昨日この事件をドラマ化したものをNHKでやっていた。
それで、あきれたのは、
まだ生きていたのを知ったこと。。。
道徳としてこんな事を口走っていいのかどうか迷うけど、
この人に限っては死刑は『処分』という言葉が正しいように思います。。。。
番組内容に戻りますが、
その中でカセットに録音されてた実際の麻原彰晃が説く教義が公開された。
宗教だったのか、テロ組織だったのか?
そんな問答を投げかけているようなメッセージもあったけど、
どちらかではなくて、これらの違いは紙一重。
松本智津夫。
どうにもならない気の弱い人間が宗教に集まる、
それを利用し優越感にひたる。
同じようにキリストはどうにもならない気の弱い人間を集めたのかもしれない、ふとそう思う。
十字架にかけられる前にオウムと同じようなテロをしていたのかもしれない、と。
キリストの母の父、キリストのおじいさんは宗教家のようで、
かなり偏った人なら、マリアもかなり偏った感じではなかっただろうか?
それで、妄想が働き自分が神の子を授かったと。。。
そんな子供が自分は神だと思っても間違いない。。。
『神』を広めたことだけで十字架にかけられたのではなく、
何かオウムのようにテロに走って、その企てがあったから死刑にされた。。。
こんな事を言うとキリスト教徒の人が反発するだろうけど。。
いや殺されるかもしれないか。。。
そもそもキリスト教は国を支配する道具に使われたので、都合の悪いことは全て削除され、
また美化された話として作り変えられている。
そうでなければ、キリストが書いたものが残っていていいはずだ。
キリストが生まれた時にはすでに文字が発達していて、
ましてやマリアの父がダビデ王の家系に属するなら、
教育だってある程度されていた。
それなのに、キリストが神の教えを自ら残さなかったのは不自然であり、
その当時誰もキリストについて書かなかったのも不自然だ。
誰もが不自然さを疑いもしない。。
麻原という人間がいることが恐ろしいのか、
神の意志だと言えば信じ疑いもなく信仰する人間が恐ろしいのか?
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』
おなじみのセリフ。
みんながやっているから、
おかしいと思いながら、しかし私たちの社会にフィットする。
それが恐ろしいかもしれない。。。