Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

安芸の宮島紅葉狩りハイキング…

2010-11-27 11:32:11 | つれずれ紀行
<添付画像>宮島の紅葉谷公園にて……


 まったく久しぶりです。

 一体全体、何が久しぶりなのか?

 宮島に行くのも、ブログ書くのも久しぶりでありまして、宮島紅葉谷公園をウオーキングし紅葉を愛でたのは昨日、平成22年11月26日。

 しばらくブログ書かなかったら全く書くのがいやになって数カ月、このまま数日放っておけば11月が未投稿になるから慌てて書いた次第。 「ようやく少し、書く気になったので……」否、いささか「書かなければならんぞ!」という強迫観念的気持ちになったので、本日、慣らし運転ならぬ「慣らし投稿」を試みた次第。 

 気が向けば明日、再度、紅に染まった安芸の晩秋の宮島画像を投稿します。(トーマス青木)

参院選の総括

2010-07-14 06:55:22 | つれずれ紀行
<添付画像>「産経新聞朝刊『主張』(2010/7/13)より」
(撮影年月日)平成22年7月13日午後9時45分
(撮影場所) 自宅書斎
(天 候)  狂ったような梅雨末期的豪雨の最中


 「言い得て妙なり!」と、
 毎度の如く「産経新聞の社説」すなわち産経新聞流にいえば『主張』欄(コラム)に於いてして1670数文字の記述がある。 このコラムには、ぴったり!「私自身の言いたいこと」が明記されている。
 多くを語る必要もない。
 この度の選挙は、なんとか吾輩好みの結果となった。が、政治は今からが大切な局面を迎える。 殊に、みんなの党の渡辺喜美代表にはしっかりしてもらわにゃならん。
 選挙が終わって一両日、渡辺喜美君は超人的な精力でテレビ出演に暇もないが、努々、民衆党陣営との養子縁組等あってはいけない。政治家としての信念を貫き、保守政党の一翼(片翼か?)を担って頂き、沈没寸前の日本を、今少しまっとうな国になるよう助力してもらいたい。


 ------- <以下、平成22年7月13日産経新聞『主張』より切抜き> ---------

主 張

   菅首相の責任

 やはり総選挙で信を問え

 問題は政権担当能力の欠如


 菅直人首相は参院選大敗にこめられた有権者のメッセージを正しく認識しているのだろうか。きわめて疑問である。
 首相は12日未明、自らの続投を表明したのに続き、枝野幸男幹事長にも続投を指示した。執行部人事や落選した閣僚の補充を含む内閣人事も9月の党代表戦まで先送りするという。これは大敗の責任を曖昧〈アイマイ〉にする開き直りである。
 首相が直視すべきは、有権者が民主党の政権担当能力に大きな疑問を抱き、「退場勧告」を行ったことではないか。民主党が主導する政権に対し、これ以上の迷走と失政は許さないというのが国民の意思といえる。
 野党の自民党などからは、衆院選解散・総選挙を求める意見が出ている。鳩山由紀夫首相が退陣した祭にも、解散・総選挙で国民の判断を仰ぐ選択肢があった。
 それをしないまま、民主党政権は鳩山氏から菅首相に首を挿げ替えた。今回は菅首相が自ら進退を決断すべき事態である。それができないなら、民主党はやはり衆院選で政権の続投の是非を問い直すのが筋である。
 参院選は政権選択選挙ではないが、そのときの民意が示されることで、政権がたびたび交代する事態を招いている。

