているような場合で、経済的にも余裕のない方が対象だったと記憶しています。後見費用が月2万円と記事にはありますが、それと同等か低かったかと思いますが、職員がボランティア的にやらないとできません。しかも市の他の社会福祉関係の部署との連携が相当あり、業務内容はネットワークの構築なしにはできないと思います。

 

このような業務を、専門家と言われている弁護士や司法書士が、担うかというと、とてもできないと思いますし、費用対効果の関係でも二の足どころか三の足?もひいてしまうのではないかと思います。

 

そのようなこともあり、市民後見人という制度は、横須賀市でも法人後見制度を開始して間もなく始めています。私は、この制度に関わる前に、当地に移ってきたので、どのようになっているか分かりませんが、希望者は割合多かったかと思います。専門家と社協や社会福祉の部署がうまくサポートすれば、実効性あるものになると期待しています。

 

で、法人後見制度も市民後見人制度も、おそらくほとんどの自治体がまだ検討もしていないというのが実情ではないでしょうか。相当に手間がかかり、まして最近の高齢者の見守りへの要請は多様な面があり、一旦、引き受けると大きな負担になるとおそれているのかもしれません。

 

しかし、繰り返しになりますが、高齢者は判断能力が次第に衰え、中には認知症状が次第にでてきます。お金に余裕のある人は、任意後見などで事前に弁護士や司法書士の手厚いサポートを得ることが可能ですが、一般の方にはまだ敷居が高いかもしれません。そういう現状からいえば、むろん専門家の方からも廉価なサービスの提供も必要ですが、費用対効果や日常的なケアという意味で実効性の高いのは介護・福祉サービスとの連携をした法人後見や市民後見人のより一層使いやすい制度作りではないかと考えています。

 

とはいえ、高齢者が直面している課題は広範です。しかも昔ながら家族意識が離れません。法制度は次第に個人による選択を求める方向にありますが、身内が場合によっては高齢者の意思を支配している場合もあるかもしれません。身寄りのない方は上記のような制度の拡充で救われる可能性が広がるかもしれませんが、身内がいるためかえって不満足な状態に強いられるおそれもないわけではないと思います。これは一面的な見方、皮相的な見方かもしれません。でもそういう危険が残念ながら家族という古い殻に隠されていることを忘れてはならないと思っています。

 


物からの自由と平等?? 最判変更と西行・良寛の生き方

2016-12-20 | 心のやすらぎ・豊かさ

161220 物からの自由と平等?? 最判変更と西行・良寛の生き方

 

今朝の毎日は、最高裁大法廷が、預貯金は当然に相続分に応じて分割されるとしてきたこれまでの判例を変更した判断を取り上げています。具体的には「預貯金は法定相続の割合で機械的に分配されず、話し合いなどで取り分を決められる『遺産分割』の対象となる」との判断です。生前贈与を受けた人とそうでない人の相続人間の平等を図ったとされています。

 

とはいえ、生前贈与などは、特別受益とされ、その価額を加えたものが相続財産とされることや、被相続人が特別受益に含めないといった意思を明示して贈与等している場合は、対象外となることは、民法903条で定められていますので、本条の取扱が変わるわけではありません。単に預貯金の取扱について、遺産分割において同条の趣旨を踏まえて、相続人間の公平さを徹底しようとしたともいえるかと思います。

 

たしかに現行民法が旧民法の家督相続制を廃し、憲法の精神を具現化するかする趣旨で、個人の尊厳、平等を相続において規定した現行相続制度は、遺産分割でなにかとトラブルとなり、家裁での調停・審判となることも少なくないことはよく見聞されることかと思います。

 

このような相続制度は、相続税による所得再配分を除けば、故人の遺産は遺族に承継されるもの、相続人間は配偶者の地位を確保すると同時に、嫡出・非嫡出の差別を設けず、子の間では機械的平等を図ってきたかと思います。

 

ところで、同じ毎日の宮下誠氏の「風景を歩く」欄で、高野街道を取り上げていました。高野街道は、古くは橋本市小田から九度山町の慈尊院まで船渡しで渡り、そこから町石道を上っていたのです。そして秀吉の高野山攻めを救った応其上人が橋本を拠点にまちづくりをした後(彼はいくものため池修復などの橋本市の礎を作ったとされます)、大阪から紀見峠を超えて高野街道を降りてくると、まっすぐ南に船渡しをすると、紀ノ川南岸の賢堂に到り、川沿いに西に下り、学文路から九度山・河根を上る京大坂道がメインルートになったとされています。二つの渡し場はおおよそ一里くらい離れています。

 

この賢堂、対岸の東家には常夜灯が川岸に立っていて、往事を忍ぶことができます。賢堂から学文路に向かう道筋には宿場や商家が賑わう紀伊清水の古い家並みが今なお当時の面影を残しています。その紀伊清水の街道の一画に、西行庵と銘打った小さな建物があります。その中に入ると、たしかに西行の木彫り像が空海像とともにしっかり座しています。地元の伝承では、西行が高野山と都を往復する中で、ここで時折滞在していたとも言われています。しかし、西行が生きていた頃、船渡しはおそらく小田から慈尊院へというかなり下った場所だったと思われるので、船で渡った後、ここまで引っ返す理由があったか疑問がでてきます。

