柿の赤が「こんな色」になるとは!?!
今年は柿の豊作とのことにて、あちこちから柿を頂き続けて早くも一ケ月経過。かくしてビタミン補給を意識しつつ朝な夕な思いつくままに柿を食し続け、すでに60~90個程度の甘い柿を食した。
なんだか今年は柿が豊作らしいけれど、「吾輩にして、この世に生を受けてのち初めての出来事に違いない……」
……思い出す。
子供の頃、親から何度も言われていた。「ミカンは大丈夫だけれど、柿は体を冷やすからけっして食べ過ぎてはいけない……」と、、、。
ガキの頃と比較すればするほどに、今年のようにたくさんの柿を食した経験は、未だかつて、無い。
「思うがままに存分に、もう十二分に食べた、食べ飽きた。今年はこれで柿は終わりか?……」と思っていたら一昨日、またまた30個ばかり頂いてきた。
「長らく木の枝にぶら下がったままの実であるから少し傷んでいる。見てくれは良くないがよく熟れているから美味しいよ……」
今尚元気な親戚の叔父貴の庭にある柿木に生ったもの。遠慮なく頂いて帰り、飽きもずに再度食す。
そうです。
これはめちゃ甘くて、この秋になって頂いた数十個の柿の中でも、この柿はひときわ美味であるぞ。
あらためて熟した柿の実が『このような赤色』になるとは思いもしなかった。というより柿色独特な赤味を、日本の秋を彩る柿色独特の美しさに気付いたのは、この年齢になってから初めてか。 何度も申し上げていると思うが、若かりし頃の吾輩は仕事柄、敢えて季節感をかき消した生活をしていたし、いわんや郷里の四季折々の観賞や感傷に浸っている感性など皆無であった。 ようやくこの5~6年、ようやく日本の四季の美しさに関心を持ち始めている。
さて、この柿の赤!
極めて柿的に赤く、且つ熟した柿独特の風味を愛でつつ食しながら、「さて、どこかで見た記憶のある赤色ではないか」と感じる。
そう、(遅ればせながら)この秋のBSテレビの何れかの局で放映且つ録画した『ミリキタニの猫』で、かのミリキタニ画伯がニューヨークの某公園傍の路上で熱心に描いておられたパステル絵画の中に『ふるさとの柿』あり、その柿の色とほぼ同種類のものであると判った。
そう、……2か月前を思い出す。
暑くなったり涼しくなったり、いやいや未だかなり暑かった初秋10月上旬のこと、短編ドキュメント映画『ミリキタニの猫』を録画する。観る毎に新しい発見のあるこのドキュメンタリー映画は、2ヶ月の間にすでに5度観賞した。幾度か録画を消そうかと思ったけれども、この映画はしばらく残しておこうと思い、且つ何度か映画鑑賞感想文を書こうと思った。が書けなかった。短編で単純なストーリーなのであるが、いざ何かを書こうと思うとドッコイ、それが何も書けない。書こうとすれば書けなくなり、何も書けずに2ヶ月半も経過する。はや、師走になってしまった。
柿を見て、柿の色を観て、思い出した。
そうだ!この柿の色とミリキタニ画伯のパステルの色合いが同じだということを思い出した。
このドキュメント映画の最初にシーンは2001年晩秋。如何にも底冷えしそうな、湿気の高いベタ雪の降る、ニューヨークのダウンタウンだった。確か、ソーホー地区の歩道上に段ボールを廻らし寒さ除けのビニールシート(透明)で覆い、画伯は自らのアトリエ空間を確保し、真夜中まで絵を描く。
「ほとんど眠らずに翌朝を迎えるホームレスの老人(ミリキタニ画伯)をインタビューするシーンからだった……」と思い浮かべつつ、更に翌年の秋口に描かれる画伯の絵画は柿の実を配列した色彩豊かな静物画のシーンを思い出した。個性豊かで色彩豊富なミリキタニ氏の絵画から、第二の強力な印象『巨匠の郷里の柿の実の赤色の印象』を回想した。
かくして、手元の柿の実が見事にミリキタニ的赤色に発色している様子を見届け、ついに『ミリキタニの猫』の鑑賞感想文を書いてみる決心した次第であります。<…続く……>