  [曖昧化は党の体質]
 例えば平成10年参院選では、所得税の恒久減税をめぐる発言を二転三転させた橋本龍太郎首相(当時)が自民党の獲得議席を44に減らし、責任をとって退陣した。
 菅首相は大敗の原因について、消費税増税を唐突に持ち出した説明不足は認めたものの、「改めてスタートラインに立った」と自らの責任論をかわした。枝野幹事長に対して「職責を全うしてほしい」と続投を求めたのは、執行部だけに責任を転嫁しにくかったからではないのか。党内には幹事長辞任論が残っており、きわめて不透明な決着といえる。
 首相は、政治と金の問題を生じさせた鳩山前首相や小沢一郎前幹事長の政治的・道徳的責任を不問にした。責任の所在を明確にしない民主党の体質がある。
 不思議なのは、落選した千葉景子法相を9月まで続投させるとしたことだ。
 仙石由人官房長官は「行政の継続性の観点から、続けていただくのが望ましい」と説明している。落選した人物をそのまま起用することが果して民意に合致していると言えるだろうか。
 民主党の政権担当能力への疑問は、鳩山前内閣時代の迷走に留まらない。参院選での消費税増税をめぐる菅首相の姿勢に表れたことも大きい。消費税の全体像や使途を十分に説明することのないまま「10%」の税率に言及したほか、低所得者対策の還付制度をめぐり「腰だめ」の所得水準を口にしたことなどだ。
米軍普天間飛行場の移設問題では、辺野古移設に向けた日米合意を受け継ぐとしているが、沖縄側の強い反発で実現困難な状況は変っておらず、日米同盟の空洞化を放置したままといえる。

  [試される野党共闘]
 改選第一党になった自民党、第三勢力として活躍したみんなの党は、民主党の過半数阻止という目標を達成した。
 今後は衆参両院に「ねじれ」が生じた状態を生かし、どのようにして政治の方向性を是正していくかが課題となる。
 最初の試金石は、参院議長人事をめぐる野党共闘を構築できるかどうかだ。みんなの党の渡辺喜美代表は、次期参院議長は野党側から選出すべきだと主張し、自民党なども検討に入っている。
参院議長は参院第1会派から出すのが慣例とされる。だが、民主党出身の江田五月議長は通常国会で首相問責決議案の採決を見送るなどした。
 こうした事情から、渡辺代表は「前代未聞の国会運営をした江田議長には代わってもらわねばならない」と批判している。議長あるいは議院運営委員長のポストを野党側が確保し、主導権を握れるかどうかがきわめて重要だ。
 野党共闘をまとめていく上で、とりわけ自民党の力量が問われている。
 自民党は選挙区で民主党を圧倒したものの、比例代表では民主党になお水をあけられている。今回は自民党が国民に評価されたというよりも、民主党への失望感が大きかった部分がある。
政権復帰に向けて、国益や国民の利益を守ろうという「保守の存在意義」が試される。〈2010.7.13〉

   -------------- <……以上、切り抜き終り> ----------------

春爛漫風広島向原のしだれ桜,,

2010-04-01 06:05:46 | つれずれ紀行
<添付画像>(広島県安芸高田市)向原のしだれざくら
(画像引用)ブログ「サロンド修道大学ESS同窓会」
(撮影・提供)UT氏



 うわぁ~ハ!

        なるほど、こりゃァ吾輩好みだ。

 これぞまたまたヒットアポン(Hit upon!)、『中国山地の風景』を表現するにぴったりの、春爛漫風抜群な桜風景画像を入手した。

てなことで、
 久しぶりにUT氏提供の画像を(許可なく?今、朝が少し早いから、もうすぐ許可が出ると思いつつ、、)引用したい。

 そして以下、

 そのあたりのいきさつを読者諸兄姉に感じ取って頂くため、『某ESSブログ』のコメントを引用塗付する。 

    ---------------------------------------------------

お久しぶりです!
と言いながら、三八会でお会いしたな。
いなやに、
動きの良い祭りスナップ画像、
すてきな咲き加減なるシダレザクラ?ソメイヨシノか?
これら田園風景画像をして、
春霞風空気感漂う切り口でひょーげんしているのは何処の誰か?
と思いきや、
ヤッパし、かのUT兄ではありませんか
こうしてESSブログで観れば、そうとう良いセンスですなぁ~…
あらためて貴兄の芸術的センスの良さに、何故かアンバランスな感慨にふけっています。
この画像のオリジナル送って下さいな。画質の良い状態でもう一度、桜の鑑賞したい。
ps:おっと、先に、テリーさんのコメントがあるのだ。テリーさん、ご無沙汰です。

投稿: エセ男爵 | 2010年3月30日 (火) 06時08分

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 かくして昨日から本日にかけ、以下メールのやりとりあり、吾輩としてはそれこそ久しぶりに季節感満載の日本人的情緒ある雰囲気になったこと、ブログに書き留めておきたい、、、。

