4年ほど前に北海道を旅行した事がある。
その時利尻島のYHで出会ったシンガポール人の女性と友達になった。
英語が話せることと、利尻富士を一緒に登った事がきっかけ。。。というより
三井で働く男性がその時一緒のYHに滞在していて、
彼女のお目当てはその人だったのだと思う。
はじめは彼も外国人と話すのに興味があったのだろうけど。。。
何か陰気くさい印象が彼女を漂う。 (後で知ったのだけど、家庭不破が原因だった)
彼女には申し訳ないけど、私が見た印象では彼は彼女に恋愛的好意は示していなかった。。。
なのでなるべく当たり障りなく一緒に楽しむ。。を心掛け登山を楽しんだという感じ。
その後お互いそれぞれの家へたどり着き、メイルを数回交わしていたのだけど、
もちろんメイルの内容は例の男性について。。。
そのうち自然にメイルが途切れてしまったのだけど。。
それから去年の東北大震災で彼女はわざわざボランティアで来た。
それは去年5月くらいで滞在期間は1週間くらい。
それを聞き、東京で2度目の再開をした。
その時初めて彼女がバプティストだと知った。。。
知ったというよりも、ご飯を食べる前に『お祈り』が始まったので。。。YHでは気が付かなかった。
そんな感じで神様の話がたびたびでる。。。
なんだかわずらわしいと思いながら、とりあえず聞くという感じで、
私は私なりにキリスト教とは違う考えと意見する。。。
別れ際に、『お祈り』だといい神様が私を導いてくれるように。。。等など。。。
その5月以降も彼女は日本をたびたび訪れていた。
年に3回も来たら入国審査で引っかかってしまったと言っていた。
そしてまた先週もやってきた。
連絡を受け先週金曜日の夜、3度目の再開をしたというのがいきさつ。
今度は彼女のボランティアの友人2人も一緒だった。
ボランティアの友人というより、同じ宗教の友人が正しいのかも。。。
そんな事で話の方向は結局神様になってしまった。
「私たちを救う為にキリストが死んだ」そうだ。
それは結構な事だと思う。
だけど自分の信じる事を他人に押し付けるのは良くないというと、
神様の教えには「いつかそれが良かったと思える日がくるから神の言葉を伝えなくちゃいけない」そうだ。
宗教が違っても、まったくうちの両親と同じ口調。
こういう人達に何を言っても無駄。
ショウガナイ。
救われてない人達の為に彼らにも『第2のキリスト』となって他人を殺さず死ぬ勇気も持ってほしい。