今年は柿の豊作とのことにて、あちこちから柿を頂き続けて早くも一ケ月経過。かくしてビタミン補給を意識しつつ朝な夕な思いつくままに柿を食し続け、すでに60~90個程度の甘い柿を食した。
なんだか今年は柿が豊作らしいけれど、「吾輩にして、この世に生を受けてのち初めての出来事に違いない……」
……思い出す。
子供の頃、親から何度も言われていた。「ミカンは大丈夫だけれど、柿は体を冷やすからけっして食べ過ぎてはいけない……」と、、、。
ガキの頃と比較すればするほどに、今年のようにたくさんの柿を食した経験は、未だかつて、無い。
「思うがままに存分に、もう十二分に食べた、食べ飽きた。今年はこれで柿は終わりか?……」と思っていたら一昨日、またまた30個ばかり頂いてきた。
「長らく木の枝にぶら下がったままの実であるから少し傷んでいる。見てくれは良くないがよく熟れているから美味しいよ……」
今尚元気な親戚の叔父貴の庭にある柿木に生ったもの。遠慮なく頂いて帰り、飽きもずに再度食す。
そうです。
これはめちゃ甘くて、この秋になって頂いた数十個の柿の中でも、この柿はひときわ美味であるぞ。
あらためて熟した柿の実が『このような赤色』になるとは思いもしなかった。というより柿色独特な赤味を、日本の秋を彩る柿色独特の美しさに気付いたのは、この年齢になってから初めてか。 何度も申し上げていると思うが、若かりし頃の吾輩は仕事柄、敢えて季節感をかき消した生活をしていたし、いわんや郷里の四季折々の観賞や感傷に浸っている感性など皆無であった。 ようやくこの5~6年、ようやく日本の四季の美しさに関心を持ち始めている。
さて、この柿の赤!
極めて柿的に赤く、且つ熟した柿独特の風味を愛でつつ食しながら、「さて、どこかで見た記憶のある赤色ではないか」と感じる。
そう、(遅ればせながら)この秋のBSテレビの何れかの局で放映且つ録画した『ミリキタニの猫』で、かのミリキタニ画伯がニューヨークの某公園傍の路上で熱心に描いておられたパステル絵画の中に『ふるさとの柿』あり、その柿の色とほぼ同種類のものであると判った。
そう、……2か月前を思い出す。
暑くなったり涼しくなったり、いやいや未だかなり暑かった初秋10月上旬のこと、短編ドキュメント映画『ミリキタニの猫』を録画する。観る毎に新しい発見のあるこのドキュメンタリー映画は、2ヶ月の間にすでに5度観賞した。幾度か録画を消そうかと思ったけれども、この映画はしばらく残しておこうと思い、且つ何度か映画鑑賞感想文を書こうと思った。が書けなかった。短編で単純なストーリーなのであるが、いざ何かを書こうと思うとドッコイ、それが何も書けない。書こうとすれば書けなくなり、何も書けずに2ヶ月半も経過する。はや、師走になってしまった。
柿を見て、柿の色を観て、思い出した。
そうだ!この柿の色とミリキタニ画伯のパステルの色合いが同じだということを思い出した。
このドキュメント映画の最初にシーンは2001年晩秋。如何にも底冷えしそうな、湿気の高いベタ雪の降る、ニューヨークのダウンタウンだった。確か、ソーホー地区の歩道上に段ボールを廻らし寒さ除けのビニールシート(透明)で覆い、画伯は自らのアトリエ空間を確保し、真夜中まで絵を描く。
「ほとんど眠らずに翌朝を迎えるホームレスの老人(ミリキタニ画伯)をインタビューするシーンからだった……」と思い浮かべつつ、更に翌年の秋口に描かれる画伯の絵画は柿の実を配列した色彩豊かな静物画のシーンを思い出した。個性豊かで色彩豊富なミリキタニ氏の絵画から、第二の強力な印象『巨匠の郷里の柿の実の赤色の印象』を回想した。
かくして、手元の柿の実が見事にミリキタニ的赤色に発色している様子を見届け、ついに『ミリキタニの猫』の鑑賞感想文を書いてみる決心した次第であります。<…続く……>