    -------------------------------------------------------

 (以下、メール引用)

UT兄
画像の配信、たいへんありがとうございます。
左肩上がりの坂道あり、その手前には水田あり、田植え前の水が張ってある?
水面はあくまでも水平だから、その上の道が坂道だという事が判明する。
登り坂の中腹に位置する年代物の枝垂れ桜か?
いやいや、春霞と見まごう程に、空間を制圧する季節外れの雪降か!
何はともあれ、この画像の構図とバランスは大したもの、そうとう素晴らしいです。
ところで、
下関の火の山の桜が対岸門司の桜より咲き遅れていた、ですって?……
さもありなん、、、。
わかります、わかります。
火の山の方が、対岸門司よりも気候風土(ちょっと大げさか?)荒々しく、
つまり風雨が激しいはず、風雨激しく、ひょっとすると標高も高いのでは?
となれば、やはり咲き遅れても不思議ではないです。
私は小学5年生から中学3年の1学期まで、下関市壇ノ浦界隈(火の山の下)に住んでいたから、この辺の事良く分るし、いかにも懐かしいです。
そう、
貴兄は車を駆ってレスポンス良く中国五県下&九州地区を制覇しているから大したものだ。寺岡兄も同じく元気よくそして若々しく、漲る好奇心でもって名古屋界隈の各種イヴェントに参加している様子、ESSブログで拝見している。
このところ私は、一昨年苦しんだメタボ再発防止の対策のため、可能な限り歩くことにしている。そして小説を書き始めています。自分の事が何も出来なかった「失われた昨年の一年間」、しかし宮島で得た収穫は唯一、メタボシンドロームから脱出できたこと。それ以外に一切良い事無し。ま、おかげで今現在、体調は快調です。
そしてこの数週間、往復2時間以上かけてウオーキングし、サンフレッチェ広島のホームグランド!(とは言わないよな?)広域公園まで行っている。2月末には梅がきれいだったし、2日前に3~5分咲きだった桜は、ぼつぼつ満開になるはずです。
ところで以前、
エセ男爵ブログにも桜のエッセイ書いたけれど、私はこの桜の季節時期があまり好きではありません、というより大嫌いです。
記憶が追憶になり、今以って頭から外れない重要な思い出は「桜の季節」に集中して発生している。これら私の生涯の曲折のほとんどが、桜の時期に反落的転機を迎えたか?そんな、歴史的経緯あるのです。
だから今もって自分自身、桜の時期に桜を凝視し過ぎたり、あるいは、やたら周囲の人間が桜をめでたりしていると、必ずや複雑な心境になります。
なにはともあれ、御礼申し上げます、、、。
       すてきな画像ありがとう、、、。

トーマス青木(エセ男爵方執事)
Café & Magazine 旅遊亭:http://butler13thomas.blog93.fc2.com/
エセ男爵酔狂記:http://blog.goo.ne.jp/admin/




From: T.U
Sent: Wednesday, March 31, 2010 9:56 AM
To: KT様
Cc: Terry様
Subject: 向原の桜


エセ男爵殿

田舎のこの桜の写真を気に入ってもらって喜んでおります。
自分も水田と桜の姿にお百姓さんの営みが垣間見え好きです。

春霞とは情緒がありますが、舞い狂う大雪が突然止まったときの写真です。
なんと10分後には? 青空が出たように記憶しています。

まぁどんな形であれ桜の咲くのはめでたく、日本人としては観て心がわくわくするものです。

最近また冷え込んできたので当分散ることは無いでしょう。
実は一昨日から下関の「火の山公園」の桜を見に行ってきました。
対岸の九州の桜はしっかりと咲いていたけど、こちらはまだ5部咲きでちょっと残念でした。
帰りに宇部のときわ公園の桜に寄ったけど、ここもまだ8分咲き、やっぱり満開の情報を聞いてからの見物が正しいでしょう。

2010.3.31. 牛黄蓍 資

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以上、引用終り、、

東寺に想う・・(2)

2009-06-03 21:45:45 | つれずれ紀行
<添付画像>東寺の庭
(撮影日時):平成21年5月16日 すでに、午後5時を過ぎている頃か?
(天 候):絹糸のような小雨