 

西行伝承はいろいろ各地にあり、どこまで信頼性があるのかと疑念を抱くより、西行さんがここでどんなことをしていたのだろうとか、もしかして和歌の中には、ここで創案したものもあったのかなと思う方がいいように思えます。

 

とまた横道にそれてしまいましたが、西行がなぜ高野山に30年近く滞在したか、気になっていることと関係します。西行は、慈尊院のさらに西方5里くらい下った現在の紀の川市打田・竹房周辺を領地とする田仲荘の跡継ぎでした。生まれについては諸説あるので、省きますが、実家の力で北面の武士となり、出世街道を上る文武両道の人でした。その西行が、妻子を捨て、北面の武士を退いたばかりか、当然ながら、実家の荘園管理者の地位を弟に託しています。当時は長男が家督を相続することが一定の身分の世界で一般だったと思われます。家族も名誉・地位も、そして遺産もすべて捨て去ったところに、西行の清廉さを感じることもできるかもしれません。出家するのだから当たり前といえばそうかもしれませんが、親友・清盛はその地位・財産を手元に置いて出家しています。簡単にはいえないように思うのです。

 

そして西行は、終生、和歌の道を探求している、とも見えるのです(私は西行の研究者のようにとくに調べたこともないので、ちょっと研究書を読んだ程度の知識なので信頼性は低いと思って結構です)。そういいきれるか、西行の和歌を理解できていない私には違った見方もあるのではと思ってしまうのです。たしかに月や花、山や川など感情のままに歌い上げているようにも思えます。他方で、彼は自分が生きた戦乱や飢餓、庶民の苦しみ、田畑で働く農民の生活を一度も歌っていないように思います。現実を見なかったのでしょうか、いやそうではないと思うのです。

 

高野山に移ったのはなぜでしょう。彼は当時、最も信頼していた僧の一人は、覚鑁だったのではないかと思うのです。その覚鑁が高野山を追われ、根来寺に拠点を構えた後、紛争まっただ中の高野山に入ったのは不思議な気がします。その当たりの事情は研究書からはうかがえません。

 

当時、高野山の領地とされていた桃山の荒川荘と田仲荘は境界争いなどで紛争し、弟が高野山の圧力に悩んでいたといった記述がどこかに書かれていたのを記憶しています。高野山は、1692年の高野弾圧があるまで、長く荒武者のごとき行人僧が跋扈していたのではないかと思います。その圧力に自分が譲った荘園領地が脅かされ、弟が苦悩していることを懸念していたというのは、本来の出家僧としてはありえないことですが、西行の場合、ありえたのではないかと愚考するのです。

 

田仲荘を少し東に行くと、桛田荘がありますが、そこは西行と同じ時代に北面の武士となり、出奔した文覚上人が川から水を引き水田をつくったとの伝承があり(文覚井)ます。文覚はもちろん、弟子筋で同じ紀伊出身で地元を大事に思っていた明恵上人も西行を敬愛というか尊敬していたと思われます。西行にも領地保全というか、弟への協力の意図がなかったとはいいきれないと思っています。

 

西行は、高野山の復興のため、勧進活動を熱心にしていますが、それは高野山と争う弟の領地保全と関係しなかったともいいきれないのです。このような親族的な関係といえば、奥州平泉の同年配であった藤原秀郷との交誼であり、世俗僧・重源の大仏復興の依頼を受けて、秀郷に勧進を求めたのも、自らの財産を一切もたず、清廉であったからこそ、できたのではないかと思うのです。

 

かなり粗雑な論理となりましたが、西行の話は今後も続くので、今日のところはこの程度にします。

 

もう一人、財産も地位も名誉も、一切自ら排していた良寛を取り上げておきたいと思います。良寛については、多くの人がその清廉性を強調し、実際、彼の和歌には、西行とはまったく異なる表現で、その厳しい越後の冬を隙間だらけの庵で、薪の残り灰のみに命を預けるような真剣な歌を多く作っています。

 

その良寛も、越後の裕福な商家に生まれ、長男として跡継ぎを期待されながら、弟に身代を譲り、自らは出家して、寺の住職にもならず、日々の生活の糧もなく過ごす、真摯な生き方をした人と思い、いつも心の拠り所にしています。

 

最近、田中圭一著「良寛の実像」を読んで、違った見方を見事な検証作業で、言及している点は、改めて良寛について考えさせるものがあります。とはいえ、財産というものとの関係は簡単ではないことは事実で、いかに付き合うか、どのような人生を歩もうと、生涯にわたり、真摯に考えることかなと思っています。良寛は、しかし、やはり意識としては考えていなかったのかなと思ったりしています。それはヘンリー・D・ソロー以上に、真剣だったのかもしれません。

 

今日もタイトルから大きく離れてしまった感じが否めないですが、タイトルはとってつけた物と考えておいてください。