 こんなに樹木の色彩が美しいとは、今まで気が付かなかった。 京都は東寺まで出向いて行って、、、
 まさか、東寺の庭の木立、そのバランスの良さが、こんなに美しいものだとは思いもよらなかった。

 人工的な色彩、例えば絵の具など、の『緑』や『黄色』は、みていて落ち着かない。
 私の好きな色は『青』。
 濃淡ひっくるめて、青なら何でも好きだ。 まぁ、宝石で例えれば「翡翠」か?はたまた「エメラルド」か? いやいや何ともきざな色であるか。 つまり、好きでない色彩の緑を美しいと思わない不肖トーマス青木メにして此の度「東寺の庭園」を見てのち、色彩について再認識した。
 すなわち植物世界の緑が、こんなに美しいものとは知らなかった。
 それもそのはず、本来的に『色彩』は自然界に存在するもの。 その昔、自然界に存在する色彩をもつ植物を採集し染料に加工し着物等を染めたはず。 そう、染料の原料には鉱物もある。 地中に埋没する綺麗な石ころを見つけ、それを粉末にし絵具とした古代の先人は、岩などに塗りつけて絵を描いた。 アルタミラ洞窟の壁画の動物や敦煌莫高窟の仏教壁画の「それ」がそれなのだ。
 色彩のことをあれこれ思い出すなか、きょうび、色彩認識したり色彩の調和や色彩の故事等多岐に及ぶ知識感覚に対し、センスと知識を保有する人物に対し試験を施し合格したものに対し能力を評して「認定」する資格制度あるらしく、それは確か、『カラーコーディネーター』と称する。 半年前のこと、たまたまとある色彩の良し悪しが話題になったとき、昨年度の「ColorCoordinator資格」の最上級試験に合格あそばされたインテリアコーディネーターの先生に、認定試験の内容について聞いたところ、何と、試験問題の中に「日本古来の色彩」の薀蓄があるとのこと。 例えば!例えば?といっても私には『和の美』の基礎知識及びセンス皆無にて「色彩表現の単語」すら思い浮かばない。 たぶんそれは例えば「ぐんじょういろ」とか「やまぶきいろ」とか、「あかねいろ」とか、さらに中間色となるとその呼び名を聞いただけでも、いかにも侘びや寂びを含蓄した日本的色彩の奥深さを感じながら、事実その色彩を見ても記憶できないほどに微細な中間色の羅列に違いないと勝手に想像し、日本的色彩によって表現されるのであろう日本的美しさの難しさに圧倒されつつ、「和の美を理解したくなった!」という新たな自分自身の挑戦に武者震いがしてきた、、、。 (投稿・トーマス青木)

 ps: おぉ、そうだ。 そういえば今年も『光陽会広島展』の案内が届いていた。
 「緑」を語っていたら「青」を思い浮かべ、「青」を思い浮かべていたらフェルメールの「真珠の首飾り」を思い出した。 青色の使い手は、なにもフェルメールに限ったことではないぞ。 ご案内状をお贈り下さったのは『青の魔術師!』こと木村順子画伯である。
 ありがとうございます。
 今年も木村画伯作品の「舞踏する青色」の鑑賞出来るのだ。 展覧会はすでに始まっている。(会期:平成21年6月2日~6月7日)
 ぼやぼやできない。
 いざ、今週中には広島県立美術館へ、何が何でも馳せ参じなければならんぞ!
 尚 光陽展には、絵画はもちろんのこと染色作品あり。絵画とは異なる染色作品の美しさに目を奪われていたけれど、今年は、より深層な感性を以って染色部門の鑑賞を試みたい。  

東寺に想う(1)

2009-05-27 20:45:45 | つれずれ紀行
<添付画像> 東寺五重塔
(撮影日時):平成21年5月16日 閉館前の午後5時ころ
(天 候):肌寒い超小雨の降りはじめ


 京都市内に入って小雨のぱらつき始めたのは、午後4時30分頃だったか。綾部市経由の団体バスは東寺の大駐車場に着いた。 駐車場から東寺参観受付入口までの通路らしき広場には、小粒の玉砂利が敷き詰めてあるから、歩けばじゃりじゃりと音がする。
 いかにも京都の古刹らしく、足音にも風情の漂うよう仕掛けられているか。
 やや左前方曇天を突いて聳え立つ「漆黒の五枚屋根?」が見え隠れする。距離はまだある。はるか500㍍以上はあると思われる。 そんな五枚屋根構造物は「古さを誇り自慢する?」か!のごとく、すでに受付場付近から望める。

 近づくほどに、もっともっと、五枚屋根の先端棒は高く高く天に向かって突き抜けていくではないか。
 「そりゃそうだ!」
 ピタゴラスか何だかの定理?はたまた三角関数か?に、よれば、五重塔と我輩の距離は狭まれば狭まるほどに、三角形の一隅の角度(サイン?乃至コサイン?もう忘れた!)の角度は広くなり、平行線上の視線から仰角をますわけで、ますます仰角は高くなる。
 いざ、おもむろにデジカメを取り出し、
「さて?日本最大の五重塔の先端までカメラ画像に収まるか?」などと、
ディスプレイ枠をこわごわと覗く。
「入らない!」
そこで思い出した!
今尚敬愛してやまないマグロ姉さんこと「水砂子」さんの南洋空写真の数々を、、、。
 そして、玉砂利広場に腰を下ろした。
 デジカメの位置を、地上すれすれまでに落とし、あらためて眺めたらこの画像の通り、五重塔尖閣までがファインダーに入った。  
 

 仕事柄、過去において世界のあちこちをあるき「どでかい建造物」や「高層建築物」を観てきたけれど、「こんな建築物」が我国日本にあろうとは、(恥ずかしながら)知らなかった。

 餓鬼の頃から木造建築を馬鹿にしていた。
それもそのはず、広島に落ちた原爆は、一瞬にして広島市内の建築物と構造物を一瞬にして灰にした。 唯一残ったのが石とコンクリートでできた「原爆ドーム」だった。 餓鬼の頃に上述事実をまのあたりにし、ヒト歳とって欧羅巴(特に)ギリシャのパルテノン神殿を見たからもう駄目、とことん日本のマッチ箱風ウサギ小屋的建築物を馬鹿にしくさってしまった。
 そしてこの京都旅行。
 はらはらと、目から鱗が落ちました。 ついで、感激の涙が溢れてきました。 ・・ったく、これだけ偉大で美的な木造建築物を見たことがなかったからであります。 もちろん、岩国の錦帯橋は、餓鬼の頃から見ている。 錦帯橋の美しさと技術の精緻さ、木造橋梁としては右に出るものなし。 しかししかし、東寺五重塔が「こんなに大きい建築物」だ!とは、百科事典的データとしては知っていたけれど体感としては知り得ようもなかった。
 火をつければ燃えてしまう、そんな木造建築物を馬鹿にしていた。が、心得違いであった。

 さらに思う。 我国日本の古都、京都は偉大だ、、、。 (・続く・・)


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PS:
* 以下、ウイキペディァ百科事典より、
 東寺五重塔(国宝)
東寺のというよりは京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置する。真言密教の中心尊である大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしている。江戸時代初期の作風を伝える。

厳島神社大鳥居付近の干満・・

2009-04-26 13:45:45 | つれずれ紀行
<画像> 大潮の干潮にたつ厳島神社の大鳥居
(撮影日時) 平成21年4月25日午後3時30分頃
(天 候) 雨上りの超曇天

 重い雨雲の垂れ込めた空、季節はずれの低温と湿気を運ぶ清涼な空気に浮上る「大鳥居」の朱色は冴え際立っている、、、。 

 さて、記事更新儘ならないまま平成21年度4月も下旬、ゴールデンウイーク前半に突入。 このままブログ記事更新無きまま放っておくと、4月は『記事無し月』になってしまいそうで気が滅入っていた。 けれども本日、ようやく記事更新してみようと思い立った次第にて、昨日午後より所用あって宮島に渡り、用事済ませて(久しぶりに)厳島神社の大鳥居までぶらついた、、、。
 前日夜半から明け方まで、豪雨とまでは行かないまでもかなり纏まった量の雨が降り、雨上りとしては(画像の如く)まだまだ厚く雨雲が垂れ込めていて素っきりせず。 鉛色の空は冬の再来を想わせるほどに重いけれど、黄砂や埃がしっかりと洗い流された空気は澄み切っていて、そんな清涼的空気感は画像から伝わってくる。
 
 な、何と、滅多に見れない「大潮」時の「干潮」にて、ざっと200人以上の老若男女挙って潮干狩りをしている光景に出会う。 まるで砂糖に群がる蟻子の如く、干潟にうずくまって動かない。 この半年間というもの、所用あって頻繁に宮島に渡っているものの、こうして厳島神社大鳥居界隈をぶらつくのも海を眺めるのも久しぶりにして、なんとも長閑な光景に出会えた。 
 
 振り返れば、今年は1月中旬から、というより昨年(平成20年度)の秋口(たぶん10月下旬辺り)から『宮島問題』に振り回され、またたくまに半年が過ぎてしまった。
 そして来月(5月1日)から向こう3年間、宮島観光事業の新たな組み立てに取り組むことになった。


 本日、思うこと多々あり、感ずるところ多々ある、、、。

 そう、嵐あり、雨あり、曇りも晴れの日もあり。 すなわち天候は自在変化に変る。
 そうなんだ。 潮にも満ち欠けがある。
 
 そして、人生にも、変わり目がある、、、。

 来月、この5月、何だか我輩の人生の大きな変わり目を迎えることになるやも知れぬ。 それは、この2年間の「宮島への想い」叶い、この5月から向こう3年間、いよいよ本格的に宮島に係って行動しなければならなくなったからだ。
 
 だから、その節目に、この画像を取り込み、且つ純粋に「日記的」な記事をしたためておきたい、、、。

軽井沢の思い出・・

2009-01-22 00:15:15 | つれずれ紀行
 
テンプレートの画像変更を楽しんでいる。

 先回のスペインマヨール広場画像は、かのイベリア半島的黄昏を楽しむ熱き感覚にて、当節大寒真っ只中の我国季節感覚から外れて迷走中のもの。 加えてブルー調(基本)テンプレートとの調和は相整わず、ダンディズムで押し切り敢て無視した。 しかし如何にも無理強い過ぎてはダンディズム精神にそぐわず、数日考えた末の本日深夜、またもや看板スペースの塗替え的作業に及ぶ。

 夕食前、ビール引っ掛け筒(2回目だから)余裕で貼り付けた画像? さてさて張り替えたブログの看板は、如何か?

 今日の日本全国は厳寒の季節にしてマッチング良好か?またもや自信なし。 但し、これは丁度今の季節! 3年前の軽井沢長逗留時代の画像を探り当てたから、再度テンプレート交換した。

 たぶん、
 3年前の本日を最後の夜にしてその翌日(平成19年1月22日)、しなの鉄道にて軽井沢を後に一路、信州上田市の友人を訪ねたのが最後、あれから軽井沢にご無沙汰している。

 たぶん、軽井沢最後の夜(前日夕刻)に撮影した画像が「本日画像」のはず、、、。

 外は零下10℃くらいか?

  

 いくら寒くても、室内はメいっぱい暖かかった「軽井沢の宿」を懐かしく思いながら、そして今、隙間風だらけの我が家の書斎で一杯引っ掛けながらブログ記事更新している次第であります・・・


ps:古い画像使っているようでは埒があかぬ。
 そうか!
 今年の初夏は、花の東京から長野新幹線にて軽井沢へ。 数日逗留ののち、見落としている長野県下の名勝旧跡を廻る旅に出向きたいものだ。が、果たして如何なることやら、、、。
(久しぶりだからハンガリーにするか?それとも宮島包ヶ浦自然公園に立てこもってみるか?)

新言語との格闘なのだ、、だ!

2009-01-06 01:55:15 | つれずれ紀行
 うっかり、前回記事で「いよいよ上級者」等と、ほざいたのはどこの誰か?

 少し触ってみれば、とんでもない勘違いだったことにあらためて気が付く。

 HLML記述? CSSが、どうのこうの、、、。
 (さっそく間違っているではないか!HLML?否、HTML,,,)

 ま、過去に何度か「同じたとえ」を書いたが、
 例えば犬がDOGで、猫がCAT?
    ・・?・・
 ま、まさか!?! 猫がドッグで、犬がキャット?          
 そんな根本的な間違いを平気で犯す輩はいないであろう・・
 ま、犬と猫を取り違えず英語訳出切るかどうか? という喩えについて、今の日本では幼稚園児からお年寄りまで周知の共通言語、というか常識なり。 しかし、此のコンピューター用語ってやつは使わないものにとっては異星人のコトバに匹敵するものなり、、、。

 だから今夜、あらためる。

 Gooブログのアドバンステンプレートを使い始めたってことは即ち、此の世界に於いては、これからようやく幼稚園児程度の常識勉強を始める段になったわけで、今までが赤子状態。 今年で6歳になる我が家のミニダックスだって人の子2歳児程度の知能があるわけで、ブログ始めて足掛け5年間の我輩の思考は一向にダックス憤怒クラスから抜け出せなかったわけで、今から先もボヤボヤしていたらダックス以下のレベルを右往左往しなければならんことに改めて気が付いた次第。 当初はワープロの代役として(初めて)パソコンに触ったのは、かれこれ20年前。 その当初から、パソコン修行に関して「ヒトにモノを尋ねる」のが大嫌いにて、全て独学で現在に至った我輩は、今さらヒトにものを尋ねるのも腹立たしい。 しかし、ここは、どうやら入口の部分だけは此の道の先輩にモノを訊ねなければならん時が来たようだ。
 今までは、パソコンという道具を目の前にし、あちらを突きこちらを突き試行錯誤を繰り返し何とか正解を得て障壁を打開し、前進する。 前進すると、少し本を読んで進歩の確認する。 ソレを繰り返しながら独学で、ここまで頑張ったんだから、この先は少し、他人様のお力をお借りしても恥にはならんであろう。 いや、ようやく我輩の周辺にソレをお聞きしても回答を下さるであろう御仁が現れたにすぎない。 
 今年はもうひとつ、高校3年生のときに見過ごした数学の微分積分にチャレンジしなければならんのです。
 なぜか?
 かなり恥ずかしいが、微分積分が解らなくて、たったそれだけで、だから立ち入れない知識の領域があるのです。 その仔細、今年は大いに恥掻く年だから恥かきついでに、またあらためて披露します。

宮島港の日章旗・2

2008-12-31 16:45:15 | つれずれ紀行
 こうしてみると、やはり大きい・・・

 畳8枚(8畳)?

 いや、6畳か?少なくとも4畳半はあるのだ。

 こんな大きさの日章旗は、恥ずかしながら生まれて(半世紀以上も経って)はじめて見た。 しかも見た場所は、広島県廿日市市の宮島港で、、、。

                          (日の丸の話・完)

   (第1章は、こちらから入れます)

正月準備!(宮島港の日章旗)1

2008-12-30 11:45:45 | つれずれ紀行
<添付画像>宮島港の「日章旗」
(撮影日時):平成20年12月29日午前9時45分頃
(天 候):曇天
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町・宮島港正面入口前


 この2年間、通いなれた宮島港ビル正門前の広場に「シカの糞」1つ落ちていないのに気が付いた。 すなわち、滅法綺麗に掃除されているから驚いたのは昨日12月29日朝のこと、、、。

 いつもゴミ箱の置いてあるところには「門松」が設営されており、ふと見上げると日本の国旗『日章旗』が掲げられているではないか! 宮島港ビルは2階建てにて如何見積もっても「この日章旗の大きさ」は、たぶん畳六畳敷きの大きさであるか。

 「気付かなかった!」・・

 というより、

 「こんなの見たこと無い!」

 恥ずかしながら我輩は「こんな大きな日章旗を見れるのは彼の戦艦大和か軍艦長戸の艦橋に立たねば見れぬもの・・」と、勝手に昭和ノスタルジーに浸っていたのであるけれど、何と、我ご町内「宮島町」で拝見できるとは思っても見なかった。
 このところ度々宮島に通っているけれど、お正月はおろか年末に宮島に来ることは、まずもって無い。 例え人出の多いお正月に来ても、この位置に掲げられたこの大きさの日章旗に気付かずに通り過ごしてしまうところだった。

              (・この記事、続く・・)